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2022年4月22日(金)夕方4時半前、長崎鼻の無料駐車場に車を止める(下の写真1)。薩摩半島の最南端にある岬。浦島太郎が竜宮へ旅立った岬と云い伝えられ、竜宮鼻の別名も持つ。夏はウミガメの産卵地にもなる。1978年3月にはここにも立ち寄っているので、来るのは2回目(下の写真2)。<br /><br />指宿カルデラの外輪山の一角を成しており、一帯は火山岩にて形成されている。岬及び周辺の海岸線一帯は霧島錦江湾国立公園に指定されている。「鼻」と付く地名は名の如く、岬の基部が末広がりになる三角形状の地形であることが多い。鼻と名の付く岬は全国の至る地方で見られ、特に九州に多いが、その中で最も有名な岬と云われる。<br /><br />鼻のように細長く岬が飛び出していることから長く先が伸びた鼻と云うことから長先鼻になり、長崎鼻に転じたようだ。長崎県の名前の由来も同じようだが、それをもじったと云うことはない。<br /><br />動物園兼植物園の長崎鼻パーキングガーデン近くの駐車場から先に進むと200mほど土産物屋が並ぶ。テレビ朝日系で日曜日の夜7時に放送中の「ナニコレ珍百景」で取り上げられたと云う看板もあった(下の写真3)。また、鹿児島弁や鹿児島県に関連する有名人を紹介する看板もあった(下の写真4)。<br /><br />5分足らずで龍宮神社に到着。海の守り神と浦島太郎と乙姫様が出会った縁結びの神様として豊玉姫(乙姫様)を祀った神社。この長崎鼻一帯にも浦島太郎伝説が伝わっている。海幸彦と山幸彦の物語として語り継がれており、海幸彦の釣り針を失くした山幸彦が釣り針を探し求めて出かけた先が竜宮とされている。山幸彦はのちに豊玉姫と結ばれ、その子孫が天皇家へと受け継がれてゆく。<br /><br />古来より長崎鼻の断崖絶壁の上に豊玉姫を御祭神として鎮座した石の祠があり、いつしか村人によって木造の屋根が被せられるようになった。しかし、場所柄台風の被害にたびたび遭い、1956年に台風により倒壊した木造の神社に代わり コンクリート製の社が当時薩摩半島の東を走っていた南薩鉄道により造られた。現在の社殿は2011年から12年に掛けて老巧化したものを建て直したもの。<br /><br />浦島太郎と乙姫様の出会いに因んで縁結びの神として、また海の神として航海(旅)の安全祈願、大漁祈願等に多くの人々が参拝に訪れている。貝殻に願い事を書き奉納する「貝殻祈願」が人気で、 良縁、健康、平和、家庭円満、旅行の安全等が祈願されている。祈願された貝殻は境内奥の亀の館で永遠保存される。<br /><br />境内への入口には朱色の神明鳥居が建ち、奥に竜宮城を思わせる朱色の中国風の建物が並ぶ。亀の館の横に建つのは岩崎與八郎(よはちろう)氏顕彰之碑。岩崎與八郎は大正から昭和に掛けて活躍した鹿児島県の実業家で、鹿児島県を中心に観光・交通事業等を手がけるいわさきグループの創業者。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.24464383389871688&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />龍宮神社から岬の先に進むと開聞岳の展望所。ここ、約45年前にみんなで写真撮ったとこだ。当時の写真では「山川町」だが、「指宿市」って上書きされてるし、「霧島屋久国立公園」も「霧島錦江湾国立公園」になってるわ。ちなみに山川町が指宿市に合併したのは2006年で、霧島屋久国立公園から屋久島国立公園が分割され、霧島錦江湾国立公園になったのは2012年。<br /><br />開聞岳、この日は天気も良く、素晴らしい眺めだった。標高924mの火山。日本百名山、新日本百名山及び九州百名山に選定されている。円錐形の山容から薩摩富士とも呼ばれる。鹿児島湾を形成する薩摩半島の最南端で、湾への入口に当たる海門にあることから海門山になり、音が転じて開聞岳になった。<br /><br />その奥には浦島太郎と亀の石像もある。この像は願い事が叶うパワーがあると云われ、女性は右から、男性は左から2回回わった後、海亀を触って祈願すると願い事が叶うと云う。回りました ^_^<br /><br />先に進むと長崎鼻灯台が見えて来る。長崎鼻の突端に1957年に建てられた比較的新しい灯台。風光明媚な観光地にふさわしいフォルムにと特別に設計されたデザインで、錦江湾に出入りする、または東シナ海を航行する船舶の道標としての役割を担う。1897年(明治30年)に初代の灯台が建てられたが、第2次大戦で大破し、その後再建されたもの。<br /><br />六角形の美しい姿で光源の明るさは15海里(約28km)と外洋航路の目標らしく大きな明かりを発している。日本ロマンチスト協会が展開している「恋する灯台プロジェクト」において、鹿児島県で初めて「恋する灯台」に認定された。<br /><br />ここからの海越しに眺める開聞岳の山容も美しく、天気が良い日は遠く屋久島の宮之浦岳や硫黄島も遠望できるそうだが、残念ながら岬の先には海しか見えなかった。先端に向かって左手を見ると鹿児島湾の湾口部を挟んで大隅半島が望める。<br /><br />また、鹿児島湾の入口西側に見える海の中にポツンと立つ岩山は俣川洲(またごし)。この位置からは分からないが、海水で削られたトンネル(海食洞)が空いている。名前は江戸時代にはすでにこう呼ばれており、「人の股のような形をした水の流れる海にある陸地」を意味するようだ。<br /><br />あと、鹿児島湾と云う呼び名だが、錦江湾とも呼ばれることも多い。いずれも明治に入ってからの呼称で、江戸時代末期まで鹿児島湾全体を指す固有名詞は存在してなかった。錦江は湾の最奥部の加治木町日木山川河口にあった庵を訪れた島津氏第18代家久が詠んだ歌が起源と云われるが、日木山川の別称としただけとも云われる。<br /><br />灯台から少し戻ったところには鹿児島県を代表する戦前の俳人、篠原鳳作の句碑があり、3つの句が彫られている。また、近くにはハートオブジェもあり、オブジェの中の灯台や開聞岳は絵になる。<br /><br />道の下に咲いてる黄色い花は宿根ガザニアの蕾らしい。また、空にはたぶんトンビが舞う。戻り道、来る時からやたら圧の強い土産物屋の「なかよし」できびなごや郷土菓子のげたんはやかりんとう、それに芋焼酎を購入(下の写真5)。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.24464483089861718&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />5時過ぎ、今日の宿に向かうが、続く

