2019/03/08 - 2019/03/15
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ポポポさん
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ルクソール西岸のネフェルタリ王妃の墓の観光を終えると我々は一旦クルーズ船まで戻りました。
そして小休憩の後にルクソール最期の観光地となったルクソール神殿に向かいました。諸般の事情でルクソール神殿は夜の観光となりましたが、神殿の観光はやはり日中の方が良いと思います。
夜の観光では照明の関係で一部のレリーフしか見れません。そのため夜のルクソール神殿の観光はライトが必携です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
ルクソール西岸にあるネフェルタリ王妃の墓を観光した後は一旦クルーズ船まで戻りました。
王妃の墓のOPツアーに参加していないメンバーはクルーズ船で待っているため合流する必要があったからです。
クルーズ船ではトイレ休憩を兼ねて小休止、着替えをする時間はありましたがほとんど汗をかいていなかったので、そのままの服装でバスに乗ることにしました。
船室に入るとベッドメイキングがされていました。ベッドの上にはバスタオルで作られたハートが・・・。
クルーズ船に初めて乗船した時は白鳥だったな。
などと考えながらツアーバスに再び乗車。ルクソール最後の観光地となるルクソール神殿に向かいました。 -
クルーズ船の係留所を出発したバスはナイル川沿いにあるルクソール神殿の側を南に向かってひた走る。
後で分かったのですが神殿の東側には大駐車場があり、そこに向かうためには大きく迂回しなければならなかったのです。という事で最初は車窓観光と相成りました。
写真は第一塔門とオベリスク、ラムセス2世の立像です。ルクソール神殿 城・宮殿
-
左はラメセス2世の中庭。中央の高い列柱は大列柱廊。巨大な開花式パピルス柱が2列14本建ち並んでいます。
この大列柱廊は18王朝のアメンヘテプ3世が建てた物。遠くで見ても迫力があります。ルクソール神殿 城・宮殿
-
右、大列柱廊。左はアメンヘテプ3世の中庭。その名の通りこれらの列柱もアメンヘテプ3世が建てました。
-
アメンヘテプ3世の中庭の列柱のアップ。
-
ルクソール神殿尾側にある大駐車場に到着しました。
いよいよここから神殿の観光開始。
でもここで驚くべき光景が目の前に。・・・ルクソール神殿の上にモスクが建っているんです。
な、な、なんじゃこれ。世界遺産の上にモスクがあるんかい。で、すぐに写真を写した。でも写っていない。またデジカメの故障か。肝心な時に写真が飛んでる。
これ、後で分かった事だから今となっては最早どうしようもない。
話を戻しまーす。
大駐車場からはモスクの側を迂回して通路のような所を通って神殿前の広場へ。 -
ルクソール神殿のチケットです。
2019年3月時点で入場料140EGP(約1000円)でした。 -
ルクソール神殿前の広場に到着。
神殿入り口には第一塔門とラメセス2世が建てたオベリスク、5体のラメセス2世の像がありました。
ラメセス2世像は元々座像が2体、立像が4体の計6体です。訪問時確認できたのはそのうち5体、一番左の立像は復元作業中でその右の立像は修復作業中でした。
これらの像は2017年2月から修復工事を開始したとのこと。完成までもうしばらくかかりそうですね。
さて現在時刻は18時3分、夜の帳が降りるには少し早い時間ですが神殿はすでにライトアップされていました。
但し遠目で見るとライトアップされていても暗かった。ルクソール神殿 城・宮殿
-
第一塔門左側のラメセス2世像。
写真左側の立像も修復中のようでした。 -
