2024/04/06 - 2024/04/06
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FUKUJIROさん
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北区は名前のとおり東京23区の最北部にあって、旧岩淵宿はさらにその北の外れ、荒川沿いに開けた土地です。
中世には鎌倉街道、江戸時代以降は日光御成街道の宿場町として栄えてきました。
荒川を挟んで対岸の川口宿とともに伝馬の仕事を半月交代で行う「合宿(がっしゅく)」でした。
現在、東京メトロ南北線と埼玉高速鉄道線が乗り入れている赤羽岩淵駅の辺りが岩淵宿でした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 徒歩
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赤羽八幡神社を下りて、宝幢院( ほうどういん)に来ましたが、山門は閉まっていました。
江戸時代には、赤羽八幡神社の別当寺でした。 -
寺号柱。
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山門脇にある地蔵菩薩立像。詳細は不明です。
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山門脇の道標。元文5年(1740年)12月の建立。
岩淵宿が交通の要所であった頃のもので、「東 川口善光寺道 日光岩付道」、「西 西国冨士道 板橋道」、「南 江戸道」と彫られています。 -
鉄の柵とコンクリートで厳重に保護されており、とても貴重なものです。
「川口善光寺道」とあり、荒川対岸にある川口善光寺が三大善光寺の一つとして評判の高かったことがわかります。
日本鉄道が上野~熊谷間に線路を敷くために導入した機関車は、船で荒川を運び、川口善光寺の脇で組み立てされたことから「善光号」として知られていました。
現在はさいたま市の鉄道博物館に保存展示されています。よろしければ、そのときの旅行記もご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/11885208 -
山門脇の案内板の写真を写しました。
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正式な山門は閉じられていたので、通用門から境内に入ります。
明治16年に日本鉄道が上野~熊谷間を鉄道敷設する際、赤羽八幡神社と宝幢院の間を通すことになり、敷地が分断されました。 -
かつては宝幢院の西側から赤坂台の上に建つ赤羽八幡神社へ参道が伸びていました。
鉄道の高架の先には赤羽八幡神社があります。 -
本堂脇の桜は満開でした。
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本堂の手前、駐車場との境には2基の庚申塔があります。
左の板碑型の庚申塔は、寛永16年(1639年)霜月(11月)に建立されたもので、北区で最古の庚申塔です。阿弥陀如来と二猿がきれいに線刻され、脇に「岩淵赤羽根村」の銘があります。
右側の地蔵菩薩立像は、上部に日輪月輪、下部には地蔵脇に二鶏、その下に三猿が彫られています。延宝8年(1680年)10月に建立。 -
医王山 宝幢院 東光寺の本堂。
寛正2年(1461年)宥鎮和尚により開山、当時は浮間村西野にありましたが、荒川の氾濫による洪水を避けて赤羽に移転し、跡地は宝幢院屋敷と呼ばれたと伝わります。
約150年後に深承阿闍梨及び宥意和尚が中興しました。慶安2年(1649年)に徳川家光公より寺領10石余を賜りました。 -
本堂まえの桜。
御本尊は薬師如来です。 -
向背の彫刻。
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扁額の左右にも額が掲げられていますが、反射が酷くて見えません。
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試行錯誤の末に、額の中の仁王様を写しました。
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仁王様がもう少し見易いといいですね。
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本堂の手前左にお大師様がいます。
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弘法大師像。
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御本尊薬師如来の碑。
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閉まっていた山門から入れば、参道に六地蔵があります。
左から、寛保元年(1741年)12月、元文5年(1740年)12月、元文6年(1741年)2月、寛保2年(1742年)2月、元文5年(1740年)12月、元文6年(1741年)1月の銘があります。 -
六地蔵の隣に出羽三山供養塔(左)と大きな馬頭観世音塔があります。馬頭観音は明治41年(1908年)4月建立。
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四国西国秩父坂東百八十八ヶ所参拝の碑。大正9年7月建立。
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本堂落成記念碑。
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信州善光寺参拝記念碑。
宝幢院を辞して、さらに東は向かいます。 -
途中の店先にチューリップが咲いていました。
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細長いビルがありました。
その隣のビルの壁面に素敵な絵があります。 -
帰宅後に調べたら、谷内六郎(たにうち ろくろう)氏のモザイク画で、とても貴重な作品とのことです。
谷内氏は、大正10年東京・恵比寿生まれの画家、昭和56年に59歳で没しました。ノスタルジックな昭和の風景を描いた画家で、「週刊新潮」の創刊から表紙の絵を描き続けて、その総数は1336に及びました。 -
赤羽交差点です。
JR赤羽駅からは600~700mほど離れていますが、この辺りがかつての岩淵宿の中心部で、昭和時代には都電の終点「赤羽駅」がありました。 -
