2019/03/08 - 2019/03/15
25位(同エリア516件中)
ポポポさん
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旅行2日目はギザの三大ピラミッドへ。
世界七不思議のうちで唯一現存するピラミッド、今なお建設された年代も造られた理由も定かではない大スフィンクス、そしていまだ発見されていないクフ王の王墓。
ギザには我々の想像をかき立てるものがいくつもあります。写真でしか見たことのない景色をようやく見ることができます。ギザっていったいどんな所でしょうか?
3月9日の旅程
ギザ(三大ピラミッド、9つのピラミッドを望む丘、スフィンクス) ー ダシュハール(赤のピラミッド、屈折ピラミッド、ウナス王のピラミッド) ー サッカラ(階段ピラミッド) ー ギザ(泊)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
PR
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朝7時にホテルを出発しギザの三大ピラミッドの駐車場に到着したのは7時40分。
ギザの町を過ぎたかと思うとすぐ目の前に大きくクフ王のピラミッドが立ちはだかっていました。
砂漠の中に佇んでいるピラミッドを想像していたんですが、実際はギザの町のすぐそばにピラミッドはあったんですね。
駐車場を降りると自動小銃を携帯した警察官が多数警戒にあたっていました。物々しい警戒ぶりでしたが、威圧感は感じません。昨年(2018年)12月にここで爆破テロが起きたばかりなので、警備は厳重でした。
バスを降りるとガイドの誘導ですぐに保安検査。手荷物の検査と保安検査ですが国際空港で行われる保安検査よりも入念です。
検査をパスして進むと目の前には三大ピラミッドが・・・。街のすぐそばにあるピラミッドは砂漠の中にあるピラミッドとは想像がかけ離れていて、あまりにも俗化しているためがっかりしました。
でもでかい。やはりピラミッドはピラミッド。見ていたら感動が湧いてきた。
正面がクフ王のピラミッド、右はカウラ―王のピラミッドです。ギザのピラミッド 建造物
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我々が到着した時は観光客も少なかったのですが、一人一人記念写真を写している間に多数の団体客に追い抜かれてしまいました。
なにせ37人という大所帯、全員の写真を写すだけで約20分もかかりました。
写真を取り終えた者からピラミッドの前に集合。写真の中で前を行く人たちが同じツアーの皆さんです。
ここで写真右に一際恰幅の良いエジプト人がいますがこの人がツーリストポリスです。
ガイドからも添乗員からも紹介が無かったので、この方がツーリストポリスとはこの時はまだ知りませんでした。
現地旅行会社のスタッフがいたので、この人もスタッフだと思っていました。
というのもこのポリスはとても親切なんです。ホテルでのスーツケースの積み下ろしや、ピラミッドの入場チケットの配布など色々と手伝ってくれていたんです。
私は一人参加だったので特に目をかけてくれて何かと親切にしてくれました。
ツーリストポリスとは観光客が安全に観光できるようにエジプト政府が派遣する護衛のための警察官です。
到着した空港から帰りの空港まで旅行中はずっと同行してくれると聞いていましたがツーリストポリスが護衛してくれたのはギザとダシュハールとサッカラのみ。
カイロ市内観光でもツーリストポリスの護衛はありませんでした。
元々エジプトは非常にテロが多い国、1997年11月17日にルクソールのハトシェプスト女王葬祭殿で起きたテロでは日本人観光客10名を含む外国人観光客61名が死亡、85名が負傷しました。
内日本人観光客の中には新婚さん2名が含まれていて日本中の涙を誘ったことから今でもはっきり事件のことを覚えています。
これ以降海外からの観光客が激減、エジプトの主要産業の一つだった観光業が一気に衰退したため経済不況に見舞われました。
エジプト政府は治安回復と海外観光客の誘致のため観光客の安全を保障するためにツーリストポリスを導入し今に至っています。クフ王のピラミッド 建造物
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ガイドのアランさんの先導でクフ王のピラミッドの入り口へ。
クフ王のピラミッド 建造物
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ピラミッドの北面に入り口があります。
写真中央やや左にあるのは本来の入り口。厚い扉に閉ざされここからは今も入れません。
入場できるのは盗掘のためにアッバース朝のカリフ、アル・マムーンが開けた穴のみ、人が数人いる場所がその入り口です。
アル・マムーンはピラミッド内部に入るため数か所に爆薬を仕掛けて岩を破壊しましたが、その一つがヒットしたのだそうです。
本来の入り口も岩が破壊されていますが、これもアル・マムーンが爆薬を仕掛けた場所だと考えられています。クフ王のピラミッド 建造物
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写真の男性がガイドのアランさん。
ここから上がるんだと手で指し示しているところですが、ガイドは中に入れません。
添乗員も入れないそうで、アランさんから内部の様子と順路、見るべき場所と観光時の注意事項の説明がありました。
内部の写真やビデオの撮影は禁止です。そのためカメラは岩の上に置いて行くようにガイドから指示がありました。置いたカメラはガイドと添乗員が監視してくれますが、スマホは持ち込み可だそうです。しかし、アランさんはスマホを持ち込んでも絶対に写真は撮らないようにと重ねて注意していました。
内部の写真撮影は全て禁止なのにどうしてスマホは持ち込み可なのか訳が分かりません。エジプトは性善説の国なのか?当然スマホも持ち込み禁止にすべきでしょう。
欧州各国の写真撮影禁止の宮殿や美術館で平気で写真を撮るスマホ大国の中国人や韓国人がこんな禁止事項を守るはずがありません。
そう思っていたのに、実際にピラミッドの内部でバシャバシャ写真を撮っていたのはなんと日本人でした。
私が危惧していた中国人や韓国人は紳士淑女ばかりだったようで、スマホで写真を写す人は一人もいませんでしたよ。
日本人が禁止事項をやすやすと破るとは思ってもいませんでした。同じ日本人として大変恥ずかしい思いをしました。 -
4トラメンバーさんの旅行記でも撮影が禁止されているピラミッド内部の様子をスマホで撮影した写真を堂々と掲載している旅行記が散見されます。