ルクソール神殿は元々ハトシェプスト女王がアメン神、ムト神、コンス神の祠堂として建立したもので、その祠堂の上に第18王朝のアメンヘテプ3世が神殿の大部分を造営、さらに100年後第19王朝のラメセス2世が増築を行って現在の姿になりました。
ラメセス2世が建立した塔門の前のオベリスクは高さ25m、対のオベリスクとして建てられた右側のオベリスクは現在パリのコンコルド広場に立てられています。
1831年、当時エジプト総督だったムハンマド・アリがフランスに贈呈したのです。
エジプトのオベリスクは国外に多数持ち出されていて、一番多いのがイタリアのローマ。
果たしてこのような状況下、貴重な歴史資産をやすやすと他国に寄贈するものだろうか。このことが気になって調べてみたところ以下の事が判明しました。
当時のエジプトはオスマントルコの属領でした。オスマントルコから派遣されてエジプト総督まで上り詰めたのがアルバニア系トルコ人のムハンマド・アリ。
彼はエジプトの建築物には全く興味が無く、国益のためには英仏の要求を容易に受け入れる人物でした。
そんななかフランスから要求されていたのがルクソール神殿の2本のオベリスク。元々このオベリスクをシャンポリオンの助言によって要求していたのはナポレオン・ボナパルトです。
エジプト遠征時に発見した至宝ロゼットストーンは宿敵イギリスに奪われてしまいました。ナポレオンはこれに代わる宝としてオベリスクを要求していたのではないでしょうか。
そして年月は流れ、ラメセス2世のオベリスクはムハンマド・アリによってフランスに寄贈されました。
オベリスクは2本寄贈されたのですが、搬出作業に大変な労苦を伴ったためフランス政府は1980年に残りのオベリスクの所有権を放棄しました。
こうして残りの1本はかろうじてエジプトに残ったのです。1本だけでしたが残って良かったですね。ルクソール神殿 城・宮殿
-
第一塔門右の3体のラメセス2世像。
像の手前に見えている四角い石がフランスに寄贈されたオベリスクの基礎石です。そして左隅に見えているのが残されたオベリスク。 -
神殿に残るオベリスクは25mですが、コンコルド広場に建てられたオベリスクは22.8mと左右の高さが異なっていました。そのため右のオベリスクはスフィンクス参道寄りに建てられて、見た目の高さが同じになる様に調整されました。
ルクソール神殿の第一塔門前にはカルナック神殿と同じようにスフィンクス参道がありますが、神殿前の広場にはスフィンクス参道を通らずに来たものですからこの時点では参道の存在には気付きませんでした。
後程気付いた時には暗くなっていたので、この参道の写真はありません。
なおこの参道はハトシェプスト女王がアメン神他の祠堂を建てた時にルクソール神殿とカルナック神殿を結ぶ道として整備したものです。 -
オベリスクの台座の正面には立ち上がっている4頭のヒヒの彫像。
これはヒヒが太陽を礼拝している姿を表しているそうですが、ヒヒが向かっている方向は北東です。
この方向で果たして太陽が礼拝できるのでしょうか?疑問です。 -
第一塔門前のラメセス2世の座像。
座った姿の腰の下には上下エジプトを象徴するパピ神の彫像があったのですが、秀逸な彫像は神殿の内部にあるとのことでしたので、ここではあえて写真は写しませんでした。 -
第一塔門の途中から神殿内部の景色を写したものです。
写真左に見える建物がモスクで、中央に見える柱が大列柱廊。 -
アブ・エル・ハッジャーン・モスクです。
このモスク、なんとルクソール神殿の上に建てられているんです。ええーっ、何でこうなるのよ。といった感じで驚きました。
このモスクが建てられた時、ルクソール神殿は砂と瓦礫の下に埋もれていたそうです。
そのため砂の下にまさか神殿があるなどとは思わずに硬い石がある程度に思って工事が進められたのでしょうね。
神殿の上にモスクがある風景、違和感満載でした。 -
ここはラメセス2世の中庭、その一角にあるのがハトシェプスト女王の祠堂です。祠堂は第一塔門西側の裏側にありました。
