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2022年4月22日(金)2時前、武家屋敷通りを東に抜ける。県道232号知覧馬入線に突き当たる右側に石碑。1940年(昭和15年)に建てられたものなので旧字だが、旧領主御仮屋跡とある。<br /><br />知覧は藩主島津氏の分家の私領地として栄えたが、ふだん領主は鹿児島の屋敷に住み、家臣を御仮屋に通わせ自分の領地を治めていた。御仮屋とは領主の知覧での滞在場所と役所・裁判所・税務署を兼ねた館だった。現在、検察庁・裁判所・市役所知覧支所がある辺りにあった。<br /><br />県道を挟んで西側に麓公園がある。2004年に架けられた麓川に架かる木装橋の麓橋を渡り木造の門をくぐると松やサツキが植えられ石や灯籠が配置された公園があり、その奥には雑貨店、カフェ、お好み焼き屋が軒を連ねる長屋ふうのふもと横丁がある。横丁の手前には麓川の川岸に下りられる木の階段も造られている(下の写真2)。<br /><br />検察庁・裁判所の横を通ってメインストリートの県道23号谷山知覧線に戻ると、交差点の北西角に折田兼至胸像が建つ(下の写真3)。折田兼至(かねたか)は知覧出身の明治から大正期の政治家・実業家。鹿児島県会議員から県会議長を務め、衆議院議員も4期務めた。晩年は政界引退後に鹿児島県農工銀行取締役頭取も務めた。<br /><br />県道23号線沿い、西は市役所知覧支所前の交差点から東は麓川に架かる河上(こかん)橋までの580mに渡って道路の南側に清流溝が通されており、鯉2000匹が泳いでいる。津和野の街を思い出したわ。この通り、国土交通省の手づくり郷土賞に選定されており、東端の河上橋の手前に碑が建てられている。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.24439059695737391&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />河上橋を渡って駐車場に戻るが、橋を渡った左手(北側)にロンドン(London)の2階建てバスが見える。入ってないがティーサロンの「Tealan 薩摩英国館」。ティールームの他、紅茶や英国雑貨があるミュージアムショップに英国から見た薩摩の歴史など関する有料資料館もあるそうだ。1992年にオープン(下の写真4)。<br /><br />車に戻って特攻平和館に移動する。途中、知覧城跡に寄り道(下の写真5)。知覧城はシラス台地に築かれた中世山城で、九州南部に見られる特有の遺構を良好に残しており、国の史跡に指定されている。<br /><br />2020年7月にNHK総合で放送された「日本最強の城スペシャル」第6弾で取り上げられたのを見ており、歩いてみたかったのだが、先を急ぐのでパス。標高170mの本丸跡までは10分ほどで登れるそうだ。<br /><br />南北800m、東西900m、面積45万平方mの広大なシラス台地上に築かれ、切り立ったシラス崖によって本丸、倉ノ城(くらんじょう)、今城(いまんじょう)、弓場城(ゆんばじょう)の4つの独立した曲輪に分けられており、各曲輪は約40mの切り立った崖によって守られている。城内にはL字状に曲った枡型虎口に土塁、ぐら台、横矢など防御施設が築かれていた。式部殿城、児城、東之栫、西之栫、南之栫、伊豆殿屋敷等の出城もあった。<br /><br />初めてここに城を構えたのは平安時代末期の頃の郡司・知覧忠信と云われる。室町時代、足利尊氏の下文によって島津忠宗の三男・佐多忠光がこの地の領主となった。その後、一時伊集院一族の配下となったこともあるが、基本的に佐多氏が幕末まで知覧領主だった。ただし、知覧城は江戸初期の1615年に原因不明の出火で炎上し、一国一城令発令以前に廃城となった。<br /><br />近世には佐多氏私領の外城(麓)として、知覧城の支城であった亀甲城の山麓に知覧麓が造られ、明治維新まで知覧の中心地となったが、元々は知覧城こそが佐多氏の居城として軍事や政治経済の中心だった。<br /><br />2時半過ぎ、知覧平和公園の駐車場に到着。