記事を読むとあたかもスマホは持ち込み可なのでスマホなら写真を写しても良いかのように勝手に捻じ曲げて解釈し掲載していますが、内部はスマホでも撮影禁止です。
彼ら彼女らは禁止されていることを平気で破り、あろうことか旅行記に掲載までして規則破りを煽っているかのように感じました。まさに日本人の恥で破廉恥極まりないと言えましょう。
さて、ピラミッドは世界七不思議の中で唯一現存している建造物で、かつ世界遺産に登録されています。
その世界遺産で唯一手が加えられた構築物が写真のコンクリートの擁壁です。
ピラミッドの一番下の石にピッタリ沿って作られていますが、何のために造られたのかは定かではありません。
一説にはピラミッドの崩壊を防ぐために造られたとも言われていますが、計算しつくされて建てられたピラミッドが崩壊するとは考え難いのです。
また、景観上からも好ましくありません。撤去できるものなら撤去してほしいと思いました。 -
いよいよピラミッドの内部に入ります。クフ王のピラミッドは現在入場制限がされていて、1日の入場者は150人です。
盗掘された入り口には2人の職員がいて、チケットと手荷物やカバンの中の確認を行っていました。
手荷物はすでに手荷物検査を受けているためカメラの所持を確認するためのものと思われます。
ここからは写真撮影が禁止なので写真がありません。そのため内部の様子を簡単に記述しておきます。
入り口から内部の坑道に至るまでが盗掘者が掘削したトンネルです。このトンネルはほの暗いながらも普通に歩けました。
しばらく進むと建設当時のピラミッドの坑道にぶち当たり、そこから内部の通路を進んで行きますがこの通路が難儀です。
中腰よりさらに低く体を折り曲げて進まないと行けません。横幅も狭いためここが一番の難所かと思います。
私は2017年に右膝を痛めて以降膝を折り曲げたことが無かなかったため、果たしてこの低い通路を膝を折り曲げた状態で歩くことができるか心配でしたが痛みもなく無事に通過することができました。細い通路は一方通行になっていてお互いが譲り合わないと行きも帰りも前には進めません。
さて、この狭い通路は一旦下ってからは上り坂です。通路を上りきると巨大な空間が待ち受けていました。
ここが大回廊と言われる場所で天井までは8.5m長さ47mの巨大空間です。両側には石で造られた巨大な壁がありここの急傾斜を階段で登って行きます。そして登り切ったところが王の玄室、内部には玄室の他に女王の部屋や未完の地下室がありますが、それらの内部には入れませんでした。
玄室の中には1基の石棺があるのみで他は何もありません。ただ薄暗いだけの石でできた部屋でした。石棺の中は当然のように何もありませんし、ヒエログリフや装飾もありませんでした。
石棺の角が1か所欠けていますが、これはアル・マムーンが石棺を開けるときに破壊したのだそうです。
さてこの玄室には空に向かって開けられた通風口の穴がありました。ガイドのアランさんは星の観測に使用したのではないかと言っていましたが、穴は封じられていて外の明かりを確認することはできませんでした。
この玄室には石棺があったことから以前はここが王墓だと考えられていました。ミイラがないのは盗掘者が持ち去ったため、副葬品も同様に盗掘され今は残っていないとする説が有力でしたが昨今はこれと異なる節が有力になっています。
その説はここは王墓ではなく王墓は別にあり、ピラミッドは太陽信仰の象徴たる建造物だとする説です。この説を強力に主張しているのが元早稲田大学の教授だった吉村作治氏です。
玄室が王墓ではない理由は、玄室にヒエログリフや壁画が無いこと。石棺は単なる石の箱でミイラが収められていたとの確証がないことがあげられています。
古王国時代の王墓の石棺は、石棺内部にヒエログリフが描かれていてカルトゥーシュの中に石棺の持ち主、すなわち王の名前が刻まれているはずなんです。ところがクフ王の玄室には壁にも石棺にも何も書かれていない。壁にはヒエログリフのヒの字もない。壁画も無い。故に王墓ではないという事です。ではクフ王の王墓はどこにあるのか?
これは今も謎ですが、王墓だろうと推測されている場所はあります。それは後程関係する建造物の所で説明したいと思います。
さて、玄室の中は中国人、日本人、韓国人の観光客が多数を占め欧米人は少なめでした。しかし玄室は広いので混み合うほどではありません。日本人のツアー客も次々にやってくる中カシャカシャというスマホで撮影する音が聞こえてきました。
中国人がまた禁止を破り写真を撮っているのかと思ったら、スマホで写真を写しているのはなんと日本人ではありませんか。しかも我々のツアーの人でその数5人。
モラルが低いと言われている中国人は沢山いるのに誰一人としてスマホで撮影している人はいません。韓国人も品行そのもの、常にモラルが高く規則を遵守すると言われている日本人が禁止事項に違反しているのですから開いた口が塞がりませんでした。
彼らに中国人や韓国人はさげすむような視線をと次々と投げかけています。それを知ってか知らずか監視員の目を避けて玄室内部の様子をスマホで写していました。
他の日本人ツアー客もスマホで写真を写す人は一人もいませんでした。
広い玄室で監視員は僅かに一人だけ、しかも石棺の側に控えているので石棺の反対側には目が届きません。
それを見越してか反対側で縦横無尽に撮りまくっています。見ていると最初は人の影に隠れてこそこそ写していたのが、監視員の目が届かず、周囲の日本人からも注意されないので気を大きくしたのか一人が堂々と写真を取り出すと我も我もと臆するすることなく撮り始めました。それら全てが我々のツアー客。
しかも成田で添乗員に指定された集合時間を守らなかった人たちでした。いずれも配偶者が同行しているのですが、なぜ彼女らは夫の愚行を注意しないのでしょうか。
周りで見ている日本人も注意しようとしません。そういう私も同じツアーのメンバ―なので注意すれば角がたち、これから先のツアーで気不味い思いをするのは嫌だと考え注意するのを躊躇していました。
しかし、傍若無人な振る舞いはあまりに酷い。日本人の恥です。
直接注意するのは角が立つので聞こえよがしに「あーあ、誰かが写真撮ってる。スマホは持ち込みできても、写真を撮るのはいけなかったんじゃないかな。」と言うと・・・。
そそくさと肩を縮めて玄室から次々に出て行きました。悪いことをしていると思いながら行っていたので、他人に注意されてバツが悪かったのでしょう。
この日は実質的には旅行の初日、まだコミュニケーションの輪が出来ていないので禁止された写真を撮っていた人がどんな職業でどんな地位の人か分かりまでんでしたが、その後その人となりが判明して驚きました。
どなたも高学歴で社会的地位にある人やあった人達ばかりでした。どうしてそのような人が決まりを守れないのか、禁止事項を破るのか?
