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黒羽城跡を最後に我々の旅は旧黒羽町から、那珂川を挟んで反対の、余瀬に向かう。<br /><br />余瀬には黒羽城が築造される前の大関家の居城・白旗城が建っていたところであり、由緒ある建て物も有ったらしい。<br /><br />余瀬で最初に訪れた西教寺も創建は1871年と新しいものの、その起源は黒羽藩第2代藩主大関政増の正室で、徳川家康の娘シャム姫の創建の「法王寺」と云う寺との事。<br /><br />1910年に起こった”余瀬の大火”で当時の面影は殆ど失われたが、本堂と移設した白旗城の廃材で建てたと云う、<br />地元の住民が飢饉の際などの為に備える共同倉庫「郷蔵」が僅かに名残をとどめている。<br /><br />しかし我々が此処を訪れた主目的は境内の一角に句碑が建っているからで、句碑には「場所の館」前の広場の一角にもあったのと同じ曾良の句<br /><br />  かさねとは 八重撫子の名なるべし<br /><br />が刻まれていた。<br />

奥の細道を訪ねて[第4回]⑪村の可憐な娘を詠んだ曾良の句碑が有る西教寺

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2011/06/26 - 2011/06/26

194位(同エリア214件中)

WT信

WT信さん

黒羽城跡を最後に我々の旅は旧黒羽町から、那珂川を挟んで反対の、余瀬に向かう。

余瀬には黒羽城が築造される前の大関家の居城・白旗城が建っていたところであり、由緒ある建て物も有ったらしい。

余瀬で最初に訪れた西教寺も創建は1871年と新しいものの、その起源は黒羽藩第2代藩主大関政増の正室で、徳川家康の娘シャム姫の創建の「法王寺」と云う寺との事。

1910年に起こった”余瀬の大火”で当時の面影は殆ど失われたが、本堂と移設した白旗城の廃材で建てたと云う、
地元の住民が飢饉の際などの為に備える共同倉庫「郷蔵」が僅かに名残をとどめている。

しかし我々が此処を訪れた主目的は境内の一角に句碑が建っているからで、句碑には「場所の館」前の広場の一角にもあったのと同じ曾良の句

  かさねとは 八重撫子の名なるべし

が刻まれていた。

同行者
一人旅
交通手段
観光バス JRローカル
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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