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北千住駅は、明治29年(1896年)12月25日に日本鉄道土浦線の駅として開業しました。<br />そして、3年後の明治32年(1899年)8月27日、東武鉄道最初の路線である伊勢崎線の始発駅として開業しました。当時の1日あたりの乗降客数は445人を記録しています。<br />現在は、4社5路線が乗り入れており、1日あたりの乗降客数(2018年度)が約160万人に達していて世界第6位の利用者数となっています。

東武鉄道の開業七駅を歩いてみよう。(その1)北千住2/2

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2024/10/06 - 2024/10/06

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FUKUJIRO

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この旅行記のスケジュール

2024/10/06

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北千住駅は、明治29年(1896年)12月25日に日本鉄道土浦線の駅として開業しました。
そして、3年後の明治32年(1899年)8月27日、東武鉄道最初の路線である伊勢崎線の始発駅として開業しました。当時の1日あたりの乗降客数は445人を記録しています。
現在は、4社5路線が乗り入れており、1日あたりの乗降客数(2018年度)が約160万人に達していて世界第6位の利用者数となっています。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
徒歩
  • 千住警察入口交差点から続きます。<br />道路の向こう側、中央の建物を挟んで左右に細い道があります。

    千住警察入口交差点から続きます。
    道路の向こう側、中央の建物を挟んで左右に細い道があります。

  • 左側の通りを進みます。<br />右側の家並みの向かう側にある道は、西新井大師へ続く大師道の一つだったそうです。<br />並行して道が2本あるのは、土地がもったいないようですが、歴史もそうですが、既得権益とかいろいろあるのでしょうね。

    左側の通りを進みます。
    右側の家並みの向かう側にある道は、西新井大師へ続く大師道の一つだったそうです。
    並行して道が2本あるのは、土地がもったいないようですが、歴史もそうですが、既得権益とかいろいろあるのでしょうね。

  • 千住随一のパワースポットと言われる千住神社に来ました。

    千住随一のパワースポットと言われる千住神社に来ました。

  • 千住神社は、千住(千寿)に集落が形成され始めた、延長4年(926年)丙戌年、土地鎮護と五穀豊饒を祈って、伏見稲荷より分霊を勧請して千崎稲荷神社を創建しました。<br />弘安2年己卯年(1279年)に武蔵国一の宮・氷川神社の御分霊を勧請し、氷川神社を創建しました。<br />二つの神社が建つことから、古来、この地を二ッ森と呼んでいました。

    千住神社は、千住(千寿)に集落が形成され始めた、延長4年(926年)丙戌年、土地鎮護と五穀豊饒を祈って、伏見稲荷より分霊を勧請して千崎稲荷神社を創建しました。
    弘安2年己卯年(1279年)に武蔵国一の宮・氷川神社の御分霊を勧請し、氷川神社を創建しました。
    二つの神社が建つことから、古来、この地を二ッ森と呼んでいました。

  • 社号碑と史蹟八幡太郎源義家陣営の地碑。<br />永承6年(1051年)、奥州征伐に向かう源義家は荒川(現在の隅田川)を渡り、二ッ森に陣を置いて戦勝祈願したとの記録があります。

    社号碑と史蹟八幡太郎源義家陣営の地碑。
    永承6年(1051年)、奥州征伐に向かう源義家は荒川(現在の隅田川)を渡り、二ッ森に陣を置いて戦勝祈願したとの記録があります。