一人は三井物産に勤務する中間管理職、一人は都内近郊にある大學教授、二人は区役所、市役所の管理職と元管理職、一人は都内近県の元県庁管理職。
いづれも功成り名を成したと言える方々で、私のような片田舎の田舎おやじとは違い、かくありたいと思うような経歴の方々でした。何でそんな人が決まり事を守れないのかな?関東地方にお住いの方々には耳の痛い話かもしれませんが、いづれも都内や近県の関東の方々で私のように地方から参加した人は一人もいなかった。
出世競争が厳しくて、出世のためにはこんな決まり事も守れないようになったのかな。
ダメなものはダメな物。自分の欲望を押し通すのでなく、自分で己の欲を制御できるようになりましょう。同じ日本人として恥ずかしい。クフ王のピラミッド 建造物
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こんなことがあって来た道を戻って外に出て来ました。
クフ王のピラミッドで一番感動したのは大回廊です。古い時代によくもあのような巨大な石造りの空間を構造物の中に造ったものだと驚嘆しました。実物はとにかくすごい、ぜひ一度目にして頂きたい。驚嘆、感動すること請負います。
そこは巨大空間でしたが2017年に名古屋大学などの研究チームが宇宙から降り注ぐ「ミュー粒子」を利用して新たに巨大空間があることを発見しました。
現在玄室(王の間)に続く大回廊があることから、ミイラ室に続く大回廊ではないかと取り沙汰されています。
しかし、クフ王の王墓はピラミッドの外にあるとの説を主張する吉村作治氏はこの説には重きを置いていません。
いずれにしても今後の研究が待たれるところです。
さて、順番が後先になりましたがクフ王のピラミッドについて簡単に説明しておきます。
このピラミッドは紀元前2500~2700年ころの古王国時代に造られた建造物だと考えられています。ガイドのアランさんは今から4700年前に建てられたものだと説明していたのでエジプト政府の見解は紀元前2700年前というのが公式見解なのでしょう。
建設年代には諸説あり、Wikipediaでは紀元前2560年ごろに20年の歳月をかけて建設されたと記述されていました。
高さは138.7m(元の高さは146.5m)、一辺の底辺の長さは230.3m、平均2.5トンの石灰岩を270万から280万個積み上げられて造られたと考えられています。高さは14世紀までは世界一でした。
高さが元の高さより低いのはピラミッドを覆っていた化粧石が盗掘者によってはぎ取られたためです。現在はその高さの差を埋めるためなのか高さ6mの鉄の棒が頂上に建てられています。
建てたのはエジプト古王朝第四王朝のファラオのクフ王というのが定説です。
在位は紀元前2588~2566年なのでガイドのアランさんの説明ではクフ王が亡くなる160年も前にクフ王のピラミッドは出来上がっていたことになり辻褄が合いません。
よってやはり紀元前2560年前後に建てられてとする説の方が順当だと思います。クフ王のピラミッド 建造物
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ピラミッドの奥、西の方角にあるのは西のマスタバ墳です。マスタバとは墓のこと、ここは王に仕えた大臣や貴族たちの墓地で西武墓地とも呼ばれています。
マスタバ墳 建造物
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西武墓地の一部をアップで・・。
墓地なのに神殿のような造りの建物がある。相当身分の高い人の墓なのかな。マスタバ墳 建造物
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石灰岩の石組み。整然と組まれています。
クフ王のピラミッド 建造物
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石は結構な高さがあります。大体大人の身長の半分くらいの高さなので85センチくらいかな。
数段上に上がるとしても結構な運動量になるでしょう。 -
近くで見上げると迫力ありますよ。
クフ王のピラミッド 建造物
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クフ王のピラミッドを下から眺める。
全体がカメラには収まりきりませんね。クフ王のピラミッド 建造物
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駐車増から眺めたピラミッド。ここからなら頂上の先が平らになっているのが分かりますが、頂上に立てられている鉄の棒が見えますでしょうか。
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再びバスに乗車して三大ピラミッドが見えるビューポイントへ。
車窓からは西武墓地が見えていますが写真はその一部です。マスタバ墳 建造物
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同じく西武墓地の様子。
マスタバ墳 建造物
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右車窓に見えてきたのはカフラ―王のピラミッド。
このピラミッドのみピラミッドの外壁に施された化粧石が一部残されています。
カフラー王は古王国第四王朝の王でクフ王の息子。統治は紀元前2558年頃~2532年頃と見られていますが確たる資料が少なくはっきりした在位は不明で在位期間には諸説あります。
カフラー王のピラミッドを建設したこととスフィンクス及びスフィンクス神殿が彼のために建てられたことで有名なんだそうです。カフラー王のピラミッド 建造物
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カフラー王のピラミッドは高さ143.8m(現在の高さは136.4m)、1辺の長さは215.3mでギザでは2番目に高いピラミッドです。
このピラミッドは河岸神殿、参道、葬祭殿を有した完全なピラミッドの様式を残していて、当時の様子が伺える貴重な遺跡です。この様式をピラミッド・コンプレックス(ピラミッド複合体)と呼んでいます。カフラー王のピラミッド 建造物
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カフラー王のピラミッドの次に見えてきたのがメンカウラー王のピラミッド。
メンカウラー王は古王国第四王朝の6代目のファラオでカフラー王の息子です。在位は紀元前2532年から紀元前2504年、クフ王とカフラー王の悪政を引き継ぎ善政を敷いたと伝えられています。
さらにクフ王とカウラー王の時代に逼迫した財政を立て直したのもメンカウラー王です。
確かにクフ王の大ピラミッドやカフラー王時代の大スフィンクスやスフィンクス神殿、さらにクフ王に負けないピラミッドの建設で莫大な資金が消費されたことは想像に難くありません。
この財政難を引き継いだのがメンカウラー王です。メンカウラー王のピラミッド 建造物
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メンカウラー王のピラミッドは高さ65.5m、1辺の長さは105mで2つのピラミッドの半分以下の大きさです。
これは財政難で大きなピラミッドが建てられなかったとする説が一般的です。
その証拠にメンカウラーピラミッドの遺跡調査の結果当初は高さ30メートルであったことが判明、建設途中で変更され高さが70mになりました。
この経緯はクフ王とカフラー王の財政逼迫とその後のメンカウラー王の財政再建を反映していると指摘されています。
北側の壁が大きく破壊されているのは盗掘者が盗掘のため破壊したものの破壊しきれずに放棄したものです。メンカウラー王のピラミッド 建造物
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メンカウラー王のピラミッドの南側には3基の王妃たちの小さなピラミッドが並んでいます。
そのうちの2基のピラミッドが見えてきました。メンカウラー王のピラミッド 建造物
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さらにバスが進むと小さなピラミッド3基が見えてきました。
メンカウラー王のピラミッドには参道もあり、小さい乍らもピラミッド複合体を成しているそうです。メンカウラー王のピラミッド 建造物
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そして三大ピラミッドが見えるビューポイントの丘に到着しました。
写真はバスから写したビューポイントの丘の光景です。
この丘には観光用の多数のラクダと馬車がいますが、ガイドからラクダには乗らないように注意されました。
