2023/03/10 - 2023/03/10
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FUKUJIROさん
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仕事を終えて、都内に宿泊しました。
眠れない夜でした。
なかなか寝付けず、ウトウトしていたら、深夜零時過ぎに目を覚ましました。
そうだ、78年前のちょうどこの時、東京上空には米国領サイパンから325機のB-29爆撃機が飛来し、空襲警報が鳴り響くなか、低空から大量の焼夷弾を投下していたのです。
米軍は0時7分に爆撃を開始。
第一目標 - 深川区(現在の江東区)
第二目標 - 本所区(現在の墨田区)
第三目標 - 浅草区(現在の台東区)
第四目標 - 日本橋区(現在の中央区)
いずれも一般の国民を標的にした無差別な絨毯爆撃でした。
その後、爆撃地域を広げ、死者11万5千人以上(一説には15~20万人とも)、被災者は約310万人、東京市街地の東半分(東京35区の3分の1以上の面積にあたる約41平方km2)を焼き尽くしました。
時の総理大臣小磯國昭は、この空襲を「もっとも残酷、野蛮なアメリカ人」と激しく非難しました。
幸いにも私には霊感がないのですが、この夜は悪夢の連続で、うつらうつらしては、空から見下ろす鬼畜の姿がチラついて、ハッとすることの繰り返しでした。
3月10日の朝、この悲惨な無差別爆撃でも焼け残った鳥越神社から蔵前辺りを歩いて浅草駅へ向かいました。残酷な歴史を再認識した日でした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
PR
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浅草橋から下流の柳橋。
柳橋は、神田川最下流の橋です。その先の隅田川に流れています。
さらに対岸は両国です。 -
R&Bホテル東日本橋。翌朝撮影。
久しぶりに細長いホテルでした。ハノイのムーンビュー1ホテルを思い出しました。
早く海外へ行きたいな。ハノイの旅行記もご覧ください。https://4travel.jp/travelogue/11465080 -
必要な機能はコンパクトに設置されていました。
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ちゃんと机もありました。
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バスルーム。お湯の出が良かったです。
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コインランドリーもありました。
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朝食です。パン、サラダ、スープ。
不味くはないけど、こういうのは苦手です。
価格は500円の設定ですが、500円出すなら吉野家が良いです。 -
眠れなかった原因はこれです。
ホテルのある東京の下町は大きな被害を受けました。 -
浅草橋。
旧日光街道(国道6号)が通る神田川にはじめて木造の橋がかけられたのは寛永13年(1636年)のことでした。橋の名前は、浅草観音様への道筋にあたることから浅草御門橋と呼ばれましたが、いつしか浅草橋と呼ばれました。
明治6年(1873年)、肥後の石工である橋本勘五郎の施工により木造橋を石橋に架け替えました。昭和5年(1930年)、関東大震災後の復興計画により、現在の浅草橋が建設されました。 -
昼間の柳橋。
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郡代屋敷跡。
かつて関東群代 を務めた伊奈氏代々の役宅がありました。役宅は、江戸城の常盤橋門内に置かれていましたが、明暦の大火(1657年)による焼失後、この場所に移転しました。 -
跡地の一角に久松警察署東日本橋交番があります。
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神田川と河津桜。
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河津桜。
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浅草見附跡(江戸城三十六見附)。
江戸城の外郭門に配する12見附の一つであり、奥羽への街道口として寛永13年に設営されたとありました。神田川は江戸城の外堀の役割も担っていたため、橋の南詰には浅草橋門(浅草見附)が設置され、番所では通行人の監視を行っていました。 -
旧日光街道を離れて、鳥越神社へ向かいます。
JR総武線の高架。JR浅草橋駅が設置されています。 -
浅草橋駅の高架。昭和7年、関東大震災の復興事業により、両国駅を起点としていた総武線をお茶の水まで延伸した際に、駅が作られました。
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しばらく歩いて、鳥越神社が見えました。
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鳥越神社、東の鳥居。
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鳥居の脇に御神木。
さらに奥にも鳥居が見えています。 -
手水舎。
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常時お水が出ていました。
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手水鉢には、鳳凰の置物がありました。龍が多いので、鳳凰は珍しい。
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先ほど見た奥の鳥居です。
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福壽神社です。社号碑の前にお狐様がおりました。
鳥越神社の境内末社で、京都・伏見稲荷にある福寿社の御分霊です。
御祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)ですが、大黒天神・恵比寿神、さらに菅原道真公も祀られています。農工商、衣食住、福徳開運、延寿、医療、知恵、善心、学問に幅広く御神徳があります。 -
鳥越神社。
御祭神は
主祭神・日本武尊
相殿・天児屋根命(あめのこやね=祝詞、言霊の神、出世を司る神)
相殿・徳川家康公 です。
創建は白雉2年(651年)、日本武尊の伝承が残る当地に村人が白鳥神社を創建、のちに源義家が白鳥に浅瀬を教えられ無事に渡った事から鳥越明神と名付けられたと伝わります。
東京大空襲でも奇跡的に焼けませんでした。 -
本殿前には、昭和7年奉納の狛犬が鎮座していました。
