2019/03/08 - 2019/03/15
187位(同エリア951件中)
ポポポさん
過密スケジュールのルクソール観光。次はハトシェプスト女王の葬祭殿です。
3階建ての広いテラスの葬祭殿は斬新でユニークな建物。あの時代にこんな建物とは恐れ入りました。建物の素晴らしさだけではなくレリーフも美しい葬祭殿でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
3月13日、旅行6日目。王家の谷の続きです。
王家の谷はツタンカーメン王墓の見学で終了。直ちに入り口まで引き返し、ツアーバスに乗ってエル・クルン山の東側にあるハトシェプスト女王葬祭殿にやってきました。
駐車場でバスを降り、観光地の入り口付近にある土産物の通りを抜けていきます。ここの土産物店は店が多くまるで商店街のようでした。例によって店の両側から「ワンダラー」こ掛け声がかかりますが、呼び込みの掛け声なのでもうこの声には慣れました。
この商店街を抜けたところにカート乗り場がありました。王家の谷同様ここもカートに乗って葬祭殿の入り口まで行くようです。 -
カート乗り場からはエル・クルン山が見えます。この山の東斜面の断崖にハトシェプスト女王の葬祭殿があるのです。
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こちらがカート乗り場から見たハトシェプスト女王葬祭殿の全景です。
ハトシェプスト女王はトトメス1世の長女で王位継承者でした。この時代は王の嫡出の長女に王位継承権があり、男性は王位継承権のある王女と結婚することでファラオになれました。
「ハトシェプスト」とは「最も高貴な女性」と言う意味です。
彼女の夫は異母兄弟のトトメス2世、そして側室の子のトトメス3世の正妃ネフェルウラーの母でした。
夫トトメス2世が早世したため遺言によりトトメス3世は僅か4歳という幼さで王となりましたが、側室の子トトメス3世が幼いためハトシェプスト女王は共同統治者としてトトメス3世の摂政になりました。
摂政になると野心を燃やし自らファラオになるために強引に戴冠式を断行し、以後22年に渡って権力を振るいました。当時はファラオの座には男性のみが就くものだったので、女王は男装して付け髭をし男性として振舞ったそうです。
この間トトメス3世は共同統治者の王とは名ばかりで女王が絶対的権力を保有していたため、国政には全く関与できませんでした。
トトメス3世が付けるべき王冠はハトシェプスト女王が取り上げ、死ぬまで返してくれなかったそうです。
では国政に関与できないトトメス3世はその間何をしていたのでしょうか。
やり場のない鬱屈した生活を送っていたトトメス3世は狩と軍事訓練に明け暮れていたそうです。
この訓練や狩はトトメス3世が後にファラオになった時、対外遠征で存分に役に立つことになるのですが、女王の存命中にはこれらの機会は訪れませんでした。ハトシェプスト女王葬祭殿 山・渓谷
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カートに乗って葬祭殿に向かっている所ですが、景色ばかり写していてカートの写真がありません。カートに乗っているつもりで写真を見て下さい。
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ハトシェプスト女王葬祭殿のほぼ正面です。葬祭殿は断崖の壁に接するように造られていますが、この葬祭殿を設計し建設したのは官吏だったセンムトです。
建物は3階建てで2階と3階に広いテラスを持つ葬祭殿は今までの葬祭殿には見られないとても斬新な設計でした。現在の建物と比較しても遜色がありません。この葬祭殿はデル・エル・バハリと呼ばれています。
葬祭殿の方からやって来るのが観光客を送迎してくれるカートです。このカートが葬祭殿の入り口まで往復してくれるので長い距離を歩かなくて済みました。 -
車窓右側の岸壁には洞窟墳の跡が見られます。これは庶民の墓。
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ここには貴族の墓もありました。ルクソールの西岸は死者の町(ネクロポリス)と呼ばれ元々死者を埋葬する場所でした。
そのため王家の谷が造営される以前から庶民は洞窟墳に埋葬されていました。王家の谷が造営され始めると貴族もこの地に埋葬されるようになりましたが、写真はそのような貴族の墓です。 -
貴族の墓の入り口です。貴族の墓も盗掘されていて、左側の墓のように盗掘者に入口が破壊された所もあります。
