2019/03/08 - 2019/03/15
44位(同エリア432件中)
ポポポさん
イシス神殿は「ナイルの真珠」と謳われた美しい神殿です。この神殿はエジプト最後の女王クレオパトラ(クレオパトラ7世)の父プトレマイオス12世によって建てられました。
この神殿はクレオパトラとカエサルが新婚旅行で訪れた場所であり、またナポレオンがエジプト遠征の時に是非とも訪れたいと希望し、カイロから遥かに遠いこの神殿にわざわざ足を運んだ場所でもあります。
神殿には古代エジプト神話で有名な豊穣のイシス女神が祀られています。
イシス神殿が建設されたのはアスワンハイダムの建設で湖底に沈む前のフィエラ島です。この島でホルス神を出産したことからイシス神殿が建設されました。現在はダム建設により神殿が湖底に沈むことを防ぐため近くのアギルキア島にユネスコによって移設されています。
個人的な感想ですが私が観光した神殿の中ではイシス神殿が最も素晴らしかったです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
旅行4日目、3月11日の午後です。
ツアーバスに乗って波止場にやって来ました。イシス神殿はダム湖に浮かぶフィラエ島(旧名アギルキア島)にあるため、ここから船に乗って行きます。
イシス神殿の入場チケットは神殿のある島で購入するのではなく、この波止場の入り口で購入します。
入り口の写真を映していないため、いきなり波止場の写真になりましたが、波止場の入り口でチケットを購入し保安検査を受けて波止場まで進みます。
波止場に向かう道の両側には多数の露店が商品を広げていましたが、店の売り子も店主も誰もいませんでした。 -
イシス神殿のチケットです。料金は140EGP,日本円で約980円ですね。
オプショナルツアーだと神殿の観光とファルーカ船のセイリング体験とで11000円でした。
どの旅行会社もほぼ同様の金額なので特別高い訳ではありませんが、個人手配で観光した方が遥かに安上がりになることは自明の理です。
ただエジプトではタクシーの手配や船の手配に難があるようです。
そのため面倒なのでOPツアーに申し込みしました。
後で色々調べた所、ホテルのフロントでタクシーを呼んでもらう場合は料金は高くありません。
問題なのは神殿までの船賃です。4トラメンバーさんの旅行記などを拝見するとまず250ドルくらいの料金を吹っ掛けられるそうです。
そこからいくら値切るか交渉次第ですが、料金は一人だいたい120ドルから200ドルのようです。公定価格は150ドルと聞きましたが、これを守る船頭はいないようですね。
料金は1隻の往復料金なので相乗り客が多いほど一人当たりの料金は安くなります。一人で急いで乗船せずに相乗り客を見つけるのが料金を安く抑える方法のようです。他の国の人と相乗りしたので料金が安くなったという事例もありました。 -
船着き場に向かう途中の露店の様子です。露店には誰もいません。
どの観光地でも土産物店や露天商は「ワンダラー」と声を掛けて煩いくらいなのですが、こんなに静かだと拍子抜けします。 -
どの店も誰もいません。
ひょっとしてここにも欧州のようなシエスタがあるのでしょうか?
