2023/12/18 - 2023/12/18
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FUKUJIROさん
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この旅行記のスケジュール
2023/12/18
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安田講堂
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三四郎池
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水道橋
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この旅行記スケジュールを元に
武漢ウイルスから新型コロナウイルス感染症と呼び名が変わっても、世界中で大勢の方が亡くなり、今も後遺症に苦しむ人が多くいることを決して忘れられません。
いつの間にかインバウンド景気が広まり、相も変わらず浮かれ放題のマスコミ報道を見るにつけ、モヤモヤ感が募るばかりの歳の暮ですが、久しぶりに昔の友人たちに逢う機会がありました。
翌朝、本郷をぶらぶらと歩きながら、これまでの人生を振り返りつつ、残り少なくなった歳月に思いを馳せました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 徒歩
PR
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本郷3丁目駅から歩いて1分、本郷薬師の路地がありました。
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数十m先に薬師堂がありました。
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今夜の宿は、ホテル機山館です。
文豪ゆかりの地として知られる文教の街にあり、東京大学赤門に一番近いビジネスホテルです。 -
ホテル機山館にはシングルからフォースルームまで全125室、受験生はもちろんですが、ビジネスユースや家族旅行にも便利です。
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勉強もできる大きさです。
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翌朝、ホテル機山館の全景です。地上6階、地下1階建。
昭和12年、武田信玄の子・仁科五郎盛信(勝頼の弟)の末裔である仁科将が山梨県より上京し、本郷に旅館を開きました。
信玄公の方号である「機山」をいただいて「ホテル機山館」としたそうです。
令和2年3月、謎めいた新型コロナウイルスが猛威を振るい出した頃、給排水管を全て交換、また老巧化していた69室のユニットバスと空調も入れ替えました。 -
中庭に何やら動物の像。
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これは何でしょう。
山羊でも羊でもなさそうです。 -
1Fのビアレストラン宴が朝食会場でした。
広い食堂ですが、なぜか私一人。食事が終わるころには10人ほどになりました。
和洋バイキングの朝食を美味しくいただきました。ランチタイム、ディナータイムも営業しています。 -
ホテルから徒歩2分で櫻木神社に来ました。
この鳥居は明治32年(1899年)に建立されました。石工は酒井八右衛門。
本郷周辺の氏子11ヶ町会の鎮守です。 -
櫻木神社(さくらぎじんじゃ)の標柱。
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手水舎。
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櫻木神社は、江戸築城に際して太田道灌が文明年間(1469~1487年)に菅原道真公の御神霊を京都北野天満宮より勧請したのに始まります。
その後、二代将軍徳川秀忠公の時代(1605~1623年)、湯島の高台にあった「桜の馬場」に遷座し、同地の産土神として崇敬を集めました。櫻木神社の名前の由来となりました。
元禄3年(1690年)、五代将軍徳川綱吉公が昌平坂学問所を設立するにあたり、翌年現在地である本郷の富元山 真光寺の境内に遷座しました。
明治の神仏分離令により、櫻木神社として独立しました。
昭和20年の東京大空襲によって社殿は焼失、昭和34年(1959年)に社殿を再建しました。 -
御祭神は菅原道真公です。
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拝殿の右奥に、本殿に背を向けて小さなお稲荷さんがあります。
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見送稲荷神社です。
名前の由来は、近くにあった見送り坂、見返り坂に因んでいます。 -
このお狐様は、首を真横に向けています。
よく見ると子狐がおっぱいを飲んでいるみたいです。 -
ホテルの向かいにあった本郷薬師堂に戻りました。
かつてこの辺りの地は富元山 瑞泉院 真光寺の境内でした。昭和20年の東京大空襲によって真光寺は焼失、世田谷区給田へ移転しました。
真光寺は、慈覚大師が嘉祥2年(848年)に開山したと伝えられ、その後清賢法印が寛永14年(1636年)中興しました。江戸時代は藤堂家の菩提寺でした。
本郷薬師は当地に残り、昭和53年に再建しました。 -
御本尊は薬師如来像です。
