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2022年4月23日(土)、指宿フェニックスホテルで迎える九州旅行2日目の朝。朝一で3度目の温泉に浸かってから7時過ぎに朝食。ここは和朝食のビュッフェスタイルなので、朝食洋食派の私には嬉しい(下の写真1)。<br /><br />8時前、チェックアウトしてホテルを出発(下の写真2)。ちなみにるるぶトラベルで取って、1泊2食に入湯税や砂蒸し温泉代、夕食の生ビールに日本酒代などすべて含めて1.5万円ちょっとだった。お得だと思う。いい宿だった。<br /><br />指宿から鹿児島湾沿いに国道226号線(下福元町・影原交差点から国道225号線と重複区間)を走り、40km弱北の和田坂交差点で県道219号玉取迫鹿児島港線に入り、来た時にも通った指宿スカイラインの谷山ICへ達し、指宿スカイラインで鹿児島ICへ。<br /><br />スカイラインを降りると来た時の逆コースで国道3号鹿児島バイパスの武岡トンネルを抜けて鹿児島市街地に戻ると、北上して国道3号線の新上橋交差点から城山へ登り、ちょうど9時半頃、城山公園駐車場に到着(下の写真3)。城山公園トンネルの南口すぐにある無料駐車場で37台止められる。<br /><br />城山は鹿児島市街地の中心部に位置する標高107mの小高い山で、3万年前の鹿児島湾奥の巨大噴火で南九州を覆いつくしたシラス(火山灰)で造られている。クスの大木やシダ・サンゴ樹など約600種の温帯・亜熱帯性植物が自生する自然の宝庫で、遊歩道での散策も楽しめ、市民の憩いの場ともなっている。1931年(昭和6年)に国の天然記念物及び史跡の指定を受けている。<br /><br />城山公園は1890年(明治23年)に開設された鹿児島市最初の公園。公園面積は展望台から東側斜面を含む15.6ha。展望台の他、ドン広場や鶴丸城の二の丸庭園であった探勝園などがある。14世紀の南北朝時代の豪族上山氏の山城の跡で、城山の名はそれに由来する。<br /><br />関ヶ原の戦い直後の1601年に島津忠恒(家久)がこの地に新しく鶴丸城(鹿児島城)を築いたが、この時に城山にも手が入れられ、後詰めの城として上之山城(上山城)が整備された。しかし1614年に城代であった島津常久が死去すると、新たな城代は任命されず、上之山城は棄却され、山は樹木が繁茂する原生林に戻っていった。<br /><br />明治に入り1877年(明治10年)、西南戦争において撤退を余儀なくされた西郷軍はこの城山に立てこもり最後の抵抗を試みたが、圧倒的な官軍の前に西郷隆盛は自刃に追い込まれ、他の西郷軍側将兵の多くも戦死した。ただし、隆盛最後の場となった西郷洞窟は城山公園の区域には入っていない。<br /><br />駐車場の北東奥から遊歩道の坂道を5分足らず上がると城山展望台に到着。雄大な桜島や美しい鹿児島湾に鹿児島市街地を一望する展望台。夜景が美しいことでも有名。ここは約45年前の学生時代の旅行で来てるので2回目。その時の写真(下の写真4)と比べると、鹿児島市街地が埋立で広がってることが分かる。なお、今回は桜島には渡らなかったが、中学の修学旅行と45年前の旅行で2度訪れている。<br /><br />この日の天気は晴天だったと前日と違って悪く、指宿からここに来る間には一時結構な雨も降ってたそ、この辺りも降ってたようだが、幸いにこの時は上がってて、桜島も少し雲被ってるけどちゃんと見えた。市街地の南側の一番手前に建っている鳥居は照国神社の大鳥居。1929年築で高さ19.8mあるそうだ。<br /><br />展望台広場には1920年(大正9年)に昭和天皇がまだ皇太子の時代に行啓された時の記念碑が建ち、両サイドには昭和天皇と皇后がそれぞれお手植えされたイチョウの木があるが、右手の香淳皇后が植えられたという方はかなり若い木なので、少なくとも2代目以降でしょう。その向かいには大正天皇が1907年(明治40年)に行啓された際のクスノキの木があり、碑が建つ。<br /><br />駐車場に戻ると、今度は北西角の階段を登る。上にあるのが城山ドン広場。西南戦争の際に薩軍本営が置かれた場所。1万人以上を率いて鹿児島で挙兵してから7ヶ月。わずか300余りの兵とともに故郷へ戻った西郷は、鶴丸城下の城山に立て籠もり、ここを本営とした。<br /><br />ドン広場の「ドン」は正午の時報がわりに撃たれた空砲の音のこと。1897年(明治30年)から1937年(昭和12年)までこの場所で市役所の職員が時計とにらめっこしながら正午キッカリに大砲に点火していた。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.24495281673448526&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />車に戻り、城山公園を後にして次の目的地へ。城山公園トンネルを抜けて、北口を出たところの三叉路を右折して、坂道を下りて行くと5分ほどで西郷洞窟に到着。向かいの無料駐車場に車を止める。ここで結構な雨が降り出した。ここも約45年前に来た(下の写真5)。<br /><br />1877年(明治10年)2月に鹿児島城下を出発した薩軍は九州各地で転戦したのち、8月に解散。その後西郷隆盛の一行は九州の山間地を越えて鹿児島を目指し、9月1日に城下に戻り、城山に立て籠もった。桐野利秋をはじめ私学校の幹部たちと共に、9月19日から24日未明までの約6日間に渡り過ごし、最後まで薩軍の指揮をとっていたがこの洞窟。<br /><br />洞窟の入口は2つある。全体では奥行きが4m、間口が3m、入口の高さは2.5mあったそうだが、現在はそうは見えない。9月なので寒くはないだろうが、天気はどうだったのだろうか。洞窟の前、東側の登り口を上がったところには南洲翁洞中記念碑が立つ。南洲翁とは西郷隆盛のこと。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.24495389520104408&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />雨の中、今度は城山の麓、西郷銅像へ向かうが、続く

