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2022年4月23日(土)夕方5時過ぎ、鳥栖の駅前不動産スタジアムを後にして鳥栖駅に戻り、17:19発の門司港行の鹿児島本線快速で博多に向かう(下の写真1)。<br /><br />久留米から鳥栖までも乗って来たが、鹿児島本線は門司港から小倉・博多・熊本などを経由して八代までと、川内から鹿児島までを結ぶJR九州幹線。2004年の九州新幹線の新八代・鹿児島中央間開業までは門司港から鹿児島までつながった路線だった。現在八代・川内間は第三セクターの肥薩おれんじ鉄道の路線となっている。全線交流電化で複線(一部複々線、3線)。<br /><br />1889年(明治22年)に九州鉄道が博多・千歳川仮停車場間を開業。千歳川仮停車場は現在の筑前旭・久留米間の筑後川北岸にあり、翌年久留米まで延伸された際に廃止された。その後徐々に延伸され、1907年(明治40年)には国有化される。全線開通は1927年(昭和2年)。<br /><br />かつては本州各地と九州を結ぶ特急・急行列車が数多く運転されていたが、2009年のダイヤ改正で寝台特急「富士」「はやぶさ」が廃止されたのを最後に全廃された。また、2004年の九州新幹線部分開業までは特急「つばめ」が基幹特急として運行していたが、その名は新幹線に引き継がれた。「つばめ」の誕生は1992年で、それ以前は「有明」が基幹特急だった。<br /><br />1980年代、熊本の仕事をしていた際には熊本以北は利用したことがあるし、前述した1999年にハウステンボスに行った時には博多から特急「ハウステンボス」に乗った。今回はこの区間はそれ以来の利用になる。<br /><br />17:49、博多に到着。鳥栖からちょうど30分。近い。博多駅は在来線、新幹線、地下鉄を含めて1日約40万人利用する九州最大の駅で、福岡市の陸の玄関口。2009年に小倉・博多間は利用しているので、この駅を利用するのはその時以来。最初に利用したのははっきりとは分からないが、80年代初めに仕事で来た。その後、何回も使ったことある。<br /><br />1889年の九州鉄道開業当時から存在する九州最古の駅の一つ。1963年に現在地に移転するまでは現在地の北西600mの出来町公園付近にあった。<br /><br />JR九州の在来線としては鹿児島本線の途中駅だが、一駅北(小倉寄り)の吉塚で分岐する福北ゆたか線(篠栗線)の全列車が博多まで直通している。新幹線ホーム上に発着し新幹線車両を使用する博多南線も在来線扱い。<br /><br />新幹線は山陽新幹線と九州新幹線の接続駅で、東海道・山陽新幹線系統の「のぞみ」「ひかり」「こだま」は九州新幹線には乗り入れないが、山陽・九州新幹線系統の「みずほ」は全列車相互乗り入れし、「さくら」も約2/3の列車が相互乗り入れしている。「つばめ」はほとんどが博多発着。その他、福岡市地下鉄の空港線(1号線)と七隈線(3号線)が通っている。<br /><br />在来線のホームは2階にあり島式ホーム4面8線と留置線1線を有する。新幹線のホームは3階にあり島式ホーム3面6線を有する。駅西側を博多口、駅東側を筑紫口と呼び、東西に伸びる駅中央のコンコースで繋がっている。<br /><br />博多口側には2011年にオープンしたJR博多シティがある。ファッションビルの「アミュプラザ(AMU Plaza)博多」や百貨店の「博多阪急」などで構成される大型商業施設で、駅ビルとしては国内最大級を誇る。筑紫口側には博多デイトス(DEITOS)や新幹線博多ビル。<br /><br />駅名の博多は所在地の旧来からの地名から付けられた。福岡市の一部で、大雑把に云えば市西部の武士の町・福岡と対をなす商人の町。実態として福岡市全体を指す言葉としても使われることも多いが、正確(?)には市内北部の旧市街地の那珂川の東側部分。<br /><br />その名は、平安初期の797年の続日本紀において博多大津(博多津)として登場する。その語源は、「土地博(ひろ)く人・物産多し」という言葉から「博多」、大鳥が羽を広げたような地形から「羽形」、海外へ出る船の停泊する潟から「泊潟」、射た鶴の羽が落ちたとして「羽片」、切り倒された大樹の葉が舞い落ちたので「葉形」などの説がある。<br /><br />博多津は3世紀後半頃から栄えた日本最古の港の1つ。大宰府の外港として鎌倉時代頃まで栄えたが、たびたびの戦乱で焼け野原となる。