2023/02/18 - 2023/02/18
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FUKUJIROさん
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7世紀半ばから8世紀(大化から大宝年間)になると武蔵国府中(府中市)に国府がおかれ、741年には聖武天皇の命により武蔵国分寺(国分寺市)が開かれました。
鎌倉幕府が成立すると「いざ鎌倉」への道として各地の道路が整備され、東村山地域を貫く道は鎌倉街道の中でも「上ツ道」として、重視されました。
東村山の一帯は建武の新政樹立の立役者となった新田義貞が、鎌倉攻めの際に陣を構え、勢いを得た土地です。
明治22年に近隣の村々をまとめて東村山村が成立しました。明治27年(1894年)に川越鉄道が開業、埼玉県西部地域と東京を結ぶ交通の要衝として発展しています。現在の人口は15万人を越えています。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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東村山駅の東口に故志村けんさんのアイーン像が建っています。武漢ウイルスの犠牲にならなければ、活躍が続いていたことでしょう。ご冥福をお祈りしました。
この辺りはいつも車で動いているので、駅で降りたのは初めてです。 -
昭和38年に発売された元祖「東村山音頭」のレコードはA面が三橋美智也さんと下谷二三子さん、B面は「多摩湖小唄」で、春日八郎さんと大津美子さんが歌っていました。
どちらの歌もyoutubeで聴きましたが、正直なところ元歌の方が好きです。 -
東村山市のマンホール蓋。
多摩湖(村山下貯水池)の第1取水塔をデザインしています。 -
東口から階段を降りて、駅の地下通路を歩き、また階段を上って、東村山駅の西口に出ました。不便です。
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西口にあった観光案内図。
多摩湖は遠いです。所沢市との境界には八国山緑地があります。 -
駅から徒歩7、8分で弁天池公園に来ました。
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弁天池は自然の湧水を利用しています。
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朱塗りの鳥居、2連の太鼓橋、その奥にお社が建っています。
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弁天池に架かる2連の太鼓橋を渡ります。
大きな起伏があり、転ばないよう注意しましょう。 -
出世弁財天女宮です。
お社は新しいので、公園を整備した際に建て替えられたものと思われます。 -
2連の太鼓橋を横から見ると、見事に眼鏡橋になっています。
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大善院に来ました。弁天池からは徒歩3分。
建物に挟まれたせまい参道ですが、門が連なり、風格を感じました。 -
門が連なり、たくさんの釣燈籠が寄進されています。
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境内入り口に立つ家庭円満のコブシ。昭和のはじめ、太さ5cmほどのコブシを10本位植えたところ、根がくっついて大木になったことから、家族の絆を大切にと言う教えです。
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恵日山 大善院。
天台宗、通称は、東村山野口不動尊。地元では「野口の不動さん」と呼ばれています。 -
大善院の入り口は、楼門のように富士山の溶岩を積み上げた岩山があり、岩山では不動明王の二大童子が見守っています。
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二大童子
矜迦羅童子
制叱迦童子の碑。 -
向かって右に矜羯羅童子(こんがらどうじ)。制多迦童子と共に不動明王の脇侍を務めています。真言は「オン ダラマ コンガラ チシュタ サラ」。
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左に制多迦童子(せいたかどうじ)。真言は「オン・キャラマ・セイタカ・ウンパッタ・ナン」。
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本堂は明治32年の築造です。
大善院の創始は八王子・恵日山 圓通寺の塔頭でした。天正元年に旧修験を廃し正寺格に改め、正徳2年海要権大僧都により再建しました。 -
明治8年暴風に遭い破倒しましたが、資金難から再建できませんでした。
東村山出身の在家信者が出家得度をし、天台宗大善院の住職の拝命を受けて明治32年に本堂を建立し、初代に慈善和尚を迎えて開山しました。
ご本尊は身長1尺8寸程の阿弥陀如来坐像です。 -
向拝の彫刻。
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境内には霊峰富士の溶岩を用いて昭和5年(1930年)に造った高さ7mの築山があります。
築山には唐金製不動明王三十六童子を安置しています。不動明王は、大日如来の化身であり、不動明王の従者である三十六童子は各々1千万の従者を持つとされています。現世利益、調伏、難病を治すとされています。 -
三十六童子(さんじゅうろくどうじ)は、不動明王を手助けする眷属で、その名を唱えれば悪霊は退散し、崇拝する者を守護し、長寿をもたらすとされています。
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霊的波動があると言われる霊峰富士の溶岩石で造られた築山の上に鎮座する不動明王三十六童子。
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不動明王は酉年を守る守護本尊でもあります。私は酉年生まれですので、丁寧にお願いしました。
