2024/10/05 - 2024/10/06
9位(同エリア543件中)
FUKUJIROさん
- FUKUJIROさんTOP
- 旅行記451冊
- クチコミ159件
- Q&A回答111件
- 626,626アクセス
- フォロワー348人
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
明治28年、日本の主要輸出品であった絹織物の産地である上毛地方と東京を結ぶため、東京本所から埼玉県東北部を抜けて館林や足利まで、総延長52マイルの鉄道が計画されました。
東武鉄道は、第一期工事として北千住から久喜間の敷設を進め、明治32年8月27日に北千住~久喜間25マイル(40.1km)を開業しました。
開業時は、北千住・西新井・草加・越ケ谷・粕壁・杉戸・久喜の7駅が設置され、客車と貨車の混合列車(客車3輌・貨車1輌)が1日7往復運行されていました。
西新井と久喜を除く5駅は、旧日光街道(奥州街道)の宿駅(宿場)だったところです。
以上の事を東武博物館の見学で知り、早速北千住の街歩きをしました。
千住(宿)は江戸時代から日光街道の宿場町として発展しました。
後に隅田川の南側まで拡張され、南千住と名付けられました。
そのため、現在も「北千住」という地名は存在せず、「千住(足立区)」と「南千住(荒川区)」に分かれています。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
北千住を街歩きする旅は、仕事で出かけていた新前橋駅(群馬県)から始まります。
-
駅前の大黒さんはお寿司屋さんですが、ランチタイムには定食を提供しています。日曜日は定休。
-
寿司屋のカウンター席に通されたFUKUJIROは、豚テキご飯を食べました。寿司屋ながらお肉は分厚くて柔らかく、とても美味しかったです。
-
前橋市のマンホール蓋。市の花である薔薇をデザインしています。カラーなら綺麗でしょうね。
-
上毛新聞TR(上毛新聞系列の広告代理店)の室内壁に大きな絵があったので、窓の外からパチリ。
-
ホテルラシーネ新前橋。こちらで仕事です。
-
ロビー。
-
2時間後には、シャンデリアが灯っていました。
-
新前橋駅に戻りました。だいぶ暗くなっています。
-
新前橋駅の通路。
-
都内でもう一つ仕事があるため、高崎駅から上越新幹線で上野駅まで移動しました。
-
上野駅の彫刻「三相 智情意」朝倉文夫氏の作品です。
-
上野駅の浅草口。バスに乗って田原町へ移動します。
-
仕事を終えて、東横INN上野田原町駅に宿泊します。
-
客室。
-
客室。
-
朝食です。副菜は少ないですが、朝カレーは美味しいです。
浅草にも近い場所なので、朝食会場にいたほとんどの人が外国人旅行者でした。日本人サラリーマンは私だけだったとような気がします。東横イン上野田原町駅 宿・ホテル
-
つくばエクスプレスの浅草駅。壁の絵が面白い。
-
こちらは祭の絵。
-
つくばエクスプレスで移動します。
-
用事を済まして、京成電鉄本線の千住大橋駅に着きました。
昭和6年(1931年)12月19日開業。満州事変の3ヶ月後のことです。
2017年に耐震補強などのリニューアル工事が完了。 -
橋戸稲荷神社。
鳥居は境内の南面に建ち、平成28年(2016年)造立。 -
手水舎。お水は出ていませんでした。
-
拝殿前に築山があり、狐像があります。明治30年(1897年)建立。
-
築山の狐像。
-
参道左にも築山があり、親子狐がいます。
-
親狐の像。
-
子狐は正面向き。親子狐を配しているのは、獅子山と同じようです。
-
橋戸稲荷神社の拝殿。
