2019/03/08 - 2019/03/15
207位(同エリア954件中)
ポポポさん
古代エジプトの首都テーベ(現代のルクソール)に到着して最初に訪れたのがエジプト最大の神殿カルナック神殿です。
カルナック神殿はアメン神(アメン・ラー神)に捧げられた神殿です。元はテーベの地方神でしたが国家最高神となってからは歴代ファラオの崇拝を受け、次々に神殿などが建てられていきました。
結果エジプトで最大規模の神殿となりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
3月13日、旅行3日目です。
早朝4時半に起床し朝一番にホルス神殿を観光。その後クルーズ船からバスに乗り換えて、度重なる警察の検問を受け乍ら悪路の一般道を走り抜けやっとルクソールに到着しました。
ガイドのアランさんと添乗員はチケット購入に出かけ、我々は土産物店の前で待機です。
待つ場所が土産物の前なので早速周囲の店から「ワンダラー」の掛け声が掛けられました。でも我々は全く無視。
売り子は10枚綴りの絵葉書やTシャツなどを手にしてしつこく我々に迫ってきましたが、我々は頑としてそれを受け付けません。
相手にしないものだからすごすごと店の中に帰って行きました。そうこうする内にアランさん達が戻ってきました。この間の待ち時間が15分、結構時間がかかりましたね。
このようにしてカルナック神殿の観光がスタート。まず訪れたのはビジターセンターです。
ここには木製のカルナック神殿の模型が置かれていました。アランさんがこの模型を使って神殿の説明を始めました。
カルナック神殿は中王国時代に創建された地方神のアメン神を祭る神殿でしたが、テーベが首都になるとアメン神は太陽神ラーと合体し国家最高神となりました。新王国時代になるとカルナック神殿はアメン神の聖地となりルクソールは繁栄の絶頂期を迎えました。
海外遠征に力を入れた第18王朝の歴代の王たちはルクソールに戦利品や貢物や莫大な富をもたらしました。
戦いに勝利できたのはアメン神の加護によるものとされ、感謝のしるしとして王たちはアメン神の聖域に次々に神殿を建立したのです。
カルナック神殿は主殿であるアメン大神殿の他にメンチュ神殿やムウト神殿、オペト神殿やプタハ神殿などがある複合神殿です。
神殿の建築はその後も続きプトレマイオス朝からローマ帝国の支配時代に至るまで2000年の長きに渡って続けられました。
写真はカルナック神殿の第10塔門から見た様子。神殿の入り口である第一塔門は外国人観光客が集まっている所です。 -
これも同じく第10塔門方向から眺めた様子です。
第一塔門付近は外国人ツアー客が2団体いるため、アランさんは離れた所で説明したようです。
私は事前の勉強不足のためアランさんの説明は消化不良でした。今ではどんな話があったのかも全く覚えていません。 -
東門から見たカルナック神殿。東門を入った所にあるのはアメン・ラー神至誠所。その奥2本のオベリスクがある所がトトメス3世祝祭殿。
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アランさんから神殿の概略の説明を受けて、いざカルナック神殿へ。
この神殿の大列柱室は是非見たかった場所なので胸が高鳴ります。
ビジターセンターを出て神殿に向かうまでの道が遠い。まだ10時半前なのに逆光気味の太陽がじりじりと照り付ける。
3月の半ばなのにここはもう真夏。今日は半袖じゃないと暑くてたまらないだろう。日除けが無い場所なので真夏なら干上がりそうです。
見えているのは神殿の第一塔門。カルナック神殿 城・宮殿
-
カルナック神殿の入場チケット、150EGP(約1050円)です。
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カルナック神殿の第一塔門と道の両側に置かれているのが40体のスフィンクス。
そのため塔門の入り口をスフィンクス参道といいます。
第一塔門は第30王朝ネクタネボ1世の時代に建てられたものです。建てられたと書きましたが正確には未完成の塔門です。
元々神殿の塔門は現在の第二塔門まででした。スフィンクス参道も第2塔門まで伸びていましたが第1塔門が造られたことで取り除かれ、現在は中庭の城壁沿いにスフィンクスは置かれています。
今渡っている場所はスフィンクス参道の前に架け渡された橋の上。元々この神殿はナイル川から引かれた運河に接して造られていました。そのため現在は橋が架けられている場所に古代の船着き場があったのです。カルナック神殿 城・宮殿
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神殿に向かって左側のスフィンクス。
スフィンクスといえば体がライオンで頭と顔が人間の姿を想像しますが、ここのスフィンクスはそれとは違って雄羊の頭なんです。
何か違和感満点の像ですが、雄羊はアメン神の象徴であり、アメン信仰の象徴でもあるためこのスフィンクスはアメン神を表しているのです。 -
こちらは入り口右側のスフィンクス。