鹿児島 指宿 長崎鼻(Cape Nagasakibana,Ibusuki,Kagoshima,Japan)

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2022/04/22 - 2022/04/22

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旅行記グループ 鹿児島・佐賀

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年4月22日(金)夕方4時半前、長崎鼻の無料駐車場に車を止める(下の写真1)。薩摩半島の最南端にある岬。浦島太郎が竜宮へ旅立った岬と云い伝えられ、竜宮鼻の別名も持つ。夏はウミガメの産卵地にもなる。1978年3月にはここにも立ち寄っているので、来るのは2回目(下の写真2)。

指宿カルデラの外輪山の一角を成しており、一帯は火山岩にて形成されている。岬及び周辺の海岸線一帯は霧島錦江湾国立公園に指定されている。「鼻」と付く地名は名の如く、岬の基部が末広がりになる三角形状の地形であることが多い。鼻と名の付く岬は全国の至る地方で見られ、特に九州に多いが、その中で最も有名な岬と云われる。

鼻のように細長く岬が飛び出していることから長く先が伸びた鼻と云うことから長先鼻になり、長崎鼻に転じたようだ。長崎県の名前の由来も同じようだが、それをもじったと云うことはない。

動物園兼植物園の長崎鼻パーキングガーデン近くの駐車場から先に進むと200mほど土産物屋が並ぶ。テレビ朝日系で日曜日の夜7時に放送中の「ナニコレ珍百景」で取り上げられたと云う看板もあった(下の写真3)。また、鹿児島弁や鹿児島県に関連する有名人を紹介する看板もあった(下の写真4)。

5分足らずで龍宮神社に到着。海の守り神と浦島太郎と乙姫様が出会った縁結びの神様として豊玉姫(乙姫様)を祀った神社。この長崎鼻一帯にも浦島太郎伝説が伝わっている。海幸彦と山幸彦の物語として語り継がれており、海幸彦の釣り針を失くした山幸彦が釣り針を探し求めて出かけた先が竜宮とされている。山幸彦はのちに豊玉姫と結ばれ、その子孫が天皇家へと受け継がれてゆく。

古来より長崎鼻の断崖絶壁の上に豊玉姫を御祭神として鎮座した石の祠があり、いつしか村人によって木造の屋根が被せられるようになった。しかし、場所柄台風の被害にたびたび遭い、1956年に台風により倒壊した木造の神社に代わり コンクリート製の社が当時薩摩半島の東を走っていた南薩鉄道により造られた。現在の社殿は2011年から12年に掛けて老巧化したものを建て直したもの。