  • 一の鳥居。慶応2年(1866年)に造立。<br />真直ぐな石畳参道に三つの鳥居が並んでいます。

    一の鳥居。慶応2年(1866年)に造立。
    真直ぐな石畳参道に三つの鳥居が並んでいます。

  • 扁額は「鯨岡兵輔謹書」とあります。 鯨岡氏は東京都議会議員や衆議院議員を務めました。<br />

    扁額は「鯨岡兵輔謹書」とあります。 鯨岡氏は東京都議会議員や衆議院議員を務めました。

  • 芭蕉句碑。慶応2年(1866年)に建立。<br />ものいえば<br />唇さむし<br />秋の風<br /><br />

    芭蕉句碑。慶応2年(1866年)に建立。
    ものいえば
    唇さむし
    秋の風

  • 西森神社坐碑。明治23(1890)年11月の建立<br />森鴎外の師である佐籐元萇の撰文による漢文「西森神社坐碑」です。

    西森神社坐碑。明治23(1890)年11月の建立
    森鴎外の師である佐籐元萇の撰文による漢文「西森神社坐碑」です。

  • 神楽殿。

    神楽殿。

  • 不屈のイチョウ。幹の一部が黒こげになっています。<br />昭和20年(1945年)4月10日、アメリカ軍は神社に爆弾を投下し、社殿等をすべて焼失しました。このイチョウは焼け跡を残しながらも奇跡的に復活しました。

    不屈のイチョウ。幹の一部が黒こげになっています。
    昭和20年(1945年)4月10日、アメリカ軍は神社に爆弾を投下し、社殿等をすべて焼失しました。このイチョウは焼け跡を残しながらも奇跡的に復活しました。

  • 二の鳥居。大正15年(1926年)に造立。

    二の鳥居。大正15年(1926年)に造立。

  • 手水舎。

    手水舎。

  • 三の鳥居。大正12年(1923年)に造立。

    三の鳥居。大正12年(1923年)に造立。

  • 神輿庫でしょうか。

    神輿庫でしょうか。

  • こちらも神輿庫のようです。

    こちらも神輿庫のようです。

  • 千住同行登山記念碑。

    千住同行登山記念碑。

  • 御大典記念改修の碑。<br />狐山に神狐像。千住神社には宇迦之御魂命が祀られており、神狐が参道を守っています。

    御大典記念改修の碑。
    狐山に神狐像。千住神社には宇迦之御魂命が祀られており、神狐が参道を守っています。

  • 神狐像。昭和3年9月吉祥日とあります。

    神狐像。昭和3年9月吉祥日とあります。

  • 拝殿。<br />明治6年(1873年)、千崎稲荷神社と氷川神社を合祀して西森神社と号し、大正4年(1915年)に千住神社と改称しました。<br />現在の社殿は、昭和33年(1958年)に再建しました。

    拝殿。
    明治6年(1873年)、千崎稲荷神社と氷川神社を合祀して西森神社と号し、大正4年(1915年)に千住神社と改称しました。
    現在の社殿は、昭和33年(1958年)に再建しました。

  • 御祭神は、二柱です。<br />須佐之男命(すさのおのみこと)<br />そのご利益は、疫病退散、厄除、縁結び、学問上達、水難除去、火難除去、五穀豊穣など。<br />宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)<br />そのご利益は、五穀豊穣、産業振興、商売繫盛、芸能上達、家内安全

    御祭神は、二柱です。
    須佐之男命(すさのおのみこと)
    そのご利益は、疫病退散、厄除、縁結び、学問上達、水難除去、火難除去、五穀豊穣など。
    宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)
    そのご利益は、五穀豊穣、産業振興、商売繫盛、芸能上達、家内安全