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スフィンクスの顔の下の人物はなんと有名なラメセス2世。
という事はこの40体のスフィンクスはラメセス2世が奉納したのではないかと言う推測が成り立ちますね。
多分そうだと思います。この神殿にはラメセス2世の巨像を始めレリーフなどラメセス2世が喧伝のために建てたものが多いそうですから。 -
入り口のスフィンクス像。
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第一塔門からスフィンクスを振り返り見た景色。整然と並んだスフィンクス像は圧巻です。スフィンクスの列の端に見える小さなオベリスクはセティ2世のオベリスク。
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第一塔門を潜って第一中庭に出ました。進行方向の左に見える建物(写真の建物)はセティ2世の聖船祠堂。聖船祠堂はテーベ3柱神(アメン神、ムト神、コンス神)の聖船の休息所です。建物の3つの入り口は左からムト神、アメン神、コンス神の聖船が納められていました。
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聖船祠堂の壁のレリーフ。右がファラオで左がメンチュ神。
メンチュ神はかつてテーベの主神で王に勝利をもたらす戦いの神です。ハヤブサの姿ですがホルス神ではありません。 -
こちらはセティ2世聖船祠堂の向かい側。列柱の下にはアメン神のスフィンクスが並んでいました。
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第一の中庭にあった何かの台座。いずれかのファラオの像かオベリスクの台座と考えられますが、台座の高さからオベリスクがあったと考えるのが妥当でしょう。
現在ローマには13本のオベリスクが存在しますがそのうち12本はローマ帝国時代にエジプトから強奪されたと言われています。
ひょっとしたらそのうちの1本がここにあったのかも。アランさんから説明がないので真相は分かりませんが・・・。 -
同じく第一の中庭にあるスフィンクス。このスフィンクスはツタンカーメンのスフィンクスと書かれている旅行記が散見されます。しかし、文献を読んでもそのような記述はないので、単なるスフィンクスとしておきます。
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第一の中庭には第25王朝タカハル王によって建てられたキオスクの一部であったパピルス柱が10本ありましたが、残存するのは写真の1本のみです。
残りは柱の途中から折れたものや柱の基壇が残ったものでした。
柱の左後ろの建物は第2塔門、逆光で見難いですが第2塔門の手前に建っている像がラメセス2世像です。 -
第21王朝神官ピネジェムの巨像。巨像の足元に立つのはラメセス2世の王妃ベントアンタの彫像です。
元々はラメセス2世の物でしたが第20王朝のラメセス6世の手に渡りその後ラメセス11世の王妃の夫となった神官ピネジェムが自らの名前を書き入れて自分の物にしました。そのためピネジェムの像(巨像)と呼ばれています。現在の像は復元されたものでオリジナルではないそうです。(Wikipediaから引用)
ガイドブックや多くの旅行記ではこの象をラメセス2世像と記述していますが、いくつかの文献やWikipediaではピネジュムの像と記述されていました。
よって私はピネジュムの像と記述しておきます。 -
ラムセス2世の王妃ベントアンタの像です。
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壁に記されている高さ3mの青い横線はナイル川が最大に氾濫した時の水位で、この時は神殿が破壊されたそうです。現在はナイル川の流れが変わり神殿よりも遠くを流れているそうです。
ナイル川氾濫時の様子を説明しているのはガイドのアランさん。 -
第2塔門に掲げられていた大列柱の古い写真。
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ここは大列柱室。幅102m奥行き53mの大列柱室は16列に配置された134本の巨大な円柱が残されています。
これらの円柱のうち122本は高さ約15mの未開化式のパピルス柱で、中央には12本の開花式のパピルス柱があります。開花式のパピルス柱は高さ21m、直径は3m以上もあります。
大列柱室は18王朝のアメンヘテプ3世の時代に着工され、トトメス1世の時に装飾が始められ、ラメセス2世の時代に完成しました。カルナック神殿 城・宮殿
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パピルス柱にはアメン神などのレリーフが施されていました。
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この大列柱室は映画の撮影にも使用されていて「ナイル殺人事件」でも登場しましたね。