真言は「ノウマク サンマンダバザラダン
センダ マカロシャダ ソワタヤ
ウンタラタ カンマン」。 -
三十六童子。
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昭和5年に築山を造った際の開眼供養塔です。
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こちらは傳教大師尊像。
天台宗の開祖傳教大師、最澄様です。 -
傳教大師の言葉が刻まれた石碑です。
「一隅を照らす此れ即ち國宝なり」
国宝を持つ正福寺を意識しているのかな。 -
築山の裏側を巡って七福神にお参りしましょう。
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霊峰富士の溶岩で築かれたお山ですから登るだけでも有り難いのですが、七福神にお参りもできるということで有り難さ2乗です。
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お山に上ると七福神が見えてきました。
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恵比寿様。
伊邪那岐命と伊邪那美命の間に生まれた子供・蛭子(ひるこ)と云われ、七福神の中で唯一日本の神様とされます。しかし、事代主神(ことしろぬしのかみ)や少名毘古那神(すくなびこなのかみ)に比定する説もあって、祀る神様も一様ではありません。
元は漁業の神でしたが、福の神として商売繁盛や五穀豊穣を願います。こちらの像は鯛をお持ちですが、釣り竿は持っておられません。
七柱ともにお賽銭を入れる箱などがなく、好感が持てました。 -
大黒天様。
ヒンドゥー教の破壊神・シヴァ神の化身マハーカーラ神(腕が4本で3つ目、身を飾る8つの頭蓋骨という恐ろしい様相)を、日本の真言密教では護法善神とされています。また、その音から日本古来の大国主神と混同されました。
打ち出の小槌と福袋を持たれたお姿です。財運福徳や五穀豊穣を願います。
それにしても、インドから渡来されて別神格になっています。 -
毘沙門天様。
ヒンドゥー教のクベーラ神(福徳増進の神)でした。仏教に取り入れられてから、四方を守護する四天王の「多聞天」となり、武運の神様として戦国武将から篤く信仰されました。兜をつけた勇ましい姿です。
福の神、戦いの神、厄除けの神として信仰されます。 -
弁財天様。
ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー神(水と芸術・学問・知恵の神)が仏教に取り入れられ、日本では琵琶を持たれた美しい天女のお姿になりました。
才能と財産を兼備されていることから「弁才天」とも言われますが、弁才天は日本神話に登場する宗像三女神の一柱・市杵嶋姫命(いちきしまひめ)と同一視されることもあり、元々水や海と関係の深い神様です。
音楽・芸能、学問成就、財運を願います。 -
福禄寿様。
道教の道士天南星、あるいは、南極星(カノープス=Canopus/りゅうこつ座α星)の化身とされています。幸福(福)・身分(禄)・寿命(寿)のすべてを兼ね備えていることから、福禄寿と呼ばれます。背に鶴を乗せているお姿が一般的です。長寿と福禄、子孫繁栄を願います。ときに寿老人と同一神との混同もあります。 -
寿老人様。
西遊記にも登場していている道教の神でこちらも南極星の化身です。長い頭と白い髭、また、手に桃を持ち、長命を意味する鹿を従えています。長寿延命、諸病平癒を願います。 -
布袋様。
唐の末期の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在した(とされる)伝説的な禅僧・契此(かいし)が神格化されました。
常に頭陀袋を背負っていたことから布袋という俗称が生まれましたが、担いでいる大きな袋は、堪忍袋とも云われます。
太ったおおらかな風貌が好まれ、手にした袋から財を出し与えてくれる存在と信じられています。また、弥勒菩薩の化身とも云われます。笑門来福や夫婦円満を願います。
七福神信仰発祥の地といわれる京都では、黄檗山萬福寺が布袋尊をお祀りしており、その布袋尊は弥勒菩薩像です。 -
築山の裏側を回るだけで「七福神巡り」ができました。
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築山の裾野に鎮座するお地蔵様。
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カボチャを担いだ河童像、しかも小便小僧ならぬ小便河童です。
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大善院の地蔵堂。写経などにも対応するみたいです。
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大善院から歩いて6、7分で国宝のある正福寺に着きましたが、大きな鳥居がありました。
八坂神社の社号標があり、石の鳥居が建っています。
ただ、ここは仮宮です。
八坂神社の創建は不詳で、正福寺の鎮守として、その境内に勧請されたと推測されています。 -
八坂神社仮宮(神輿庫)。
八坂神社は、ここより南方の東村山市栄町に鎮座し、毎年7月の八坂神社の例大祭では、仮宮との間を神輿が往復します。 -
八坂神社仮宮(神輿庫)。
明治維新の神仏分離までは、正福寺が八坂神社の別当寺でした。
その後、明治に建てられた建物です。
正福寺で毎年11月3日に開催されている地蔵祭では、八坂神社仮宮の境内において東村山市指定無形民俗文化財となっている「雅楽・浦安の舞」が奉納されます。 -
自然木を使った扁額には「牛頭天王」とあります。神仏習合時代には牛頭天王を祀る天王社でしたが、廃仏毀釈により、古くより牛頭天王と習合していた素戔嗚尊を祀る八坂神社へと改称しました。
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八坂神社仮宮の西隣に正福寺山門が建っています。元禄14年(1701年)建立、市有形文化財です。
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「國寶 金剛山正福寺 千體地蔵堂」の標柱です。