江戸時代初期の奇病平癒以来人々に深く信仰され、毎月8日・12日・22日の縁日は活況を呈したと伝わります。 -
国道17号線(本郷通り)と国道254号線(春日通り)が交わる場所が本郷三丁目の交差点です。
そこから北へ50mほど先にある下り坂を「見送り坂」、最も凹んだ場所(何となく凹んで見えます)にはかつては川が流れていて、そこに架かる橋を「別れの橋」、さらにその先の上り坂を「見返り坂」と呼んでいました。 -
本郷通りから西へ向かう本郷菊坂。かつて流れていた川の名残のような下り坂が続いています。
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見返り坂を上り、坂上から本郷三丁目交差点を見返した様子。
かつてはこの辺りが太田道灌の領地の境目だったとのことで、江戸を追放された者が「別れの橋」で家族縁者と別れました。 -
東京ウェディング&ブライダル専門学校。目立つ建物です。
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東京大学の赤門です。
現在、赤門は耐震診断のため閉門しています。また、両脇の番所は、耐震性能不足のため立入禁止でした。 -
国指定重要文化財の赤門。正式には御守殿門。
江戸時代、本郷キャンパスの敷地は、加賀藩前田家の大名屋敷がありました。加賀藩13代藩主前田斉泰公は、文政10年(1827年)に11代将軍徳川家斉公の娘溶姫を正室に迎えました。輿入れに際して赤門が建立されました。 -
もう少し北に東京大学の正門があります。
約45年ぶり位に東大のキャンパスに入りました。入学するのは難しいですが、立ち入りは誰でもできます。
明治45年(1912年)完成、設計は伊東忠太氏、国登録有形文化財。 -
校内案内図。
本郷地区キャンパスは、東京ドーム11個分の敷地面積があります。
大正12年の関東大震災で壊滅したことから、その後に再建された建造物群です。 -
ヨーロッパの街並みに似せて、通りを挟んで左右対称にゴシック様式の建物を配置しています。
元東京帝国大学総長を務めた建築家の内田祥三氏の設計です。日本建築学会会長、晩年には文化勲章を受章しています。 -
キャンパス内には多くの銀杏が植えられていますが、正門から安田講堂まで続く200mの銀杏並木は見事な景観です。樹齢100年以上の街路樹が続いています。
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安田講堂。
正式の名称は東京大学大講堂ですが、建設資金を安田財閥の創始者である安田善次郎氏が寄付したことから通称安田講堂と呼ばれています。
設計は内田祥三氏と岸田日出刀氏。大正14年(1925年)竣工。施工は清水組でした。
大学紛争で破壊された安田講堂を8億円かけて修復し、平成8年(1996年)に国登録有形文化財に指定されました。 -
昭和43年(1968年)の東大紛争では全学共闘会議によって占拠され、翌年1月8,500人の機動隊が投入され、1万発以上のガス弾が撃ち込まれました。
昭和63年から平成6年に改修工事が行われました。 -
安田講堂を見上げました。
ゴシック様式の塔は高さ約30mです。
入り口の守衛さんはの目は「怪しい奴」を見ている目でした。 -
安田講堂の正面には一対の楠があります。
前田家の屋敷だったときに植樹されたようで、楠の巨木になっています。
こちらは向かって南側の大きい方の楠です。 -
幹周は3.45m。
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これは何の遺構でしょうか。
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三四郎池です。
加賀藩2代藩主・前田利常公は大坂夏の陣の活躍が認められて、慶長20年(1615年)年に本郷に屋敷を許されました。
寛永6年(1629年)には庭園を築き、秀忠公、家光公を迎えています。
4代藩主・前田綱紀は育徳園と命名し、江戸諸侯邸の庭園中第一といわれた名庭園に仕上げました。 -
三四郎池の正式名は育徳園心字池ですが、夏目漱石の小説で有名となり、三四郎池と通称されるようになりました。
園内には氷室が造られ、毎年6月1日には将軍家に献上していました。 -
関東大震災に際して防火に役立ったことから、三四郎池が再評価されました。
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池の鯉。
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三四郎池の滝。
この滝は人工滝らしいです。 -
三四郎池を半周してから、上に戻りました。
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育徳堂です。
育徳堂は内田祥三氏の設計により昭和10年(1935年)に造られた弓道場です。 -
赤門まで戻りました。
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御守殿門(赤門)は、昭和6年には国宝に指定されました。現在は重要文化財。
中心の柱から屋根が少しずれる薬医門の型式です。
お日様がないと、赤門らしく見えません。 -
門の左右には番所があります。
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番所。
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本郷三丁目交差点の角には茶色い建物「かねやすビル」が建っています。
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かねやすビル。