外にも歴史映画で見たような記憶があるのですが何という映画だったか題名が思い出されません。何度か映画やTVで見た記憶があるんですけど。
写真は開花式のパピルス柱です。 -
通路の両側にある開花式のパピルス柱。開花した花弁が破損している柱もありました。
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こちらは開花した状態のパピルス柱。写真では分かり難いのですがこの柱、とても大きいのです。
この大列柱室はすごくスケールがでかい。圧倒されますよ。 -
開花式のパピルス柱の奥には未開化のパピルス柱が並んでいました。
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未開化式のパピルス柱は花の蕾の下の色が残っていました。
色がはっきり識別できますね。完成した時はカラフルで美しかったでしょうね。 -
大列柱室からは2つのオベリスクが見えました。
向かって右、第3塔門と第4塔門の間に立っているのはトトメス1世のオベリスク、高さ19.5m重量は約150トンあるそうです。
左に見えるのがハトシェプスト女王のオベリスク。第4塔門と第5塔門の間にあり高さ29.56m重量は323トンです。カルナック神殿 城・宮殿
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未開化のパピルス柱の上にある格子窓は明かり取りの窓。
大列柱室の天井は崩落しています。そのためどんな天井であったかは分かりませんが、少なくともあの格子窓の上に天井が造られていて内部は明り取りの窓を取り付けなければならないほど暗かったことが想像できます。 -
柱と柱を繋いでいる部分は一部のみ天井が残っていました。この天井の上にさらに天井が造られていたと推測できます。
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柱を繋ぐ梁の部分にはカルトゥ―シュが見られます。色もはっきり残っていました。
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これがハトシェプスト女王のオベリスク。高さ29.56m、重量323トンの堂々たるオベリスクです。
オベリスクは第4塔門と第5塔門の間に建てられていまが、このオベリスクの反対側にもオベリスクが建てられていて、その倒れたオベリスクの頂上部分が「隠し場」の中庭に展示されているのです。 -
ハトシェプスト女王のオベリスク基壇部分のヒエログリフ。
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至聖所に至る通路です。ここはどの辺りだったろうか。多分第5塔門から第6塔門の間くらいでしょう。
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壁に描かれているいるのはオプトの祭のレリーフです。
オペトの祭りとは年に一度行われる祭りで、アメン神がムト女神の住むルクソール神殿を訪れる祭りです。
ファラオ自らが至聖所に安置されているアメン(アメン・ラー)神の神像を美しく飾られた小舟に乗せるのです。神官たちに担がれた船は王の輿の行列を従えてゆっくりと街中を練り歩きルクソール神殿まで運ばれて行きました。
ルクソール神殿に着いたアメン神はこちらの至聖所に移され妻のムト神と共に10日ほどの祭りの期間をここで過ごし、再びカルナック神殿に帰ってきます。
このレリーフには神官たちに担がれた船の様子が描かれています。一番上のレリーフは神々に祝福されるファラオです。 -
壁に描かれたレリーフ。
ファラオがアメン神に供物を捧げている場面です。 -
ハトシェプスト女王のオベリスクの側には注目すべきレリーフがありました。
このファラオのレリーフは女性でありながら自らファラオとなるべく強引に戴冠式を断行し以後22年に渡って権力を振るったハトシェプスト女王です。
周囲に反対する者も多かったので男装し付け髭をして、男性のように振る舞ったそうです。このレリーフでも付け髭が描かれていますね。
残念ながら女王の顔もヒエログリフの一部もコプト教徒によって潰されていたのでその容貌は分かりません。
さて、女王が指し示す右側に描かれていたのは・・・。 -
カルナック神殿に建てられた2本のオベリスクです。
そしてこのオベリスクがある謎を解く大変な鍵を握っていたのです。
それはオベリスクの中央からやや少し下、コプト教徒に潰された場所の下です。
分かりやすいようにその部分を拡大します。 -
オレンジで囲んだ部分に注目。女王はこの神殿に2本のベリスクを建てました。そのことを示すのが左のオベリスク。そして彼女はこの神殿に3本目のオベリスクを建てることを決意して、この神殿にその決意をレリーフにして残したのでした。右のオベリスクにはオベリスクが3本描かれています。女王の決意がここに集約されているのです。
