2011/07/23 - 2011/07/23
136位(同エリア201件中)
WT信さん
当旅行企画会社配布の資料によると、昔当寺の境内に”千丈岩”と云われる巨岩が有り、”雲厳寺塔(虎丘塔)”と呼ばれた中国・蘇州の”虎丘山”に似ていることから「雲厳寺」と名付けられたとの事。
その後臨済宗妙心寺派の禅宗の寺院となり、禅宗日本4大道場の一つと云われようにる。
赤い欄干の太鼓橋「瓜(か)てつ橋」を渡り、その名声通りの立派な山門を登ると、正面に見える「仏殿」の端正な姿が目に留まる。
仏殿の屋根越しに鬱蒼とした森を背負った「方丈」、その右手には「書院」の建て物が控える。
山門の右手に「鐘楼」が建ち、左手に「経臓」が望める。
更にその左手の木陰に、仏頂和尚の歌と芭蕉の句を併彫した碑が建っていた。
竪横の五尺に足らぬ草の庵(いお) 結ぶもくやし雨なかりせば 仏頂
啄木鳥(きつつき)も庵(いお)を破らず夏木立 芭蕉
(案内の先生から芭蕉の句に関し次の様な解説あり
”540~550年頃、仏教伝来に反対し寺や仏像を焼き払った物部守屋を、崇仏派の曽我馬子が殺害した。
物部守屋の霊は啄木鳥(きつつき)となり、寺でらをつつき破るようになる。
仏頂和尚の庵はその啄木鳥でさえその徳を敬しつつき破らない)
仏頂和尚は鹿島根本寺の住職で、江戸深川の臨川庵に寄宿して、鹿島神宮相手の訴訟を起こし、勝訴する。
芭蕉はその間深川で仏頂和尚の知己を得、禅を学ぶ。
訴訟に勝訴した仏頂和尚はあっさり住職の地位を捨て修行僧となる。
仏頂和尚の生きざまは西行と並んで、芭蕉の理想とする世捨て人の姿で、その庵跡を訪ねる事が芭蕉を「雲厳寺」と向かわせた。
仏頂和尚の庵はやや危険な崖の上にあるらしく、一般には公開されていない。
「仏殿」の西側を通って裏にある階段を登り「方丈」に参拝、その庭先から緑に包まれた甍を眺める。
修行僧と思える人が、庭木の剪定をしていたが、これだけの美しい庭を維持するのは並大抵であるまい。
お陰ですがすがしい気分で山を降りた。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス JRローカル
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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