2024/01/28 - 2024/01/28
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2024/01/28
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昨日の午後から始まったようなモロッコの旅ですが、すでに3日目になってしまいました。つくづく日本からは遠いなと感じます。荷物を廊下に出して7時には朝食のレストランに向かいます。欧米人の短パン姿のランナーが多いと思ったのですが、これはこの日の午前中にマラケシュ・マラソンが開催されるとのことでした。午前8時40分にホテルを出発して朝一番の開館と同時に「マジョレル庭園(Jardin Majorelle)」に入ります。以前は自由には入れたようですが、モロッコもオーバーツーリズムのようで、時間指定になっていました。その分ゆっくり見ることが出来て良かったです。この庭園はもともと1920年にフランスの画家ジャック・マジョレルによって造園されたものです。画家であり植物が好きだった彼の愛する植物をコレクションし、造園したのがきっかけでした。それに惹かれたのがイヴ・サンローランだったそうです。彼の死後1980年代にイヴ・サンローランとパートナーのピエール・ベルジュが買い取り、今の形にまで改修しました。今回このツアーを選んだのはこの庭園の見学が含まれていたからでのありました。初めてこの庭園ついて知ったのは「フィガロジャポンヴォヤージュ Vol,34 洗練のモロッコへ。」という雑誌でした。かなり昔に買ったのですがずっと手元に残していました。サンローランはゲイであり、その彼の造った庭園の世界は非常に興味がありました。スリランカを旅した時に知ったジェフリー・バワと兄のブベス・バワもともにゲイであり、彼らの造った庭園の美しさに魅了されていました。サンローランの庭は洗練されていましたが、植えられたサボテンや植物の種類にはバワの撮影した植物の写真に共通するものが感じられました。それはロバート・メープルソープの写真にも通じると思えました。1時間ほどの見学時間でしたが、マジョレルのブルーの世界を感じることができました。最後にブックショップとギャラリーでの買い物も楽しめました。妻はモロッコで買いたいと言っていたタッセルを使ったアクセサリーとタッセルの付いたボールペンが買えて喜んでいました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
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30時間の移動の末にたどり着いたマラケシュのホテルでしたが、午前6時前には目が覚めてしまいました窓を開けると夜明け前の美しい時間で、ヤシの木がシルエットになってとてもきれいです。
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モロッコでは連泊が1回だけでそれ以外は毎日荷造りしなければなりません。ポーターサービスが付いているのはありがたかったです。何しろどこも大きなホテルで、しかもホテルには段差も多く、日々増えていく荷物を持っての移動は大変です。
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元々フランスの植民地だったせいでパンは美味しかったです。ハムやチーズやサラダなどスタンダードなメニュばかりです。
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具材を選んでオムレツも焼いてもらいます。ベイクドトマトと焼いたナスが美味しいです。ソーセージはこの後どこで食べても色の赤いスパイシーなものでした。このソーセージは「メルゲーズ(merguez)」と呼ばれるもので、マグリブ料理で使用される、マトンや牛肉で作った赤く香辛料の効いたソーセージです。
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今日も移動が長いのとお昼が遅いということなのでしっかり食べておきます。
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レストランの席の周囲にはランナーの格好をした欧米人がたくさんいましたが、この日はマラケシュマラソンの開催日だということでした。お陰で市内は大渋滞でした。
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レストランのコーナーでは民族衣装を着た男性がチャイのサービスをしています。「アッツァイ( as-shāy)」はモロッコの喫茶形式のことで、日本の茶道のように芸術の一様式と捉えられていて、モロッコ文化を語る上で欠かせないものです。一般に料理は女性の担当であるのに対し、「アッツァイ」は家長が給仕するものとされています。
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スペインのグラナダのアラブ街で形同じようなティーセットがありますが、まだ使っていないのを思い出しました。トルコで買ったコーヒーとチャイセットもそのままです。
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今年は暖冬だということで日中は暑い1月のモロッコですが、朝晩はさすがに冷えます。薄手の上着を重ね着して、日中には脱いでいくのが便利でした。
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午前8時30分にロビーに向かいます。廊下に出しておいた荷物はすでにロビーに運ばれています。ホテルの敷地は広い上に階段も多いのでポーターサービスはありがたいです。
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12時間の滞在で午前8時40分にホテルを出発します。
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ホテルの近くには「カルフール」がありました。まだ3日目なのでスーパーで買い物する人はいませんでした。
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マラソン大会の影響で渋滞もありましたが、無事に時間前に到着出来そうです。