そして3本目のオベリスクこそアスワンの切りかけのオベリスクだったのです。
ヒエログリフが解読されていない時代には、切りかけのオベリスクは誰が製作を命じたのか分かりませんでした。
碑文にはこのことが書かれているそうです。こうして3本のオベリスクの意味が解読され、持ち主不明の切りかけのオベリスクの謎が解明されたのでした。 -
ここは第6塔門。門の奥に少しばかり見えるのは上下エジプトを象徴するロータスとパピルス柱の一部と思われます。
第6塔門はトトメス3世が記録の間の入場門として制作させましたがアメンへテプ4世によって破壊されました。その後ツタンカーメンが塔門にあったアメン神などの彫像を修復し、碑文にその事績を残しましたがその後ファラオとなったホルエムヘブがこの碑文を改ざんし己の事績として残しました。
破壊された第6塔門は塔門と言うよりは小さな石の門と言う程度の規模でした。
ここに残された彫像はツタンカーメンが修復したものと思うと、古代の人物が急に身近になったように思われました。
そしてこの彫像、神殿で一押しのイケメン顔です。付け髭があるのでひょっとしたらファラオかも。もしかしたらツタンカーメンの顔に似せて作った彫像かも・・。
などと空想は果てしなく広がって行く・・・。 -
こちらは女性の彫像。神々の彫像であればムト神かも。
第6塔門の奥が至聖所です。神殿内部の観光はここまで。至聖所にも上下エジプトを象徴するロータスとパピルス柱の所にも行きませんでした。
多分今日は強行軍なので時間の制約があるんだと思います。自由行動があれば後で行って見たいと思いました。 -
再び第一中庭の方に向いて来た道を戻ります。
右がハトシェプスト女王のオベリスク、左がトトメス1世のオベリスクです。
トトメス1世のオベリスクの先にあるのが大列柱室。 -
トトメス1世のオベリスクと開架式パピリス柱の列柱が見えます。
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第3塔門の壁に描かれたレリーフ。
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振り返って見たハトシェプスト女王のオベリスク。
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トトメス1世のオベリスクのすぐ側を歩いているところです。
ここからは第3塔門の壁の一部と大列柱室のパピルス柱が見えています。 -
大列柱室の壁に描かれたレリーフ。
第3塔門の入り口を左に折れてアメン大神殿の外に出てきました。
ここは「隠し場の中庭」と呼ばれているところ。丁度大列柱室の壁の外に立っています。 -
ここから見えるのは聖なる泉と呼ばれている池。祭礼の時などに神官が沐浴した池です。
池の水はナイル川から引かれて来たものですが枯れることは無いそうです。 -
中庭に置かれているのがハトシェプスト女王のオベリスク。元は今立っているオベリスクと向かい合うように建てられたのですが、倒れてしまったので損壊していない頭部付近のものがここに展示されていました。
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オベリスクのヒエログリフです。
オベリスクに彫られているオベリスクをこんなに間近で見ることは普通ありませんので興奮しましたね。 -
アメン大神殿の見取り図と説明文。
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同じく中庭にあったスカラベの像。
このスカラベはカルナック神殿で一番人気のある彫像かもしれません。
その訳はスカラベの周りを3周回れば結婚できて、5周回れば幸せに、そして7周回れば願が叶うそうです。
そのためこの周りを世界中から集まった観光客が回っていました。大スカラベ像 建造物
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私も願が叶うようにと7周回りました。・・・が、いまだに願いは叶いません(笑)。仏教徒は効果がないのかな?アメン神を信奉しないとダメみたいですね。
大スカラベ像 建造物
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スカラベ象の台座には碑文が書かれていますが読めません。アランさんから説明があったのかな?よく覚えていない。
説明があったとしてもよほど印象に残らないと憶えていない。最近は人の名前も思い出せないほどの健忘症なので思い出せませんでした。
これでカルナック神殿の①を終わります。次はカルナック神殿の②、自由行動で見た神殿をお送りします。
エジプトって奥深いですね。こうして旅行記を書くにつれて見忘れている所が沢山あるし、もっと事前に勉強しておけばとても印象深い旅行になったのではないかと反省しています。
アップまでしばらくお待ちくださいませ。大スカラベ像 建造物
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