料金は表示がないので全く分かりません。石のピラミッドや置物、身具などが多かったようですが、我々も買い物の時間は無いので通りすがりに目を向けるだけでした。 -
この店ではいくつか人形が倒れていた。
-
時間があればゆっくり見てみたいけど・・。
でも先を急ぎましょう。 -
波止場には多数の船が停泊していました。
奥に見えるのはアスワン・ダム(アスワン・ロウダム)です。
このダムによってせき止められた人造湖の中にあるのがこれから行くフィラエ島です。
この人造湖はガイドのアラーさんがナセル湖と呼ぶものだから、そうだと思っていましたが、実際は名前のないダム湖です。
ナセル湖はアスワン・ハイダムによりできた南側のダム湖のこと。ここはアスワン・ロウダムの建設によりできた名無しのダム湖です。
グーグルの地図にはナイル川と表記されているからでしょうか、書物にもナイル川と表記されているものがけっこうあります。
でもここは正確にはダム湖なのです。ガイドのアラーさんがいうナセル湖ではありませんが・・・。
ここでツアー一行はボートに乗船し南に向かいました。 -
ボートの左車窓に見えてきたのは湖畔のホテル兼レストランです。
レストランの背後に見えているのは花崗岩の岩山。アスワンでは湖の周囲にこのような岩山があちこちありました。 -
湖を進んでいると左手にイシス神殿が見えてきました。
イシス神殿に行くときに乗船するボートから見える景色は左側の方が断然いいので左側の座席を確保しましょう。 -
イシス神殿。神殿の最も奥にあるのが至聖所ですが、船から眺める神殿の景色は至聖所から本殿、第二塔門、誕生殿、第一塔門というように神殿の観光ルートを逆に辿って行きました。
-
さらに近づくとイシス神殿がより鮮明に見えてきました。
左から至聖所、本殿、第二塔門、誕生殿、第一塔門、さらに右に見えるのが入り口広場にある列柱です。 -
イシス神殿は紀元前3世紀にイシス女神に捧げられた最大の神殿としてプトレマイオス12世の命によりフィエラ島に建てられました。フィラエ島はイシス女神がホルス神を出産したとされる神聖な場所であり、そのためこの島が神殿建設の場所として選ばれました。
なお、プトレマイオス12世はエジプト最後の女王クレオパトラ(クレオパトラ7世)の父です。
プトレマイオス朝はエジプト最後の王朝ですがファラオはエジプト人ではなくギリシア人でした。
マケドニアのアレキサンダー大王はペルシア軍を破ってエジプトに進駐すると、エジプトはアレキサンダー大王の支配下に入りました。
大王の死後は一族や将軍たちによる内紛が発生、結果エジプトの支配権を得たのはアレキサンダー大王の武将でエジプト総督のプトレマイオス1世でした。
彼は紀元前305年にエジプトの王であることを宣言し、ここにギリシア人による古代エジプト最後の王朝。プトレマイオス朝が開かれました。
歴代の王はエジプト旧来の伝統を重視し、宗教にも寛大でエジプトの神々を祀る神殿の建設や・増築が盛んに行われました。
ちなみにギリシア人のファラオはエジプトの言語が話せなかったそうですが。唯一クレオパトラ女王は自由にエジプト語を話せたそうです。 -
右側にはダム湖の湖底に沈んだフィラエ島です。島の一部の岩が湖面に顔を覗けている場所がそうです。
-
フィエラ島以外にも湖底に沈んだ場所がいくつかあります。
それらは岩場の頂上に通信アンテナが備え付けられていました。 -
さて、イシス神殿は古代エジプトの宗教の最期の砦であり、紀元437年に最後のヒエログリフが刻まれた場所でした。キリスト教がローマ帝国の全土に拡大した時代にもフィラエ島でのイシス信仰は例外的に認められ、唯一この神殿ではエジプトの神官が伝統的な儀式を行っていました。
しかし550年、ローマ皇帝ユスティニアヌスが神殿を完全に閉鎖すると碑文や神官たちは駆逐され、神殿の列柱室などはキリスト教の教会堂になりました。
またレリーフは偶像崇拝否定の立場から削り取られてしまいました。イシス神殿 城・宮殿
-
時は移って19世紀後半に農業用水確保のためアスワンダム(アスワンロウダム)が1972年に完成するとダム湖の水位が62m上昇し、7~8月を除きほぼ1年中水に浸かる様になりました。
