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「大雄寺」は那珂川を西から東に渡り、北に向かって門人翠雪(当時の城代家老・浄法寺高勝、翠桃の兄)の屋敷跡(芭蕉公園)に向かう途上に建つ。<br /><br />芭蕉は那珂川同様この辺りを何回も通過したと思われるが、芭蕉が此処を訪れた記録は見当たらない。<br /><br />翠雪が当時の城代家老だとしても藩主の菩提寺を、俳諧の師匠とはいえ、一庶民を案内することは容易ではなかったのかもしれない。<br />あるいは芭蕉が黒羽を訪れた前年(1688年)藩主増栄が死亡しており、このことが係わっているのかもしれない<br /><br />後に黒羽藩の藩主となった大関家は、下野(しもつけ)大田原家同様、下野諏訪郡を支配する諏訪家の一家来であった。<br /><br />旅行主催者提供の頭が痛くあなるような複雑な歴史の変遷を経て、大関家と争って勝利した大田原家から、この争いにより後継者増次を失った大関家の13代当主として養子と送り込まれた高増は、余瀬(大田原市余瀬)にあった白旗城を、高増の出身地に近い現黒羽城跡に移転し、併せてやはり白旗城の鬼門よけだった大雄寺も現地に移築した。<br /><br />高増は大雄寺を増次の菩提寺とし、山院号も増次の戒名の一部を貰って、「久遠院大雄寺」と名付けた。<br /><br />旅行主催者提供の資料では”高増は増次を追悼する気持ちが強く”とあるが、実質は勝利した相手とはいえ養子先であり、養子先の武士達や住民の懐柔策だったのではないだろうか。<br /><br />その後の大関家は強運と云うか先見の明ありと云うか、小田原城攻めでは秀吉に帰参、関ヶ原の合戦では家康に与し、その結果最終的には1万9800石の領主となり、秀吉軍に参戦したばかりに改易の憂き目を見た那須家に変わって、下野黒羽藩を立藩し(1604年)、以後16代もの間一度の改易を被ることなく明治維新を迎えている。<br /><br />鬱蒼とした森影の参道に様々な表情の伽藍像が戯れる丘が有り、その奥に大雄寺の山門が覗く。<br /><br />かくして大関家の菩提寺となった「大雄寺」は隆盛を極め、今も境内に残る室町時代の様式と云われる茅葺の建て物群は、その繁栄の面影を今に伝え、日本の美を我々に意識させる。<br /><br />黒羽一とも思えるこの景観を、もし芭蕉が目にしていたら、どう表したであろうか。<br /><br />栃木県有形文化財。<br /><br />残念ながら雨の水滴がレンズに付着してしまっていたらしい。<br /><br /><br />

奥の細道を訪ねて[第4回]⑥黒羽藩主大関家の菩提寺「大雄寺」

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2011/06/26 - 2011/06/26

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WT信

WT信さん

「大雄寺」は那珂川を西から東に渡り、北に向かって門人翠雪(当時の城代家老・浄法寺高勝、翠桃の兄)の屋敷跡(芭蕉公園)に向かう途上に建つ。

芭蕉は那珂川同様この辺りを何回も通過したと思われるが、芭蕉が此処を訪れた記録は見当たらない。

翠雪が当時の城代家老だとしても藩主の菩提寺を、俳諧の師匠とはいえ、一庶民を案内することは容易ではなかったのかもしれない。
あるいは芭蕉が黒羽を訪れた前年(1688年)藩主増栄が死亡しており、このことが係わっているのかもしれない

後に黒羽藩の藩主となった大関家は、下野(しもつけ)大田原家同様、下野諏訪郡を支配する諏訪家の一家来であった。

旅行主催者提供の頭が痛くあなるような複雑な歴史の変遷を経て、大関家と争って勝利した大田原家から、この争いにより後継者増次を失った大関家の13代当主として養子と送り込まれた高増は、余瀬(大田原市余瀬)にあった白旗城を、高増の出身地に近い現黒羽城跡に移転し、併せてやはり白旗城の鬼門よけだった大雄寺も現地に移築した。

高増は大雄寺を増次の菩提寺とし、山院号も増次の戒名の一部を貰って、「久遠院大雄寺」と名付けた。

旅行主催者提供の資料では”高増は増次を追悼する気持ちが強く”とあるが、実質は勝利した相手とはいえ養子先であり、養子先の武士達や住民の懐柔策だったのではないだろうか。

その後の大関家は強運と云うか先見の明ありと云うか、小田原城攻めでは秀吉に帰参、関ヶ原の合戦では家康に与し、その結果最終的には1万9800石の領主となり、秀吉軍に参戦したばかりに改易の憂き目を見た那須家に変わって、下野黒羽藩を立藩し(1604年)、以後16代もの間一度の改易を被ることなく明治維新を迎えている。

鬱蒼とした森影の参道に様々な表情の伽藍像が戯れる丘が有り、その奥に大雄寺の山門が覗く。

かくして大関家の菩提寺となった「大雄寺」は隆盛を極め、今も境内に残る室町時代の様式と云われる茅葺の建て物群は、その繁栄の面影を今に伝え、日本の美を我々に意識させる。

黒羽一とも思えるこの景観を、もし芭蕉が目にしていたら、どう表したであろうか。

栃木県有形文化財。

残念ながら雨の水滴がレンズに付着してしまっていたらしい。


同行者
一人旅
交通手段
観光バス JRローカル
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
  • 参照してください<br />黒羽山 大雄寺 ホームページ;伽藍配置図と参拝順路<br />http://www.daiouji.or.jp/daiouji_keidai_map.html

    参照してください
    黒羽山 大雄寺 ホームページ;伽藍配置図と参拝順路
    http://www.daiouji.or.jp/daiouji_keidai_map.html

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