エジプトのラクダは病気を持っているのでどの地区のラクダも乗らないようにとのことでした。この病気とはコロナウイルスの事。現在中国で流行している新型コロナウイルスとは別種ですが文章で注意喚起している旅行会社もあります。
さらにラクダに向けてカメラを向けないこと。向けるとモデル料として法外な金銭を要求されます。
どうしてもラクダが撮りたい人は、人を撮る風にしてラクダを写してくださいとのこと。私は面倒なのでラクダは写しませんでした。
なお、ラクダが持つウイルスのことはツアーガイドから徹底されているようで、とにかく何でも参加したがる中国人でさえも誰一人として乗っている人はいませんでした。
ラクダに乗っているのは欧米人のみで、しかもツアーではなく個人手配の旅行者でした。 -
ギザの三大ピラミッドです。左からクフ王のピラミッド、カフラー王のピラミッド、メンカウラー王のピラミッドです。
ここから眺めるとカフラー王のピラミッドが一番高く見えますが、これはクフ王のピラミッドの基壇となる地面がカフラー王のピラミッドより低いためです。
ここではピラミッドを指でつまんだり手のひらの上に乗せたりと、トリック写真に挑戦しましたが写してくれた添乗員もガイドも写真の撮り方が下手くそ。
とても旅行記に掲載できるような写真ではありません。まだガイドの写真の方がましでしたが・・・。
具体的にはつまんだ指先とピラミッドの頂点との間に空間ができてたりとか、手のひらの上にピラミッドを乗せるはずが、手のひらの位置が地面にある時にシャッターを切っていたりとか最悪でした。
もう一度写真を撮ってもらうには再び順番を並ばないといけないので、私はもう2度目はパスしました。
ツアーの人数が多いのと、人によったら中国人のように何枚も写真を撮る様に要求するので遅々として順番が回って来ないのです。ギザのピラミッド 建造物
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メンカウラー王の王妃のピラミッドを入れるとこのような写真になります。
ギザのピラミッド 建造物
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クフ王とカフラー王のピラミッド。
ここからはカフラー王のピラミッドの化粧石がはっきり見えました。 -
私が我々のツアーに同行するツーリストポリスの存在に気付いたのはここでのこと。
なにくれとなく我々の世話を焼いてくれていた男性のスーツの上着の下から自動小銃の銃口が覗いていたんです。
私がその銃口を指さすと、にこにこ笑いながら上着をはだけて自動小銃を見せてくれました。日本ではあまり見たことがない銃身が短くてコンパクトな自動小銃でした。
以前陸上自衛隊の駐屯地で小銃を見ましたが、これによく似ていました。但し小銃で自動小銃ではありませんでしたが・・。
これでこのポリスが何くれとなく親切に我々の面倒をみてくれていたわけが分かりました。
ここのビューポイントは丘の上にあり、そこは非常に見晴らしが聞く場所でした。逆に言うならばここはテロリストからも丸見えの場所なのです。
そのためいつになく厳しいまなざしで周囲に目配りしていました。
ツーリストポリスさん、我々を警護してくれてありがとう。片言の英語とジェスチャーでお礼を伝えると私の言いたいことが分かったようで、笑顔で「サンキュー、サンキュー。」と答えてくれました。
写真はメンカウラー王と王妃のピラミッドのアップです。メンカウラー王のピラミッド 建造物
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カフラー王のピラミッドに残存している化粧石。
カフラー王のピラミッド 建造物
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写真撮影が一段落すると、さらに9つのピラミッドが見えるビューポイントに向かいました。
移動は2人乗りの馬車を利用をします。写真左がその馬車でビューポイントから帰ってきたところです。
私は一人参加なので一番最後に乗車、ガイドが添乗員に同乗するよう勧めていました。
こうして2名で出発。丘を下って砂漠の中を疾走します。スピードを出さなくてもいいのに御者はムチで馬をたたきスピードアップ。先行していた馬車を追い抜きました。まるで砂漠の草競馬です。
揺れる振動がすごいので馬車からは景色の写真が撮れません。
御者は笑いながら饒舌に私たちに話しかけてくれますが、何を言っているのか全然わかりません。 -
そのうち三大ピラミッドとメンカウラー王の王妃のピラミッドが見えるところで馬車を止めてくれました。
ここで写真を写せということらしいです。手でカメラを写す仕草をして、しきりにピラミッドの方を指さします。
御者はここがお勧めポイントというような仕草でしたが、この先には三大ピラミッドが横並びに見える絶好の場所があったのです。
そこでは馬車を止めてくれずに通過してしまいました。写真を撮ろうとしても馬車がかなり揺れるので写真は撮れませんでした。ギザのピラミッド 建造物
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この場所の特徴はメンカウラー王のピラミッドの斜面の1辺の延長線上にカフラー王のピラミッドの辺が重なる場所だというとです。
三大ピラミッドが並んでいる写真は何度も見ていますが写真のような光景は見たことがありません。
御者はこの景色を見せたかったのかもしれません。ギザのピラミッド 建造物
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三大ピラミッドの横を大きく迂回してやって来た場所は9つのピラミッドが見える丘。
ここからはギザの6つのピラミッドの他にダハシュールやサッカラの3つのピラミッド見えるので、9つのピラミッドが見える丘と呼ばれているそうです。
添乗員の話ではダハシュールにある「赤のピラミッド」と「屈折ピラミッド」、サッカラの「階段ピラミッド」が見えているそうです。
でも見えているのは5つのピラミッドです。だからここは11のピラミッドが見える丘と呼ぶべきだと思います。でもどれが「赤のピラミッド」か分からない。
多分一番遠くに見えるのが「階段ピラミッド」だと思うのですが、後はどれがどれなのか分かりませんでした。
我々より先に着いていた馬車では御者が観光客の写真を写していました。同じように我々の馬車の御者も写真を写すジェスチャーをしてカメラをよこせと手招きします。
私がデジカメを渡そうとすると添乗員が待ったをかけました。「いいんですか?金を取られますよ。しかも法外な金かもしれませんよ。」とのこと。
確かに料金がいくらかかかるか分からない。
中国やタイではこの手の有料の写真撮影があったが料金が決められていた。これは断るに限る。即座にカメラを差し出した手を引っ込めて「ノーノー」と伝え、いらないと手を振った。
添乗員は「正解です。」と言ったが、今度は「バクシーシ」と連呼し金をくれと要求してきました。 -
「バクシーシ」とは「裕福な物は貧しい者に施しなさい」というイスラム教の喜捨の教えですが、いつの間にか「貧しい者が金持ちから金をもらうことは当然」だと歪めて解釈されるようになりました.
このバクシーシはイスラム教徒の教えですが、仏教やキリスト教などの異教徒にも平気で求めてきます。
今回エジプトを観光しましたが多くの場面で「バクシーシ」を求められました。
これは理不尽な要求なので断固拒否しました。この場面も即座に「ノー」と拒否。
御者には随分「バクシーシ」と粘られましたが、ようやく諦めたのか馬首を巡らして来た道を戻り始めました。
添乗員は「来るときは陽気だったのに、帰る時は一言もしゃべらないね。」と言っていましたが、実に好悪の感情がはっきりしている御者でした。
しばらく走ると馬車は来た道よりも外側に進路を変えます。なんとその道はガタガタ道の悪路ではありませんか。我々は振り落とされないように馬車にしがみついていました。
バクシーシを断られた腹いせなんでしょう。我々に意趣返しをして溜飲を下げたのかもしれませんが、ようやくビューポイントの丘にたどり着きました。
ガイドの話では馬車代の他にチップ代も含めて料金は払ってあるそうです。「バクシーシ」と言われても一切支払いしなくていいと言われました。
ところで、ビューポイントの丘には有料の簡易トイレがあります。
全員が手洗いを済ませたところでバスに乗車しクフ王のピラミッドの方に戻りました。 -
写真右はクフ王のピラミッド。左にある遺跡が西武墓地(マスタバ墳)です。ここはその墓地の中で更地になっている場所です。更地は写真左下から後方に大きく広がっていました。
すでに触れましたが西部墓地は大臣や貴族が埋葬された広大な墓地です。この墓をマスタバと呼んでいますがマスタバの地下には埋葬室がありました。ところがこの墓地の約半数には地下埋葬室がありません。なぜでしょうか?