復興させたのは豊臣秀吉でこの時代に現代まで続く博多の町の基礎が構築された。<br /><br />1889年(明治22年)の一つの市としての市制施行の際に市名を福岡とするか博多市とするかで紛糾したが、最終的に福岡市となり、中心駅が博多駅と命名された。1972年に政令指定都市に昇格した際には行政区の一つとして博多区が発足した。<br /><br />その博多区は福岡市を構成する7区の行政区の1つ。市内の主要インフラ(博多駅・博多港・福岡空港)を抱え、国道3号が区内を縦断するなど交通の中枢。中州も博多区。また、1981年には中央区天神から福岡県庁が移転している。<br /><br />福岡市の東部にあたり、北西から南東に向かって長く伸びている。北西部では那珂川を挟んで中央区と接し、中西部では那珂川および鹿児島本線を挟んで南区と接する。北部で東区と、東部で志免町と、南東部で大野城市と、南西部で春日市と接する。面積は約31平方kmで、7区の真ん中の4番目。南区よりわずかに大きい。<br /><br />人口は約26万人で、7区中、東区、南区に次いで3番目。県内の市町村と比べても多いのは久留米市だけで4番目に多い。約50年前の1975年には16万を超えたくらいで、近年増加している。<br /><br />2020年に亡くなった小松政夫(42年生まれ)は古くより博多の氏神・総鎮守として信仰を集めている櫛田神社の前で育ち、福岡高校に進んだが中退。博多っ子純情の作者の長谷川法世(45年生まれ)も博多港に近い博多二中(現博多中学校)を卒業し福岡高校に進む。武田鉄矢(49年生まれ)は空港南の板付小学校、三筑中学校を卒業し、大野城市の筑紫中央高校から卒業、宗像市の福岡教育大学に進むが中退。<br /><br />博多駅から博多港を結ぶ片側4車線の広い大博通りを北西に歩く。この通りは安土桃山時代の太閤町割の端緒として、最初に縄張りがなされた一小路(市小路)を拡張した道で、1969年の福岡市制施行80周年を記念した道路愛称事業により命名された。歴史のある博多の町の大通りと云う意味。振り返ると博多口駅ビルのJR博多シティが見える(下の写真2)。<br /><br />古くからの博多の街の北側の端になる御笠川に架かる東大橋近くにある2016年開業のホテルニューガイア上呉服がこの日の宿。駅から歩くと25分ほど掛ったが、翌朝に使う予定の地下鉄の呉服町駅には近い(下の写真3)。これまで何度も福岡に泊ったことはあるけれど、いつも博多駅の近くだったのでこの辺りに泊るのは初めて。<br /><br />ここで、私がJICA海外協力隊でジャマイカ駐在中に3ヶ月足らず一緒に過ごしただけだが、短い間にいろいろ遊んだ後任隊員の方と約2年ぶりに再会。コロナ禍でみんな一緒に帰国したので、2018年3月終わりに帰国して成田空港で別れて以来だわ。いや、懐かしい。息子とはもちろん初対面。彼は私と息子の間くらいの年かな。<br /><br />6時半過ぎ、チェックイン終えて、彼が予約してくれてた博多港近くの福岡サンパレス前の築港本町交差点にある長崎県の離島・対馬の恵みを味わえるアンテナショップ「よりあい処つしま」のレストランへ移動。10分ほどで到着。<br /><br />コロナ禍が始まった2020年春にオープンしたそうで、大変やったろうね。対馬近海で取れた鮮魚を中心とした3500円の対馬満足コース。小鉢からサラダ、刺身の盛合せ、とんちゃん、焼き魚、御飯、汁物にデザートまでの8品で、これはお得やったと思う。<br /><br />なお、とんちゃんは醤油、味噌などをベースにした甘辛の焼肉ダレに漬けこんだ豚肉を、キャベツやもやしなどの野菜と一緒に焼いたもので対馬のソウルフード。戦後間もなく北部対馬で在日韓国人により広められたのがルーツと云われている。<br /><br />9時過ぎに最後の御飯、汁物、デザートが出てきたが、10時前までたっぷりと対馬の日本酒に焼酎を戴いた。戴いたのは1919年(大正8年)創業の対馬唯一の造り酒屋、河内酒造の日本酒「白嶽」、芋焼酎「伊藤」、 米焼酎「こっぽうもん」、麦焼酎「対馬やまねこ」。ああ、よう飲んだ。料理もお酒も美味しかった。楽しみました。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.24624478473862178&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />ホテルへ戻り、彼と別れ、2日目終了