創建は、延長4年(926年)とも延徳2年(1490年)とも伝えられていますが、その間はおよそ600年も違っています。
江戸時代に千住が宿場になると、上流の秩父・飯能・川越方面から物資が陸揚げされるようになり、継場として栄えたそうです。
拝殿は文久2年(1862年)に建立。 -
御祭神は倉稲魂命。拝殿の額は「神威」。
-
橋戸稲荷神社の本殿は、江戸時代末期の安政6年(1859年)に建立された区内唯一の土蔵造りです。昭和57年に足立区有形文化財(建造物)に登録されました。
本殿の扉の内側には伊豆長八作の雌雄2匹の狐と稲穂の鏝絵があるそうです。
この扉は、年3回(2月3日、5月15日、9月中旬の例祭日)に公開されています。 -
社殿左(南)にも、木製鳥居と境内社。
-
慶應3年(1867年)造立の石祠です。
-
千住大橋公園まで歩きます。
-
矢立初めの碑。
松尾芭蕉翁が「おくのほそ道」出立の句を詠んだと伝わる記念碑です。
元禄2年(1689年)3月、曾良を伴って深川(江東区)から舟に乗り、千住(足立区)で上陸しました。「おくのほそ道」には、「千じゆと云所にて船をあがれば前途三千里のおもひ胸にふさがりて幻のちまたに別離の泪をそゝく」、「行春や鳥啼魚の目は泪」と記されています。 -
おくのほそ道行程図が掲示されています。
-
堤防の上に上れます。
-
隅田川の堤防が低いです。東京湾直下で大地震が起きたら、この堤防では津波を防ぐことはできないでしょう。
-
千住大橋。
徳川家康公が江戸に入府して間もない文禄3年(1594年)11月には、代官の伊奈忠次の下で最初の橋が架けられました。橋長66間(約120m)、幅4間(約7m)の橋で、当時は「大橋」と呼ばれていました。隅田川で最初の橋でした。
現在の千住大橋は、昭和2年(1927年)に造られた鉄橋(橋長91.6m)です。 -
千住大橋の旧橋(下り3車線)と旧橋の上流側に東京都水道局の工業用水道専用橋である千住水管橋がほぼ並行しています。
-
南岸は荒川区南千住六丁目。
-
おくのほそ道旅立の地。
元禄2年3月、芭蕉と曽良の乗った舟は上げ潮を利用して隅田川を遡上し、千住大橋下の船着き場に着きました。
それにしても堤防が低いのが気になります。 -
千じゆと云所にて
船をあがれば、前途三千里の
おもひ胸にふさがりて、
幻のちまたに別離の泪をそゝく -
大きな橋の番付が堤防の壁に書かれています。
-
千住大橋は行司役になっいます。
-
大きな河の番付が堤防の壁に書かれています。
-
かなり剥げてしまっていますが、「富嶽三十六景 武州千住」(葛飾北斎)もコンクリート壁に描かれています。
-
千住大橋の下をくぐる千住小橋。
平成16年(2004年)8月に北岸足立区側の橋下をくぐる全長約31m、幅員2.6mの歩行者専用の千住小橋が作られました。
この橋ができて、川沿いの遊歩道を歩く人は、堤防の外側を迂回しないですむようになりました。 -
千住小橋からは、オレンジ色の球体を見ました。
-
これは、伊達政宗伝説の高野槙橋杭をしめすためのブイです。
最初の大橋の橋杭材は、伊達政宗が寄進した高野槇(コウヤマキ)の材木と伝えられていました。
古老の船頭の話を元に、平成15年6月19日に東京都河川部が調査を行ったところ、千住大橋下に3本の高野槙の木杭が残っていることが確認されました。
現在もこの高野槙橋杭は川床にあり、ぞの目印として朱色のブイが結ばれています。 -
千住大橋の新橋(上り4車線)は、橋長 502.5m。昭和48年(1973年)2月竣工。
-
下流の隅田川橋梁(常磐線)、平行してつくばエクスプレス、東京メトロの橋が架かっています。
-
新橋は自転車の通行が禁止されており、自転車は両方向とも旧橋を通行します。
歩行者は旧橋・新橋ともに通行出来ますが、新橋へ出るには、この螺旋階段を上ります。 -