  • 拝殿前の絵馬。

    拝殿前の絵馬。

  • 御本殿。

    御本殿。

  • 角度によってハート型に見えます。

    角度によってハート型に見えます。

  • 御神木の夫婦銀杏(めおといちょう)。<br />縁結び、夫婦円満、家内安全、子宝安産の象徴として崇められています。

    御神木の夫婦銀杏(めおといちょう)。
    縁結び、夫婦円満、家内安全、子宝安産の象徴として崇められています。

  • 夫婦銀杏も空襲にも耐えて焼け残ったご神木で、中央のご神橋を渡ることができます。

    夫婦銀杏も空襲にも耐えて焼け残ったご神木で、中央のご神橋を渡ることができます。

  • 夫婦銀杏を見上げました。

    夫婦銀杏を見上げました。

  • 末社の経王稲荷社。<br />ニ基の石鳥居が建っています。

    末社の経王稲荷社。
    ニ基の石鳥居が建っています。

  • 宇迦之御魂命を祀る社、その前に新しいお狐様。

    宇迦之御魂命を祀る社、その前に新しいお狐様。

  • 末社の火伏の三社。<br />三峰神社、恵比寿神社、八幡神社。<br />東京大空襲でも奇跡的に焼け残りました。

    末社の火伏の三社。
    三峰神社、恵比寿神社、八幡神社。
    東京大空襲でも奇跡的に焼け残りました。

  • 昭和20年4月10日の東京大空襲で千住宮元町のあらゆる建物が焼失しましたが、木造でありながら唯一焼け残った社です。

    昭和20年4月10日の東京大空襲で千住宮元町のあらゆる建物が焼失しましたが、木造でありながら唯一焼け残った社です。

  • 廻転恵比寿。千寿七福神の恵比寿神。

    廻転恵比寿。千寿七福神の恵比寿神。

  • 願かけ恵比寿。<br />願掛け方法が記されています。<br />1、実際に恵比寿様をお触りいただきながら男性は左へ三回まわし、女性は右へ三回まわしてください。<br />2、祈願箇所をハンカチで、それぞれ願いの言葉を三回念じながら三回なでる。<br />3、恵比寿様をなでたハンカチを自宅へ持ち帰り、一日三回、自分の同じ部位にあてて撫でます。<br />祈願箇所と位置<br />・鯛=商売繫盛、金運<br />・頭=家内安全、合格祈願<br />・胸=縁結び、恋愛成就、就職<br />・肩=厄除け<br />詳しくは、お参りください。<br />今日はお頭付きの鯛を買って帰りましょう。

    願かけ恵比寿。
    願掛け方法が記されています。
    1、実際に恵比寿様をお触りいただきながら男性は左へ三回まわし、女性は右へ三回まわしてください。
    2、祈願箇所をハンカチで、それぞれ願いの言葉を三回念じながら三回なでる。
    3、恵比寿様をなでたハンカチを自宅へ持ち帰り、一日三回、自分の同じ部位にあてて撫でます。
    祈願箇所と位置
    ・鯛=商売繫盛、金運
    ・頭=家内安全、合格祈願
    ・胸=縁結び、恋愛成就、就職
    ・肩=厄除け
    詳しくは、お参りください。
    今日はお頭付きの鯛を買って帰りましょう。

  • 末社の稲荷神社。

    末社の稲荷神社。

  • 北野天満宮。菅原道真公を祀っています。<br />よろしければ、香川の瀧宮天満宮(道真公の赴任地跡)を訪ねた旅行記もご覧ください。<br />https://4travel.jp/travelogue/11910418

    北野天満宮。菅原道真公を祀っています。
    よろしければ、香川の瀧宮天満宮(道真公の赴任地跡)を訪ねた旅行記もご覧ください。
    https://4travel.jp/travelogue/11910418

  • 大正12年に勧請した富士塚と浅間神社。<br />木花開耶姫命を祀っています。<br />足立区登録有形文化財です。

    大正12年に勧請した富士塚と浅間神社。
    木花開耶姫命を祀っています。
    足立区登録有形文化財です。

  • この富士塚には千住富士と名が付いています。<br />「7月1日の山開きの日のみ登拝可」の札があります。<br />昭和11年(1936年)の再築です。

    この富士塚には千住富士と名が付いています。
    「7月1日の山開きの日のみ登拝可」の札があります。
    昭和11年(1936年)の再築です。

  • 「八紘一宇」の旗台。紀元二千六百年(昭和15年)の造営です。<br />昭和15年8月、第二次近衛内閣(近衛文麿)は「皇国の国是は八紘を一宇とする肇国の大精神に基づく」と大東亜新秩序を発表しました。<br />GHQが「八紘一宇」の使用を禁じなければならないほど、国民に根付いた言葉でした。

    「八紘一宇」の旗台。紀元二千六百年(昭和15年)の造営です。
    昭和15年8月、第二次近衛内閣(近衛文麿)は「皇国の国是は八紘を一宇とする肇国の大精神に基づく」と大東亜新秩序を発表しました。
    GHQが「八紘一宇」の使用を禁じなければならないほど、国民に根付いた言葉でした。