さらに1960年、アスワンハイダムの建設計画が浮上しました。ダム建設によりフィエラ島及びイシス神殿などのフィエラの遺跡群は完全に湖の底に沈むことになります。
そのためユネスコにより救済措置が取られました。方法はアブシンベル神殿と同じように神殿をブロックごとに切り分けて近くのアギルキア島に移築するというものでした。
こうして1972年から1980年にかけてイシス神殿他の遺跡はアギルキア島に移築されましたが、移築に際しては島の形も造り変えられました。さらに移築後は島の名前がアギルキア島からフィラエ島に変更されました。
写真中央に見える建物は誕生殿ですが、誕生殿の内部は観光していません。
また建物そのものは湖の方からしか見えませんでした。イシス神殿 城・宮殿
-
第一塔門以下のイシス神殿の様子。
イシス神殿 城・宮殿
-
神殿の入り口にあるネクタネボ1世のキオスク。写真右端の石柱が立っている部分がキオスクです。キオスクとは支柱を用いて透かし細工のような効果を持たせた小神殿のことです。小神殿と言ってもあずまやのような感覚の建物でした。
キオスクから写真左にかけてはイシス神殿の列柱がありました。
ここを曲がれば桟橋まであと少し。 -
フィラエ島(旧アギルキア島)の桟橋です。
ここから島に上陸しました。 -
写真がネクタネボ1世のキオスク。見えている石柱はオベリスクです。
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こちらがイシス神殿の入り口にあるネクタネボ1世のキオスクです。
何のために建てられたのかはアラーさんの説明が無かったので不明。説明があったとしても忘れて思い出せないと思います。
ちなみにネクタネボ1世は第30王朝のファラオでペルシアの再征服からエジプトを守ったファラオです。
一方では無数の記念碑や神殿を建立した偉大な建築家としても名を残しています。エジプト中にある無数の神殿を修復し聖なる島フィエラにキオスクを建てました。
フィエラ島は後に古代エジプトにおいて重要なイシス信仰の地となりますが、その祭礼の第一歩を築いたのがネクタネボ1世でした。 -
イチオシ
イシス神殿の第一塔門と右の列柱です。列柱は左側にもあります。
残存する列柱は右が16本、左の列柱が31本です。左の列柱は32本建てられましたが現存するのは31本です。
これらの列柱はいずれもローマ帝国の皇帝によって建てられたものです。柱には時のローマ皇帝の名や神々の名前が刻まれています。
なかには暴君として名高い三代皇帝のカリギュラ(カリグラ)も柱にその名を残しているそうですよ。
右の列柱は東ローマ帝国時代に建てられたものですが途中で工事が中断したため未完成になっています。工事が中断した理由はキリスト教がローマ帝国の国教になったからだそうです。
そのため右の列柱の手前の8本は柱頭に装飾のレリーフが施されていませんでした。
さらにアラーさんの説明ではロゼッタストーンはこの神殿で発見されたそうです。塔門の奥で発見されたとのことでした。
え?ロゼッタストーンってここじゃ無くロゼッタ村でエジプト遠征中のフランス軍の将校に発見されたんじゃなかったっけ?私はそのように記憶していましたが、記憶違いだったのかもしれません。エジプトの歴史はそんなに詳しくはないので・・・。
でも気になるので帰国後に調べ直すとやはり1799年7月エジプト遠征中のフランス軍の将校によってエジプトのロゼッタで発見されていました。私の記憶通りでした。とするとアラーさんの説明は間違いだったのか?調べていくと間違いという事でもないようです。
ロゼッタストーンはプトレマイオス5世によってメンフィスで出された勅令が刻まれた石碑の一部です。
Wikipediaによればロゼッタストーンが発見されて以降メンフィスの勅令を碑文にしたものが他に2つ見つかっています。そのいずれもがフィラエ島のイシス神殿(フィラエ神殿)からでした。それは碑文と柱(オベリスク)でしたがロゼッタストーンのようにヒエログリフが比較的無傷で残されていた訳ではありません。この碑文が発見されるはるか以前にロゼッタストーンはすでに解読されていました。後のエジプトの研究者がこれらの碑文に取り組んだのはロゼッタストーンの失われた箇所に使われていたに違いないヒエログリフの文字群をさらに詳しく明らかにするためだったと書かれています。