これはクフ王の王墓の場所を特定するポイントなのですが吉村教授はこれを次のように推測しました。
地下埋葬室が無いマスタバはダミーではないのか。ダミーのマスタバを多数造作るることによって王墓のありかを隠したのではないかと・・・。
吉村教授はクフ王のピラミッドは王墓ではなく別に王墓があるはずだと推測されていましたので、エジプト政府の許可を得て調査に乗り出しました。
2017年3月吉村作治教授と早稲田大学研究チームはクフ王の王墓がピラミッドの西側にあると推定し、三次元測量図や電磁誘導探査(地中レーダー)で西部墓地を調査しました。その結果西部墓地の一画、更地の部分の下に縦100m、横33mの大きな空間があることを突き止めました。
ここがクフ王の王墓に違いない。エジプト政府の要請により、2021年吉村作治教授の指導によりこの更地の下を掘り下げることが決定しています。
果たしてクフ王の王墓が出てくるのか?結果が待ち遠しいです。マスタバ墳 建造物
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ではなぜクフ王の王墓がピラミッドの西側にあると推測したのでしょうか。これがクフ王の王墓の場所の選定の2つ目のポイントですが、これにはある建造物と当時の太陽信仰がヒントになっています。
カギとなる建造物の紹介時に合わせて謎解きをしますのでお楽しみに。マスタバ墳 建造物
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右車窓には再びメンカウラー王のピラミッドと王妃のピラミッドが見えてきました。
9つのピラミッドが見える丘は丁度写真の右斜め奥方向です。メンカウラー王のピラミッド 建造物
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メンカウラー王のピラミッドの次はカフラー王のピラミッド。
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そして見えてきたのはクフ王の大ピラミッドとピラミッドの南側です。
南側からは1954年に全長43.3mの太陽の船が発見されました。
そして1987年には吉村早稲田大学研究チームが同じく南側に第二の太陽の船を発見しました。クフ王のピラミッド 建造物
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手前の白い建物が第二の太陽の船で奥の大きな白い建物が太陽の船を展示している太陽の船博物館です。
そして奥に見えるピラミッドがクフ王の王妃のピラミッド。太陽の船博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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第二の太陽の船発掘・修復・復元現場。
第二の太陽の船は1987年、吉村作治教授の指導の下早稲田大学研究チームが電磁誘導探査(地中レーダー)を使用して発見しました。
そして1993年船体の木片のサンプリングに成功しましたが、資金難のため調査は中断しました。
そして2008年、民間企業や外務省の支援によって調査は再始動しました。
現在はここで発掘修復が行われていますが、完全復元がいつになるかは未定の状況です。
なお、第二の太陽の船はクフ王の葬式の時に埋葬されたと考えられています。 -
こちらが太陽の船を展示する太陽の船博物館。
太陽の船は1954年のエジプト考古学局によって発見されました。レバノン杉で作られた全長43.3mの船で1200もの部品を14年かけて修繕し復元したものです。
オールの長さは7m、船体の後ろ寄りに天井が二重になった小屋があり自然の通風で暑さをしのぐように工夫されています。
太陽の船は太陽神ラーとクフ王の魂を乗せてこの世とあの世を行き来すためのものと考えられ、太陽信仰の象徴ともいうべきものです。太陽の船博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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クフ王の大ピラミッドは南面も盗掘者によって石が破壊されていました。
クフ王のピラミッド 建造物
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盗掘者によって破壊された部分のアップ。
現在使用しているピラミッドの内部への入り口はアッバース朝のカリフ、アリ・マムーンによって開けられましたが、盗掘のため他にも何箇所か爆薬を仕掛けて破壊したそうです。
ならばこの破壊された南の部分もアリ・マムーンの仕業かもしれません。クフ王のピラミッド 建造物
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大ピラミッドの東側にあるのはクフ王の3人の王妃たちのピラミッドです。この内手前の最も形の良いピラミッドはHenutsen(ヘヌトセン)王妃のものと言われていて、このピラミッドの中には無料で入れるそうです。
なお王妃たちのピラミッドの右に広がっているのが東部墓地(東のマスタバ墳)です。
このマスタバ墳と王妃のピラミッドの間の空地から1925年に竪穴が見つかり、穴の底から玄室と副葬品が発展されました。未盗掘の墓で副葬品の名文からクフ王の実母ヘテプレス1世であることが判明したのです。
玄室からミイラは発見されませんでしたが、4区画に仕切られた箱が見つかりました。この箱はミイラを作る時に取り出された臓器を収めるための物で、箱の中からは人体細胞の残存が検出されています。しかしながら未盗掘の墓にもかかわらず玄室からはミイラが発見されませんでした。
ヘテプレス1世は先王スネフェルの妻でスネフェル王の「赤のピラミッド」の側に埋葬されたと思われています。しかし死後数年で盗掘に遭い、ミイラが盗まれたとも言われています。ミイラが盗まれていたので未盗掘の墓にはミイラがなかったのか。ではなぜミイラのない玄室を別の場所に作ったのか。謎は謎を呼び、憶測は憶測を呼ぶもののいまだに真実は分からないのです。第4王朝ヘヌトセン王妃のピラミッド 建造物
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ヘヌトセン王妃のピラミッド。
第4王朝ヘヌトセン王妃のピラミッド 建造物
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王妃たちのピラミッドの入り口。
第4王朝ヘヌトセン王妃のピラミッド 建造物
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王妃たちのピラミッドの隣にある東部墓地(東のマスタバ)です。
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東のマスタバの向かい側(反対側車窓)にはスフィンクスが見えてきました。
バスはスフィンクスの左側から正面方向を横切ってスフィンクス神殿に通じる入り口に向かいました。
いよいよスフィンクスの観光です。スフィンクス 建造物
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スフィンクス神殿及びスフィンクスに通じる入り口にはツーリストポリスの詰所がありました。この建物の左を進み突き当りを右に進むとスフィンクスが見えてきます。
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スフィンクスとクフ王のピラミッド。中央に見える建物は太陽の船博物館です。
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スフィンクス遠望。スフィンクスはクフ王のピラミッドとカフラー王のピラミッドの間に配置されていました。