写真が下手でわかりづらいのですが、左が国道、右が旧日光街道です。しばし旧日光街道を北へ向かいます。
-
足立市場。
都内で唯一の水産物専門の中央卸売市場です。城北地域の拠点市場として、都内城北地区や千葉北部、埼玉南部などへ水産物を供給しています。敷地面積は、約4万2千m2。 -
足立市場は、川魚・青物・米穀を中心に天正年間に始まりました。その後、神田・駒込と並ぶ江戸3大青物市場の一つに数えられ、幕府の御用市場となりました。
-
足立市場で取り扱っている水産物は、まぐろ類が約8%、鮮魚が約30%、残りの62%は冷凍品や塩干加工品などです。
奇数月の土曜に開催される一般開放デー「あだち市場の日」には、各店から新鮮な魚介類が手頃な価格で販売されます。 -
旧日光街道。
-
千住宿の碑。
はじめは隅田川の北側が千住宿でしたが、後に隅田川の南側にも広がり南千住と名付けられました。 -
芭蕉翁の像。矢立初めの芭蕉像。
平成16年、芭蕉翁生誕360年を記念して建立。この矢立初めの芭蕉像は「俗人芭蕉」を表した芭蕉像です。 -
千住宿奥の細道プチテラスという場所です。
-
鮎の子の 白魚送る 別れ哉
芭蕉翁の作。「おくのほそ道」への出発に際して、千住あるいは千住に着くまでに作られたとされるものの、「おくのほそ道」には採用されませんでした。 -
街薄暑 奥の細道 ここよりす
千住の俳人・為成菖蒲園の句碑。 -
柳でよく見えませんが、壁の絵には参勤交代の様子が描かれています。
-
京成本線の第4橋梁。
左方向が日暮里、右方向が成田空港です。
今までまったく意識していませんでした。 -
掲示板。
-
まちの歴史 千住の町並みコーナー。
昭和5年の千住市場問屋配置図が設置してあります。案内板によると日光道中千住宿は江戸四宿の1つでした。
やっちゃ場(市場)と宿場が混在していたため、四宿の中でも最大の規模でした。 -
江戸時代から昭和初期まで、この通りは野菜を中心にした青物問屋街として賑わっていました。
-
元青物問屋の中野屋跡。
-
元果物専門問屋の水重跡。
-
左は水宗跡、右は伊勢屋跡。
-
旧日光街道と墨堤通りの交差点の名前は、源長寺前交差点です。その一角には、勝林院 源長寺(げんちょうじ)があります。
-
南門の前に立派な寺号碑が建っています。
-
慶長15年(1610年)創建の浄土宗のお寺ですが、山門の扁額は「稲荷山」です。
元々この地には稲荷社があったとされ、今も境内には稲荷社が祀られています。 -
山門の仁王像(阿形)が睨みをきかせています。
-
山門の仁王像(吽形)。
令和2年(2020年) 10月に新造されました。 -
掃部宿門 旧跡延命子育地蔵堂の碑。
-
延命子育地蔵堂。
その昔、源長寺は千住七福神の寿老人を担っていました。山門脇の地蔵菩薩を寿老人に比定していたからです。
後に千住七福神は全て神社に当てましたので、源長寺は外れていますが、かつての歴史を伝えています。 -
延命子育地蔵尊。
-
山門を潜ると左手に銭型手水鉢があります。「吾唯足るを知る」。
-
境内。
-
稲荷社。詳細はわかりませんが、今も大切に祀られています。
-
慶長15年(1610年)、千住大橋建設を指揮した代官頭(後の関東郡代)伊奈忠次(いな ただつぐ)が開基しました。
源長寺という名前は伊奈忠次の戒名「勝林院殿前備前太守秀誉源長大居士」に因みます。
なお、埼玉県川口市には、同じ由来の赤山源長寺があります。 -
源長寺 本堂。
-
源長寺の扁額。
増上寺八十三世徹誉法道の筆。 -
ご本尊は阿弥陀如来。
-
石塔。
-
知足庵寂誉心静法尼之碑。
心静法尼は、源長寺の孝誉上人の弟子で、大山阿夫利神社で修行を積みました。
