2023/11/08 - 2023/11/09
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FUKUJIROさん
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この旅行記スケジュールを元に
異業種交流会が主催する視察研修会を終えて、次の仕事のため春日部駅から浅草へ移動しました。同じ東武鉄道の駅だから移動は簡単かと思っていたのですが、直通運転はもちろんなく、乗り継ぎもあまりよろしくありません。最後はタクシーで移動して、ぎりぎり1分前に会場に滑り込み、何食わぬ顔をしておりましたが冷や汗ものでした。
翌朝、浅草寺の子院である待乳山聖天をお参りしました。待乳山聖天は、その名のとおり待乳山(まつちやま)の頂上に鎮座しています。
この待乳山は、昔々推古天皇3年(595年)のこと、地中から忽然と湧き出た霊山で、その時、金龍が天より降って山を廻り守護したと伝えられています。
6年後の夏、この地方が大旱魃に見舞われたとき、十一面観世音菩薩が悲愍の眼を開き、大聖歓喜天の姿となってこの山に降臨されて、 苦しむ民を救ったそうです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 徒歩
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浅草ビューホテル。
かつてこの向かい側には浅草十二階(凌雲閣)が建っていました。
こちらでの仕事を終えて、今宵の宿であるスーパーホテル浅草まで徒歩移動します。 -
花やしき通りを歩きます。
大人気の浅草とは思えないほど、人がいません。まだ20時ですよ。 -
花やしきの「ぴょんぴょん」が見えてます。
2歳から乗れるけど、孫に誘われても絶対に無理です!
5歳頃、仲見世商店街の裏通りに半年ほど住んでいて、恐ろしいアトラクションに無理矢理乗せられた記憶が未だに消えません。 -
東京スカイツリーが見えました。
展望台に登ったことはないです。 -
通ってきた花やしき通り。
20時を過ぎたばかりだというのに、お店は閉まっているし、なぜか人がいませんね。
観光客はどこにいるのでしょう。 -
浅草寺の本堂がライトアップされていました。
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五重塔もライトアップ。
夜の浅草寺もいいですね。 -
浅草寺本堂。
この時間でもお参りする人がチラホラといました。
2020年、コロナ禍で都県境が越境禁止される直前に参拝した旅行記です↓。よろしければご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/11602168 -
浅草寺の境内を通り抜けて、東門から出たらすぐ側にスーパーホテル浅草がありました。浅草神社のすぐ隣です。
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室内は十分な広さ。ソファーもありました。
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朝食。副菜の種類が少なかったので、珍しくパン食です。パンに納豆を付けて食べていたら、隣席の外国人にガン見されてしまいました。納豆パンは普通ですよね。
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東京スカイツリー。
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東京大空襲慰霊の碑。
その日から78年、今年の3月に周辺を歩いたときの旅行記もご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/11814232 -
言問橋の縁石。
アメリカ軍による民間人に対する無差別空襲で逃げ惑った大勢の日本人が猛火の言問橋で焼死しました。 -
隅田川越しに見る東京スカイツリー。
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三春滝桜子孫木(千年桜)。
大切に保護されています。
春になったら見に来たいものです。 -
目的地の待乳山が見えました。
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ぜんぜん山じゃないけど、待乳山聖天とあります。
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江戸時代からの築地塀。
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築地塀に沿って庚申塔があります。
左から、寛文9年(1669年)、天和2年(1682年)、不詳、寛文12年(1672年)、元禄13年(1700年)、宝永元年(1704年)、延宝7年(1679年)とのことです。 -
待乳山への登山口です。
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待乳山の登山口の横には、「池波正太郎生誕の地」の碑があります。
大正12年(1923年)1月25日、池波正太郎先生は待乳山聖天の真下にあった長屋で誕生しました。 -
この年、関東大震災で被災した池波家は埼玉県浦和へ引越し、6歳まで浦和で過ごしました。
昭和4年に下谷に戻り、両親の離婚後は母とともに浅草永住町の祖父の家に住んでいました。 -
待乳山聖天こと待乳山 本龍院の山門。
新しいなあと見ていたら、今年(2023年)7月に建立されたばかりでした。釘を一本も使っていません。 -
龍の彫刻が素晴らしい。
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待乳山の扁額。
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左側の龍も迫力があります。
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階段の壁にも交差する大根の彫刻。
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提灯。
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境内各所にある絡み合う大根の意匠。
身体健康と良縁成就、夫婦仲良く末永く一家の和合を表しています。 -
歓喜地蔵尊。子育てのお地蔵様として信仰されています。
そしてその周りには、明治から昭和にかけて奉納された27躰地蔵尊が祀られています。 -
数度の火災に遭っていますが、古来より子育地蔵として伝承され、霊顕あらたかな地蔵尊として信仰されています。
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五地蔵尊。
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出世観音像。
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出世観音像。足利時代末期の作です。
学問、芸能、立身出世、商売繁盛の観音様です。 -
金龍山大聖歓喜廟碑。
文化元年(1804年)に建てられた石碑で、漢文で綴られいます。
当時は浅草寺と一体と考えられていたようです。
聖天宮創設の経緯や天安元年(857年)に慈覚大師円仁が21日の間浴油修行をなされて国家安泰、庶民の生活安定を祈願し、自ら十一面観世音菩薩像を彫って安置したことなどが記されています。 -