特攻隊が飛び立った知覧飛行場跡地に造られた公園で、特攻平和館の他、戦闘機や復元された兵舎、護国神社がある。園内には陸上競技場、多目的球場、サッカー場、庭球場、弓道場、相撲場、武道館などの運動施設もある。<br /><br />知覧飛行場は1941年(昭和16年)12月に陸軍の飛行学校として歴史が始まる。当初は主に教習用に用いられていたが、戦局の悪化に伴い1944年には本土最南端の航空基地として実戦に転用された。<br /><br />さらに機体ごと敵艦に攻撃する特攻が始まると、敵艦隊に近いというその位置から特攻全体の約半数がこの知覧基地から出撃した。陸軍関連の総出撃者1036人のうち、全体の4割ほどにあたる439人が知覧から出撃したと特攻平和会館の資料にはある。<br /><br />戦後、進駐してきたアメリカ海兵隊に破壊されて跡形も無くなったが、1955年になって特攻平和観音堂が建立される。それから20年後の1975年に知覧特攻遺品館がオープン、1987年に建て直され、知覧特攻平和会館として開館した。<br /><br />老朽化した特攻平和観音堂も2004年に改築され、隣接する運動公園を含めて知覧平和公園として整備されて南九州市有数の観光スポットとなり、公園内の球場や陸上競技場などの施設は様々なスポーツ大会で利用されている。また、公園内には600本の桜が植樹され、満開の時期は夜間にライトアップされるなど、絶好の花見スポットとなっている。<br /><br />まずは駐車場から会館に向かうが、会館へのプロムナードの入口に工事中の噴水があった。この年の8月に特攻隊員を追悼し、平和を誓うためのモニュメントとして竣工した「平和の水辺」。<br /><br />入館料500円を払って特攻平和会館へ入る。第二次世界大戦末期に編成された大日本帝国陸軍航空隊の特攻に関する様々な資料を展示している歴史博物館。写真、遺書などの遺品約4500点、特攻隊員の遺影1036柱などが展示されている。入口近くに展示されている海から引き上げられたゼロ戦以外は撮影禁止。覚悟して入ったが、重かったなあ・・・<br /><br />ゼロ戦は正式には零式(れいしき)艦上戦闘機。零式は零戦が制式採用された1940年が皇紀2600年に当たり、当時の軍用機の名称には下2桁を関する規定があったため00を表わす零式となった。日本の戦闘機では最多の一万機以上が生産され、日中戦争から太平洋戦争にかけて日本海軍航空隊の主力戦闘機だった。<br /><br />展示されている機体はいちき串木野市の沖合約45kmにある薩摩川内市に属する甑(こしき)島の沖約500m、水深約35mに沈んでいたものを1980年に引き上げ修復したもの。<br /><br />会館の右手奥には三角兵舎がある。特攻隊員たちが出撃するまでの起居していた半地下式の三角兵舎を会館横の杉林に復元したもの。その東側には特攻平和観音堂。特攻隊員の精神の顕彰と世界平和を祈念して1955年に建立されたもの。現在の建物は2004年に改築されたもの。<br /><br />観音堂の手前左手には知覧町護国神社。1869年(明治2年)に戊辰戦争の戦没者を祀るため創建され、一時北の豊玉姫神社内に移されたが1959年に現在地に遷座された。境内には西南戦争慰霊碑や日露戦争記念碑、戊辰戦争記念碑などが建つ。<br /><br />プロムナードに戻ると映画「ホタル」と「俺は、君のためにこそ死ににいく」の碑が並んで建つ。「ホタル」は2001年公開の降旗康男監督、高倉健主演の作品。生き残った元特攻隊員を主人公にした作品で、同年の日本アカデミー賞の13部門にノミネートされた。<br /><br />「俺は、君のためにこそ死ににいく」は2007年公開の新城卓監督、岸恵子主演の作品。特攻の母と呼ばれた鳥濱トメと特攻隊員の交流を描いており、当時東京都知事だった石原慎太郎が製作総指揮・脚本を手がけた。ちなみにどっちの映画も見てない。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.24439084992401528&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />3時頃、次の目的地の池田湖に向かうが、続く