オペトの祭りでカルナック神殿からルクソール神殿に巡行してきたアメン神、ムト神、コンス神の御神像を載せてきた聖船の神輿は祭りの期間中この祠堂に安置されました。
祠堂入り口の列柱や梁の装飾はラメセス2世によって取り付けられました。 -
ハトシェプスト女王の祠堂。
祠堂には3室の小部屋が造られていて、内部は当然何も無し。
オペトの祭りは年に1回行われる古代エジプト最大の祭りです。ナイル川増水時期の2月、農作業が行われない時期を利用して行われました。
カルナック神殿の主神アメン神が副殿として造営されたルクソール神殿に妻であるムト神や子供のコンス神と過ごすために聖なる船に乗ってやって来る祭りです。
3神が乗船した聖なる船の神輿はカーテンで内部が隠されていましたが、一般大衆はカーテン越しに神々の姿を崇めるとともに願いを訴えたそうです。
聖なる船の神輿がルクソール神殿に到着すると華麗な祝祭が始まります。人々は主神アメンに花を捧げ、聖水が注がれ、牛や酒その他の食べ物が献じられて神から祝福を受けました。
当初はハトシェプスト女王が整備した陸路の参道を往来していましたが、カルナック神殿まで運河が開かれて以降は船を使用して往来したそうです。 -
ラメセス2世の中庭は開花式パピルス柱に囲まれていて、柱の間にはラメセス2世の立位像が建ち並んでいました。
-
ラメセス2世像は完全な姿で残っている物もありますが。多くは破損していました。
これらラムセス2世像はラムセス2世によって作られたと言われていますが、半分ほどはアメンヘテプ3世によって作られたものです。
アメンヘテプ3世によって作られた像は名前をラメセス2世に改ざんされました。 -
像の中には体の半分以上を失われたものもありました。
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これは完全な形で残っていた数少ないラメセス2世像。
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中庭に残るルクソール神殿正面のレリーフ。
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大列柱廊入り口にあったラメセス2世座像。その座像に彫り込まれた上下エジプトを結ぶパピ神のレリーフ。
ラメセス2世座像のうち最も美しいレリーフだそうです。
レリーフに目を奪われてしまって、ラメセス2世座像の写真を撮り忘れてしまいました。 -
パピ神のレリーフのアップ。
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第2塔門を抜けてすぐ左に2体の像がありました。
左はアメン神で右が妻のムト女神です。アメン神の上半身は激しく破壊されており顔は失われています。
神像の顔は製作した当時の王の顔に似せて作られるので、ツタンカーメン王の顔だと考えられます。
とするとカルナック神殿のアメン神はツタンカーメンの似絵だったので多分眉目秀麗だったであろうと想像できます。 -
アメン神像の真向かいに建てられているのがツタンカーメン王とアンケセナーメン王妃の像です。
こちらの像も顔の大部分が失われていました。アンケセナーメンは鼻が失われていて残念。
ツタンカーメンの像も名前がラメセス2世に改ざんされていました。
ラメセス2世よ。あんたやりすぎだよ。
この他ラメセス2世は歴代の王の名前が載っている王名表からアメンヘテプ4世、スメンクカラー、ツタンカーメン、アイの4代(実際にはツタンカーメンの前に謎の女帝がいたと考えられているので5代)の王の名前を削除した新しい王名表を作成しています。
つまりアメンヘテプ3世(ツタンカーメンのお爺さん)の次の王はホルエムヘブになっているんです。
王名表を改ざんしたのでツタンカーメンの名前が残っていてはまずい。こうしてツタンカーメンの名前はラメセス2世の名前に改ざんされ、歴史上から抹殺されました。