  • 日露戦役紀念碑。<br />乃木希典謹書。明治39年(1906年)3月に建立。<br />港区赤坂には乃木大将の邸宅が残されており、その周辺地域は「乃木坂」となっています。<br />よろしければ、乃木坂を散策したときの旅行記もご覧ください。<br />https://4travel.jp/travelogue/11183977

    日露戦役紀念碑。
    乃木希典謹書。明治39年(1906年)3月に建立。
    港区赤坂には乃木大将の邸宅が残されており、その周辺地域は「乃木坂」となっています。
    よろしければ、乃木坂を散策したときの旅行記もご覧ください。
    https://4travel.jp/travelogue/11183977

  • 中居堀通りを歩きます。

    中居堀通りを歩きます。

  • 東京消防庁 千住消防署。

    東京消防庁 千住消防署。

  • 旧千住郵便局電話事務室。<br />昭和4年(1929年)に建てられた足立区内最初の鉄筋コンクリート造りの建築です。<br />京都タワーや日本武道館の設計で知られる建築家(逓信省勤務)の山田守氏が設計しました。

    旧千住郵便局電話事務室。
    昭和4年(1929年)に建てられた足立区内最初の鉄筋コンクリート造りの建築です。
    京都タワーや日本武道館の設計で知られる建築家(逓信省勤務)の山田守氏が設計しました。

  • 平成14年3月までNTT足立電話局として使われていました。<br />鉄筋コンクリート造り2階建て(3階部分は後に増築)。<br />山田氏が初期に設計した「ドイツ表現主義」と言われる建物です。

    平成14年3月までNTT足立電話局として使われていました。
    鉄筋コンクリート造り2階建て(3階部分は後に増築)。
    山田氏が初期に設計した「ドイツ表現主義」と言われる建物です。

  • 昭和初期の貴重な建物ですが、保存されている訳ではなくて、20世紀の終わり頃に建替計画がありましたが、解体費用が高過ぎるとの理由で現存しているそうです。

    昭和初期の貴重な建物ですが、保存されている訳ではなくて、20世紀の終わり頃に建替計画がありましたが、解体費用が高過ぎるとの理由で現存しているそうです。

  • 反対側は角ばっています。

    反対側は角ばっています。

  • 煙突のような出っ張りも見えます。

    煙突のような出っ張りも見えます。

  • 建物の入り口。

    建物の入り口。

  • 駐車場の入り口。

    駐車場の入り口。

  • 駐車場の通路。建物の裏側はかなり広そうです。

    駐車場の通路。建物の裏側はかなり広そうです。

  • 千住中居町交差点。<br />国道4号線を渡り、東進します。

    千住中居町交差点。
    国道4号線を渡り、東進します。

  • 旧日光街道との交差点はすごい人出になっています。

    旧日光街道との交差点はすごい人出になっています。

  • 森鴎外旧居・橘井堂医院跡の碑。

    森鴎外旧居・橘井堂医院跡の碑。

  • 千住の鴎外碑。<br />明治12年(1879年)に森林太郎(鴎外)の父が南足立郡医となったことから、一家は千住に転居してきました。<br />後に橘井堂医院(きっせいどういいん)を開業した場所です。<br />明治14年(1881年)に東京大学を卒業した林太郎は父とともにここで働いていました。

    千住の鴎外碑。
    明治12年(1879年)に森林太郎(鴎外)の父が南足立郡医となったことから、一家は千住に転居してきました。
    後に橘井堂医院(きっせいどういいん)を開業した場所です。
    明治14年(1881年)に東京大学を卒業した林太郎は父とともにここで働いていました。

  • 原稿用紙に見立てた説明板。<br />当時の様子は小説「カズイスチカ」に書かれています。<br />その後、林太郎はドイツへ留学、帰国後は千住に戻っています。<br />「鴎外」という号は、荒川(隅田川)の白髭橋付近にあった「鴎の渡」の外側の千住に住んでいたことに由来しています。