鹿児島 南九州 知覧 清流溝・特攻平和館(Chiran,Minamikyusyu,Kagoshima,Japan)

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2022/04/22 - 2022/04/22

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旅行記グループ 鹿児島・佐賀

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年4月22日(金)2時前、武家屋敷通りを東に抜ける。県道232号知覧馬入線に突き当たる右側に石碑。1940年(昭和15年)に建てられたものなので旧字だが、旧領主御仮屋跡とある。

知覧は藩主島津氏の分家の私領地として栄えたが、ふだん領主は鹿児島の屋敷に住み、家臣を御仮屋に通わせ自分の領地を治めていた。御仮屋とは領主の知覧での滞在場所と役所・裁判所・税務署を兼ねた館だった。現在、検察庁・裁判所・市役所知覧支所がある辺りにあった。

県道を挟んで西側に麓公園がある。2004年に架けられた麓川に架かる木装橋の麓橋を渡り木造の門をくぐると松やサツキが植えられ石や灯籠が配置された公園があり、その奥には雑貨店、カフェ、お好み焼き屋が軒を連ねる長屋ふうのふもと横丁がある。横丁の手前には麓川の川岸に下りられる木の階段も造られている(下の写真2)。

検察庁・裁判所の横を通ってメインストリートの県道23号谷山知覧線に戻ると、交差点の北西角に折田兼至胸像が建つ(下の写真3)。折田兼至(かねたか)は知覧出身の明治から大正期の政治家・実業家。鹿児島県会議員から県会議長を務め、衆議院議員も4期務めた。晩年は政界引退後に鹿児島県農工銀行取締役頭取も務めた。

県道23号線沿い、西は市役所知覧支所前の交差点から東は麓川に架かる河上(こかん)橋までの580mに渡って道路の南側に清流溝が通されており、鯉2000匹が泳いでいる。津和野の街を思い出したわ。この通り、国土交通省の手づくり郷土賞に選定されており、東端の河上橋の手前に碑が建てられている。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.24439059695737391&type=1&l=223fe1adec

河上橋を渡って駐車場に戻るが、橋を渡った左手(北側)にロンドン(London)の2階建てバスが見える。入ってないがティーサロンの「Tealan 薩摩英国館」。ティールームの他、紅茶や英国雑貨があるミュージアムショップに英国から見た薩摩の歴史など関する有料資料館もあるそうだ。1992年にオープン(下の写真4)。

車に戻って特攻平和館に移動する。途中、知覧城跡に寄り道(下の写真5)。知覧城はシラス台地に築かれた中世山城で、九州南部に見られる特有の遺構を良好に残しており、国の史跡に指定されている。

2020年7月にNHK総合で放送された「日本最強の城スペシャル」第6弾で取り上げられたのを見ており、歩いてみたかったのだが、先を急ぐのでパス。標高170mの本丸跡までは10分ほどで登れるそうだ。

南北800m、東西900m、面積45万平方mの広大なシラス台地上に築かれ、切り立ったシラス崖によって本丸、倉ノ城(くらんじょう)、今城(いまんじょう)、弓場城(ゆんばじょう)の4つの独立した曲輪に分けられており、各曲輪は約40mの切り立った崖によって守られている。城内にはL字状に曲った枡型虎口に土塁、ぐら台、横矢など防御施設が築かれていた。式部殿城、児城、東之栫、西之栫、南之栫、伊豆殿屋敷等の出城もあった。

初めてここに城を構えたのは平安時代末期の頃の郡司・知覧忠信と云われる。室町時代、足利尊氏の下文によって島津忠宗の三男・佐多忠光がこの地の領主となった。その後、一時伊集院一族の配下となったこともあるが、基本的に佐多氏が幕末まで知覧領主だった。ただし、知覧城は江戸初期の1615年に原因不明の出火で炎上し、一国一城令発令以前に廃城となった。

近世には佐多氏私領の外城(麓)として、知覧城の支城であった亀甲城の山麓に知覧麓が造られ、明治維新まで知覧の中心地となったが、元々は知覧城こそが佐多氏の居城として軍事や政治経済の中心だった。

2時半過ぎ、知覧平和公園の駐車場に到着。特攻隊が飛び立った知覧飛行場跡地に造られた公園で、特攻平和館の他、戦闘機や復元された兵舎、護国神社がある。園内には陸上競技場、多目的球場、サッカー場、庭球場、弓道場、相撲場、武道館などの運動施設もある。