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斜面に点のように見える所が洞窟墳です。手前の建物はカフェだとか。
何かの待合室かと思ったよ。 -
葬祭殿の入り口に到着しました。カートはここまで、ここからは歩いて葬祭殿に向かいます。
ここから葬祭殿まではまだ数百メートルはあります。そしてここから周囲を見渡すと一面の平地で遮る物も、身を隠すべき物もありません。
このだだっ広い場所で起きたのがルクソール事件と呼ばれるテロ事件です。
1997年11月17日、この場所でイスラム原理主義過激派「イスラム」集団のテロリスト6人が約200人の観光客らに自動小銃を乱射。日本人観光客10人を含む62人が死亡、85人が負傷しました。亡くなった日本人は日本からのツアー客でほとんどが新婚旅行客でした。新婚旅行客は4組8人でしたがそのうち7人が死亡しました。
このニュースはただちに日本でも報道され、新婚さんが多数亡くなったことを知りとてもショックだったことを今でも憶えています。
エジプトでは今でもテロが続いています。私が旅行した前年(2018年)の12月にはギザで爆弾テロが発生しベトナム人観光客とツアーガイドの4人が死亡。2019年5月に再びギザで爆弾テロが発生して観光客が17人負傷。さらに2019年8月首都カイロで爆発テロが発生し20人が死亡しました。このように今も引き続きテロが発生しているので注意が必要です。
ルクソール事件以降長い期間日本人観光客は来なかったのでアランさんのような日本人ガイドは仕事が無くなりとても困ったそうです。幸いアランさんは現地の旅行会社に席を置くガイドだったので、土産物の製造工場で働き何とか生計が維持できたと言っていました。ハトシェプスト女王葬祭殿 山・渓谷
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ハトシェプスト女王葬祭殿の入場チケット。料金は100EGP(日本円で約700円)でした。
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ハトシェプスト女王時代に葬祭殿入り口の左右に植えられたサンダルウッドの木(香木)です。
木は枯れてしまったので根元の部分のみが残っているそうです。 -
右に見えてきたのはスフィンクス。この辺りもルクソール事件の現場だそうです。
ハトシェプスト女王葬祭殿 山・渓谷
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スフィンクスの顔は破壊されていてどんな顔だったのか全く判別できません。
一説にはハトシェプスト女王の顔に似せて作られたのだとか・・。でも真意の方は不明です。 -
ここは第2テラスです。上り坂のスロープは3階の第3テラスに行く道ですが、アランさんはここを上らず左の方に歩いて行きました。
写真は第3テラススロープの登り口にあるホルス神像。 -
第2テラスの左側にあるこの瓦礫の山はメンチュヘテプ2世の墓と葬祭殿の跡。
ハトシェプスト女王葬祭殿の左隣にありました。 -
第2テラス左隅にあるのがハトホル女神礼拝所です。
時間の都合でこの神殿の中には入らず、第2テラスの列柱廊にあるハトシェプスト女王のレリーフを見に行きました。
ハトホル神殿は自由時間に各自で見てほしいとのことでした。後でアランさんから聞いたのですが、ハトシェプスト女王葬祭殿の後にはオプショナルツアーのネフェルタリ王妃の墓の観光が予定されていました。この墓の入場時間は午後4時までだったので、これに間に合うかどうか気が気じゃなかったそうです。
普通のツアーではハトホル女神礼拝所や列柱廊のレリーフを案内して、3階に行くそうですが、時間が押し迫っていたのでハトホル女神礼拝所には行かずに2階のレリーフの説明と3階の至聖所の案内しかできなかったそうです。
通常なら丸一日かけて観光するルクソールの観光を6時間で観光するという旅行会社の旅程そのものがムチャクチャだったのです。
そもそも出発の1週間前にできもしない旅程に変更してきた某旅行会社の東日本営業本部が問題なのです。
実際不可能な旅程を添乗員から見せられてガイドのアランさんは困惑された事でしょう。アランさんの方こそ大迷惑だったと思いますよ。
ハトシェプスト葬祭殿は全部見れなかったのですがアランさんを責める気にはなりませんでした。
という事でハトホル女神礼拝所の観光は無し、アヌビス神礼拝所については説明も何もありませんでした。旅行記を書くときに初めてその存在を知りました。