赤羽交差点には、赤羽岩淵駅の出入口があります。
東京メトロ南北線と埼玉高速鉄道の埼玉スタジアム線が乗り入れ、相互直通運転を行っています。 -
赤羽交差点からすぐ近くに真言宗智山派の薬王山 瑠璃光院 大満寺(だいまんじ)があります。
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門前に建つ石碑には、「行基御作 薬師如来安置 大満寺」とあります。
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山門の手前には幸福地蔵(通称 手わらじ地蔵)があります。
地蔵菩薩は釈迦如来の入滅後、弥勒菩薩が現れるまでの56億7千万年間、この世に残り人々を救い続ける役を担っているといわれます。 -
手わらじ地蔵様は、願いを草鞋に託すと、地蔵様がその人の自宅まで届けてくれるといわれています。
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成田山の御分霊が安置されています。
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山門前の桜も満開でした。
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大満寺の山門。
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扁額は、薬王院。
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大満寺の開山は明暦元年(1655年)です。
山門を入って正面に見えるのが岩淵不動尊です。 -
境内入り口付近には「岩淵天神」という学問の神様も安置されています。特に勉学の神様として親しまれています。
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天下泰平国家安全敷石供養塔。
供養墓の文字は東久世通禧公の筆です。 -
東久世通禧(ひがしくぜ みちとみ)公の歌碑があります。
岩淵会の人々の歌に志あつきよしをききて
いはぶちのふかきこころにいそしみて
すゝみゆかなむ言乃葉のみち
東久世通禧公は、神奈川府知事や北海道開拓長官を歴任した方で、後に伯爵となりました。また歌人、茶人としても活動していました。
その頃の住職が「岩淵会」という短歌結社を結成していた縁でこの歌を詠まれました。明治31年(1898年)建立。 -
山門右手の駒型庚申塔。
青面金剛像、その下に三猿が彫られています。金剛像に踏みつけられているのは邪鬼のようです。宝永3年(1706年)2月の建立。 -
満開の桜の先には不動堂があります。
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不動堂。御本尊の岩淵不動明王像は、成田山不動明王の御分霊と伝えられています。
毎月28日に不動護摩修行が行われています。 -
岩淵不動明王像は鎌倉時代初期の作と伝えられ、岩淵不動尊として親しまれています。また、堂内には、平安時代の宮廷画家・巨勢金岡の作と伝わる仏画があるそうです。
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薬王山 瑠璃光院 大満寺の本堂です。
御本尊は行基作と伝えられる薬師瑠璃光如来像で、古来より眼病平癒にご利益があると伝えられています。 -
明暦元年(1655年)の開山で宝幢院の門徒でした。真言宗智山派。
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歴代住職之墓所。
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瑠璃庵。多目的ホールとして使われている施設です。平日はお茶をいただくこともできるそうです。
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枝垂れ桜。
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枝垂れ桜。
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四国八十八箇所お手かざし処。
中央に弘法大師様がおられ、その後方の壁には四国霊場各札所の銘板が張られています。
この銘板には点字が記されていて、それに手をかざしてお参りすると、札所を巡礼したのとの同じ功徳が得られます。 -
お大師様の教えでは
・仏になる(即身成仏)
・仏の仕事をする(済世利人)
・仏の国をつくる(密厳国土)
が基本とされ、そのための報恩行の道場として霊場巡拝があります。 -
霊場札の一つ一つを手でかざし、仏足石の下に納められた御砂踏をもって、岩淵の地での遍路の満願成就となるそうです。
厳しい巡礼のつもりで、お参りしました。 -
大満寺を出て北へ50mほど移動します。
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正光寺の山門です。
鎌倉時代の創建とされ、岩淵で一番古いお寺です。 -
山門前には枯山水の庭があります。
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寺紋。
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山門から大観音像が見えています。
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満開の桜。
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征清鎮台皇軍戦死追吊紀念碑。
明治28年(1895)年に建立された日清戦争の戦没者慰霊碑です。 -
その隣には、征清鎮台皇軍戦死追吊紀念地蔵尊が建てられています。
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大きな灯籠。
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題目塔と地蔵尊。
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正光寺の境内。岩淵では最も広い境内です。右の建物が本堂、左は観音堂です。
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岩淵宿の中心にあり、江戸時代にはたいそう賑わっていたそうです。また、八雲神社の別当寺でした。
