2023/01/14 - 2023/01/14
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昨日は都内での仕事を終えて大塚に泊まりました。
今日も隣の池袋でお昼に会合があります。数時間の隙間をどうしようかと考えます。
数日前の天気予報では、コートもいらない位に暖かくなるということでしたが、寒いしお天気も良くありません。
天気のことを調べていたら、日本に唯一の気象神社というのがあるそうです。高円寺の駅からも近いみたいなので、参拝することにしました。
ついでではないのですが、阿佐ヶ谷神明宮にもお参りすることにして、阿佐ヶ谷から高円寺まで散策しました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
阿佐ヶ谷駅の北口から近い場所に杉並区立杉並第一小学校があり、創立百周年記念碑が建っています。この学校はもうすぐ移転です。
この角を曲がるとすぐに阿佐ヶ谷神明宮があります。 -
阿佐ヶ谷神明宮(あさがやしんめいぐう)は、建久年間(1190~1198年)に土豪横井兵部(一説には横川兵部)が伊勢神宮に参拝したおり、神の霊示を受けて宮川の霊石を持ち帰り安置したことが始まりと伝えられます。
現在では、神社やお寺の石や枝などを持ち帰ることはタブーとされていますので、注意しましょう。 -
大鳥居をくぐると手水舎があります。
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渡された板の中央から水が出ています。
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さらに表参道を進むと瑞祥門が見えます。
左手の大木は、夫婦欅です。 -
瑞祥門(神門)。お伊勢様と同じく、これより先にある拝殿と御本殿は撮影禁止です。
拝殿と御本殿は一体だった建物を分離し、中央の御本殿には阿佐谷神明宮の御祭神である天照大御神をお祀りしています。
その左右には摂社があり、右に月読命、左に須佐之男命をお祀りしています。 -
拝殿にて参拝し、拝殿の右にある元宮にも参拝します。
向かって左から日本武尊、中央に伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、右側に伊弉冉尊(いざなみのみこと)が祀られています。 -
瑞祥門の外には猿田彦神社があります。開運道開きの神様が祀られています。
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北野神社。御祭神は菅原道真公、学問の神様です。写真を撮っていた方の話では、知る人ぞ知るパワースポットらしいです。
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五角形の木枠の中に天神様を入れて、合格祈願をしました。
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能楽殿。表参道の右手にあります。
お祭りの際には阿佐ヶ谷囃子(杉並区無形文化財指定)が行われます。 -
白い牡丹の花。
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駅に戻る途中で相沢けやき屋敷を見ました。
阿佐ヶ谷の大地主相沢喜兵衛さんのお屋敷でした。 -
武蔵七党の末裔とされる埼玉県飯能の岡部氏が当地に進出、領地の境に杉を植えたことから杉並の地名が発したという説もあります。
阿佐ヶ谷の「けやき屋敷」辺りにも杉の樹林地があったようです。 -
「けやき屋敷」は、およそ約3,000坪、1辺100メートルのきれいな地形です。
周辺一帯が再開発され、「けやき屋敷」跡地には「河北総合病院」が移築され、病院跡地には第一小学校が移ることが決まっています。 -
グーグルマップで見た現地。
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現在の河北総合病院。
移築後は9階建ての大病院になるようです。 -
けやき屋敷跡地をぐるっと周ると、脇道に阿佐谷弁天社がありました。
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御神木の根元に祠があります。
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赤い鳥居の先に2つの祠がありました。
正面の祠が弁財天です。右の祠は名称はわかりませんが、白蛇が祀られています。 -
山口県岩国には、弁財天を祀る厳島神社を勧請した白蛇神社がありますが、同じような関係でしょうか。
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阿佐ヶ谷駅に戻ってきました。
北口の駅前には、その名も阿佐谷北口駅前ビルがあります。 -
昭和2年、荻窪に移り住んだ井伏鱒二は、2年後に「山椒魚」を発表、その頃から井伏鱒二を中心とする将棋会が形成され、いつしか三好達治、青柳瑞穂、安成二郎、尾崎一雄、火野葦平、太宰治といったメンバーが集う文士の会になっていました。
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後に阿佐ヶ谷文士村と呼ばれることになった人々が集った場所は、阿佐ヶ谷駅の北口にあった支那蕎麦屋のピノチオでした。
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【阿佐ヶ谷どうでしょう】というサイトの主が調査した結果、阿佐ケ谷北口駅前ビル1階のCREA新光堂の場所がかつてのピノチオ跡と判明しました。