鹿児島 城山展望台・西郷洞窟(Shiroyama,Kagoshima,Kagoshima,Japan)

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2022/04/23 - 2022/04/23

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年4月23日(土)、指宿フェニックスホテルで迎える九州旅行2日目の朝。朝一で3度目の温泉に浸かってから7時過ぎに朝食。ここは和朝食のビュッフェスタイルなので、朝食洋食派の私には嬉しい(下の写真1)。

8時前、チェックアウトしてホテルを出発(下の写真2)。ちなみにるるぶトラベルで取って、1泊2食に入湯税や砂蒸し温泉代、夕食の生ビールに日本酒代などすべて含めて1.5万円ちょっとだった。お得だと思う。いい宿だった。

指宿から鹿児島湾沿いに国道226号線(下福元町・影原交差点から国道225号線と重複区間)を走り、40km弱北の和田坂交差点で県道219号玉取迫鹿児島港線に入り、来た時にも通った指宿スカイラインの谷山ICへ達し、指宿スカイラインで鹿児島ICへ。

スカイラインを降りると来た時の逆コースで国道3号鹿児島バイパスの武岡トンネルを抜けて鹿児島市街地に戻ると、北上して国道3号線の新上橋交差点から城山へ登り、ちょうど9時半頃、城山公園駐車場に到着(下の写真3)。城山公園トンネルの南口すぐにある無料駐車場で37台止められる。

城山は鹿児島市街地の中心部に位置する標高107mの小高い山で、3万年前の鹿児島湾奥の巨大噴火で南九州を覆いつくしたシラス(火山灰)で造られている。クスの大木やシダ・サンゴ樹など約600種の温帯・亜熱帯性植物が自生する自然の宝庫で、遊歩道での散策も楽しめ、市民の憩いの場ともなっている。1931年(昭和6年)に国の天然記念物及び史跡の指定を受けている。

城山公園は1890年(明治23年)に開設された鹿児島市最初の公園。公園面積は展望台から東側斜面を含む15.6ha。展望台の他、ドン広場や鶴丸城の二の丸庭園であった探勝園などがある。14世紀の南北朝時代の豪族上山氏の山城の跡で、城山の名はそれに由来する。