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「マジョレル庭園(Jardin Majorelle)」の前まではバスで乗り付けられないので、大きな通りでバスを降りて、イヴ・サンローラン通りを歩きます。
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ここは馬車の待機場所のようで、カバーを掛けた馬車がたくさん並んでいます。立ったまま寝る馬はここで一晩過ごしているのだと思います。
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街路樹にはオレンジも多いですが、これはスペインのアンダルシアと同じです。たわわに実った実がそのままなのは食べても美味しくないので誰も取らないからです。
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入口には長い列が出来ていましたが、これは予約していない人たちのようで、予約済みの我々はそのまま中に入ります。隣には「サンローラン美術館(Musée Yves Saint Laurent)」と「ベルベル・ミュージアム」もありますが、こちらには立ち寄りません。
マジョレル庭園 広場・公園
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エントランスにある噴水には控えめに水が流れており、庭園の外の喧噪が嘘のような静けさです。タイルはサンローランをイメージするブルーとグリーンという組み合わせです。この辺りから頭の中にはスリランカのジェフリー・バワとブベス・バワの兄弟のことが頭に浮かんできます。
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エジプトの棕櫚のデザインとトレリスを組み合わせたカウンターはウォーターキオスクとして使われたようです。
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その先にはグリーンとブルーで塗り分けられたガゼボがあり、その先には細長い水路のような水路があり、さらにその先には噴水が設けられています。
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9,000平米を超えるマジョレル庭園はモロッコで最も魅惑的で神秘的な庭園の1つです。40年の歳月をかけて造られたこの建物は外壁で囲まれ、アール・デコとムーア様式の影響を融合させた大胆な色彩の建物と、迷路のように交差する路地で構成されています。
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フランスの画家ジャック・マジョレルは、この広大で豊かな庭園を聖域と植物の「実験室」として構想しました。1922年に彼は世界の隅々からエキゾチックな植物標本を植え始めました。
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1966年に初めてモロッコに到着したイヴ・サンローランとパートナーのピエール・ベルジェはホテル開発業者の手による破壊から守るためにこのマジョレル庭園を購入しました。新しい所有者はジャック・マジョレルの別荘に住むことを決め、ヴィラ・オアシスと改名しました。
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庭園の奥にはイヴ・サンローランのメモリアルがあります。日本人にはさほど珍しくない竹林の奥にあります。
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遊歩道はこのような赤いペイントが施され、舗装されているので歩きやすいです。フラワーポットは鮮やかなブルーとグリーンとイエローで塗られています。園丁のスタッフ屋ショップのスタッフの制服の色は鮮やかなマジョレルブルーです。
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2008年にイヴ・サンローランが亡くなった後にピエール・ベルジェはマジョレル庭園をピエール・ベルジェ財団に寄贈します。 マジョレル庭園財団はこの時に設立されました。 その記念碑は北アフリカに残された古代ローマの柱のようです。サンローランは「長年にわたりマジョレル庭園は私に無限のインスピレーションの源を与えてくれ、そのユニークな色彩を夢見てきました」という言葉を残しています。
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ジャック・マジョレルは1886年にフランスのナンシーで生まれました。彼は有名な家具デザイナーのルイ・マジョレルの息子でした。ジャックの幼少期はアール・ヌーヴォー運動が隆盛を極めた頃で父親の工房で製図工、家具職人、寄木細工の職人として過ごしました。父親は幼いジャックに建築を学ぶように勧めましたが、3年後に彼は生涯の情熱である絵画を始めることを決意しました。
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マジョレルは1901年にナンシーのエコール・デ・ボザールで美術教育を受け、その後パリのアカデミー・ジュリアンでショマーとロワイエに師事しました。1917年頃に彼は心臓病の回復のためにモロッコに旅行し、カサブランカで短期間過ごした後にマラケシュを訪れ、そこで見つけた鮮やかな色と光に魅了されました。当初彼はマラケシュをスペイン、イタリア、エジプトを含む北アフリカの他の地域への旅行の拠点として使用しましたが、最終的にはマラケシュに永住しました。
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マジョレルは最初この土地にムーロッカ様式の家を建てましたが、1931年に建築家のポール・シノワールに敷地内のキュビズム様式のヴィラの設計を依頼しました。1937年にマジョレルがモロッコ南部で流行している青いタイルに触発されて開発した特別な青の色合いで別荘を描きました。この色はマジョレルの家や庭で広く使われ、今ではマジョレルブルーとして彼の名前が付けられています。