享保年間(1716~1736年)、現在の本郷三丁目の交差点角に兼康祐悦という口中医師(歯科医)がおり、乳香散という歯磨き粉を売り出したところ大評判になり、毎日が祭りのように賑わったそうです。
享保15年(1730年)に大火があり、町奉行の大岡越前守忠相は、この交差点から南側を土蔵造りや塗屋にすることを命じ瓦葺きを許可しました。
一方で北側は従来どおりの板や茅葺きの家が並んだため、土蔵のある「かねやす」は大変目立っていたそうです。 -
かねやすビル。近年まで洋品店として営業していました。
本郷が江戸の北端だった頃、南端の芝には兼康本店がありました。
あるとき本家争いが起こり、芝は兼康と漢字で、本郷は仮名で「かねやす」と記すように沙汰が出ました。 -
本郷も
かねやすまでは
江戸の内
これより北の中仙道は、田舎道だったようです。すると、外様の前田家屋敷は田舎に置かれたということなんでしょうか。 -
本郷三丁目交差点から南へ約500m、徒歩7分ほどで大きなビルに着きました。
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東京都水道歴史館です。
江戸時代から近代まで、水の供給と水道の歴史などを展示している施設です。
開館時間は9:30~17:00、毎月第4月曜日は休館(月曜日が休日の場合はその翌日)、入館無料です。 -
水滴くん。
東京都水道局のイメージキャラクターです。
生年月日は平成2年3月31日(おひつじ座)。
本籍は雲の上、出生地は笠取山(1,953m)の山頂付近とされています。
この山頂付近というのがミソで、山頂は東京都ではなくて埼玉県秩父市と山梨県甲州市の境になっています。 -
2Fの展示室。
玉川上水開削から玉川上水・神田上水と水道を敷設した歴史が説明されています。
徳川幕府が公式記録として3部制作した「上水記」の現存する貴重な1部が展示されています。 -
江戸市中に埋設されていた角型木樋。
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角型木樋。江戸時代に使われた木製の水道管です。
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玉川上水開削の様子をビデオで見ることができます。
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玉川兄弟の信念が結実して玉川上水が完成しました。
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玉川上水の流路。
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木樋(もくひ・きどい)。
有楽町・東京国際フォーラム付近にあった阿波徳島藩蜂須賀家上屋敷跡から出土しました。 -
木樋の接合部。
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お茶の水の懸樋(かけひ)、模型。
神田川の上を流れている神田上水の様子です。 -
お茶の水の懸樋、浮世絵にも描かれました。
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玉川兄弟の像。
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兄は庄右衛門(しょうえもん、元和8年(1622年)~元禄8年6月6日(1695年7月16日))、弟は清右衛門(せいえもん、生年不明~元禄9年5月5日(1696年6月4日))。
多摩川沿いの農民でしたが、玉川上水開削の中心となりました。その功績により「玉川」の姓を名乗る事が許されました。 -
江戸時代の上水井戸、この板組を地中に埋めていました。昭和57年に千代田区幸町より発掘したものです。
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上水井戸の仕組み。
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上水井戸のジオラマ。
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上水井戸のジオラマ。
もちろん、これだけの上水設備を整備、維持するためには膨大な費用が必要でした。
コストは受益者負担の原則から普請金や水料などの名目で徴収されました。身分によって料金が変わり、大名は石高で、町人は間口で料金が決まりました。
幕府の公式記録である「上水記」によると、1間(約1.8m)当たり年間16文(約320円)が基準となっていたそうです。 -
江戸時代の長屋の様子が再現されています。
10月に見学した江東区深川江戸資料館と同様の展示で理解しやすかったです。 -
長屋の様子。
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江戸時代の下水道。
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長屋の水瓶。
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長屋の上水井戸。
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長屋の上水井戸。
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上水井戸と流し場。
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井戸の側にはお稲荷様。