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狛犬。とても立派な鼻です。
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かつて鳥越山には三社がありましたが、元和6年(1620年)、幕府が天領米の蔵を造営するため、鳥越山を切り崩してしまいました。
三社のうち熱田神社は今戸へ、第六天榊神社は蔵前3丁目に遷され、この地に残ったのが鳥越神社です。 -
神輿庫。鳥越祭では都内随一の重さを誇る千貫神輿が渡御します。
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神楽殿。
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社殿の左側に進みます。
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逆光で見えませんが、明治百年記念祭の碑。
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通路右手には、志志岐神社があります。
その奥は鳥越神社の御本殿。 -
志志岐神社の御祭神は豊玉姫命です。
本社は対馬國下懸郡久田村にあり、往昔より安産を守る神として崇められているそうです。藩主の宗対馬守が、寛永年間にその邸内社を現在の台東1丁目2番辺りに勧請しました。平成13年(2001年)、鳥越神社御鎮座1350年を奉祝し、その社を境内末社として鎮め祀ることになりました。
よろしければ、対馬の旅行記もご覧ください。https://4travel.jp/travelogue/11359668 -
何かがあったようで、人が入らないように柵がありました。
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西側の鳥居から退出しました。鳥居から境内の様子。
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鳥越神社から少し西へ歩くと、おかず横丁と言う古い商店街が続いています。
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おかず横丁の入り口です。
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鳥越神社からこの辺りは、東京大空襲から奇跡的に焼け残った場所で、戦前からの建物がまだ残っている地域です。
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商店街の入り口にあるこちらは高岡酒店。
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望月米店。
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食品のうるしはら。
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家内制工業が盛んだった下町では、母親がゆっくりと食事をつくる時間がないために、惣菜屋が繁盛していたということです。
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暖簾には、江戸前とありますから、お寿司屋さんでしょうか。
早朝ということで、開いているお店はありませんでした。 -
蔵前神社へ向かう途中、蔵前小学校がありました。平成31年(2019年)1月に完成した校舎で、屋上には運動場があります。
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タイガービル。
昭和9年(1934年)に建てられ、東京大空襲から被災を免れた貴重な建物です。 -
タイガービルヂングは、昭和9年(1934年)にエレベーター付の高級賃貸集合住宅として建設されました。
台東区内の最も古いビルで、国の登録有形文化財です。
鉄筋コンクリート造、地上5階、地下1階、建築面積301m2。 -
古風な丸窓が印象的でした。
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近くでみたら、1階には家具屋さんが入っています。NOCE浅草蔵前店です。
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タイガービルの入り口。
出入りする人(おばちゃん)がいました。 -
蔵前神社に着きました。
たくさんの人がいてビックリしました。 -
蔵前神社。
創建は元禄6年(1693年)、徳川第5代将軍綱吉公が山城國の石清水八幡宮を勧請したのが始まりと伝わります。 -
江戸時代には境内で勧進大相撲が23回開催され、明治時代にも花相撲が行われました。境界線の柱には、鏡里、千代の山、東富士、栃錦などの横綱の銘を刻んでいます。
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手水舎。
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境内の河津桜。
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河津桜。
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忠犬ハチ公と思ったら、違いました。
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古典落語「元犬」の舞台ともなっていることから、平成22年(2010年)に浅草在住の庶民文化研究家・三遊亭あほまろさんが寄贈しました。
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モデルとなったナナ(雌)は、三遊亭あほまろさんの愛犬でした。制作は東京芸大副学長(当時)の彫刻家・北郷悟氏です。
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かつて蔵前には国技館がありました。
力持ちがたくさんいたことでしょう。 -
力石を持ち上げるお相撲さんの絵。
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狛犬。
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狛犬。
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御祭神は
應神天皇(おうじんてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