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庭園の運営には費用がかかることでマジョレルは維持費を賄うために入場料を徴収して庭園を一般に公開しました。彼は1950年代に家と土地を売却し、その後の庭園は荒廃しました。1980年代にデザイナーのイヴ・サンローランとピエール・ベルジェによって再発見され、修復と保存に着手しました。熱心な美術品収集家であった2人はマジョレルの絵画を入手し始めた。イヴ・サンローランは2008年に亡くなり、彼の遺灰は庭園に散骨されました。
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植えられている植物を見ているとロバート・メイプルソープのことも頭に浮かんできます。若い頃にフラワー・デザイナーの友人と雨の日にモンステラの葉を傘にして六本木の横断歩道を渡ったのは面白い思い出です。そう言えば彼もゲイでしたが、その完成は羨ましくもありました。
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このアングルはスリランカの建築家のジェフリー・バワの撮影した写真を思い出させます。彼の設計したベントータの「No,87」というホテルの2階に飾ってありありました。ホテルといっても2部屋しかないのですが。バワの設計した建築の中でも3本の指に入る建物だと思います。
「No,87」https://4travel.jp/travelogue/11250855 -
澁澤龍彦は「エロチシズム」の中で「植物の性器が、色彩においても匂いにおいても、あのように美しく、しかも公然と人々の鑑賞の眼ざしにさらされているのに、一方、動物の性器が、一般に醜く滑稽なものと思われ、誰もこれについて語る者さえいないのは、よくよく考えてみると、まことに不思議なことではないだろうか。」なんて言葉を思い出しました。
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スリランカの建築家のジェフリー・バワはゲイでしたが、その兄のブベス・バワもゲイでした。そんな彼らの住んでいた自宅や別荘にも行く機会がありました。仕事で知り合った建築家の友人やデザイナーにはゲイの人が多かったですが、彼らのセンスや感性には刺激を受けました。
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ブベス・バワの別荘:https://4travel.jp/travelogue/11253182
ルヌガンガ1:https://4travel.jp/travelogue/11252157
ルヌガンガ2:https://4travel.jp/travelogue/11252159
No,11:https://4travel.jp/travelogue/11253903 -
妻が首に巻いているストールのグリーンの色が庭園で使われているグリーンににマッチしています。3回目のヴェネツィアに行ったときにシルクで有名なVENETIA STVDIVMでお土産に買ったものです。めちゃくちゃ高かったけど20年も使ってもらえればありがたいものです。
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「ベルベル・ミュージアム」の建物の脇にはパーゴラが掛けられていますが、冬なので花は咲いていません。
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最初に見たガゼボの延長線上にスクエアの池があります。睡蓮の葉が見えますが、やはり冬なので花はありません。
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2011年ムハンマド6世国王の後援のもと「ベルベル博物館」が開館したのはジャック・マジョレルのかつての絵画アトリエでした。マジョレル庭園の中心部に位置し、北アフリカ最古のこの民族の並外れた創造性のリフからサハラ砂漠まで、ピエール・ベルジェとイヴ・サンローランが収集した600点以上のオブジェが展示されています。
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ベルベル人は北アフリカ(マグレブ)の広い地域に古くから住み、アフロ・アジア語族のベルベル諸語を母語とする人々の総称です。北アフリカ諸国でアラブ人が多数を占めるようになった現在も一定の人口をもち、文化的な独自性を維持する先住民族で、宗教はイスラム教を信じています。
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ベルベル人という名称はローマ人による蔑称です。ベルベルの呼称はギリシャ語で「わけのわからない言葉を話す者」を意味するバルバロイに由来し、ヨーロッパの諸言語でBerberと表記されますが、自称はアマーズィーグといいます。
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これからベルベルの人たちの住むエリアへ向かうので、事前にここでいろいろ学びたかったと思います。こういったところはツアーの残念な所ではあります。
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母屋の中に入ることは出来ませんが、個性的な外観が楽しめます。1931年に建築家のポール・シノワールに設計を依頼したキュビズム様式のヴィラかと思います。全てがオリジナルかどうかは知る由もありません。キュビズム建築についてはプラハで多くを知ることができました。
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キュビズムとは20世紀初頭にパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって創始された前衛的芸術運動で、オブジェクトを分析・分解し、抽象化して再構築することで表現しました。単一の視点からでなく複数の視点から対象を描く手法でもあり、絵画や彫刻のみならず音楽や文学、建築などの分野にも影響を与えました。
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マジョレルブルーに圧倒されて、建物の姿が浮かんできませんが、隅切りに設けられたドアなどにその要素が見て取れます。サンローランの時代にもかなり手が入れられているように思いました。
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鮮やかなイエローのプランターと壁とドアだけで1枚の絵になります。