アヌビス神礼拝所は最初から案内先からはずされていたようです。多分時間的に無理だったのでしょう。 -
ハトホル女神礼拝所の隣にあるメンチュヘテプ2世の葬祭殿。右奥にあるのが王の墓。ついでに言うとさらにその奥(岸壁側)にはトトメス3世の神殿がありました。
この場所からはトトメス3世の神殿跡は見えません。 -
第2列柱廊にあるプント国のサンダルウッドを描いたかなり傷んだレリーフです。
ここの壁にはハトホル女神が交易したプント国との交易の様子や交易船、プント国の産物などのレリーフが描かれていました。
交易のレリーフと共にハトシェプスト女王のレリーフもありましたが、いづれも激しく傷つけられています。
女王の顔は削られて判別できません。交易の様子も断片的に見える程度でした。レリーフには美しい色が残っていたので破壊されたのはとても残念です。
色から想像すると大変カラフルで美しい壁画だったと思います。
これらのレリーフや女王の彫像はトトメス3世はファラオに即位するや直ちに取り壊されたり破壊されたのです。 -
プント国の様子を描いたレリーフです。
緑豊かな色々な植物が茂っている国だったようです。 -
ハトシェプスト女王はファラオになるや海外遠征を中止し平和外交を目指してアフリカを中心とした交易に乗り出しました。
中王国時代以来中断していたプント国との交易も再開しました。
プント国とはスーダン南部からエチオピア北部の紅海沿岸地域とされ、香料や象牙、黒檀や金、動物の毛皮などアフリカの特産物が取引される中心地でした。
この国と交易することでエジプトは大きな利益を得たのです。
国力が充実すると崩壊した宮殿を修復したり新しい建造物を建てたりして国土の復興に力を注ぎました。
こうした内政重視の政策により芸術が発展しさらに国力が充実していきました。
さらに女王はメンフィス近郊に王宮を建設し、メンフィスとテーベと言う二つの都市に宰相を置いて「二人宰相制度」を採用しました。これにより上下エジプトの二大拠点が確立し機能するようになりました。
しかし多くの功績を残したハトシェプスト女王も側室の子トトメス3世には目の上のたんこぶだったそうです。女王がファラオに君臨していた22年の間、トトメス3世が被るはずだった上下エジプトの王冠はハトホル女神に取り上げられていたそうです。
トトメス3世の恨みが積もりに積もっていたのも分かる気がします。 -
顔の部分がトトメス3世によって削られた男装したハトシェプスト女王。
上半身裸の男性のファラオの姿で描かれていますが、女性の女王をあえて男性のファラオとして描かれたそうです。
ハトシェプスト女王の治世11年目に女王の娘であるトトメス3世の正妃ネフェルウラーが亡くなります。するとトトメス3世の影響力が次第に強くなり女王の側近が次々に失脚。治世22年でハトシェプスト女王が死亡もしくは退位すると単独で政権を握りました。
政権を握った彼が真っ先に行ったのがハトシェプスト女王の記憶を消し去ることでした。
こうして葬祭殿のレリーフは破壊され、多くの彫像は打ち壊されて王女の記念建造物から王女の記憶が消し去られました。よほど腹に据えかねていたのか、破壊行為は徹底していました。たとえが葬祭殿の第3テラスにあるハトホル女神の顔のオシリス神像で顔が残ったものはわずかに3体、首をもがれた物が1体、後は全て足首の上から破壊されました。
さて、トトメス3世が単独政治を行い始めた頃、エジプトを取り巻く周囲の情勢はかなり緊迫したものになっていました。
ハトシェプスト女王の平和政策の間に北メソポタニアのミタンニ王国がシリアとパレスティナを勢力圏に取り込みエジプトを脅かす存在になっていたのです。
トトメス3世はただちに西アジアに向けて遠征を開始、パレスティナ北部のメギトでエジプトに反旗を翻した反エジプト同盟軍(カナン連合→カデシュとメギドとミタンニ)と交戦しこれを撃破、メギドの町を包囲攻略し勝利しました。
その後も計17回に及ぶ遠征を行い次々と領土を広げていきました。こうしてエジプトの版図はエジプト史上最大となり後世「エジプトのナポレオン」と呼ばれるようになりました。 -
第2テラスのレリーフを見た後は坂道のスロープを上がって第3テラスへ・・・。
正面に見えるのは第3テラスの列柱廊のオシリス神像。顔は口髭を付けたハトシェプスト女王です。
これらの彫像はトトメス3世によって破壊され、中央入り口左の1体と右の内側から2,3番目の彫像が破壊を免れたました。後は全て新たに修復されて取り付けられたものです。 -