    原稿用紙に見立てた説明板。
    当時の様子は小説「カズイスチカ」に書かれています。
    その後、林太郎はドイツへ留学、帰国後は千住に戻っています。
    「鴎外」という号は、荒川(隅田川)の白髭橋付近にあった「鴎の渡」の外側の千住に住んでいたことに由来しています。

  • 橘井堂医院跡には千住ザ・タワー(30階建分譲マンション)が建っています。

    橘井堂医院跡には千住ザ・タワー(30階建分譲マンション)が建っています。

  • 再び西進して、千住本町商店街会館の前を通りました。

    再び西進して、千住本町商店街会館の前を通りました。

  • 千住の名前の由来とも関係あるらしい勝専寺(しょうせんじ)に来ました。<br />境内が何やら賑やかなことになっていました。

    千住の名前の由来とも関係あるらしい勝専寺(しょうせんじ)に来ました。
    境内が何やら賑やかなことになっていました。

  • 鐘楼。明治時代の再建。<br />再建にあたり、時の鐘が聞こえる南足立・南葛飾・北豊島の三郡から資金を集めました。

    鐘楼。明治時代の再建。
    再建にあたり、時の鐘が聞こえる南足立・南葛飾・北豊島の三郡から資金を集めました。

  • 梵鐘。

    梵鐘。

  • 勝専寺鐘楼建築記念碑。<br />鐘楼の側壁には記念の碑文があります。<br />題字の「鐘楼建築記念碑」は、日本に亡命していた金玉均の筆です。

    勝専寺鐘楼建築記念碑。
    鐘楼の側壁には記念の碑文があります。
    題字の「鐘楼建築記念碑」は、日本に亡命していた金玉均の筆です。

  • 境内は歩けないので、道路に出て山門から入りましょう。<br />正式名称は三宮神山 大鷲院 勝専寺ですが、山門の色が赤いことから、通称「赤門寺」と呼ばれています。<br />レンガ造りの塀と真っ赤な門が特徴です。<br />この赤門は、通常は閉門しており、1月15日・16日と7月15日・16日に開門されます。

    境内は歩けないので、道路に出て山門から入りましょう。
    正式名称は三宮神山 大鷲院 勝専寺ですが、山門の色が赤いことから、通称「赤門寺」と呼ばれています。
    レンガ造りの塀と真っ赤な門が特徴です。
    この赤門は、通常は閉門しており、1月15日・16日と7月15日・16日に開門されます。

  • 南無阿弥陀佛の碑。<br />知恩院門跡(八十三世)量譽の筆です。

    南無阿弥陀佛の碑。
    知恩院門跡(八十三世)量譽の筆です。

  • 寺号碑。<br />こちらも量譽の筆です。

    寺号碑。
    こちらも量譽の筆です。

  • 三宮神山の扁額(足立区登録有形文化財)。<br />このの扁額は明治12年(1879年)5月に明治天皇が勝専寺を御巡幸するに際して掲げられました。<br />扁額は縦65.5cm、横187cmの一枚板で、揮毫は巻菱潭(まきりょうたん)、彫刻は天野徳翁。<br />三宮神山の山号は、かつて観世音菩薩、稲荷神、毘沙門天の三神が祀られていたことに由来しています。

    三宮神山の扁額(足立区登録有形文化財)。
    このの扁額は明治12年(1879年)5月に明治天皇が勝専寺を御巡幸するに際して掲げられました。
    扁額は縦65.5cm、横187cmの一枚板で、揮毫は巻菱潭(まきりょうたん)、彫刻は天野徳翁。
    三宮神山の山号は、かつて観世音菩薩、稲荷神、毘沙門天の三神が祀られていたことに由来しています。

  • この日の千住は、千住本町商店街振興組合が主催する「街道オン即パーティ」という1日限りの催しが行われていました。<br />千住本町商店街(旧日光街道)を中心に、演奏、身体表現、声などによる即興パフォーマンスがあちらこちらで実施され、賑わっていました。<br />一応、観客らしい人は目線を隠しています。

    この日の千住は、千住本町商店街振興組合が主催する「街道オン即パーティ」という1日限りの催しが行われていました。
    千住本町商店街(旧日光街道)を中心に、演奏、身体表現、声などによる即興パフォーマンスがあちらこちらで実施され、賑わっていました。
    一応、観客らしい人は目線を隠しています。