手前に並べられた椅子は夜行われる「ピラミッド音と光のショー」の観覧席です。
ここはそのショーの会場なんです。
我々はその会場の脇を歩いてスフィンクス神殿に向かいました。 -
2つの大ピラミッドとスフィンクス。エジプトらしい風景ですね。
スフィンクスの前に人がたむろしているところがカフラー王の河岸神殿でスフィンクス見学の入り口です。その右がスフィンク神殿です。
写真では見にくいのですがカフラー王のピラミッドの下に岩が重なり合ったように見えるところがカフラー王の葬祭殿、そこからスフィンクスの方に伸びる道が葬祭殿の参道です。
カフラー王のピラミッドは①ピラミッド②河岸神殿③参道④葬祭殿というほぼ完全なピラミッド複合体(ピラミッド・コンプレックス)の様式を残しているため当時の様子を伺い知るための貴重な遺跡といえます。 -
カフラー王のピラミッドと葬祭殿、河岸宮殿から続く参道です。
カフラー王のピラミッド 建造物
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河岸宮殿の外壁とクフ王のピラミッド。
クフ王のピラミッド 建造物
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河岸神殿の内部、入り口から入った所です。
ここから左に折れて隣の部屋の細い通路を進みます。 -
この細い通路を抜けると屋根無しのやや広い部屋に出ます。その部屋の左には四角い穴が開き鉄柵で囲まれている場所があります。
ここはカフラー王像が発見されたところで、カフラー王像はエジプト考古学博物館で展示されています。
河岸宮殿にはカフラー王像が23体安置されていたそうですが残りはどうしたんでしょうか?すでに盗賊に持ち去られたのかな。
次の部屋のその奥は広い柱列の部屋がありました。そこが宮殿と呼ばれる部屋なのでしょうが、どういうことかその部屋の写真は写していませんでした。 -
この通路は柱列の部屋の奥に続く通路ですがここを通り抜けて右にある階段を上りきるとスフィンクスが見えます。また葬祭殿に続く参道はこの先にあります。
さてさて、河岸宮殿とはどんな宮殿なのでしょう。
ファラオは亡くなると宮殿ですぐミイラにされるわけではなく、一旦船でこの宮殿に運ばれてきました。そしてファラオの亡骸はこの宮殿で内臓が取り除かれミイラ処理され、参道を通ってピラミッドに埋葬されたと考えられています。
しかし、河岸宮殿でミイラ処理が行われたことを示す明確な資料はいまだ見つかっていないそうです。
葬祭殿はファラオの葬儀が行われたと思われていましたが、現在では亡くなったファラオを追慕する礼拝場と考えられています。また来世での再生と復活を祈願した場所という説もあります。 -
河岸宮殿の階段を上って見えたのがこの景色、大スフィンクスです。
感動、感激、この景色を見たかったー。写真や雑誌などで何度も何度も見た大スフィンクス、大きいなあ。ピラミッドよりも大スフィンクスの方が何倍も感動しました。
参道や大スフィンクスを取り囲む通路は黒山の人だかりで、人をかき分けかき分けやっと前にたどり着いて写したのがこの写真です。
河岸宮殿の横から見る風景なので大スフィンクスの横顔しか見えません。ガイドが進めてくれたのが真正面と横と後ろの姿です。この角度では真正面の顔は見れないため、後程正面に移動して見るそうです。
さて、世界中にはスフィンクスと呼ばれる彫像が多数あります。その中で最大の物がギザのスフィンクス、そのためこのスフィンクスはギザの大スフィンクスと呼ばれています。以下大スフィンクスと表示します。
大スフィンクスは紀元前2500頃カフラー王の時代に造られたとされています。顔はカフラー王に似せ、体はライオンという想像上の石像で、神殿を守護する役目を負っていました。。
高さは20m、頭部は5mの長さで、幅は19m全長は73mです。全身は石灰岩を彫り込んで造られ、その上に頭部を載せてあります。
大スフィンクスはカフラー王の時代に造られたというのが定説ですが、様々な異論があり、今なおいつの時代に造られたものかはっきり分かっていません。
そのいくつかは次のものです。
①クフ王の時代に造られたという根拠と反論
大スフィンクスの前足の間から石板が発見され、その石板に「クフ」という文字が書かれていた。
反論・・この石板はカフラー王の時代の時代より1000年も後の新王国第18王朝のトトメス4世の時代の物で双方の時代に開きがあり過ぎる。さらに石板の文字にはカルトゥーシュが無く正しいものとは考えにくい。
②大ピラミッドはカフラー王のピラミッドの正面に造られてはいない。
神殿を守護する神獣と言われている大ピラミッドがなぜ正面を向いていないのか。
大ピラミッドはカフラー王のピラミッドのに向かって中心より左にあり、さらに右斜めの向きに造られています。
その置かれた向きがカフラー王のピラミッドや葬祭殿を守護するようには見えないのです。
③建造年月の謎
カフラー王の時代紀元前2500年頃と考えられてきましたが、それ以前に造られた可能性が高いのです。
一説にはクフ王の時代に造られたという説があります。年代測定結果ではクフ王の時代よりもさらに400年も前に造られた可能性があると指摘されています。
とするとピラミッドが造られた時代よりもさらに前に大スフィンクスは存在していたことになります。
そうであればピラミッドは大スフィンクスの後に造られた訳だから、カフラー王のピラミッドの正面になくても問題は無い訳です。
さらにピラミッドのボディーには風化や水にる浸食の跡が確認できます。定説によればピラミッドが造られたのは4500年前、うち3300年間は地中に埋もれていました。
水による浸食ならばナイル川の度重なる氾濫が考えられますが、紀元前2500年から紀元前1200年の間にナイル川の大きな氾濫で被害を被ったという痕跡が周囲にはありません。とすると水による浸食はどう説明すればいいのでしょうか?
そのため7500年前あるいは1万年前にできたと主張する学者もいるほどです。
いずれにしても今なお謎のベールに包まれた大スフィンクス、でもこのまま謎に包まれたままの方が想像を掻き立てられていいのかもしれません。スフィンクス 建造物
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大スフィンクスの周りはこんな様子でごった返していました。ここはまだ前の方で後ろには沢山の観光客が控えていました。
前の人の動きにつれてじりじりと前に移動してやっと撮れたのが上の写真です。スフィンクス 建造物
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大スフィンクスの顔をアップで・・。
何か気づきませんか?顎鬚がありませんね。エジプトでは顎鬚は権威の象徴、ファラオの像には必ず付けられています。当然大スフィンクスにもあったはずですがありません。この顎鬚はイギリス軍に奪われ現在は大英博物館で展示されています。
18世紀後半エジプトの大規模な学術調査はナポレオンのエジプト遠征の時に行われました。有名なロゼッタストーンもこの時フランス軍によって発見されました。
また学術調査や発掘によって数々の歴史的資料や彫像などが発見されましたが同時期イギリスもエジプトに軍隊を派遣していました。
ロゼッタストーンはその学術的重要性から欧州では特に注目されていました。
そのなかで最も欲望を募らせていたのがイギリスです。
結局イギリスは武力でフランス軍を屈服させロゼッタストーンをはじめ貴重な品々をフランスから強奪しました。
その中に大スフィンクスの顎鬚が含まれていたかどうかは分かりませんが、この時期のエジプト遠征軍が持ち帰ったようです。
現在これらの物は大英博物館で展示されており、エジプト政府から返還を求められているそうです。しかしイギリスは一筋縄ではいかない国、一向に返還してくれないそうです。 -
横から見た大ピラミッド。鼻がないので横顔は滑稽のようでもあります。
鼻が無いのは、というよりは鼻をもいだのは誰か?