ガイドのアラーさんが説明されたロゼッタストーンとはイシス神殿で見つかった碑文のことのようです。イシス神殿 城・宮殿
-
こちらは31本の柱が残る左側の列柱です。
柱頭にはハスの葉、パピルス、ヤシの枝やこれらの複合体の装飾レリーフが施されています。それぞれの柱頭のデザインは個々に異なっていて、同じものは無いそうです。
なお柱の下の方には黒ずんだ跡がありますが、これはアスワン・ダム(アスワン・ロウダム)の建設によりダム湖の水位が上昇し水に浸かっていた跡です。
この広場はダム建設以降1年の大半水に浸かっていたそうです。
上の写真の第一塔門の下にも横一線に水に浸かった跡が残っていました。イシス神殿 城・宮殿
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左の列柱の柱頭の装飾は確かにそれぞれ違っています。
柱にもレリーフが施されていました。 -
列柱の壁に開けられた窓からは美しい湖の景色を眺めることができます。
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列柱の上部。第一塔門前の広場の列柱は屋根が失われた場所がかなりありました。
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柱頭の装飾。このデザインはパピルスのようです。
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柱頭の装飾。
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柱頭の装飾。これはヤシの枝?かな。
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第一塔門をアップで写す。
第一塔門の左右の壁にはレリーフが施されていました。こちらは塔門の右側。
中央の塔門の通路からは第二塔門のレリーフが見えていました。
このことからこの神殿の移築工事はエジプトの神殿建築様式と異なった形でなされたことが分かるのですが、一体どこがどう違うのかお分かりになりますでしょうか?
エジプトの神殿建築では第一塔門、第二塔門、列柱室や本殿、至聖所が一直線上に配置されて建てられています。
ところがイシス神殿では第一塔門の入り口から第二塔門の壁が見えている。本来は見えるはずのない壁のレリーフが見えているのです。 -
つまり、この神殿は一直線上に建物が配置されていないのです。当初フィエラ島に神殿が建てられた時には神殿の様式に沿って建てられていたはずですが、アギルキア島に移設された時には第二塔門から「くの字」に折れ曲がって建てられているのです。
ではなぜ「くの字」に折れ曲げるようにして移設されたのでしょうか?
答えは簡単。移設先のアギルキア島がフィエラ島よりも狭かったからです。移設に際してアギルキア島の形をフィエラ島に似せて造り替えたものの、神殿が一直線に配置できるほどのスペースが確保できなかったのです。
当然移設に際して疑義が発せられましたが、神殿の形態が大きく損なわれるものではないとの見解で移設に踏み切ったそうです。
さて、写真左の塔門にある入り口は誕生殿に入る入り口です。誕生殿はイシス女神がホルス神を出産した所ですが、観光ではこの中には入っていないため内部の様子は不明。
実はイシス神殿は事前に下調べをしませんでした。ガイドさんの説明を聞いておけばいいかくらいにしか思っていなかったのです。
そのためこの入り口が誕生殿の入り口と知ったのもエジプトから帰国してからのこと。事前に知っておれば観光が終わった後のトイレ休憩時間に行ったものをと悔やまれてなりません。
なおこの第一塔門の大きさが想像できますか。写真に写っている人の身長と比較してみてください。とにかく巨大な門でした。
第一塔門左のレリーフは髪をわし掴みにした捕虜をイシス女神に差し出すプトレマイオス1世です。イシス神殿 城・宮殿
-