一番手前の像は修復されて取り付けられたもの。2番目、3番目の彫像はオリジナルですがその奥の彫像は新たに作られた像です。
-
柱に取り付けられた女王の彫像が一列に並ぶさまは圧巻だったでしょうね。
王権を22年の間義母に握られ続けていた悔しさも分かりますが、観光客の立場からは壊さないで欲しかったですね。 -
こちらは左側の列柱の様子。
写真手前の彫像は首が新たに据付られていますが、奥の2体は新しく作られた彫像です。
まだ未修復の彫像はいずれも足首から上が破壊され、像そのものがありませんでした。
それでも彫像が増えているので、古い写真の葬祭殿よりも葬祭殿らしくなっていました。 -
第3テラスの入り口で3階の見所の簡単な説明があり、後は15分の自由時間でした。
自由時間が僅か15分しかないので急いでアランさんが見るように指示した場所に行きましょう。
観光するのは岩窟至聖所、太陽の祭壇、右の礼拝所、第3テラスからの景色以上です。
ホトホル女神礼拝所は見る時間があるかなと思いつつまずは右の祭壇へ。アヌビス神礼拝所の説明は無し。
多分アランさんはアヌビス神礼拝所まではとても15分では見れないと思い説明してくれなかったのでしょうね。
写真は岩窟至聖所の正面に向かい合うように建てられていた門。3階のテラスの入り口からこの門を見ると門柱にはレリーフも何もありませんでした。
ところが反対側から見ると門柱の上部には美しい彩色が残り、門柱にはレリーフが施されていました。 -
3階テラス入り口の入り口に建てられていた門柱の様子。
門柱の正面にはアモンの聖域と呼ばれる岩窟至聖所がありました。この門柱は3階テラスの入口門では無くアメン神に捧げられたものだったのではないかと思います。
3階のテラスの全体の景色を撮り損ねましたが、3階には目ぼしい建物はありません。あるのは破壊された多数の柱や崩れた石の瓦礫でした。
一体どんな建物があったのか今では皆目分かりません。これらの破壊行為はトトメス3世によって行われました。 -
これ、太陽の祭壇を外から写した写真です。写真だけではどんな建物なのかわかりませんよね。
太陽の祭壇ってどんな建物だったかな?思い出せないよ。 -
次は右の礼拝所。外から見えたののがこのレリーフ。
色がとても綺麗に残っているので是非見てねというアランさんのお言葉に従って中に入りますよ。 -
礼拝所の中はとても狭い、中にあるのはこのアメン神のレリーフのみ。うちの団体が一挙にワッと入ってきたので中はすぐに一杯に・・。
写真を撮ってすぐに外に出て来ちゃった。色は確かに綺麗だったな。 -
ここ洞窟至聖所の入り口。入り口は写真の左の方、入り口は柱の影に隠れちゃった。
でも何で入り口の正面から撮らなかったのか今でもよく分からない。記憶では正面からも写したはずだから、この時またカメラの不具合でSDカードに記録されなかったのかも・・・。 -
岩窟至聖所の中に入ります。中は御覧のようにごった返していたよ。この日は観光客で一杯でした。
天井は星々を散りばめた天体図、両側の壁は秀麗なレリーフだったことを想像させる綺麗な色彩が残っていました。
至聖所前の両側にはオシリスの姿の彫像がありましたが2体とも彫像の首はもがれていました。 -
天井の天体図。本当はもっときれいに撮るはずだったのにブレちゃった。
でも動きがあって、これも面白いかも。 -
至聖所に近づいてみましょう。この柵の中が至聖所ですが柵がありこれより先には進めません。進んでも何もなさそうでした。
ここにアメン神の彫像があったのでしょうか。 -
さらに近づくとこんな様子です。
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至聖所内部左の壁画。
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同じく右の壁画。
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至聖所内部のレリーフ。
これらのレリーフはとても美しかったです。 -
一番気にいったのがこのレリーフです。非常に美しい。
傷だらけにされていますが今でも色がはっきり分かります。
トトメス3世は至聖所の中までも傷つけ破壊したんですね。ちょっとやりすぎ・・。 -
供物を捧げるファラオ。
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内部はあらゆる場所のレルーフが傷つけられていて酷い状況でした。
実に痛々しい。 -
彫像の横の壁にはファラオのレリーフが。