ただ、ラメセス2世よりさらに上手の王がいました。その名はホルエムヘブ。
軍の総司令官でツタンカーメン王の代理人、実質的な行政の最高責任者でツタンカーメン王の晩年は摂政でもありました。
彼はツタンカーメンが行ったカルナック神殿などの神殿の修復、神像の修復復元など数々の事業を自らが行ったようにツタンカーメンの名前を改ざんしています。
カルナック神殿内にアイと共同名で造った神殿も破壊してカルナック神殿の第2塔門の詰め物にしています。
このようにツタンカーメンが行った数々の治績は名前を改ざんし、ホルエムヘブが行ったことにしてツタンカーメンの名前を歴史から抹殺したのです。
ラメセス2世は王名表からツタンカーメンの名前を抹殺したので、辻褄合わせにツタンカーメンの名前を自分の名前に書き替えたのでしょう。
だからホルエムヘブの方が悪党ですよ。 -
アメンヘテプ3世が建てた大列柱廊。
2列14本の大きな開花式パピルス柱が並びます。高さは19mで周囲は10m、左右の壁にはツタンカーメン王が製作したオペトの祭りのレリーフがあります。
このレリーフの製作者名がホルエムヘブに改ざんされていたと記憶しています。
アメンヘテプ3世が大列柱廊を立てた時には壁には何も彫られていなかったそうです。
さて、オペトの祭りのレリーフですが写真がありません。アランさんから説明を受けたレリーフは大体写真を写しているんですが・・・。
ここで説明を受けた記憶がないのでオペ手の祭りのレリーフはアランさんがスルーしたのかもしれません。 -
大列柱廊を通って出て来たここはアメンヘテプ3世の中庭。
合計64本の閉架式パピルス柱が立ち並ぶ広場です。
写真では分かり難いのですが列柱に囲まれた空間がとにかく広い。圧倒されるようなスケール感、ライトアップされたれパピルス柱が美しい。
写真正面に見えている閉架式パピルスの列柱が列柱室、奥に見えるアーチのさらに奥が至聖所です。 -
中庭を囲むように建てられていた列柱。こちらは西側の列柱。
-
再び正面、見えているのが列柱室。
-
中庭東側の列柱。
-
アメンヘテプ3世の中庭から列柱室を抜けると広間と呼ばれる所に出ます。この先がルクソール神殿の心臓部。
列柱室の先には前室が4室と副室が1室、合計5つの部屋があります。そのうち列柱室に近い東の部屋は誕生室と呼ばれています。
何故誕生室と呼ばれているかは不明です。 -
ここから先は全室です。これは前室の外壁に彫られていたレリーフ。
供物を捧げる人のレリーフです。
夜の照明の方が昼の光よりもレリーフの凸凹を浮かび上がらせるようで、はっきり見えました。
写真はアランさんがレリーフを説明している場面。どんな内容だったのか全く覚えていません。 -
レリーフの一部にオプトの祭りの聖なる船のような物が描かれている・・・。
アップにしてみましょう。 -
アップにすると益々聖なる船のように見えてきます。船の上の神輿はコプト教の信者に潰されたようですが、船の台や舳先、もしくは船尾の様子はカルナック神殿に描かれていた聖なる船と同じです。
レリーフは聖なる船に供物を捧げているのでハトシェプスト女王の祠堂に安置された聖なる船と神輿が描かれているのではないかと推測しました。
このレリーフもアランさんから説明があったはずですが全く記憶にありません。
神輿の部分はアメン神ら3神が乗った聖なる船の一部分と、神に供物を捧げるファラオ(?)かな。
夜の神殿はライトアップされていますが、すべてのレリーフが明かりに照らされている訳ではありません。
そのためガイドのアランさんがライトを当てて説明してくれるのですが、光が当たっているのは壁画の一部分であるためレリーフの全体像は見れません。
その点ではこの神殿は日中に観光すべきだと思いました。
我々も当初の旅程ではカルナック神殿の次にルクソール神殿を観光する予定でしたが旅行会社の不手際で日中には観光できませんでした。
レリーフに興味がある者にとっては残念な結果になりました。 -