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厠も再現されていました。
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1Fの展示です。
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明治以降の水道の発展の様子を主にパネル展示で紹介しています。
これは水圧計。 -
馬水槽(ばすいそう)。
明治時代は、市電や自動車の普及する以前に交通・輸送手段として馬や牛が主役した。
馬水槽は馬や牛が水を飲むために設置された水飲み場です。
水道歴史館に展示されている馬水槽(複製)は、明治39年(1906年)にイギリス・ロンドン市牛用水槽・飲用噴水盤協会から当時の東京市に寄贈されたものです。
当初、千代田区丸の内の現在の三菱一号館の側、馬場先通り沿いに設置されましたが、大正時代に鍛冶橋の水道局庁舎近くに移転、その後昭和32年に淀橋浄水場構内に移されました。
淀橋浄水場閉庁後は新宿駅東口に設置されています。 -
水道管の太さ比較。
最大の2900mm径の管は、羽村取水堰から村山・山口貯水池の間に使われています。 -
埋設金属管探知器。
本管の磁気に影響されずに分岐管等を調べることができる器械。 -
相関式漏水発見器。
予測される漏水点を挟んで検知器を設置し、信号音から漏水点を計測する器械。 -
明治になり、近代水道が開通すると、それまでの上水井戸に替わり、水圧のかかった水を手元で得ることのできる「水栓」が設けられました。しかし多くの家庭では専用の水栓を引くことができなかったため、複数の家庭で共同で使う「共用栓」が各所に設置されました。
東京の初期の共用栓は水の出口に竜が型取られていることから「蛇体鉄柱式共用栓」と呼ばれ、これが「蛇口」の語源になったとも言われています。 -
大正12年に起きた関東大震災では、水道施設が大きな被害を受けました。
現在も災害時にはライフラインが寸断、復旧には長い時間がかかります。 -
昭和時代になり団地が急増、家庭での風呂が普及しました。同時に水不足が顕在化して節水が呼びかけられました。
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館外の展示。
江戸時代、海を埋め立てた江戸市中では井戸からは塩水しか出ないため、飲料水を売り歩く水屋がいました。水商売の起源とも言われます。 -
館外の展示。
明治31年に新宿区に造られた淀橋浄水場は、玉川上水から水を引き、濾過した水を東京市内に供給していました。 -
水道の歴史を学んだので、水道橋まで歩きました。
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水道橋です。
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玉川兄弟の努力に敬意を表しながら、水道橋から神田川の上流方向を見ました。
上流側の後楽橋、右岸(左手)には水道橋駅があります。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- FUKUJIROさん 2024/03/30 20:32:08
- いつもありがとうございます
- しにあの旅人さん、こんにちは。
メッセージをありがとうございます。
本郷周辺の地図を見ていたときに東京都水道歴史館を見つけたので、訪問しました。
こういう施設が無料で開放されているのは、とてもありがたいことです。
資料もいろいろと展示されていますので、機会がありましたら、立ち寄られることをお薦めします。
上水井戸のジオラマは、縮尺1/10位です。ただ、ガラスの仕切り内に入っているため、撮影角度を変えることができませんでした。
しにあの旅人さんの旅行記も楽しく、また、たいへんマニアックにまとめられていて、感服しています。ますますのご活躍を期待しております。
これからもどうぞよろしくお願いします。
FUKUJIRO拝
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- しにあの旅人さん 2024/03/30 17:49:50
- 東京都水道歴史館にびっくり
- はじめてコメントをお送りします。
シニアの旅人と申します。夫婦二人で、いつも文字ばかりのへりくつ旅行記を書いております。
東京都水道歴史館にビックリしました。こういう博物館があるのを知りませんでした。石川英輔の「大江戸庶民事情」で江戸の水道が、18,19世紀のロンドン、パリをしのぐ世界最大の水道網だったと読んでいましたが、現物を写真で見たのは初めてです。
木樋って、こんなモンなのですね。
上水井戸の現物がこれですか。
長屋のジオラマがいいですね。縮尺が分からないのですが、長屋のおかみさん人形のサイズはどのくらいですか。
水道料金が年間16文単位ですって!ビックリです。16文だとかけそば1杯分です。裏長屋の住人だと、10軒で割るわけで、ほぼただみたいなもんですね。
長屋の再現がいい。九尺二間というやつだ。
「水道の水で産湯を使い」というのが江戸っ子の自慢だったそうです。
面白いモノを見せて頂きました。
金鑚神社などというシブイところも行っていらっしゃるようで、同好の士とお見受けいたします。これからも旅行記を楽しませていただきます。
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旅行記グループ 東京の旅その2
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