  • 勝専寺は、元仁元年(1224年)、新井兵部政勝が開基となり、文応元年(1260年)に勝専社専阿上人を開山としています。<br />新井兵部政勝の父・新井政次が荒川(現在の隅田川)に投網したところ、寺宝となっている木造千手観音立像(足立区登録有形文化財・非公開)が網にかかりました。<br />これが寺の由緒でもあり、この千手観音立像が、地名「千住」の由来とも言われています(諸説あり)。<br />江戸時代には、鷹狩りの際の休息所だったり、本陣の代わりをつとめたこともあります。<br />本堂は明治39年(1906年)にインドの寺院を模した外観で造られました。洪水の多かった千住の土地柄から、コンクリート造り・レンガ張りの頑丈な建物です。<br />浄土宗寺院で、御本尊は阿弥陀三尊です。

    勝専寺は、元仁元年(1224年)、新井兵部政勝が開基となり、文応元年(1260年)に勝専社専阿上人を開山としています。
    新井兵部政勝の父・新井政次が荒川(現在の隅田川)に投網したところ、寺宝となっている木造千手観音立像(足立区登録有形文化財・非公開)が網にかかりました。
    これが寺の由緒でもあり、この千手観音立像が、地名「千住」の由来とも言われています(諸説あり)。
    江戸時代には、鷹狩りの際の休息所だったり、本陣の代わりをつとめたこともあります。
    本堂は明治39年(1906年)にインドの寺院を模した外観で造られました。洪水の多かった千住の土地柄から、コンクリート造り・レンガ張りの頑丈な建物です。
    浄土宗寺院で、御本尊は阿弥陀三尊です。

  • 境内のパフォーマンス。

    境内のパフォーマンス。

  • トイレの前にお社がありました。

    トイレの前にお社がありました。

  • 地蔵菩薩でしょうか。

    地蔵菩薩でしょうか。

  • 馬頭観世音の碑。

    馬頭観世音の碑。

  • 六地蔵尊。

    六地蔵尊。

  • 閻魔堂。

    閻魔堂。

  • 寛政元年(1789年)に開眼された朱塗りの木造閻魔王坐像(足立区登録有形文化財)。座高1.8m。<br />毎年1月15日と16日に行われる「えんま開き」でご開帳されます。

    寛政元年(1789年)に開眼された朱塗りの木造閻魔王坐像(足立区登録有形文化財)。座高1.8m。
    毎年1月15日と16日に行われる「えんま開き」でご開帳されます。

  • 街中でのパフォーマンスがいろいろありました。

    街中でのパフォーマンスがいろいろありました。

  • 千住本町商店街を抜けると、宿場町通りの北千住サンロード商店街です。<br />この辺りは旧日光街道に面して本陣が置かれた地域で、江戸時代初めには千住宿の中心でした。

    千住本町商店街を抜けると、宿場町通りの北千住サンロード商店街です。
    この辺りは旧日光街道に面して本陣が置かれた地域で、江戸時代初めには千住宿の中心でした。