まだ営業前の時間、シャッターは閉まっており店内を窺い知ることもできませんでした。 -
CREA新光堂さんは比較的大きなお店で、アーケード街と都道427号の両側に入り口がありました。
都道側から店内を覗くと、レディースファッション店です。爺がじろじらと覗くのも変なので、チラッと覗くだけにしましたが、昭和のはじめ、この場所で若き文士達が酒を呑み、夢を語り合ったに違いありません。
やがて太宰治は三鷹へ転居し、人気絶頂の最中、昭和23年に玉川上水で入水自殺しました。 -
阿佐ヶ谷駅の南口。
当時の阿佐ヶ谷駅は南口だけでした。 -
阿佐ヶ谷南2丁目の高架下商店街「ビーンズ阿佐ヶ谷」。
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阿佐ヶ谷南2丁目にある馬橋(まばし)稲荷神社に来ました。境内の南側に表参道があります。
樹齢400年のヒバ(アスナロ)製の朱色の一の鳥居。その先には二の鳥居、三の鳥居が続いています。 -
馬橋稲荷神社の標柱は、巨大な石でした。
調べたら、神奈川県真鶴産の本小松石で地上の高さ3m、重さ6トンです。 -
馬橋稲荷神社のパワースポットが二の鳥居です。この鳥居は、左右の柱に龍が彫られた双龍鳥居という珍しい形式です。昭和のはじめ、石工・田中酉蔵氏の作品です。
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向かって左の柱には「昇り龍」が彫られています。この昇り龍に触りながらお願いすると、龍がその願いを天に届けてくれるとか、仕事運がアップするとか云われています。
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右の柱には「降り龍」が彫られています。
東京には双龍鳥居は3つしかありません。 -
双龍鳥居の内側。
東京の双龍鳥居は、ここ馬橋稲荷神社と品川神社、残る一つは高円寺境内にある稲荷社です。
よろしければ、品川神社を訪ねた記録もご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/11511474 -
三の鳥居。
馬橋という地名は旧馬橋村の地名でしたが、昭和30年代の住居表示変更によって地名が消失しました(馬橋という地名は田舎くさいという住民が多かった)。
それまで稲荷神社と呼ばれていた神社を昭和40年に馬橋稲荷神社と改称しました。 -
参道を見張るお狐様。
よく見たら親子狐。台座にも狐。 -
参道を見張るお狐様。
-
参道。
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手水舎。
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龍の口から流れ出る手水。地下50mから汲み上げています。
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朱色の美しい随神門。
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昭和50年に完成した門で、鎮座700年の記念に建てられました。
大きな開運鈴が吊るされていました。 -
向かって右側には年配者の豊磐間戸命(とよいわまどのみこと)が祀られています。
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向かって左側には壮年姿の奇磐間戸命(くしいわまどのみこと)が祀られています。
随神は、ともに天照大神が天岩戸から出られて、新たに住まわれた宮殿の門を守護したと云われています。 -
馬橋稲荷神社の創建は鎌倉時代とされます。
拝殿前の朱色の鳥居が三ツ鳥居です。中央の鳥居の左右に少し小さな鳥居が連なっている珍しい形式です。
八の字を描くようにくぐると、ご利益が3倍になるとも言われます。 -
中央に稲荷宮、左右に天満宮と御嶽宮が合祀されており、御祭神は、
宇迦之魂神(うかのみたまのかみ)
大麻等能豆神(おおまとのづのかみ)
相殿神は、
伊弉册神(いざなみのかみ)
美都波能賣神(みずはのめのかみ)
菅原道真朝臣(すがわらみちざねあそん)
の五柱です。 -
拝殿前には勾玉を祀っていました。
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舞殿。
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斎霊殿。昭和25年3月建立。
日清日露戦争と大東亜戦争の戦没者の御魂を祀っています。 -
厳島神社と水神社。御祭神は、市杵島姫神(いつきしまひめのかみ)と美都波能賣神(みずはのめのかみ)です。
この水神社は、かつて馬橋の弁天池(桃園川の源流の一つ)という湧水池の辺にあった社を合祀しています。 -
境内には小さなお稲荷様が幾つもありました。
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参拝を済まし、高円寺境内にあるという稲荷社の双龍鳥居を目指して桃園川緑道を歩きます。
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謎のオブジェ。
桃園川は、荻窪の天沼弁天池を一つの源とする小川でしたが、大雨の度に氾濫していました。昭和40年に暗渠化し、その上を公園としています -
斜めに伸びた桜の木。
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お魚を抱えたカワウソ。
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カワウソの親子。