供物を捧げているにとのレリーフ。
次にアランさんが案内してくれたのは一番西の部屋の外壁。 -
前室西側外壁のレリーフです。照明が少ない場所だったのでここの通路は暗かった。
この辺りには足場らしきものが組まれていました。足場の上の壁を修復しているようですが、真っ暗で足場の上の状況は分かりませんでした。
修復中でなければ壁の補強と落下防止のために設置されたと考えられます。いずれも昼間でないとはっきり分かりませんね。
写真はストロボを発行させて写したものです。この辺りの壁の照明は少なかったので薄暗かったです。
ここに描かれているのは豊穣の神、ミン神のレリーフ。ガイドのアランさんは小型ライトを点灯させてこの神について熱く語ってくれました。 -
ミン神の写真はアランさんの説明が終わり、皆が移動した後に写したものです。
通路が狭かったのでレリーフの前で説明が聞けたのは5~6人、私は外れにいたため耳だけ傾けてレリーフは見えなかった。
アランさんのライトは局所的にしか照らされていなかったので周囲は暗かった。
後で近寄ってみると、ほの暗い壁にミン神の姿が・・・。
ミン神様、どこでお見掛けしてもいつもご立派だこと。
そういえばアランさん、とても重要な神だと言っていたな。でも重要な神という以外何も覚えていない。 -
ファラオはミン神に右腕を差し出し何か話しかけているように見える。
アラさんはこの様子の意味を説明したはずなんだが、どうしても思い出せない。
ただただミン神の立派なお姿には負けそう。 -
前室の列柱。
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反対側の列柱。
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前室に入りましょう。
真っ直ぐ進んだ先の一番奥が至聖所です。 -
前室の壁に施されたレリーフ。
中央がアメン神、右にハトホル女神、そして神々に供物を捧げるファラオの姿が描かれています。
しかし、顔はコプト教徒によって潰されていました。 -
こちらのレリーフは顔や頭部が激しく損傷しています。右端の冠からかろうじてアメン神だろうと想像できるくらいでした。
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2枚羽根の冠を被っているのはアメン神。中央の太陽円盤を載せている神は誰か全く分かりません。
この部屋はどのレリーフも顔が潰されていました。 -
またまたありましたミン神のレリーフ。
豊穣の神はあちこちに描かれています。 -
この部屋はアレクサンドロス大王の聖船室。アレクサンドロス大王が再建したと伝えられており、至聖所に向かう手前の部屋です。
壁の両側にはびっしレリーフがありました。 -
右手に楽器、左手に・・・これは多分ランプ、を持つファラオ・・・では無くてアレクサンドロス大王です。
エジプトのファラオであれば上下エジプトを象徴する冠を被っているはずですから。
さらにこの部屋はアレクサンドロス大王が造った部屋なのでアレクサンドロス大王を主人公にしたレリーフが無ければおかしいのです。 -
このレルーフはパピルスと蓮の花を捧げるファラオが描かれています。エジプトの王冠ではなくネメス頭巾を被った姿で描かれているのは珍しいと思います。
ネメス頭巾を被ったファラオのレリーフはこの神殿が初めてでした。
このレリーフもアレクサンドロス大王を意識して製作したのかもしれません。 -
上の右隣りにはアメン神のレリーフ。
かろうじて判別できますが、ボコボコにされてました。 -
レリーフの保存状態は千差万別。
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上のレリーフのアップ。このレリーフはファラオの定番のレリーフ。但し右手に持っているのは楽器のシストラム?