これも諸説ありますが誰が鼻を破壊したのかは分かっていません。
ナポレオンのエジプト遠征時にはすでに鼻はなかったと記録に残っているので、それ以前に鼻は破壊された事だけは確かです。それと鼻にはノミの跡が残っていることから誰かが傷つける意図を持って行ったという事だけが分かっています。スフィンクス 建造物
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お尻の方から眺めた大ピラミッドの姿。
この方向のピラミッドの姿は写真でも見ないので大変珍しいそうです。確かに現場に来なければ見れない景色ですよね。
大ピラミッドって腰のあたりが引き締まっていて結構セクシー?かな。スフィンクス 建造物
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観光客は顔の方から写真を撮る人が多く、お尻の方から写真を撮るのは我々のツアーの他に日本人ツアー客くらいでした。
そのためこの周辺ではゆっくり写真が撮れました。 -
参道とメンカウラー王のピラミッド。参道の先にある遺跡が葬祭殿です。
現在は大スフィンクスの後ろに鉄の柵が設けられているので河岸宮殿から参道を歩いて葬祭殿に行くことはできません。
写真は柵の間にカメラを突っ込んで写したものです。丁度参道を歩いて葬祭殿に向かう人が多かったので古も各の如しかというような写真がとれました。
葬祭殿に向かう人はほどんどがエジプト人でした。カフラー王のピラミッド 建造物
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参道を歩いてカフラー王のピラミッドに向かうエジプト人達。
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クフ王のピラミッドとラクダ。エジプトらしい景色ですね。
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クフ王のピラミッドと王妃たちのピラミッド。
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ラクダをアップにしました。でも小さいな。もっとアップにすればよかった。
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ラクダに乗っているのは子供たち。手前のラクダには女の子が2人で中央のラクダは男の子が3人、右の馬には男の子と女の子。
1頭のラクダに男の子と女の子が乗って、夜に月が出ていたら「月の砂漠」の風景だなとしばし妄想にふけっていました。 -
クフ王のピラミッドと観光用のラクダ。
エジプトのラクダはコロナウイルスに侵されているため、流石の中国人も乗る人はいなかったがエジプト人は免疫があるようで全く意に介せず乗っていました。 -
中央の通路は大スフィンクスを見るための場所、正確に言うならば大スフィンクスが埋もれていた時の地面です。この高さから掘り込んで土砂を排除してスフィンクスが現れました。土砂は大スフィンクスの顎の下まで積もっていたそうです。
大スフィンクスは何千年も大きな穴の中に一人で座っていたんですね。
左には河岸宮殿でその上に参道がありました。
写真で分かる様に河岸宮殿から延びる参道は鉄柵で塞がれ通れなくなっています。
参道を通ってカフラー王のピラミッドに行くには大スフィンクスの右側に回って大きく迂回しないと行けません。カフラー王のピラミッド 建造物
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再集合の場所は大スフィンクスの姿が見えるこの場所。まだ時間が残っているので大ピラミッドの姿を目に焼き付けておくことにしました。
スフィンクス 建造物
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この場所は観光客が写真を写すので混み合う場所、今しもこんなに混雑しています。
なんでここが集合場所なの?
ここには近寄れないため大ピラミッドの腰あたりで待っているツアー参加者もいましたよ。
しばらくするとガイドのアランさんから後の方に集まるよう指示がありました。
この次は大スフィンクスを正面から観光するので一旦河岸宮殿に戻りました。 -
河岸宮殿に戻るとガイドはスフィンクスの正面に向かうのでは無く、来た道を引きかしt駐車場の方に向かうではありませんか。「あれ、スフィンクスを正面から見るんじゃなかったの?」おかしいと思いましたがツアーの先頭がガイドの後に付いて行くのて従うしかありません。
後で分かった事ですがこの後予定されていたパピルスの買い物時間を増やすためだったようです。
現地のガイドがショップからツアー客を連れて来る度にリべートを貰っているのは周知の事実。過去からの慣習は理解できるが旅行客の我々にしわ寄せがくるのは納得いかないな。添乗員はガイドの言うままだし。
さて、ここでクフ王の王墓の謎解きをしましょう。
スフィンクスは神殿を守護する霊獣として考えられていますが吉村作治教授は太陽神の化身と位置付けています。
つまりピラミッドもスフィンクスも太陽信仰と太陽の運行に密接な関係があるのではないかと考えられています。
クフ王の王墓は大スフィンクスが鍵ではないかという考えです。
大スフィンクスの古代名は「ホルエム・アケド」、地平線の王という意味です。一方クフ王の古代名は「アケド・クフ」、クフの地平線という意味です。いずれも太陽信仰において重要な名前が付けられていました。
アケドは地平線、この世とあの世の境であり再生復活を祈る言葉です。
大スフィンクスから見た時、冬至の日の太陽はクフ王のピラミッドとカフラー王のピラミッドの真ん中に落ち沈んで行きます。
そして太陽が沈んだ延長線上にあるのが西武墓地の更地の地点、地中レーダー探査で見つかった地下空間なのです。
クフ王は自らの再生と復活を祈りアケト(地平線)の中央に王墓を配置したと考えられます。それで西部墓地にクフ王の王墓があると推測したのです。
これが王墓選定の2つ目のポイントです。
写真を見てください。クフ王とカフラー王のピラミッドの真ん中に、冬至の日に太陽が沈んでいくところを想像してみてください。その先にクフ王の王墓があると思うと胸がワクワクしてきます。
以上が吉村作治教授の仮設です。テレビで放映された「たけしの新世界七不思議」で語られた内容ですが、これは大スフィンクスがクフ王のピラミッドが造られた時代以前に造られたことが前提となっていますが、いずれにしても2021年に始められる発掘が待ち遠しいですね。 -
バスの車窓から写したカフラー王のピラミッドとメンカフラー王のピラミッド、大スフィンクスの写真です。
大スフィンクスを正面側から見えなかったので、窓にかじりついてシャッターチャンスを待ち構えていました。(笑)
走るバスから写したので写りが心配でしたが、うまく捉える事ができました。 -
そしてもう1枚。こちらはメンカウラー王の王妃のピラミッドまで写せたので言うことなし。
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ギザ市内の様子。これからバスはパピルスの店へ。