浦島太郎と乙姫様の出会いに因んで縁結びの神として、また海の神として航海(旅)の安全祈願、大漁祈願等に多くの人々が参拝に訪れている。貝殻に願い事を書き奉納する「貝殻祈願」が人気で、 良縁、健康、平和、家庭円満、旅行の安全等が祈願されている。祈願された貝殻は境内奥の亀の館で永遠保存される。

境内への入口には朱色の神明鳥居が建ち、奥に竜宮城を思わせる朱色の中国風の建物が並ぶ。亀の館の横に建つのは岩崎與八郎(よはちろう)氏顕彰之碑。岩崎與八郎は大正から昭和に掛けて活躍した鹿児島県の実業家で、鹿児島県を中心に観光・交通事業等を手がけるいわさきグループの創業者。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.24464383389871688&type=1&l=223fe1adec

龍宮神社から岬の先に進むと開聞岳の展望所。ここ、約45年前にみんなで写真撮ったとこだ。当時の写真では「山川町」だが、「指宿市」って上書きされてるし、「霧島屋久国立公園」も「霧島錦江湾国立公園」になってるわ。ちなみに山川町が指宿市に合併したのは2006年で、霧島屋久国立公園から屋久島国立公園が分割され、霧島錦江湾国立公園になったのは2012年。

開聞岳、この日は天気も良く、素晴らしい眺めだった。標高924mの火山。日本百名山、新日本百名山及び九州百名山に選定されている。円錐形の山容から薩摩富士とも呼ばれる。鹿児島湾を形成する薩摩半島の最南端で、湾への入口に当たる海門にあることから海門山になり、音が転じて開聞岳になった。

その奥には浦島太郎と亀の石像もある。この像は願い事が叶うパワーがあると云われ、女性は右から、男性は左から2回回わった後、海亀を触って祈願すると願い事が叶うと云う。回りました ^_^

先に進むと長崎鼻灯台が見えて来る。長崎鼻の突端に1957年に建てられた比較的新しい灯台。風光明媚な観光地にふさわしいフォルムにと特別に設計されたデザインで、錦江湾に出入りする、または東シナ海を航行する船舶の道標としての役割を担う。1897年(明治30年)に初代の灯台が建てられたが、第2次大戦で大破し、その後再建されたもの。

六角形の美しい姿で光源の明るさは15海里(約28km)と外洋航路の目標らしく大きな明かりを発している。日本ロマンチスト協会が展開している「恋する灯台プロジェクト」において、鹿児島県で初めて「恋する灯台」に認定された。

ここからの海越しに眺める開聞岳の山容も美しく、天気が良い日は遠く屋久島の宮之浦岳や硫黄島も遠望できるそうだが、残念ながら岬の先には海しか見えなかった。先端に向かって左手を見ると鹿児島湾の湾口部を挟んで大隅半島が望める。

また、鹿児島湾の入口西側に見える海の中にポツンと立つ岩山は俣川洲(またごし)。この位置からは分からないが、海水で削られたトンネル(海食洞)が空いている。名前は江戸時代にはすでにこう呼ばれており、「人の股のような形をした水の流れる海にある陸地」を意味するようだ。

あと、鹿児島湾と云う呼び名だが、錦江湾とも呼ばれることも多い。いずれも明治に入ってからの呼称で、江戸時代末期まで鹿児島湾全体を指す固有名詞は存在してなかった。錦江は湾の最奥部の加治木町日木山川河口にあった庵を訪れた島津氏第18代家久が詠んだ歌が起源と云われるが、日木山川の別称としただけとも云われる。

灯台から少し戻ったところには鹿児島県を代表する戦前の俳人、篠原鳳作の句碑があり、3つの句が彫られている。また、近くにはハートオブジェもあり、オブジェの中の灯台や開聞岳は絵になる。

道の下に咲いてる黄色い花は宿根ガザニアの蕾らしい。また、空にはたぶんトンビが舞う。戻り道、来る時からやたら圧の強い土産物屋の「なかよし」できびなごや郷土菓子のげたんはやかりんとう、それに芋焼酎を購入(下の写真5)。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.24464483089861718&type=1&l=223fe1adec


5時過ぎ、今日の宿に向かうが、続く

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  • 写真1 長崎鼻無料駐車場

    写真1 長崎鼻無料駐車場

  • 写真2 1978年訪問時の写真

    写真2 1978年訪問時の写真

  • 写真4 看板

    写真4 看板

  • 写真5 土産

    写真5 土産

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