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1576年、当時の黒羽一帯を支配していた大関氏が、その居城で余瀬(大田原市余瀬)にあった白旗城を現黒羽城跡に移転した際、城下に住んでいた住民も新しい黒羽城下に移転させたが、合わせて、旧城下の主な神社仏閣も黒羽城下に移築した、「明王寺」もその中の一つ。<br /><br />正式には高岩山密蔵院明王寺と号する禅寺。<br />なかなかどっしりした趣のある本殿。<br /><br />境内の一角に芭蕉の句<br /><br /> 今日も又 朝日を拝む石の上<br /><br />を刻んだ石碑が有った。<br /><br />これは芭蕉が黒羽滞在中に行われた歌仙の興業で詠まれた三十六の句の中で、明王寺に最も相応しいと思われる芭蕉の句を選び、明王寺に句碑を建てた、と云われているものだが、明王寺で修行していた行者の姿なのであろうか。<br /><br />解説の先生の説明では芭蕉の「野ざらし紀行」の中に”僧に似て塵有り 俗に似て髪なし”と自らの姿を表した文が有るとかで、奥の細道でも同じ旅装で、おそらく行者の姿とよく似た様相だったのだろとの事。<br /><br />しかし芭蕉自身が明王寺に詣でた記録は見当たらない。<br />

奥の細道を訪ねて[第4回]③芭蕉の旅装を彷彿させる句碑が有る「明王寺」

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2011/06/26 - 2011/06/26

179位(同エリア214件中)

WT信

WT信さん

1576年、当時の黒羽一帯を支配していた大関氏が、その居城で余瀬(大田原市余瀬)にあった白旗城を現黒羽城跡に移転した際、城下に住んでいた住民も新しい黒羽城下に移転させたが、合わせて、旧城下の主な神社仏閣も黒羽城下に移築した、「明王寺」もその中の一つ。

正式には高岩山密蔵院明王寺と号する禅寺。
なかなかどっしりした趣のある本殿。

境内の一角に芭蕉の句

 今日も又 朝日を拝む石の上

を刻んだ石碑が有った。

これは芭蕉が黒羽滞在中に行われた歌仙の興業で詠まれた三十六の句の中で、明王寺に最も相応しいと思われる芭蕉の句を選び、明王寺に句碑を建てた、と云われているものだが、明王寺で修行していた行者の姿なのであろうか。

解説の先生の説明では芭蕉の「野ざらし紀行」の中に”僧に似て塵有り 俗に似て髪なし”と自らの姿を表した文が有るとかで、奥の細道でも同じ旅装で、おそらく行者の姿とよく似た様相だったのだろとの事。

しかし芭蕉自身が明王寺に詣でた記録は見当たらない。

同行者
一人旅
交通手段
観光バス JRローカル
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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