大山の女行者として崇敬されましたが、明治3年没、翌年に心静法尼碑が建てられました。
落語中興の祖として知られる初代三遊亭圓朝の声が出なくなった時、法力で回復させたと伝わっています。 -
南門。
-
草創期の寺子屋師匠だった「多坂梅里翁」の筆塚。
-
「大欅」の株。
昭和20年(1945年)、アメリカ軍の東京大空襲で焼けた欅の切り株が残されています。
説明板によると、文化文政年間にはこの地域にたくさんの欅がありましたが、最後の1本を焼失したそうです。 -
新しい石碑です。
-
舟型光背型の聖観音菩薩像。
延宝9年(1681年)5月に没した女性の供養塔。 -
旧日光街道をさらに北上しましょう。
-
店員のお姉さんに声をかけられ、カレー店に入りました。美人の声かけに弱いFUKUJIROです。
-
マトンカレーをいただきました。大きなナンがふんわりしていた美味しかったです。
-
隅田川ではなく、千住の北側を流れている荒川の氾濫を想定しているようです。
-
電柱の上に付いている看板あたりまで浸水します。
-
ここから千住本町商店街です。
-
足立成和信用金庫の本店。
何やら像が見えます。 -
松尾芭蕉翁の木像。
チェーンソーアーティストの小林哲二氏が鹿沼の杉から彫り出した作品です。令和元年10月。 -
一里塚跡碑。
-
千住高札場跡碑。
-
東京芸術センターというビル。いろんなオフィスやハローワークが入っていますが、最上階には天空劇場(貸スペース)があります。
-
千住警察入口交差点に出ました。
左右方向の道は国道4号線、左は日本橋、右へ行くと陸奥國です。
ここまでお読みいただきましてありがとうございました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
東京の旅その2
-
前の旅行記
私の旅の原点は東武鉄道にあり。東武博物館を見学しました。
2024/09/28~
北千住・南千住
-
次の旅行記
東武鉄道の開業七駅を歩いてみよう。(その1)北千住2/2
2024/10/06~
北千住・南千住
-
早起きして阿佐ヶ谷神明宮で合格祈願をしました
2023/01/14~
阿佐ヶ谷
-
高級なイメージが強い広尾には、歴史ある神社やお寺に大きな公園(春の写真を追加)や銭湯もありました
2023/01/20~
広尾
-
あい~ん、東村山でバカ殿の冥福を祈り、東京都に2つだけの国宝建築物・正福寺を参拝しました
2023/02/18~
小平・西東京
-
碑文谷という地名に引かれて、都立大学から西小山までを街歩きしました
2023/02/23~
学芸大学・都立大学
-
78年前の惨劇に眠れない夜を過ごし、朝に浅草橋から浅草駅まで歩いてみました
2023/03/10~
浅草
-
2023GWは9連休だけど、やっぱり安近短(番外)孫と一緒にすみだ水族館
2023/05/02~
錦糸町
-
爺が一人で恐竜博2023に行ってきました
2023/06/02~
上野・御徒町
-
清澄白河の江東区深川江戸資料館を見学しました
2023/10/20~
木場・東陽町・清澄
-
清澄白河のお寺参りと田河水泡・のらくろ館を観光しました
2023/10/31~
木場・東陽町・清澄
-
東京都台東区の待乳山に登頂し、待乳山聖天に参拝しました
2023/11/08~
浅草
-
浅草駅から歩いてすぐ「世界のカバン博物館」を見学しました
2023/12/12~
浅草
-
歳の終わりに江戸市中の終わりだった本郷に泊まり、東京大学から東京都水道歴史館まで歩きました
2023/12/18~
御茶ノ水・本郷
-
世田谷文学館で「江口寿史展ノット・コンプリーテッド」を鑑賞、烏山神社に参拝して朝鮮人虐殺の悲しい歴史に触れま...