築地塀。江戸時代の名残をとどめる貴重な塀で、全長二十五間(45.5m)も続いています。
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手水舎。お参りの時は、必ずお浄めしましょう。
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額堂の隅ではお供え用の大根を販売していました。
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心願成就の碑。
浴油祈祷により心願成就した方が寄進した碑で、かなり大きいものです。 -
参道の先に本堂。
左に神楽殿、右に寺務所。 -
参道右手の寺務所。
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香炉は巾着をかたどっています。
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階段下には狛犬が鎮座しています。
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狛犬。
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う~ん、凄い石段です。
やはり爺の単独登頂は無理なのか。
シェルパに背負ってもらうか、ヘリで一気に飛ぶか、近代登山を改めて考える好機になりました。 -
ということで、寺務所の奥にある秘密の登山電車に乗りましょう。
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スロープカー。東京で一番短い登山電車があります。名称は「さくらレール」。
朝7時から夕方4時30分まで誰でも無料で利用できます。 -
定員は4名のかわいい登山電車です。
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下の駐車場と上の本堂脇とを結んでいます。
ここは中間点の乗り場です。 -
運転は、利用者のセルフサービスです。
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さくらレール。
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まもなく山頂に到着します。
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山頂乗り場。
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「神前 浄水」と刻まれています。
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本堂です。
こちらも東京大空襲で焼失、昭和36年に再建されました。 -
本堂。御本尊は、十一面観世音菩薩の化身である大聖歓喜天です。
また、インドのガネーシャ神が仏教に帰依したお姿が歓喜天とされています。 -
向拝には、2本の大根が絡み合っている彫刻があります。その意味は、子孫繁栄です。
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待乳山聖天は「聖観音宗(しょうかんのんしゅう)」です。浅草寺の子院です。
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鬼瓦には巾着の意匠。
巾着は財宝をあらわしていて、商売繁盛のご利益あります。 -
本堂の天井絵。
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本堂の周りを時計回りに一周しましょう。
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天明元年(1781年)建立の銅造宝篋印塔。
台東区指定文化財です。 -
鋳物師・西村和泉守の第5代・西村政平の作と推定されています。
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天水受けにも絡み合う大根が描かれています。
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稲荷尊。
本堂守護および商売繁盛のお稲荷様です。 -
稲荷尊の脇には道灌稲荷跡の碑が建っています。
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稲荷尊。
こちらが代わりに建立された道灌稲荷尊でしょうか。 -
百度石。
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糸塚。
長唄の宗家で、六左衛門の名跡を継いだ十世杵屋六左衛門の供養碑です。
十世杵屋六左衛門は、天保元年(1830年)に中村座において襲名披露しています。三味線の名人と謳われていましたが、安政4年(1858年)に流行病(コレラ)でにより死亡。
この供養碑は、元治元年(1864年)に養子の十一世杵屋六左衛門が建立しました。
三味線の糸の「糸塚」です。 -
戸田茂睡歌碑。
浅草に住み元禄期に活躍した歌人で、歌道の革新を唱えました。 -
戸田茂睡歌碑。
暗くてよく見えませんが、
「あはれとは 夕越えて 行く人も見よ
まつちの山に 残すことの葉」とあります。
昭和20年(1945年)3月の東京大空襲で損壊、昭和30年に拓本をもとに再建されました。 -
再建の経緯を記してあり、戸田茂睡翁の250年忌に再建したとあります。
日本藝術院会員・佐佐木信綱の撰、同・芳翠英の書。 -
本堂東側には、東京都の最低山である待乳山(まつちやま)の三等三角点があります。
普通に見回しても見つかりませんね。 -
この真四角な蓋石の下に三角点 があるんだそう。標高は9.8mです。
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かなりわかり難いですが、蓋石の汚れを拭き取ったところ、かろうじて三等三角点の文字が確認できます。
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駐車場から続く急な石段です。
さくらレールと並行しています。 -
かつて天狗坂と呼ばれていたそうです。
なるほど登山電車が必要なわけですね。 -
低山ながら待乳山は風光明媚な場所として知られており、江戸名所図会に紹介されていました。
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境内からは東京スカイツリーも見えました。
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本堂の近くに小屋があります。
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小屋の前にはお下がりの大根が置かれていて、参拝者は誰でも持ち帰ることができます。
私がいる間にも、二人の方が大根をいただいて帰りました。 -
下山して、隣接する待乳山聖天公園から見た本堂です。
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北側の駐車場から見た本堂は、待乳山の山頂にありました。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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