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アラブ風の庭園に必ずある噴水池も今まで見たことも無い空間になっています。これほどビビッドな色彩が庭の草木に調和しているのが不思議です。
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2008年にイヴ・サンローランが亡くなった後にピエール・ベルジェはマジョレル庭園をピエール・ベルジェ財団に寄贈しますが、その際に細かい規定を設けて、植栽や建物の色などに細かい指定をしたのではないでしょうか。
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建物の大枠はキュビズム様式かもしれませんが、窓周りは典型的なムーア式建築の要素が組み込まれています。漆喰で花や野菜(アラベスク)、幾何学模様、文字、ムカルナスなど様々なモチーフに彫られています。
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「CAFÉ MAJORELLE」はまだ時間が早いので開いていないようです。使われているビストロチェアは限られたスペースに最大限の席数を確保したいカフェオーナーの要望に答えて、エドゥアルドルクレルクが1889年に開発し、特許を取った軽量でコンパクトで実用的で快適な折りたたみチェアです。池袋西武の屋上庭園を造った際にこれを使ったので懐かしいです。
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「ベルベル博物館」の裏側にはブックショップがあり、サンローランのデザインしたイヤーポストカードとこの施設で出版している「マラケシュのストリート・トレード」という路上で商売している人たちの紹介と「モロッコの手工業」を紹介した絵本を買いもとました。これによってモロッコの商売に名前などがよく分かりました。
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ブックショップの前にはマジョレル・ブティックというおしゃれなショップがあります。
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美しいモザイクタイルの壁面にトップライトと美しい照明がモロッコらしいです。
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壁には古い写真が額装されています。ベンチにはサンローランらしいクッションが並びお買い上げを待っています。
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1965秋冬オートクチュールコレクションの「ピート・モンドリアンへのオマージュ」のカクテル・ドレスを思い出させるようなグリッドのクッションカバーは欲しくなりますが、それもいいお値段です。
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モロッコはタッセルが有名でアラブ世界においてタッセルは子供たちを悪霊や悪魔から守るためにフードや帽子に上に取り付けて着用されるものでした。妻は旅行前から「タッセル!」と言い続けていたので何か欲しがると思いました。
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布製のネックレスは胸元に吉祥結びの下にタッセルが下がっています。さらに後ろ側に長さ調節できるようになって、ひもを引っ張ると前側が3つのタッセルになります。マジョレルブルーも良かったのですが、無難な黒にしました。レジにボッテガ・べネタみたいに皮を編みこんで、先にタッセルの付いたボールペンがあり、6色あったので全部買い求めました。
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妻は自分が高い物を買ってもらっているのに「なんでたくさん買うの?」と言いながら、友人に会うたびに持って行ってしまいます。
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ムーア式建築の白い漆喰装飾がブルーの壁に映えます。
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数は少ないですがブーゲンビリアが花を咲かせていました。これが満開になったらさぞ美しいことでしょう。
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タイルに一番近くまで行けたのはトイレでした。微妙に歪んで色も少し違うモロッコのタイルは魅力的です。
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集合まで少し時間があるので休憩です。1時間ほどのフリータイムでしたが結構歩いた気がします。
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ここで見たせいかサボテンもエロチックに思えてきました。
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昔使っていたチケット売り場は閉められて、新しいブースが出来ていました。念願の庭園見学は思ったよりも充実していました。買い物も質の良い物はここが1番でした。ツアーで行けたのはここくらいで、以降は連れていかれるアルガンオイルやローズウォーターの店ばかりです。
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イヴ・サンローラン通りにはおしゃれなショップが何軒も軒を連ねていますが、立ち寄る時間はありません。
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民族衣装のジュラバ着て、イスラム教徒のタギーヤを被り、タジン鍋を持ったのはレストランの看板です。
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バスに戻ってマ「クトゥビアの塔」から「メディナ」へとマラケシュの観光に移ります。
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