2024/02/16 - 2024/02/17
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田端を街歩きしたときの続きです。
明治末期から昭和初期まで、東京府北豊島郡滝野川町字田端は田端文士村とも呼ばれていました。
明治20年(1887年)、上野に東京美術学校(現・東京藝術大学)が開校し、明治29年4月に日本鉄道会社の田端駅が開業すると、美術学校へ通う学生たちが田端に暮らし始め、だんだんと芸術家や文士たちが集まってきました。
画家・小杉未醒(方庵)が明治34年に、陶芸家の板谷波山が明治36年に転入しました。大正になると、芥川龍之介や室生犀星も田端に暮らしました。
大正デモクラシーの時代で、自由主義的な風潮や思想が広まった頃です。
この日だけでは街歩きが終わりませんでしたが、夕方から仕事のために埼玉県川口市に移動しました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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大久寺を辞して東へ歩きます。
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大久寺の墓地と隣り合わせのお宅の門ですが、とても立派です。
お寺の関係でしょうか。 -
赤紙仁王通り。
この後、もう一本南側にある谷田川通りに進みました。 -
田端不動尊です。元々は、田端駅南口の近くにある不動坂に祀られていたそうですが、鉄道線路敷設・田端駅開業に伴って谷田川の畔へ移り、さらに谷田川の改修工事のため現在地に移ったということです。
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境内左側の石碑。碑文には「第二次世界大戦に戦火を受け境内の破壊著しいまゝ廿余年間放置されておりましたが、今回参詣者皆さまの御賛同と御協力により、玉垣裏山景他の改修工事を施行しその完成を記念するものです」昭和44年5月28日とあります。
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さらに境内の右側には板石型の地蔵碑があります。
こちらにも不動像の謂れが記されています。
田端にはかつて滝があり、滝の上に仙元社、滝の近くには稲荷社、この滝に祀られていたのが田端不動尊だったという伝承もあります。 -
田端不動尊の創祀は不詳ながら、「再板増補江戸總鹿子名所大館」には、不動坂下に瀧不動と記されています。
現在は、谷田川通り沿いにあり、溶岩石で造られた築山に、石造不動三尊像が祀られています。中央に不動明王像、その足下右に制多迦童子倚像、左に矜羯羅童子坐像です。 -
不動明王石像。瀧不動のイメージに合っています。
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田端区民センター。4階の図書館には「田端文士村コーナー」があるそうです。
明治33年、田端に移り住んだ最初の芸術家である小杉放庵(洋画家・日本画家・歌人・随筆家)は、明治40年(1907年)、谷田川沿いのこの場所に2階建ての自宅を建て、昭和20年に米軍の空襲で焼かれるまで住んでいました。 -
歩いている谷田川通りは、かつて流れていた谷田川を昭和初期に暗渠とし、その上を道路にした経緯などが説明されています。
周辺では、漫画家の田川水疱(のらくろ作者)や評論家の小林秀雄、小説家の直木三十五、画家の竹久夢二、思想家の岡倉天心、詩人の萩原朔太郎ら、多士済々な人たちが転入・転出を繰り返していました。
よろしければ、昨秋に田河水泡・のらくろ館を見学したときの旅行記もご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/11862231 -
少し東に水神(みずがみ)稲荷神社があります。
古くは谷田川沿いの畔であったこの地に水神様をお祀りしたのでしょう。 -
鳥居の扁額、水神稲荷神社。
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水神稲荷神社は石造りの祠です。その前には一対のお狐様がいます。
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さらに東へと歩いて、谷田橋交差点に来ました。
北区西ヶ原の長池から流れ出た谷田川は、本郷台地を削りながら上野・不忍池に流入していました。正面方向が谷田川の下流で、下流域では藍染川と呼ばれていました。 -
谷田橋交差点。
前後方向は田端駅前通り(東京都道458号白山小台線)で、かつての旧道には、右から左へと流れる谷田川に谷田橋が架けられていました。 -
谷田橋交差点から200mほど北へ歩くと、田端2丁目にある東覚寺に着きました。
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東覚寺の山門横には護摩堂が建っています。
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その前には一対の仁王像があり、全身に赤い紙が貼られていることから、赤紙仁王と呼ばれています。
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護摩堂の扁額は、明尊殿。
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明尊殿の不動明王像。
東覚寺の御本尊も不動明王です。 -
患部と同じ箇所に赤紙を貼って、病気の身代わりを祈願します。阿像から吽像の順にお参りし、祈願成就のあかつきには草鞋を奉納します。
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仁王像(かどうかは見てもわかりませんが)に赤紙を貼る風習は、明治になってからのようです。
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案内板の写真を複写。
仁王像は寛永18年(1641年)8月21日に道如宗海上人が、隣接している田端八幡神社に奉納しました。明治維新の神仏分離令により、東覚寺の護摩堂前に移されました。 -
寛永の頃、江戸市中には疫病が流行っており、それを鎮めようとして奉納されました。以来380年以上、田端村の人々を守っています。
阿吽の仁王像は、宇宙一切の始まりと終わりを表現していると言われます。 -
病の癒えた人は草鞋を奉納します。
霊感あらたかな様子が伺えます。 -
護摩堂の脇に、不動明王石像。
向かって右側に矜羯羅童子(こんがらどうじ)像、左側の制多迦童子(せいたかどうじ)像。 -
壁際に寺標柱。
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壁際に六地蔵尊。