福岡 博多(Hakata,Fukuoka,Fukuoka,Japan)

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2022/04/23 - 2022/04/23

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旅行記グループ 鹿児島・佐賀

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年4月23日(土)夕方5時過ぎ、鳥栖の駅前不動産スタジアムを後にして鳥栖駅に戻り、17:19発の門司港行の鹿児島本線快速で博多に向かう(下の写真1)。

久留米から鳥栖までも乗って来たが、鹿児島本線は門司港から小倉・博多・熊本などを経由して八代までと、川内から鹿児島までを結ぶJR九州幹線。2004年の九州新幹線の新八代・鹿児島中央間開業までは門司港から鹿児島までつながった路線だった。現在八代・川内間は第三セクターの肥薩おれんじ鉄道の路線となっている。全線交流電化で複線(一部複々線、3線)。

1889年(明治22年)に九州鉄道が博多・千歳川仮停車場間を開業。千歳川仮停車場は現在の筑前旭・久留米間の筑後川北岸にあり、翌年久留米まで延伸された際に廃止された。その後徐々に延伸され、1907年(明治40年)には国有化される。全線開通は1927年(昭和2年)。

かつては本州各地と九州を結ぶ特急・急行列車が数多く運転されていたが、2009年のダイヤ改正で寝台特急「富士」「はやぶさ」が廃止されたのを最後に全廃された。また、2004年の九州新幹線部分開業までは特急「つばめ」が基幹特急として運行していたが、その名は新幹線に引き継がれた。「つばめ」の誕生は1992年で、それ以前は「有明」が基幹特急だった。

1980年代、熊本の仕事をしていた際には熊本以北は利用したことがあるし、前述した1999年にハウステンボスに行った時には博多から特急「ハウステンボス」に乗った。今回はこの区間はそれ以来の利用になる。

17:49、博多に到着。鳥栖からちょうど30分。近い。博多駅は在来線、新幹線、地下鉄を含めて1日約40万人利用する九州最大の駅で、福岡市の陸の玄関口。2009年に小倉・博多間は利用しているので、この駅を利用するのはその時以来。最初に利用したのははっきりとは分からないが、80年代初めに仕事で来た。その後、何回も使ったことある。

1889年の九州鉄道開業当時から存在する九州最古の駅の一つ。1963年に現在地に移転するまでは現在地の北西600mの出来町公園付近にあった。

JR九州の在来線としては鹿児島本線の途中駅だが、一駅北(小倉寄り)の吉塚で分岐する福北ゆたか線(篠栗線)の全列車が博多まで直通している。新幹線ホーム上に発着し新幹線車両を使用する博多南線も在来線扱い。

新幹線は山陽新幹線と九州新幹線の接続駅で、東海道・山陽新幹線系統の「のぞみ」「ひかり」「こだま」は九州新幹線には乗り入れないが、山陽・九州新幹線系統の「みずほ」は全列車相互乗り入れし、「さくら」も約2/3の列車が相互乗り入れしている。「つばめ」はほとんどが博多発着。その他、福岡市地下鉄の空港線(1号線)と七隈線(3号線)が通っている。

在来線のホームは2階にあり島式ホーム4面8線と留置線1線を有する。新幹線のホームは3階にあり島式ホーム3面6線を有する。駅西側を博多口、駅東側を筑紫口と呼び、東西に伸びる駅中央のコンコースで繋がっている。

博多口側には2011年にオープンしたJR博多シティがある。ファッションビルの「アミュプラザ(AMU Plaza)博多」や百貨店の「博多阪急」などで構成される大型商業施設で、駅ビルとしては国内最大級を誇る。筑紫口側には博多デイトス(DEITOS)や新幹線博多ビル。

駅名の博多は所在地の旧来からの地名から付けられた。福岡市の一部で、大雑把に云えば市西部の武士の町・福岡と対をなす商人の町。実態として福岡市全体を指す言葉としても使われることも多いが、正確(?)には市内北部の旧市街地の那珂川の東側部分。

その名は、平安初期の797年の続日本紀において博多大津(博多津)として登場する。その語源は、「土地博(ひろ)く人・物産多し」という言葉から「博多」、大鳥が羽を広げたような地形から「羽形」、海外へ出る船の停泊する潟から「泊潟」、射た鶴の羽が落ちたとして「羽片」、切り倒された大樹の葉が舞い落ちたので「葉形」などの説がある。

博多津は3世紀後半頃から栄えた日本最古の港の1つ。大宰府の外港として鎌倉時代頃まで栄えたが、たびたびの戦乱で焼け野原となる。復興させたのは豊臣秀吉でこの時代に現代まで続く博多の町の基礎が構築された。