関ヶ原の戦い直後の1601年に島津忠恒(家久)がこの地に新しく鶴丸城(鹿児島城)を築いたが、この時に城山にも手が入れられ、後詰めの城として上之山城(上山城)が整備された。しかし1614年に城代であった島津常久が死去すると、新たな城代は任命されず、上之山城は棄却され、山は樹木が繁茂する原生林に戻っていった。

明治に入り1877年(明治10年)、西南戦争において撤退を余儀なくされた西郷軍はこの城山に立てこもり最後の抵抗を試みたが、圧倒的な官軍の前に西郷隆盛は自刃に追い込まれ、他の西郷軍側将兵の多くも戦死した。ただし、隆盛最後の場となった西郷洞窟は城山公園の区域には入っていない。

駐車場の北東奥から遊歩道の坂道を5分足らず上がると城山展望台に到着。雄大な桜島や美しい鹿児島湾に鹿児島市街地を一望する展望台。夜景が美しいことでも有名。ここは約45年前の学生時代の旅行で来てるので2回目。その時の写真(下の写真4)と比べると、鹿児島市街地が埋立で広がってることが分かる。なお、今回は桜島には渡らなかったが、中学の修学旅行と45年前の旅行で2度訪れている。

この日の天気は晴天だったと前日と違って悪く、指宿からここに来る間には一時結構な雨も降ってたそ、この辺りも降ってたようだが、幸いにこの時は上がってて、桜島も少し雲被ってるけどちゃんと見えた。市街地の南側の一番手前に建っている鳥居は照国神社の大鳥居。1929年築で高さ19.8mあるそうだ。

展望台広場には1920年(大正9年)に昭和天皇がまだ皇太子の時代に行啓された時の記念碑が建ち、両サイドには昭和天皇と皇后がそれぞれお手植えされたイチョウの木があるが、右手の香淳皇后が植えられたという方はかなり若い木なので、少なくとも2代目以降でしょう。その向かいには大正天皇が1907年(明治40年)に行啓された際のクスノキの木があり、碑が建つ。

駐車場に戻ると、今度は北西角の階段を登る。上にあるのが城山ドン広場。西南戦争の際に薩軍本営が置かれた場所。1万人以上を率いて鹿児島で挙兵してから7ヶ月。わずか300余りの兵とともに故郷へ戻った西郷は、鶴丸城下の城山に立て籠もり、ここを本営とした。

ドン広場の「ドン」は正午の時報がわりに撃たれた空砲の音のこと。1897年(明治30年)から1937年(昭和12年)までこの場所で市役所の職員が時計とにらめっこしながら正午キッカリに大砲に点火していた。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.24495281673448526&type=1&l=223fe1adec

車に戻り、城山公園を後にして次の目的地へ。城山公園トンネルを抜けて、北口を出たところの三叉路を右折して、坂道を下りて行くと5分ほどで西郷洞窟に到着。向かいの無料駐車場に車を止める。ここで結構な雨が降り出した。ここも約45年前に来た(下の写真5)。

1877年(明治10年)2月に鹿児島城下を出発した薩軍は九州各地で転戦したのち、8月に解散。その後西郷隆盛の一行は九州の山間地を越えて鹿児島を目指し、9月1日に城下に戻り、城山に立て籠もった。桐野利秋をはじめ私学校の幹部たちと共に、9月19日から24日未明までの約6日間に渡り過ごし、最後まで薩軍の指揮をとっていたがこの洞窟。

洞窟の入口は2つある。全体では奥行きが4m、間口が3m、入口の高さは2.5mあったそうだが、現在はそうは見えない。9月なので寒くはないだろうが、天気はどうだったのだろうか。洞窟の前、東側の登り口を上がったところには南洲翁洞中記念碑が立つ。南洲翁とは西郷隆盛のこと。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.24495389520104408&type=1&l=223fe1adec


雨の中、今度は城山の麓、西郷銅像へ向かうが、続く

  • 写真1 指宿フェニックスホテルの朝食

    写真1 指宿フェニックスホテルの朝食

  • 写真2 指宿フェニックスホテル駐車場

    写真2 指宿フェニックスホテル駐車場

  • 写真3 城山公園駐車場

    写真3 城山公園駐車場

  • 写真4 78年3月の展望台からの写真

    写真4 78年3月の展望台からの写真

  • 写真5 78年3月の西郷洞窟での写真

    写真5 78年3月の西郷洞窟での写真

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