姫大神(ひめのおおかみ)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
菅原道真公(すがわらみちざねこう)
塩土翁命(しおつちのおきなのみこと)
の六柱です。
姫大神は宗像三女神のようです。また、海つながりなのか塩土翁命が祀られています。
よろしければ宗像大社の旅行記もご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/11372539
塩竈神社の旅行記もご覧いただけると幸いです。
https://4travel.jp/travelogue/11760740 -
境内が混雑していたのは、この景色を撮るためでした。皆さん、花を見上げていますが、78年前には、この空に大量のB-29爆撃機が飛び交い、蔵前も焼き尽くされたことを知っているのでしょうか。
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蔵前神社は、ミモザと河津桜が同時に見られるスポットとして有名な場所でした。
確かにピンクと黄色の揃い咲きは素敵です。 -
ミモザ。5~10m位に成長するそうです。
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ミモザの花言葉は「感謝」「友情」「密かな愛」「エレガンス」。
日々、元気に過ごしていることに感謝です。 -
浅草駅へ向かっていると、すごいロボットの絵が描かれたビルがありました。
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ここはバンダイ本社ビルでした。平成16年(2004年)4月竣工。
1、2階には「おもちゃのミュージアム」があるそうで、時間がある時に来ましょう。 -
江戸文化道場の看板が出ていますが、駒形どぜうの本店です。
創業は享和元年(1801年)、武蔵国北葛飾郡松伏領広島村 (現在の埼玉県吉川市広島)に生まれた助七(安保5年(1776年)生)は18歳で江戸に出て奉公した後、享和元年(1801年)浅草駒形にめし屋を開きました。
時代は明治・大正・昭和と移り変わり、関東大震災、東京大空襲で店は焼けましたが、戦後に再建し、江戸通りに面した建物は当時を再現した商家風の総檜造りで、大名行列を見下ろすことのないよう、2階は黒漆喰で目隠しされています。
代々越後屋助七と名乗り、現在は6代目です。 -
東武鉄道の浅草駅です。台東区最東端の駅。
浅草駅は、昭和2年(1927年)に東洋初の本格的な地下鉄として開業しました。東武鉄道は、昭和6年(1931年)に浅草雷門駅として開業、東京初のターミナル駅直結型の松屋百貨店を併設しました。
昭和20年の東京大空襲により東武鉄道の駅舎内部は焼失しましたが、建物は焼け残り、何度か修復して現在に至っています。 -
駅前の交差点からスカイツリーが見えました。
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東武鉄道浅草駅は、隅田川とほぼ平行した駅舎から、すぐに隅田川を直角に横断する隅田川橋梁を渡るという立地の制約があり、駅の先端部分は極端に狭くなっています。
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特殊な構造ゆえに乗り入れ可能な列車は、1番線以外は6両編成に限定されています。
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4番線に停車している特急けごん15号。
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3、4番線ホーム。
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特急りょうもう14号が入線してきました。
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特急りょうもう14号。3番線に入ります。
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折り返しの特急りょうもう9号に乗車します。
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特急りょうもう号。
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隅田川橋梁を通過中です。
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押上駅に入る直前で東京スカイツリーが見えました。浅草駅からは東京スカイツリーに向かって走るので、乗客からはこの瞬間しか見えません。
もうしばらく特急りょうもう9号を楽しみます。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- usakoさん 2023/04/08 03:30:43
- コメント欄では”初めまして”ですね^^
- FUKUJIROさん。
こんばんは。
いつも読ませて頂いていますが、コメントを差し上げるのは初めてですね。
私の実父が3歳の時に体験しています。
取り乱す母親におんぶされて火の粉を浴びながら、港区虎ノ門の自宅から逃げたこと。
家は跡形もなく消失してしまったこと。
載せて下さった古地図とgoogle mapを照らし、自宅があった場所を確認することが出来ました。
調べ物が好きな父なので、きっと地図の事を教えたらメガネをおでこに当てて興味津々だと思います。
当時の事変からの、現代の繁栄と願う平和。
あの時と同じ場所の今・・・
ミモザとビル背景のお写真からも、私なりに感慨深く感じる物がありましたよ。
FUKUJIROさんの大切なお気持ちを綴られた、素敵なご旅行記を有難うございました^^
usako
- FUKUJIROさん からの返信 2023/04/08 11:11:14
- Re: コメント欄では”初めまして”ですね^^
- usakoさん、こんにちは。
いつもお読みいただきましてありがとうございます。
私もusakoさんのアクティブな活動を楽しく拝見しています。
お父様が実際に体験されたとのこと、さぞかし大変だったことと思います。日本人は自分たちの被害をあまり口にしませんが、本当に辛い思いをした国民は多かったと思います。
私の父も東京生まれでしたが、昭和19年に茨城県に疎開しました。疎開中に祖父が亡くなり、そのまま茨城県に住み着くことになりました。
その後、母と巡り合って、私が生まれましたので、悲惨な戦争でありましたが、それを全否定すると私の存在が否定されてしまうので、何ともやるせなさを感じます。
もっとも、最近の量子力学的な見方をすると、戦争を否定しても私の存在は否定されないのかも知れません。
支離滅裂な文章で失礼いたしました。
usakoさんのさらなるご活躍を願っております。
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