左塔門上部のレリーフ。ファラオがイシス女神とセト神に供物を捧げているところです。
壁に開けられた四角い穴は旗を掲げるためのものだったそうです。 -
右塔門上部のレリーフ。
左壁と同じモチーフです。 -
この入り口を通り抜けると第二塔門前にある前庭へと進めます。
入り口の左右には2頭のライオン像がありました。日本の神社にある狛犬のようなものでしょうか。元々ライオン像には台座がありましたが1819年にイギリスの考古学者に盗まれました。さらに狛犬の前にはオベリスクがありましたが、これもイギリスの考古学者に持ち去られ現在は大英博物館にあるそうです。
これらはエジプトの宝としてロゼッタストーンと共にイギリスに返還請求しているそうですが、イギリスからは全く反応がないそうです。イシス神殿 城・宮殿
-
第一塔門右のレリーフは左からイシス神(女神)、セト神、ハトホル神。
イシス神、セト神、ハトホル神などは古代エジプト神話に登場する神々ですが、特にイシス神殿は神話の神々の関係が分からないと理解しずらいと思います。
そこでイシス神とその関係する神々の神話を簡単に紹介しておきましょう。
昔々天空の神ヌトと大地の神ゲブとの間には4人の子供がいました。
豊穣の神オシリス、女神イシス、厄災の神セト、死者の守護神ネスティフです。
オシリス神は妹イシス神と結婚し王となってエジプトを統治しました。オシリス神の治世下エジプトは大いに繁栄し、彼は人々に大いに尊敬されました。
これに嫉妬したのが弟のセト神です。セト神は兄オシリス神の殺害を決意し、オシリス神に罠を仕掛けました。
セト神はオシリス神の体と同じ寸法で造った美しい箱を披露し、この箱にピッタリ合う方に箱を進呈すると皆に告げました。
そしてオシリスが箱に入った瞬間に箱を閉じてナイル川に投げ込み殺害しました。
オシリスを殺害されたイシスは王宮を飛びだし、妹でありセトの妻でもあるネフティスと共にオシリスの亡骸を探し求めました。ようやく地中海にあるビブルスの王宮でようやく棺となった箱を見つけ出しました。イシスはオシリスを連れ帰って蘇らせますが再びセトに殺害されました。セトは今度はオシリスの遺体を14区分に切断しエジプト全土にばら撒いてしまいました。
イシスは再びオシリス探しの旅に出ました。ようやく集めたオシリスの遺体をミイラ作りの神アヌビスの助力を得てつなぎ合わせミイラにして包帯にくるみ、魔法の言葉を唱えるとオシリスは復活しました。そしてイシスはオシリスの気力を呼び起こして彼と交わり、息子ホルスを身ごもりました。
しかし14区分のうち1区分見つからなかったため不完全な体となったオシリスは、現世にはとどまることができなくなりました。こうしてオシリスは冥界の王となりました。
その後イシスはセトの目を逃れてフィエラ島で無事ホルスを出産しました。
ホルス神はいろいろな嫌がらせをセト神から受けますが、成人になると父の仇を討つべくセト神に戦いを挑み何十年にもわたる戦いの末にセトが破れるとエジプトの王として君臨しました。以後ファラオはホルス神の化身と見なされました。
この相関関係を頭に入れて観光すればイシス神殿はより興味深いものになると思います。イシス神殿 城・宮殿
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この角度からは三神のレリーフがよく見えました。
ライオン像は2頭とも顔を潰され削ぎ取られていました。そしてライオン像の台座はイギリスに略奪されました。イシス神殿 城・宮殿
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列柱に隠れていて広場からは見ることができないプトレマイオス1世のレリーフ。第一塔門左の壁に彫られているポーズと同じように捕虜たちの髪を掴み神々に捧げている姿でした。
この写真は観光が終わった後のトイレ休憩の時間に写したものです。 -
イシス女神のアップ。女神の顔はエジプトのキリスト教徒(コプト教徒)によって削り取られていました。
キリスト教は偶像崇拝が禁止されていたので、エジプトの初期キリスト教徒たちは偶像崇拝の対象となっていたエジプトの神々の顔や姿を削り取ったのでしょう。 -