  • 真っ赤なドレスが目立っていました。

    真っ赤なドレスが目立っていました。

  • このビルの建つ一帯が本陣跡です。

    このビルの建つ一帯が本陣跡です。

  • 右側が本陣跡。路地を歩いてみましょう。<br />この路地には見番横丁という名前もあります。

    右側が本陣跡。路地を歩いてみましょう。
    この路地には見番横丁という名前もあります。

  • 本陣跡の解説板。

    本陣跡の解説板。

  • 千住宿には、遊女を置いた旅籠が50軒ほどあったそうで、明治になると千住芸妓組合に管理が代わりました。かつての見番跡です。

    千住宿には、遊女を置いた旅籠が50軒ほどあったそうで、明治になると千住芸妓組合に管理が代わりました。かつての見番跡です。

  • 筋違い(交差点)の跡。

    筋違い(交差点)の跡。

  • 北千住駅へ抜ける路地。

    北千住駅へ抜ける路地。

  • 明治天皇行在所跡です。<br />明治9年、天皇陛下が東北地方へご巡幸の折に、千住で最大の旅籠だった中田屋の別館に泊られました。

    明治天皇行在所跡です。
    明治9年、天皇陛下が東北地方へご巡幸の折に、千住で最大の旅籠だった中田屋の別館に泊られました。

  • 線路に沿っているから、千路通り。南進しています。

    線路に沿っているから、千路通り。南進しています。

  • 飲み屋の壁。

    飲み屋の壁。

  • 路地に迷いながら歩きました。

    路地に迷いながら歩きました。

  • 真言宗豊山派の氷川山 地蔵院 金蔵寺(こんぞうじ)にやって来ました。

    真言宗豊山派の氷川山 地蔵院 金蔵寺(こんぞうじ)にやって来ました。

  • 六地蔵尊。

    六地蔵尊。

  • 金蔵寺の門を入ると、すぐ左側に2基の石塔があります。

    金蔵寺の門を入ると、すぐ左側に2基の石塔があります。

  • 右は「無縁塔」。<br />江戸時代後期の天保4年(1835年)から天保10年(1839年)にかけて続いた天保の大飢饉の犠牲者を供養した石塔です。千住で病死・衰弱死した者は828人を記録しました。<br />当時の名主・永野彦右衛門が世話人となって天保10年に建てられました。<br />足立区登録有形文化財。

    右は「無縁塔」。
    江戸時代後期の天保4年(1835年)から天保10年(1839年)にかけて続いた天保の大飢饉の犠牲者を供養した石塔です。千住で病死・衰弱死した者は828人を記録しました。
    当時の名主・永野彦右衛門が世話人となって天保10年に建てられました。
    足立区登録有形文化財。

  • 左は「南無阿弥陀佛」の石塔。<br />千住宿の旅籠で働き、病気などで死亡した飯盛女の霊を供養するために、当時の楼主や宿場の人達によって建立されました。<br />足立区登録有形文化財。

    左は「南無阿弥陀佛」の石塔。
    千住宿の旅籠で働き、病気などで死亡した飯盛女の霊を供養するために、当時の楼主や宿場の人達によって建立されました。
    足立区登録有形文化財。

  • さらに左側には、弘法大師の一千年御遠忌の碑があります。

    さらに左側には、弘法大師の一千年御遠忌の碑があります。

  • 金蔵寺は、建武2年(1335年)正月に恵龍が開山しました。境内は1反9畝8歩(約580坪)、檀家20軒と記録されています。<br />かつての御本尊は地蔵菩薩でしたが、現在は閻魔王となっています。

    金蔵寺は、建武2年(1335年)正月に恵龍が開山しました。境内は1反9畝8歩(約580坪)、檀家20軒と記録されています。
    かつての御本尊は地蔵菩薩でしたが、現在は閻魔王となっています。

  • 北千住駅前(西口)に着きました。

    北千住駅前(西口)に着きました。

  • いつも見ている北千住駅の姿です。

    いつも見ている北千住駅の姿です。

  • 北千住駅西口、駅前通りの景色。

    北千住駅西口、駅前通りの景色。

  • 駅前のモニュメント「乾杯」。<br />乾杯のグラスをイメージし、大小15頭のイルカが配されています。高さ13.2m。<br />宮田亮平氏の制作。同氏は、高崎駅西口の出口にある紅白の「幸福のだるま」も造っています。<br />磯部温泉へ行った旅行記の最後の方に「幸福のだるま」が載っています。<br />https://4travel.jp/travelogue/11898370<br />最後までお読みいただきましてありがとうございました。

    駅前のモニュメント「乾杯」。
    乾杯のグラスをイメージし、大小15頭のイルカが配されています。高さ13.2m。
    宮田亮平氏の制作。同氏は、高崎駅西口の出口にある紅白の「幸福のだるま」も造っています。
    磯部温泉へ行った旅行記の最後の方に「幸福のだるま」が載っています。
    https://4travel.jp/travelogue/11898370
    最後までお読みいただきましてありがとうございました。

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東京の旅その2

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