2017/03/22 - 2017/03/22
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しんちゃんさん
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「接ぎ木研修」の後は「那須与一のお墓」と「福原城跡」を見学した。
那須与一(なすのよいち)は知っている方がほとんどだと思う。
源氏と平家(平氏)の戦いで、平家方の扇(おうぎ)の的を弓矢で一発で落とし有名になりました。
各地にお墓がありますが、栃木県大田原市福原の「玄性寺(げんしょうじ)」には那須与一と那須家一族のお墓があります。福原近辺は那須与一が乗馬の練習をした汗馬山(愛宕山)があります。
“那須”の地名は場所には注意が必要です。
上記の場所は那須温泉及び那須岳より南へ約30Km以上、“那須町”より約25Kmも南です。
以前運送会社の方が南那須町へ物品搬入する時「那須インター」で降りた後、「詳しい場所教えて下さい」と電話を掛けてきました。「矢板インターで降りてください」と答えましたが、ナビがある現在でも注意して下さい。
話せば長~い那須家のお話…波乱万丈_那須家の末裔は仙台にお住まいのようです。
「那須与一宗隆(なすのよいちむねたか)ゆかりの地めぐり」(大田原市教育委員会・大田原市那須与一伝承館発行)によりますと…
●誕生年月:1155年~1171年
●死去年月:1189年~1232年
●法名:10種類
●屋島の合戦の日時:2月18日~21日
●屋島の合戦の時の那須与一の年齢:17歳~20歳
●那須与一の兄弟:11人(那須与一は11番目)
とある。
なにせ、800年前の出来事、資料が少なく各地の伝説、謎が多い!
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 自家用車
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-
栃木県大田原市福原
県道285号、町内「ばんば通り」と言うらしい。
玄性寺駐車場_無料です。玄性寺 名所・史跡
-
玄性寺へ向かう途中
大田原市福原_現在人口は676人、世帯数210世帯(人口統計ラボより、調査日2010年)
こんな町内に福原城が最盛期にはお寺が8寺あったそうです。(地元の方より)現在でも4寺あります。 -
玄性寺へ向かう途中
「福原餅つき唄」資材収納庫がありました。
市指定無形民族文化財です。
「https://www.youtube.com/watch?v=j1wJbeC9ark」 -
玄性寺へ向かう途中
“那須”の語源の由来は
【●「那珂川の中州」という語から ●アイヌ語から変化したもの】
があるそうです。(那須町より)「http://www.town.nasu.lg.jp/hp/menu000000300/hpg000000236.htm」
しんちゃんはアイヌ語説を信じたい_北関東より以北にアイヌ民族(蝦夷)が多く住んでいた。各地にアイヌ語が残っている。等々探索(検索)すれば興味は尽きない。脱線しそうなのでこれくらいで… -
玄性寺 梵鐘
玄性寺 名所・史跡
-
玄性寺
「那須与一の墓」
那須与一は、京都伏見で病気で亡くなりました(不確かです)。
お墓は各地にありますが…
本人の遺言により、分骨を栃木県大田原市福原「功照院(現:玄性寺)」に埋葬されました。
参考
(http://www.negaigamatoe.com/yoichi.html)
(http://www.yoichi.co.jp/yoichikou.html) -
本堂
那須与一の生まれは…
高館城_那須与一宗隆ゆかりの地めぐり(大田原市)
神田城_Wikipedia等々 -
本堂
-
玄性寺
本堂前の餅つき唄記念碑 -
お墓へ向かう
右側は「矢剪石」記念碑 -
「矢剪石」(しせんせき)記念碑説明版
向こう側のしめ縄の掛けられた石である。
【那須与一宗隆が八島の浦で「扇の的」を射抜いたとき、約680Kmも離れていた那須城内(福原城内)のこの石が、ビシィと音をたてて裂けたけたと言われる】
那須与一宗隆ゆかりの地めぐりよりコピー
この手の伝説は眉唾もので苦手である… -
与一の里おおたわら名木
「相生(あいおい)の楓」 -
与一の里おおたわら名木
「相生の楓」 -
与一の里おおたわら名木
「相生の楓」 -
那須家の墓所
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「那須氏墓碑」
見学に来たつもりになって
自分で読んで下さい! -
「那須与一公を讃える」記念碑
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「那須与一公を讃える」記念碑
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「那須与一公を讃える」記念碑
左側から
●那須資興公嫡子(資興の嫡子<資豊>)明治元年4月9日没
●那須資隆(与一の父)
●那須与一宗隆(那須与一)
●那須資景公室(資景の妻)
●那須資景公(左京太夫資景)
●那須家歴代合祀
●那須資重公(美濃守資重)那須与一宗隆ゆかりの地めぐりより -
「那須与一公を讃える」記念碑
矢から的まで約70mと資料館にてお聞きしました。 -
「那須与一公を讃える」記念碑
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「那須与一公を讃える」記念碑
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墓所
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左側から
●那須資興公嫡子(資興の嫡子<資豊>)明治元年4月9日没
●那須資隆(与一の父)
●那須与一宗隆(那須与一) -
「那須与一公を讃える」記念碑
左側から
●那須資隆(与一の父)
●那須与一宗隆(那須与一)
●那須資景公室(資景の妻)
●那須資景公(左京太夫資景)
●那須家歴代合祀
●那須資重公(美濃守資重)那須与一宗隆ゆかりの地めぐりより -
墓所全景_左側より
-
墓所より北方向
曇って那須連山は見えない -
「那須家守護神 稲積稲荷 ・途中略・・・稲荷明神が白狐と化して守護せる霊験ある稲荷である」
どうもこの手の説明は苦手である・・・ -
「那須家守護神 稲積稲荷」
-
「那須家守護神 稲積稲荷」
本堂内部 -
「那須家守護神 稲積稲荷」
本堂内部 -
「那須家守護神 稲積稲荷」
本堂内部 -
玄性寺南側の弓道場
「射場」 -
玄性寺南側の弓道場
「的場」
「射場」から「的場」までの距離は2種類あるが
ここは28m近的場のようである。
しんちゃんも弓道部に属していた時代があった。
的を新聞紙で重ね、最後に円の書かれた紙を貼って乾かした。
パリパリに乾くと矢が当たった時に「バッシ!バッシ!」と心気持ち良い音がした。
半世紀も前の出来事である。
弓道八節もまだ言える! -
玄性寺駐車場に戻り
案内図にて他に見学場所ないかな~
赤線の一番左側
「福原城跡」発見!