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もう一つ寺標柱。
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白龍山 寿命院 東覚寺の山門です。
田端1丁目にある與楽寺の末で寺領七石の御朱印を附せられていました。
赤紙仁王通りの拡幅工事のため、新しく山門が建立されました。 -
有難い言葉。
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山門の寺紋。江戸時代には徳川歴代将軍の祈願所として栄え、寺紋に葵の紋を賜りました。
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白梅と本堂。
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白梅。
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東覚寺は真言宗豊山派のお寺で、奈良県の豊山長谷寺を本山としています。
室町時代中期の延徳3年(1491年)に源雅和尚が不動明王を勧請して本尊とし、神田寺町筋違の地(現在の万世橋付近)に開山しました。
後に上野・根岸の御隠殿(寛永寺第7世門主公遵法親王の隠居所があったところ)に移り、慶長年間(1596~1615年)の初期に武州豊嶋郡田畑村(田端)に移りました。
右手前の柱は、宗祖弘法大師一千百五十年遠忌供養塔です。 -
本堂。
昭和20年4月13日の東京空襲により御本尊の不動明王を除いて、諸堂などほぼ全てを焼失しました。本堂は昭和42年に再建されました。
御本尊の不動明王像は、弘法大師の作と伝わります。また谷中七福神の福禄寿を祀っています。 -
扁額は白龍山。
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本堂前の賽銭箱にも眼光鋭い龍の彫刻がありました。
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本堂前には金色の大日如来像。
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文殊菩薩像。
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弘法大師像。
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お大師様の足元に二宮尊徳像がありました。
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こちらは稚児大師像です。
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本堂の右側です。これは池でしょうか、観音菩薩像があり、2羽の鶴の石像があります。
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浄心。
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雀供養之塚。
本堂前に竹の形をした石碑があります。これは、文化14年(1817年)8月に長坂という人が、小鳥の水飲み場として建立したと伝わっています。 -
側面には蜀山人の狂歌が刻まれています。
むらすずめ さわくち声も もゝこえも
つる乃はやしの 鶴乃ひとこえ
「つる乃はやし」とは寺院を指すことから、雀の供養塔と言われています。
異説では、「鶴乃ひとこえ」とは徳川将軍の命令を意味し、幕府の言語統制を嫌った蜀山人が、雀にこと寄せて幕命を皮肉ったものとも言われています。 -
千手観音像。
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錫杖を持つ水子地蔵尊。
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水子地蔵尊の足下の従者。
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柄杓があるので手水鉢のようですが、ずいぶんと奥まった所にあります。
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本来は龍の口からお水が出るようです。
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犬猫の墓がありました。
東覚寺には極彩色の畜霊観音(非公開)が祀られています。東京空襲の際、たまたま修復のために外部に預けられていたことで戦禍を免れました。 -
弘法大師一千五十年遠忌供養塔。
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客殿。
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客殿前には金色の阿弥陀如来像。
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(左)享保3年(1718年)造立の庚申塔、(右)は不詳。
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宝篋印塔。
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鼓翼観世音菩薩(はばたきかんぜおんぼさつ)像。
「興教大師八百五十年御遠忌を記念して篤信者より建立された薬師寺型の観音像。名称は住職の恩師である瀧野川第一小学校田邊廣世先生が、戦時四萬温泉に集団疎開した酉歳生まれの児童達に将来を託して名づけられた“はばたき”会に由る。同窓には名優児玉清君がいる。』とのこと。 -
阿修羅像。
さて、まだ明るいうちに、隣の田端八幡神社にお参りしましょう。 -
東覚寺に隣接して、田端八幡神社の参道があります。
文治5年(1189年)に源頼朝が、この地の豪族豊島氏と共に奥州の藤原一族を平定し、その帰路に駐留した証として、鎌倉鶴岡八幡宮を勧請し、郷土の鎮守としたとあります。うーん、上田端八幡神社の御由緒と同じです。 -
大きな社号碑があります。
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田端八幡神社一の鳥居。
江戸時代には鳥居はなく、ここには門があり常に閉ざされていました。
そして門の前には、現在東覚寺の護摩堂の前に建っている一対の仁王像(赤紙仁王)が睨みを利かせていました。参詣者は仁王像の前から参拝する慣わしでした。 -
鳥居の前には縁石のようなものがあります。
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先ほど通ってきた谷田橋交差点のところに架かっていた谷田橋の遺構です。