知覧飛行場は1941年(昭和16年)12月に陸軍の飛行学校として歴史が始まる。当初は主に教習用に用いられていたが、戦局の悪化に伴い1944年には本土最南端の航空基地として実戦に転用された。

さらに機体ごと敵艦に攻撃する特攻が始まると、敵艦隊に近いというその位置から特攻全体の約半数がこの知覧基地から出撃した。陸軍関連の総出撃者1036人のうち、全体の4割ほどにあたる439人が知覧から出撃したと特攻平和会館の資料にはある。

戦後、進駐してきたアメリカ海兵隊に破壊されて跡形も無くなったが、1955年になって特攻平和観音堂が建立される。それから20年後の1975年に知覧特攻遺品館がオープン、1987年に建て直され、知覧特攻平和会館として開館した。

老朽化した特攻平和観音堂も2004年に改築され、隣接する運動公園を含めて知覧平和公園として整備されて南九州市有数の観光スポットとなり、公園内の球場や陸上競技場などの施設は様々なスポーツ大会で利用されている。また、公園内には600本の桜が植樹され、満開の時期は夜間にライトアップされるなど、絶好の花見スポットとなっている。

まずは駐車場から会館に向かうが、会館へのプロムナードの入口に工事中の噴水があった。この年の8月に特攻隊員を追悼し、平和を誓うためのモニュメントとして竣工した「平和の水辺」。

入館料500円を払って特攻平和会館へ入る。第二次世界大戦末期に編成された大日本帝国陸軍航空隊の特攻に関する様々な資料を展示している歴史博物館。写真、遺書などの遺品約4500点、特攻隊員の遺影1036柱などが展示されている。入口近くに展示されている海から引き上げられたゼロ戦以外は撮影禁止。覚悟して入ったが、重かったなあ・・・

ゼロ戦は正式には零式(れいしき)艦上戦闘機。零式は零戦が制式採用された1940年が皇紀2600年に当たり、当時の軍用機の名称には下2桁を関する規定があったため00を表わす零式となった。日本の戦闘機では最多の一万機以上が生産され、日中戦争から太平洋戦争にかけて日本海軍航空隊の主力戦闘機だった。

展示されている機体はいちき串木野市の沖合約45kmにある薩摩川内市に属する甑(こしき)島の沖約500m、水深約35mに沈んでいたものを1980年に引き上げ修復したもの。

会館の右手奥には三角兵舎がある。特攻隊員たちが出撃するまでの起居していた半地下式の三角兵舎を会館横の杉林に復元したもの。その東側には特攻平和観音堂。特攻隊員の精神の顕彰と世界平和を祈念して1955年に建立されたもの。現在の建物は2004年に改築されたもの。

観音堂の手前左手には知覧町護国神社。1869年(明治2年)に戊辰戦争の戦没者を祀るため創建され、一時北の豊玉姫神社内に移されたが1959年に現在地に遷座された。境内には西南戦争慰霊碑や日露戦争記念碑、戊辰戦争記念碑などが建つ。

プロムナードに戻ると映画「ホタル」と「俺は、君のためにこそ死ににいく」の碑が並んで建つ。「ホタル」は2001年公開の降旗康男監督、高倉健主演の作品。生き残った元特攻隊員を主人公にした作品で、同年の日本アカデミー賞の13部門にノミネートされた。

「俺は、君のためにこそ死ににいく」は2007年公開の新城卓監督、岸恵子主演の作品。特攻の母と呼ばれた鳥濱トメと特攻隊員の交流を描いており、当時東京都知事だった石原慎太郎が製作総指揮・脚本を手がけた。ちなみにどっちの映画も見てない。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.24439084992401528&type=1&l=223fe1adec


3時頃、次の目的地の池田湖に向かうが、続く

  • 写真1 旧領主御仮屋跡の碑

    写真1 旧領主御仮屋跡の碑

  • 写真2 麓公園

    写真2 麓公園

  • 写真3 折田兼至胸像

    写真3 折田兼至胸像

  • 写真4 TEALAN 薩摩英国館

    写真4 TEALAN 薩摩英国館

  • 写真5 知覧城跡

    写真5 知覧城跡

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