遊歩道?散策道?もあるし
ダイエットを兼ねて
「いざ出発!」
ところが… -
「あれれ!箒川(ほうきがわ)に近づいてしまう??」
-
ビニールハウスを工事していた、地元の方に聞きましたら
ここを登るそうです。
訪ねた後に
道路を行過ぎたら
「手前の崖だよ!」
大声で教えてくれた。
「ここを登の?」
「遊歩道?散策道?でなく「獣道(けものみち)だ!」 -
どう見ても城跡へ行く道にみえないでしょ!
地図には散策道路の様な道があったが… -
教えてもらった散策道路を登る…
孟宗竹(もうそうだけ)の林です。 -
道はあるが…
孟宗竹(もうそうだけ)の林
5月から6月ならば筍(たけのこ)がでてるかも
でも採っては泥棒になります。 -
一応、道はある。
間伐していないため荒れ放題! -
おおっ!空堀の跡
-
本丸跡か?
藪だ! -
右手にまわり込むと空堀の外側にも土塀が…
-
手前の土手の先に空堀があり、向こう側にも土手があるのが分かる。
-
手前の土手を南に進む。
-
土手幅が人ひとり歩けるくらいである。
-
南に歩くと、東側に曲がり先は下りになる。
-
歩いてきた経路
余湖くんのホームページよりコピー加工させていただきました。
本を出版している方で「出典元さえ明記していれば、ご使用は自由」
と心広い方もいらっしゃいました。
この場を借りてお礼申し上げます。
「http://yogokun.my.coocan.jp/totigi/ootawarasi.htm」 -
青い経路から南側空堀へ下りて見ました。
-
シノダケが覆いかぶさり歩きにくく又土手に登ろうとしましたが、結構急勾配で足がすべる。
木の枝に捕まろうとしたら、枯れ枝で転んだ!
枯れ枝にお腹が突き刺さり痛かった。
幸い、かすり傷で住んだ。
風呂に入ったらしみた。 -
本丸跡に祠があると聞いたが、藪だらけ!
アオキの実が真っ赤で
“兵どもが夢の跡(つわものどもがゆめのあと)”
を思い出す。
以上の福原城は山城(戦う場合の城)であって、日常の生活の平城(ひらじろ、ひらじょう)は、近くの平野部ありました。 -
日常の生活の平城(ひらじろ、ひらじょう)があったとされる場所。
遠くの山が先ほどの「山城」の福原城跡。 -
福原平城跡_町内をぐるぐる回ったが説明版が見つからなかった。
場所が違っていた可能性あり、次回“城ノ内”なる地区を散策して見たい。 -
山城(福原城)への道を教えていただいた農家の方。
この場を借りてお礼申し上げます。
下記の廃寺跡の神社にある“観音様のお話”“福原城悲劇話”も、お聞きしました。
那須家の波乱万丈、ややこしい家系のお話は他のサイトでお読み下さい。
参考資料
埋もれた古城
上那須滅亡の惨劇を語る 福原城
「http://umoretakojo.jp/Shiro/Kantou/Tochigi/Fukuwara/」 -
廃寺跡の神社にある“観音様のお話”
この場所にお寺がありました。
その跡地に祠が建てられ、地元の神社として祭られています。
中には観音様が二体あります。 -
中の観音様が二体。
左側は扉の中です。
東日本大震災で倒れひびが入り、修理したくとも何百万円もかかるそうです。
地元の方々の寄付金だけでは高くて修理できないそうです。
修理するにしても、観音様の価値がどのくらいあるのか、高名な方に鑑定していただいたところ“貴重な代物”には間違いないそうです。(韓国の方が対馬の様に盗みに来ないことを祈りますが…) -
廃寺跡の神社の石仏
後ろの山が先ほどの福原城跡(山城)
那須与一探索記 その1 --完--
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