谷田川を暗渠化する工事に際して、橋の一部を移設したものですが、ここには説明板もないので、田端区民センター前の説明板を見ていないとわかりませんでしたね。 -
田端八幡神社は下田端の鎮守なので、たくさんの神輿庫が並んでいます。
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二の鳥居も江戸時代にはありませんでした。その先の石段は昔からありましたが、戦後に整備されました。
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急な石段ですが、きれいに整備されているので、安全です。
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石段の上に手水舎。
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多聞天像。神仏習合の名残りでしょう。手水舎の横にあります。
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狛犬(阿形)。
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狛犬(吽形)。
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拝殿。東京空襲で焼失後に再建されましたが、平成2年(1990年)、「反皇室」を掲げる極左暴力集団の放火テロにより再度焼失しました。
平成5年(1993年)に氏子たちの協力を得て再建しました。 -
御祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)です。
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拝殿の脇に田端八幡神社のスタンプがありました。
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氏子参集殿。
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御本殿は大社造り。
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御本殿の真後ろ。東覚寺坂のほぼ頂上にあり、住宅街に面しています。
この近くには林芙美子が3ヶ月間住んでいました。大正13年、再上京した芙美子は知り合ったばかりの新劇俳優・田辺若男に惚れ込み、田辺の家に押掛け同棲したのです。短い生活でしたが、かねてから憧れていた田端に住み、田辺の紹介で人脈が広がりました。現実は、カフェの女給でしたが、志は作家でした。
3年後、やがて伴侶となる画学生の手塚緑敏と内縁生活を始め、翌昭和3年に放浪記を発表しました。 -
石段の上から見るとかなり怖い急坂です。
左手に赤い鳥居が見えています。 -
石段を途中まで戻ると、富士塚への石段がありました。
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富士塚石碑。
地元の富士講「田端冨士三峰講」が祀る富士塚があります。 -
田端富士の鳥居。
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田端富士山頂の富士浅間社。
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火防盗賊除。
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三峰社。
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稲荷社。
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稲荷社の祠。
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参道を下り、田端駅前通り(都道458号)を田端駅に向かって歩きます。
都道458号は、昭和8年に道灌山に連なっている田端高台を切り通して造った道で、それまでは急勾配の坂道を上り下りしていました。
左側に東覚寺坂の車道があります。坂の上には、思想家の平塚らいてう、小説家・詩人で政治家の中野重治が住んでいました。 -
田端駅が見えてきました。この後、仕事のため埼玉県川口市に移動します。
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川口市内で仕事を終えて、スマイルホテル川口に泊まります。
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ちゃんとした机がありました。
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ベッドも寝心地良かったです。
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バスルーム。大浴場を利用したので、トイレだけ使いました。
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川口市の夜景です。
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朝食ブッフェ。サラダ、煮物、鮭、鯖、ハムカツとカレーライスを美味しくいただきました。
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朝、スマイルホテル川口の外観です。
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川口市のマンホール蓋。市の花「鉄砲ユリ」を中心に、周囲には明治初期の特産品であった「竹ざる」をデザインしています。
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こちらは、博多っ子(飲食店)のショーウィンドウに飾られていた博多祇園山笠。
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舁き山笠。
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表情が素晴らしい!
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川口駅からJR京浜東北線で田端に戻り、街歩きを続けましょう。
ここまでお読みいただきましてありがとうございました。
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