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2022年4月23日(土)10時半過ぎ、最大乗院から桟橋通りに戻り先に進むと岩崎谷踏切。通っているのはJRの鹿児島本線だが、実質的には宮崎方面と結ぶ日豊本線。ややこしいが、現在の運転系統は鹿児島本線と日豊本線の接続駅である鹿児島駅で分けられるのではなく、鹿児島本線の隣駅の鹿児島中央駅で分けられているから。ちょうど電車が通ったが鹿児島中央発の日豊本線国分行だった(下の写真)。<br /><br />なお、この踏切は2011年に公開された漫才コンビのまえだまえだの2人主演の「奇跡」と云う映画で、「列車が通過した後に向こうにいたおばあさんが消える」というシーンが撮られたところ。見てないわ。あと、写真には写ってないが、踏切近くを越えてる高架道路は1985年に廃止された鹿児島市電上町線の専用軌道だった。<br /><br />この踏切を渡った左手が西郷隆盛終焉の地。この辺りで西南戦争に敗れた西郷隆盛が自刃し、最後まで隆盛に従った幹部の桐野利秋、村田新八、桂久武、池上貞固、別府晋介、辺見十郎太らも自刃ないしは戦死した。階段の上に南洲翁終焉之地の石碑が建つ。<br /><br />1877年(明治10年)9月1日、熊本城攻防戦などに敗れた薩軍は鹿児島に撤退し、城山に籠った。政府軍は500人の薩軍に対して3万人で城山を包囲、軍艦からも砲撃を加えた。23日、無条件降伏を要求するが回答はなく、翌24日の早朝4時、政府軍は総攻撃を開始。<br /><br />西郷らは5日前から本陣としていた城山の洞窟を出て岩崎谷を下り政府軍めがけて最後の攻撃を敢行。しかし政府軍からの一斉射撃を受け、西郷の将校たちは次々に被弾、西郷自身も腹部と腿に弾を受け動けなくなり、撤退する。<br /><br />その後、隆盛は別府晋介に担がれ、切腹を行う場所を探しながら山を下り、この場所で居住まいを正してはるか皇居の方角を望んで別府晋介の介錯によって最後を遂げた。享年51(満49歳)。<br /><br />この石碑は1899年(明治32年)に建立されたもの。1974年に「西郷隆盛終焉の地」として鹿児島市の記念物(史跡)に指定された。ただし、実際に自刃したのはもう少し西の坂の上。現在はサーパス城山と云うマンションが建っている城山トンネル入口横の旧島津応吉邸門前だったそうで、この場所は介錯された隆盛の首が門前の溝に埋められた折田正助邸跡らしい。ちなみに、その後隆盛の首は政府軍に発見されて、遺体と一緒に現在の南洲墓地に埋葬されている。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.24563542986622394&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />線路沿いを西に向かい、鶴丸城址に戻るが、続く

鹿児島 西郷隆盛終焉の地(The land of the end of SAIGO Takamori,Kagoshima,Japan)

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2022/04/23 - 2022/04/23

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年4月23日(土)10時半過ぎ、最大乗院から桟橋通りに戻り先に進むと岩崎谷踏切。通っているのはJRの鹿児島本線だが、実質的には宮崎方面と結ぶ日豊本線。ややこしいが、現在の運転系統は鹿児島本線と日豊本線の接続駅である鹿児島駅で分けられるのではなく、鹿児島本線の隣駅の鹿児島中央駅で分けられているから。ちょうど電車が通ったが鹿児島中央発の日豊本線国分行だった(下の写真)。

なお、この踏切は2011年に公開された漫才コンビのまえだまえだの2人主演の「奇跡」と云う映画で、「列車が通過した後に向こうにいたおばあさんが消える」というシーンが撮られたところ。見てないわ。あと、写真には写ってないが、踏切近くを越えてる高架道路は1985年に廃止された鹿児島市電上町線の専用軌道だった。

この踏切を渡った左手が西郷隆盛終焉の地。この辺りで西南戦争に敗れた西郷隆盛が自刃し、最後まで隆盛に従った幹部の桐野利秋、村田新八、桂久武、池上貞固、別府晋介、辺見十郎太らも自刃ないしは戦死した。階段の上に南洲翁終焉之地の石碑が建つ。

1877年(明治10年)9月1日、熊本城攻防戦などに敗れた薩軍は鹿児島に撤退し、城山に籠った。政府軍は500人の薩軍に対して3万人で城山を包囲、軍艦からも砲撃を加えた。23日、無条件降伏を要求するが回答はなく、翌24日の早朝4時、政府軍は総攻撃を開始。

西郷らは5日前から本陣としていた城山の洞窟を出て岩崎谷を下り政府軍めがけて最後の攻撃を敢行。しかし政府軍からの一斉射撃を受け、西郷の将校たちは次々に被弾、西郷自身も腹部と腿に弾を受け動けなくなり、撤退する。

その後、隆盛は別府晋介に担がれ、切腹を行う場所を探しながら山を下り、この場所で居住まいを正してはるか皇居の方角を望んで別府晋介の介錯によって最後を遂げた。享年51(満49歳)。

この石碑は1899年(明治32年)に建立されたもの。1974年に「西郷隆盛終焉の地」として鹿児島市の記念物(史跡)に指定された。ただし、実際に自刃したのはもう少し西の坂の上。現在はサーパス城山と云うマンションが建っている城山トンネル入口横の旧島津応吉邸門前だったそうで、この場所は介錯された隆盛の首が門前の溝に埋められた折田正助邸跡らしい。ちなみに、その後隆盛の首は政府軍に発見されて、遺体と一緒に現在の南洲墓地に埋葬されている。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.24563542986622394&type=1&l=223fe1adec


線路沿いを西に向かい、鶴丸城址に戻るが、続く

  • 岩崎谷踏切

    岩崎谷踏切

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