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ちょっと色っぽい姿の河童。
昔は河童も棲んでいたとか、いないとか。
私は気象神社へ向かうため途中で緑道から離れましたが、高円寺の参道近くまで進むと等身大の河童像があるそうです。 -
高円寺パル商店街。
桃園川緑道の宝橋跡交差点から。 -
壁にも何かのメッセージ。
-
もう少し東へ歩きます。
明らかに下っているのがわかります。これほどの傾斜があれば大雨が降ると急流となり、氾濫しても不思議ではないでしょう。 -
桃園川緑道を離れ、高円寺南の氷川神社へ来ました。
黒塗りの鉄製鳥居が氷川神社の威厳を高めています。 -
この氷川神社の境内には、全国唯一の気象神社が鎮座しています。
-
氷川神社の狛犬。子供を連れている阿形。
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狛犬。玉を持つ吽形。
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氷川神社の拝殿。昭和46年10月14日造営。
社殿によれば、鎌倉時代に帰農した村田兵部の元に氷川神社(武蔵国大宮)からの御神意が伝えられ、社殿を建立したのが起源とされることから、農業の神とされています。 -
御本殿。御祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。
-
氷川神社の境内に気象神社があります。
日本で唯一、気象の神様が祀られている神社で、気象予報士の受験者や快晴祈願の方などが訪れるそうです。 -
気象神社は、馬橋4丁目にあった陸軍気象部の構内に昭和19年4月に造営されたとあります。
大東亜戦争の開戦から2年以上が過ぎて戦況が険しくなる中、天気予報さえも軍事機密とされていた頃です。 -
戦後の神道指令で撤去されるはずの気象神社でしたが、調査漏れにより残り、昭和28年に氷川神社の境内に遷座しました。
平成15年6月に、遷宮55周年記念として社殿を再建しました。 -
御祭神は、八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)です。
天照大御神が天岩戸に隠れて世の中が暗闇になった時、 天照大御神を外界に戻す知恵を考え出したのが、八意思兼命と云われます。
「太陽」を取り戻したことから「気象の神様」と祀られるようになりました。晴、曇、雨、雪、雷、風、霜、霧という8つの気象を司るとされています。 -
氷川神社の境内には小さな稲荷社も複数ありました。
-
氷川神社からさらに東へ歩き、宿鳳山高円寺に着きました。
高円寺の地名の由来となったお寺です。 -
山門前に立派な標柱があります。
曹洞宗のお寺です。先ほど参拝した高円寺の氷川神社の別当寺でした。 -
山門には宿鳳山(しゅくほうざん)の扁額。
-
山門から続く参道。
禅宗のお寺なので簡素であるのは当然としても、寂しげであります。 -
参道は100m近くありました。
土曜日の午前中ですが、人の気配がありません。 -
高円寺の境内です。
本堂の左奥には鳥居のある境内社があります。
かつて寺の周辺には桃の木が多く、門前を流れていた川は「桃園川」と呼ばれていました。天保5年(1834年)発行の江戸名所図では桃園観音堂とされています。 -
弘治元年(1555年)に創建された宿鳳山高円寺、本堂です。度々消失し、昭和28年(1953年)に宮大工・中村青雲氏により再建されました。
御本尊は観音菩薩様で、室町期の作とされる阿弥陀如来坐像も安置されています。
三代将軍徳川家光公は高円寺を大変気に入り、鷹狩りの度に立ち寄ったそうですが、全く人の気配がなく、往時の隆盛を窺うことはできません。 -
向拝の彫刻も見事です。
-
高圓寺の扁額。
家光公は、鷹狩りの度に世話になった礼として宇治から茶の木を取り寄せ、自ら手植えをしたとされます。当時のお茶は医薬品として使われ、とても貴重でした。
実はこの「お手植えの茶の木」は現存するらしく、これを見たかったのですが尋ねることもできませんでした。
よろしければ、お茶(木)に興味を持ったときの旅行記もご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/11739613 -
境内の稲荷社です。東京に三つある双龍鳥居の一つです。昭和8年9月建立、馬橋稲荷神社の双龍鳥居と同じ石工・田中酉蔵氏の作品です。
ぽつりぽつりと雨が降り始め、傘を持っていなかった私は足早に回りました。 -
左の柱「昇り龍」。馬橋稲荷神社の柱よりもやや細いようですが、柱全体に龍が巻きついています。
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右の柱「降り龍」。龍の姿がきれいに彫られています。
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稲荷社の社殿です。
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双龍鳥居の内側。
気象神社にお参りしたのに雨は降り出し、お寺は固く閉ざされており、無念の撤退をしました。 -
高円寺駅南口に到着です。この後は池袋に移動してお仕事です。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。
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旅行記グループ 東京の旅その2
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