2024/02/04~
高井戸・千歳烏山・八幡山
-
山手線唯一の踏切を渡り、鉄道と坂と文学の町・田端を街歩きしました(1/3)
2024/02/16~
田端
-
山手線唯一の踏切を渡り、鉄道と坂と文学の町・田端を街歩きしました(2/3)
2024/02/16~
田端
-
山手線唯一の踏切を渡り、鉄道と坂と文学の町・田端を街歩きしました(3/3)
2024/03/16~
田端
-
赤羽を街歩き(1/3)境内から桜と新幹線が同時に見える赤羽八幡神社を参拝しました
2024/04/06~
赤羽
-
赤羽を街歩き(2/3)満開の桜を愛でながら岩淵宿の3寺院を参拝しました
2024/04/06~
赤羽
-
赤羽を街歩き(3/3)祝・国重要文化財登録決定の赤水門と満開の桜を見ました
2024/04/06~
赤羽
-
中目黒の長泉院に参拝し、付属現代彫刻美術館で裸婦像を観賞しました
2024/05/12~
中目黒・祐天寺
-
知られざる東京三大タワーの一つ、船堀タワーに昇りました
2024/05/12~
葛西
-
静嘉堂文庫竣工100年・特別展「画鬼・河鍋暁斎X鬼才・松浦武四郎」を鑑賞しました
2024/05/23~
丸の内・大手町・八重洲
-
グランドプリンスホテル新高輪の大壁画「紅浅間」を鑑賞、そして物流博物館を訪問しました
2024/07/20~
品川
-
私の旅の原点は東武鉄道にあり。東武博物館を見学しました。
2024/09/28~
北千住・南千住
-
東武鉄道の開業七駅を歩いてみよう。(その1)北千住1/2
2024/10/05~
北千住・南千住
-
東武鉄道の開業七駅を歩いてみよう。(その1)北千住2/2
2024/10/06~
北千住・南千住
-
洲崎パラダイス跡を訪ねて、木場から東陽町まで歩きました
2024/10/17~
木場・東陽町・清澄
-
ルイーズ・ブルジョワ展を鑑賞しました
2024/12/09~
六本木
旅行記グループをもっと見る
この旅行記へのコメント (2)
-
- おくさん 2024/11/30 08:35:08
- 前橋在住です
- こんにちは、前橋に来てくれたんでしたか、ありがとうございます。
新前橋駅はその名が示すように前橋市の中心からは離れた駅ですが、新潟方面への上越線も止まる便利な駅です。
本家の前橋駅と新前橋駅の間には利根川が横たわっているので線路の面では大きな障害になっており、新幹線も前橋には来ないで高崎に取られてしまいました。
最初の写真に駅前の噴水が写っていましたが、あれ前橋のMになっているの気付きましたか?w
- FUKUJIROさん からの返信 2024/11/30 21:29:21
- Re: 前橋在住です
- おくさんさん、こんにちは。
いつも訪問ありがとうございます。
Mの形、本当にMでした。
何か、引っかかるものがあったのですが、合点がいきました。ありがとうございました。
ところで、おくさんさんの旅行記でサンチャコ・デ・コンポステーラを拝見しています、すごいですね。
旅人にとって憧れの舞台と言える場所、究極の旅路を歩かれたんですね。
かつて一緒に旅をした先輩がサンチャコ・デ・コンポステーラを歩いたことがあったと聞き、とても憧れたものでした。
しばらく読み続けます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
FUKUJIRO拝
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
北千住・南千住(東京) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 東京の旅その2
2
105