1889年(明治22年)の一つの市としての市制施行の際に市名を福岡とするか博多市とするかで紛糾したが、最終的に福岡市となり、中心駅が博多駅と命名された。1972年に政令指定都市に昇格した際には行政区の一つとして博多区が発足した。

その博多区は福岡市を構成する7区の行政区の1つ。市内の主要インフラ(博多駅・博多港・福岡空港)を抱え、国道3号が区内を縦断するなど交通の中枢。中州も博多区。また、1981年には中央区天神から福岡県庁が移転している。

福岡市の東部にあたり、北西から南東に向かって長く伸びている。北西部では那珂川を挟んで中央区と接し、中西部では那珂川および鹿児島本線を挟んで南区と接する。北部で東区と、東部で志免町と、南東部で大野城市と、南西部で春日市と接する。面積は約31平方kmで、7区の真ん中の4番目。南区よりわずかに大きい。

人口は約26万人で、7区中、東区、南区に次いで3番目。県内の市町村と比べても多いのは久留米市だけで4番目に多い。約50年前の1975年には16万を超えたくらいで、近年増加している。

2020年に亡くなった小松政夫(42年生まれ)は古くより博多の氏神・総鎮守として信仰を集めている櫛田神社の前で育ち、福岡高校に進んだが中退。博多っ子純情の作者の長谷川法世(45年生まれ)も博多港に近い博多二中(現博多中学校)を卒業し福岡高校に進む。武田鉄矢(49年生まれ)は空港南の板付小学校、三筑中学校を卒業し、大野城市の筑紫中央高校から卒業、宗像市の福岡教育大学に進むが中退。

博多駅から博多港を結ぶ片側4車線の広い大博通りを北西に歩く。この通りは安土桃山時代の太閤町割の端緒として、最初に縄張りがなされた一小路(市小路)を拡張した道で、1969年の福岡市制施行80周年を記念した道路愛称事業により命名された。歴史のある博多の町の大通りと云う意味。振り返ると博多口駅ビルのJR博多シティが見える(下の写真2)。

古くからの博多の街の北側の端になる御笠川に架かる東大橋近くにある2016年開業のホテルニューガイア上呉服がこの日の宿。駅から歩くと25分ほど掛ったが、翌朝に使う予定の地下鉄の呉服町駅には近い(下の写真3)。これまで何度も福岡に泊ったことはあるけれど、いつも博多駅の近くだったのでこの辺りに泊るのは初めて。

ここで、私がJICA海外協力隊でジャマイカ駐在中に3ヶ月足らず一緒に過ごしただけだが、短い間にいろいろ遊んだ後任隊員の方と約2年ぶりに再会。コロナ禍でみんな一緒に帰国したので、2018年3月終わりに帰国して成田空港で別れて以来だわ。いや、懐かしい。息子とはもちろん初対面。彼は私と息子の間くらいの年かな。

6時半過ぎ、チェックイン終えて、彼が予約してくれてた博多港近くの福岡サンパレス前の築港本町交差点にある長崎県の離島・対馬の恵みを味わえるアンテナショップ「よりあい処つしま」のレストランへ移動。10分ほどで到着。

コロナ禍が始まった2020年春にオープンしたそうで、大変やったろうね。対馬近海で取れた鮮魚を中心とした3500円の対馬満足コース。小鉢からサラダ、刺身の盛合せ、とんちゃん、焼き魚、御飯、汁物にデザートまでの8品で、これはお得やったと思う。

なお、とんちゃんは醤油、味噌などをベースにした甘辛の焼肉ダレに漬けこんだ豚肉を、キャベツやもやしなどの野菜と一緒に焼いたもので対馬のソウルフード。戦後間もなく北部対馬で在日韓国人により広められたのがルーツと云われている。

9時過ぎに最後の御飯、汁物、デザートが出てきたが、10時前までたっぷりと対馬の日本酒に焼酎を戴いた。戴いたのは1919年(大正8年)創業の対馬唯一の造り酒屋、河内酒造の日本酒「白嶽」、芋焼酎「伊藤」、 米焼酎「こっぽうもん」、麦焼酎「対馬やまねこ」。ああ、よう飲んだ。料理もお酒も美味しかった。楽しみました。
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ホテルへ戻り、彼と別れ、2日目終了

  • 写真1 鳥栖駅ホーム

    写真1 鳥栖駅ホーム

  • 写真2 JR博多シティ

    写真2 JR博多シティ

  • 写真3 ホテルニューガイア上呉服

    写真3 ホテルニューガイア上呉服

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