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新しい「金剛山正福寺」の石碑。
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正福寺山門は、四脚門で切妻、昭和48年の修理の際に、茅葺から茅葺形銅板葺に改修されました。建築様式は禅宗様式で、その規模は、桁行十尺(3.03m)、梁行十尺で、高さも柱底部から桁下端まで十尺となっています。
また、彩色の痕跡が見られることから、建立当時は朱塗りの門でした。 -
金剛山の扁額。
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山門から正面に国宝の正福寺地蔵堂が見えます。
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参道の左に大きな石碑が4基ありました。
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その先には、貞和の板碑があります。
都内最大級の板碑で、市指定有形民俗文化財です。
保存のため、覆屋内にあります。 -
貞和の板碑には、「貞和五年丑己卯月八日、帰源逆修」とあり、1349年に作られました。高さ285cm(地上部分247cm)、幅は中央部分で55cm。
板碑がとても大きく、覆屋のガラスに光が反射して写りが悪いのですが、碑面には釈迦種子に月輪、碑文が刻まれています。
正福寺から南方へ500mほど離れたところを前川が流れており、この板碑はかつて前川に架かる橋の橋桁として使われていました。水面に碑文が反射することから、経文橋または念仏橋と呼ばれていました。
私は駅へ戻るときに都道128号(東村山東大和線)を歩いたのですが、知らぬ間に前川に架かる橋を渡っていました。その東(下流)に架かる橋がかつての経文橋で、橋の袂には供養碑があります。 -
正福寺の地蔵堂(国宝)です。
5間四方柿葺き、二層(二階建)に見えますが、一階の屋根に見えるのは裳階(もこし)という庇で、実際は単層(平屋)の建物です。
内部は土間で、間仕切りのない空間となっています。
地蔵堂の御本尊は、木像の延命地蔵菩薩立像で堂内内陣の須弥壇に安置されています。像高127cm、台座部分の高さ88cm、光背の高さ175cm、右手に持つ錫杖の長さは137cm、左手には宝珠を持っています。
昭和48年の修理の際に発見された墨書によって、文化8年(1811年)に江戸神田須田町万屋市兵衛の弟子善兵衛の作であることがわかりました。 -
正福寺の地蔵堂(国宝)です。
東京都で最古の木造建築物であり、中世禅宗様式建築の代表的な遺構です。
正福寺地蔵堂の千体地蔵は、病気回復などを祈願する人が小地蔵を一体借りて持ち帰り、願いが成就すれば別に一体添えて奉納するという繰り返しにより、小地蔵が増えていきました。小地蔵は約10cm~30cmの木彫りの立像です。 -
正福寺の地蔵堂(国宝)です。
地蔵堂は、年に3回内部が公開されています。正福寺の公式HPには、6月第二日曜日(午前11時~午後3時)、8月8日(午前11時~午後3時)、地蔵祭が開かれる11月3日(午前10時~午後4時)とあります。
驚くことに、11月3日は午後3時~午後4時の1時間だけですが写真撮影可能、フラッシュ撮影も可能となっています。 -
扁額も「國寶 千體地蔵堂」。
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石像菩薩が並ぶ道を歩き、本堂に参拝します。
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金剛山 正福寺(しょうふくじ)は、東京都東村山市にある臨済宗建長寺派の禅宗寺院です。御本尊は千手千眼観音です。
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鐘楼。本堂に向って左の方にあります。
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梵鐘。享保12年の作。
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北条時宗が開基、弘安元年(1278年)に石渓心月が開山しました。如意宝珠の加護により、正しい福を授けられたことを意味して名づけられた正福寺。本堂は昭和62年築。
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本堂の扁額。
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正福寺本堂。
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次の仕事があるので、東村山駅に戻ります。
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東村山駅の西口ロータリーに二つの記念碑があります。
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東村山停車場の碑。明治30年(1897年)4月建立、市有形民俗文化財。
明治27年(1894年)に川越と甲武鉄道(JR中央線)の国分寺を結ぶ川越鉄道が一部開通した際、久米川仮停車場が作られました。翌年、川越鉄道が全線開通し仮停車場は撤去されることとなりましたが、住民の存続運動により、東村山停車場が作られました。東村山の発展のもととなった記念碑です。 -
鉄道開通100周年記念碑。
明治27年(1894年)12月21日に久米川仮停車場が開業して100年を迎えるに当たり建てらた記念碑です。
当初は、東口交番の横にありましたが、現在は東村山停車場の碑と並んで建っています。
平成6年(1994年)9月。鉄道開通100周年記念事業実行委員が建立。 -
馬頭観世音菩薩。ロータリーにちょこんと建てられていました。鉄道が広まる前は、馬が物流を担っていましたね。
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