上のファラオは削られているが下のファラオは奇跡的に顔が判別できます。しかも上半身が裸なのがファラオの常の姿ですが、このファラオは衣をまとっています。
とすればこのファラオはハトシェプスト女王なのか。 -
ハトシェプスト女王が口髭を付けたの男装のレリーフなら貴重なレリーフに違いない。
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第3テラスの周囲の壁には多数の彫像がありましたが全て首を落とされて破壊されていました。
手前にある建物もしくは柱の破損した部分に残されたレリーフが当時の雅さを今に伝えます。 -
彫像が置かれた壁龕と壁龕の間のにある窪みにはハトシェプスト女王と見られるレリーフが残っていました。
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レリーフのアップです。この姿はハトシェプスト女王でしょう。
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こちらのレリーフは顔が削り取られていました。
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第3テラスにはこのような柱の残骸がいくつも残っていました。
これもトトメス3世の所業です。
ハトシェプスト女王も憎まれたものですね。女王は内政重視の政策で国庫を豊かにし国力を充実させました。トトメス3世が17回も遠征ができたのもハトシェプスト女王が国を豊かにしてくれたからできたことです。
女王に息子がいてその子がファラオになっていたらエジプトの歴史も変わっていたでしょうね。死後もこのような仕打ちを受けることもなかったでしょうに。そう思うと女王が哀れに思えてなりません。 -
破壊された建物(?)の破片のレリーフ。
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壁に残されたレリーフは下半身のみ。
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3階の列柱廊の様子。こちらは入り口左側。
ハトシェプスト女王葬祭殿 山・渓谷
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同じくこちらは入り口右側の列柱。
整然と建てられた列柱の姿がすばらしい。ハトシェプスト女王葬祭殿 山・渓谷
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オシリスの姿のハトシェプスト女王像。頬には赤い紅の跡、女性らしい彫像で微笑ましい。
古い写真と見比べと随分彫像が増えています。すべての彫像を並べて往時の姿を再現させるのでしょうか。
そうなったら圧巻でしょうね。そんな景色を見てみたいな。ハトシェプスト女王葬祭殿 山・渓谷
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修復された彫像の様でまだ新しい。
-
2階のテラスの右端にあるのがアヌビス神の礼拝所。ここには行けなかったな。
勉強不足でそこにアヌビス神の礼拝所があることさえ知らなかった。
ここはいつかもう一度訪れたい場所。コロナが早く終息しないかな。
残り時間があとわずか、急ぎ足でハトホル女神の祈拝所へ。
至聖所に入る時間はもうないのでハトホル女神の顔を刻んだホトホル柱を見て祈拝所を一周しただけ。
レリーフはしっかり見ていないし写真も撮っていません。もっと時間配分を考えれば良かったと後悔しきりでした。 -
後は1階のテラスに集まるだけ。集合時間に間に合いそうです。
あっ、忘れていた。アランさんの言葉。3階テラスからナイル川の景色を眺めてほしいと言っていたよね。2階のテラスからでも見えるのかな?
肉眼で見ても見えない。砂煙のようなものが見えるだけでナイル川は見えない。 -
ズームにしてもダメだった。砂漠が見えるだけ。やはり3階テラスじゃないとみえないのかな・・。こうしてハトシェプスト女王葬祭殿の観光は終わりました。
次は王妃の谷のネフェルタリ王妃の墓、来年1月に掲載します。
来年はコロナが終息しますように。色々と不安が残る年でしたが来年はいい年でありますように・・。
皆様いい年を迎えられますようにお祈り申し上げます。この1年訪問いただき有難うございました。
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