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パピルスの店に到着しました。
店名はなし、ただ「パピルス」とのみ表示されていました。 -
店の入り口へと続く通路。通路の両側にはパピルスの絵が飾ってありました。
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店に入るとウエルカムドリンクがお待ちかね。この赤いジュースはハイビスカスだそうです。
クルーズ船に乗船した時もハイビスカスのウエルカムドリンクが出されました。
お味の程は微妙。正直言って何とも不思議な味でした。渋くも苦くもありませんが美味しくはない。
ツアーの大半の方が飲み干さずにグラスを返却していたので、皆さん美味しくなかったようです。
さて最初にパピルスを使用して紙(パピルス紙)を作る実演があって、その後買い物でした。
店に入って最初に注意を受けたことは店内にあるパピルスの絵を写真に撮らないでほしいと言うこと。
画家の肖像権の問題や絵柄の流出を防ぐためらしい。そのため店内の写真はありません。というのも販売用のパピルスの絵が壁という壁に貼ってあるので写真が撮れないのです。店員がパピルスの実演をした時も背後にパピルスの絵があり写せませんでした。
なので簡単に店の説明をしておきますね。
まずはパピルス紙の実演から・・・。
パピルスを切り取り、その茎の皮を剥いで長さを揃え、薄く削いで長い薄片を作ります。次はその薄辺を2日間水に漬け置きします。表面が茶色に変色したら取り出して、薄辺を縦横に並べて四角い紙のように形を整えます。
次にこれを3日間プレスにかけて脱水します。そして乾燥させればパピルス紙の出来上がり。表面には文字も絵も描けますよ。
パピルスは紙ではないので丈夫で大変長持ちします。そのため重要な文書の保存には大変適していたそうです。パピルスは茎が三角形の形をした植物ですがエジプトでも少なくなっているそうです。
そのためパピルスを使用した絵画は高価なのだとか。
確かにエジプトの物価から比較すると販売されている絵はとても高価でした。
B4判程度で一番安くても5千円程度、画家のサイン入りできれいだなと思う絵は3万以上。5万から10万の物が多かったですね。
但し高価な絵は本当に見事でした。王墓の内部を飾るヒエログリフやホルスやイシスの神々の絵など、居間や応接間に相応しいものもありました。
ただ私は買うつもりは無かったので見学のみ。絵を本気で見ていると買う気があると思われて店員が側を離れないので適当に見ていました。
ツアーの人に人気があったのはパピルスで作った栞でした。これが一番安かったけどいくらだったのか憶えていない。
店の人が言っていたのはどの土産物でもパピルスの栞を売っているが材料がパピルスではないらしい。当店のはパピルスだから本物だと強調していました。
何人かの人が栞を買ったと思います。ここの買い物が40分、予定より10分もオーバーした。それならスフィンクスの正面に連れて行ってほしかったな。
我々は観光に来たんだから・・。 -
買い物の次はレストランで食事。
ギザの街をバスで移動しました。 -
車窓からはクフ王のピラミッドがいつまでも見えていたな。
-
このようにクフ王とカフラー王2つのピラミッドが見えることもあった。
-
こうしてレストランに到着。店名は「SUNZ」でした。
このレストランに着いて驚いた。何でかって?
なぜならね、周囲は防弾チョッキを着て自動小銃を携帯した警官だらけだったから。自動小銃も軍隊が持つような銃身の長い本式の銃ね。軍隊が警備しているのかと思ったよ。どうも近くに警察署があったらしい。
添乗員が所用で外に出たらすぐに捕まって職務質問受けたんだって。だから絶対に単独行動はしないようにと言っていました。
昨年(2018年12月)爆破テロが起きてからは、危険だからレストランでは食事ができなかったらしい。全てホテルのレストランを利用したそうです。
ここのレストランだけは警察署に近いため警備が厳重だという理由で今は利用できるようになったそうですよ。
旅行した3月はギザはどこでも警官がピリピリしていましたね。我々の気持ちも引き締まりましたよ。 -
ランチです。最初にインドのナンに似たパンが出されました。これはいろいろなソースに着けて食べましたがナンに非常によく似ています。
器に入っている白い液体はスープです。何のスープだったか記憶にありません。 -
次はピラフに似た炒め物のご飯。それにイカリングです、ご飯はタイ米なのでポロポロして食べ難い。
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これがメインでしょうか、海老フライと白身魚のフライでした。
味はまあまあ、お勧めするほどの味ではありませんでした。 -
ケーキは美味しかったですよ。午前中の観光はこれで終わり、午後はバスでダハシュールとサッカラを回り種々のピラミッドを観光しました。
次回はダハシュールとサッカラのピラミッドです。掲載までしばらくお待ちいただきますようお願いいたします。
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この旅行記へのコメント (2)
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- FUKUJIROさん 2020/02/09 16:29:11
- エジプトのテロ
- 1997年のルクソールでのテロを未だに覚えている方がいて感慨深いものがあります。
あの事件で被害にあった新婚夫婦は、知人の弟さん夫婦でした。
それまでは一緒に旅行したこともあった知人ですが、事件後は、海外はもとより国内旅行も一切されていないようです。
私もピラミッドを見てみたいのですが、エジプトを訪れる気持ちにはどうしてもなれず、未踏の地です。
ポポポさんの旅行記を拝見して、良いことも悪いことも知り、大変参考になりました。
- ポポポさん からの返信 2020/02/11 16:02:52
- RE: エジプトのテロ
- はじめまして、FUKUZIROさん。エジプトの旅行記をご覧いただき、また「いいね」までいただきありがとうございました。
> 1997年のルクソールでのテロを未だに覚えている方がいて感慨深いものがあります。
ルクソールのテロは日本人観光客が巻き込まれ、多くの死者や負傷者が出たので覚えています。何よりも衝撃だったのは新婚のご夫婦がお亡くなりになったことです。
お二人のご両親様やご兄弟様の悲しみはいかばかりだったでしょう。大変痛ましい事件でした。
> あの事件で被害にあった新婚夫婦は、知人の弟さん夫婦でした。
> それまでは一緒に旅行したこともあった知人ですが、事件後は、海外はもとより国内旅行も一切されていないようです。
あの新婚さんのお知り合いだったんですね。お兄様の悲しみや怒りは今でも消えることはないんでしょうね。分かる気がします。
> 私もピラミッドを見てみたいのですが、エジプトを訪れる気持ちにはどうしてもなれず、未踏の地です。
エジプト旅行が難しいようでしたら私の旅行記で行った気になっていただけると嬉しいです。
旅行記の作成が遅いので完結には時間がかかりますが、気長にしていただけたらと思います。
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