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スダジイ。
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鼎祭卍夫墓。文政7年3月建立の石碑ですが、漢文で読めないです。
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参道の正面には岩淵大観音が建っています。
高さは三丈三尺(約10m)、明治3年(1870年)建立。 -
かつての荒川は「荒ぶる川」で、度々氾濫し、その後には疫病も流行し、人々は苦しんでいました。
仏の力を信じた岩淵の人たちは、金品を出し合って観音像を造ったそうです。 -
寄進されたものには銅鏡100枚余、金の指輪や銀のかんざしなどもありました。
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大観音像の後ろ姿。
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満開の桜と本堂。
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天王山 淵富院 正光寺(しょうこうじ)は浄土宗のお寺です。
昭和53年(1978年)、お寺に住み着いていたホームレスの失火により全焼してしまいました。長い間、空き地のようになっていましたが、平成23年(2011年)7月に金剛組によって本堂などが再建されました。
1階には客殿があり、2階が本堂です。エレベーターが設置され、本堂内部は石畳で靴のままお参りができるそうです。
金剛組(こんごうぐみ)は、聖徳太子が百済より招聘した宮大工が、敏達天皇7年 (578年)に創業した企業で、世界一歴史の長い企業として知られています。聖徳太子が創建した四天王寺の近くに本社があります。
よろしければ大阪・四天王寺を参拝したときの旅行記もご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/11793949 -
正光寺の創建は鎌倉時代で良忠上人を開山として、石渡民部少輔保親を開基としています。その頃は荒川の畔にあり、「西光寺」という名称でしたが、その後は寂れてしまったようです。
慶長7年(1602年)に小田切将監重好と眞譽上人が中興して、現在地に移りました。 -
小田切将監重好の法号から正光寺と改称しました。
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寺伝によると御本尊の阿弥陀如来は春日仏師の作といわれています。
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お賽銭というのは現金だと思うのですが、こういうのは困ります。無理やり現金を置いてきました。
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本堂前から見た大観音像と桜。
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本堂の横には池と観音菩薩像がありました。
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観音菩薩像と台座の龍。
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観音堂。
源頼朝公の守本尊である世継観音が祀られています。 -
観音堂にある寺宝の聖観音菩薩像は、行基の作と伝えられており、頼朝子育観音とも世継観音とも称されています。
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正光寺を辞して荒川へ向かうと、岩淵かっぱ広場がありました。
北区の防災生活圏促進事業によって平成11年(1999年)に開園した防災公園です。
かっぱ広場という名前は岩淵のかっぱ伝説が元になっています。
昔々、村人が荒川辺りを歩いていると倒れているカッパを見つけました。空腹のカッパに大好物の胡瓜を与えると元気になって川に戻りました。
カッパはこの出来事を川の主である白龍に話し、岩淵には水害を与えないようにお願いしました。以来、岩淵には大きな水害がなくなったということです。
カッパに感謝し、今でも八雲神社の氏子たちは、カッパが大好きなキュウリを食べないそうです。 -
北区の防火貯水槽の蓋。
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八雲神社に向かう狭い路地で、大邸宅の塀に沿って三基の石碑がありました。
岩淵庚申塔と呼ばれているそうで、中央の大きな板碑型庚申塔がもっとも古く、元禄6年(1693年)2月の建立。
その右は上部が欠けているものの角柱型の庚申塔で寛保3年(1743年)2月の建立。
左は供養塔で天保10年(1839年)の建立。道標を兼ねていて、台石に「右下村」とあり、赤羽志茂を指しているのでしょう。
そんな歴史の街ですが、残念なことに品のない人も住んでいるようで、狭い路地を幅広の自動車が我が物顔で走り、道の端を歩いていてもクラクションを鳴らされました。一応ナンバーを写真に納めておきました。
ここまでお読みいただきましてありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- mom Kさん 2024/05/28 11:52:16
- 少し歩けば
- あの喧騒雑多なJR赤羽駅から想像もできなかったところが、登場。
私も”無理やり派”です。
- FUKUJIROさん からの返信 2024/05/28 19:54:00
- Re: 少し歩けば
- mom Kさん、こんにちは。
赤羽のぶらぶら歩きをお読みいただきましてありがとうございます。
コロナは落ち着いたものの、円安に負けてしまい海外への旅ができないので、国内の旅、しかも電車で行ける日帰り旅をしています。
ぶらぶら歩きながら眺める街には新たな発見があり、楽しんでいます。
mom Kさんは、台湾を楽しんだようですね。羨ましいです。
しばらく行ってないなあ。
旅行記を読ませていただきます。
これからもどうぞよろしくお願いします。
FUKUJIRO拝
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旅行記グループ 東京の旅その2
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