シストラムを持っているのは王妃や王女の女性なんですが・・・、アレキサンドロス大王が作らせたので常識を逸脱したレリーフになったのかも。 -
供物を捧げるファラオと思われるレリーフ。このファラオもネメス頭巾です。
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聖船室の天井。星が描かれていることが多いのですが、この聖船室にはありませんでした。
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聖船室を出るとまたまた列柱があり、その先に見えているのが至聖所です。
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至聖所入り口をアップで・・・。
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神殿の最深部、至誠所です。
ここはアメン神を祭るところでしたが、期限300年頃、ディオクレティアヌス帝の時代に皇帝崇拝の場所としてローマ人によって改造されました。
コリント式の柱やアーチ式のドームが設けられています。
ドームの中は壁画が描かれているようですが、どのような絵かは判別できませんでした。 -
ドームをアップにしましたが人らしい陰影しか分かりません。
ドームの左右にはアメンヘテプ3世時代のレリーフが残っていますが、かなり傷んでいます。
ローマ時代のルクソール神殿はルクソールに駐屯したローマ軍の要塞の一部として使用されていました。 -
至聖所のレリーフ。けっこう傷んでいます。
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上のレリーフのアップ。(ピンボケですみません。)
右端はアメン神、その前に座っているのは誰? -
同じ箇所をもう1枚。
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一通り説明が終わると後は自由時間。
列柱の写真を写しながら第一塔門前の集合場所に戻ることにしました。 -
閉架式パピルスの列柱、ここは列柱室。
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同じく列柱室。昼間ならまた別の景色が見えるはず。
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列柱室の柱にはレリーフはありません。
何本もの丸い子柱を束ねた形の柱がルクソール神殿の特徴かも。 -
アメンヘテプ3世の中庭。夕暮れ時はライトアップが黄色を帯びた色だったのに、今は普通の照明の色。
暖色系の照明の色の方がこの神殿には似合う。 -
アメンヘテプ3世の中庭と列柱。
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アメンヘテプ3世の中庭、西の列柱。
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こちらは至聖所の方向。列柱室の奥は聖なる場所。
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列柱室の右(東側)にはアメンヘテプ3世の中庭の2列の列柱があたかも列柱室と繋がっているかのように見えました。
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こちらは西側の様子。列柱室とは繋がっていないことが分かります。
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戻ってきました大列柱廊。こちらは開花式パピルスの柱です。
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大列柱廊から北を向くと第一塔門が見えます。
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反対側(南の方向)には列柱室と至聖所が・・・。
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大列柱廊から列柱室を見た様子。
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列柱室と神殿本体への入り口。
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大列柱廊と列柱室。
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アップするとこんな感じに見えます。
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再びツタンカーメン王とアンケセナーメン王妃の像。
夕方は後ろから照らされる照明が明るすぎたのですが、暗くなるとちょうど良し照明になってました。
王や王妃の姿がはっきり見えました。仲睦まじい姿はこの像からも伺い知れます。 -
ラメセス2世の中庭に戻って来ました。
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ラメセス2世座像の台座に刻まれたパピ神のレリーフ。
このレリーフは破損していました。 -
ラメセス2世の立像。光がしたの方から当たると不気味。
目はゴーグルをしているみたい・・。 -
不気味なラメセス2世像1号、2号。
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左の像は首が無い。ギャーッ。
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日没時と比べると像の色合いが違うので全般的に不気味に見える。
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ラメセス2世の座像。大列柱廊の入り口にあります。
先程のパピ神のレリーフは右側の座像のものです。 -
第一塔門まで帰りました。ラメセス2世のオベリスクは立派ですね。このオベリスクだけでもエジプトに残って良かった。
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集合場所はここなので、しばらくブラブラしましょう。
観光開始の時のラメセス2世の座像の写真は近寄り過ぎたので、この写真で全体像を把握してください。 -
ラメセス2世像5体の揃い踏み。修復復元が完成し6体が揃ったのは2019年の4月だそうです。
ちなみに26年前の写真では像は3体しかありませんでした。6体揃ったら圧巻でしょうね。 -
夜のルクソール神殿観光、この辺で終了します。この神殿で素晴らしかったのはアメンヘテプ3世の中庭です。この中庭から見た列柱室の景色がすばらしかった。
それから驚いたのがアレクサンドロス大王が再建した聖船室。当時のエジプト国民はアレクサンドロス大王を歓呼の声で迎えたと本で読みましたが、エジプトの為にこのようなことをしていたとは、エジプトに来て初めて知りました。
これでルクソール観光は終了。次はカイロです。いやまだベリーダンスがありました。
次ではそのさわりを少し入れておきますね。
訪問下さり誠に有難うございました。
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