幸いなことにホルス神の顔は潰されていませんでした。
-
第一塔門前の広場にある列柱。こちらは東ローマ帝国皇帝が建てた未完成の列柱です。
写真前方がイシス神殿の入り口。 -
第一塔門を通り抜けて第二塔門前の前庭にやってきました。
目の前に見えているのが第二塔門ですが、この塔門もとにかくでかい。
人の身長と比べると塔門の大きさが想像できると思います。塔門のレリーフは第一塔門同様塔門の左右と上部に彫られていました。イシス神殿 城・宮殿
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右のレリーフは左からイシス女神、ホルス神、右のファラオはプトレマイオス12世です。
上段のレリーフは左からホルス新、イシス女神、オシリス神そしてファラオです。右隣りはイシス女神、ホルス神、ファラオで第一塔門と同じレリーフでした。
プトレマイオス12世の下にあるのはプトレマイオス6世の碑文です。イシス神殿 城・宮殿
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第二塔門のレリーフのアップです。
イシス女神もホルス神の顔も損なわれていませんが、ファラオの顔は潰されていました。
一方左側のレリーフはイシス女神とホルス神は顔も体み判別がつかないほどに潰されていました。 -
プトレマイオス6世の大きな石碑。花崗岩に書かれた碑文はロゼッタストーンに書かれた碑文と同じ「メンフィスの勅令」だそうです。
これこそアラーさんがイシス神殿で発見されたロゼッタストーンと話していた第二のロゼットストーンなのでしょう。
碑文の文字は風化して判別しにくいのですが上からヒエログリフ、デモティック(民衆文字)、ギリシア文字という具合に分けられています。
そして柱というのはイギリスに持ち去られたオベリスクのことだと分かりました。
非常に貴重な文化遺産がイシス神殿には残されていたんですね。 -
第二塔門の前庭にも第一塔門の広場と同じように左右に列柱がありました。
右の列柱は第一塔門の前にあった列柱と同じようなデザインでしたが、左の列柱はハトホル神の顔が彫られた列柱でした。 -
ハトホル神の列柱をアップで・・。
-
さらにアップで・・・。ハトホル神(女神)はホルス神の妻で愛と美と豊穣と幸運の女神。牝牛の姿か牝牛の頭を持つ人間の姿で表され、人間の女性の姿として表される時もあります。その場合は女性の頭に2本の角とその間に太陽円盤を乗せ、耳は牝牛の耳で表されます。
だからこのレリーフは牝牛の耳なんだそうですよ。 -
こちらは右の列柱の様子。第一塔門の列柱は屋根が失われたところがありましたが、こちらはしっかり屋根が残っています。
柱のレリーフもこちらの方がはっきり分かります。 -
柱のレリーフはイシス女神?それともハトホル女神?
イシス女神は太陽円盤を頂く女性の姿で描かれると、ハトホル女神と区別がつきません。
共に牝牛の角と太陽円盤、どちらもアンクと杖を持っているし素人には分からない。
でも言えることは共に裸体で描かれているのでなまめかしいという事。 -
右の列柱の窓枠で見かけた太陽円盤と2匹のコブラと翼のレリーフ。このレリーフは神殿内であちこち見かけました。
ホルス神はエドフでカバに変身したセト神を打ち破りました。その時ホルス神は太陽円盤に身を変じてセト神にぶち当たりセト神を打ち負かしたそうです。
以降太陽円盤と翼のモチーフはホルス神の勇気と強さを象徴するものとして多くの神殿などの装飾として用いられました。
ただこのレリーフの2匹のコブラが意味するところが分かりませんでした。 -
第二塔門を潜って中に入りましょう。次は列柱室、そしてその奥が本殿です。
イシス神殿 城・宮殿
-
第二塔門の裏側には欧州から来た観光客の落書きが沢山あります。
その中で有名なのがオレンジで囲ったところに書かれている名前。正面から写していないので少し分かり難いかもしれませんが「BONAPARTE」(ボナパルト)と書かれています。
ボナパルト?そう、あの有名なボナパルト。ナポレオン・ボナパルトです。
彼はエジプト遠征の途上で、遥か南のアスワンまでやって来たのでした。彼はエジプトに上陸して1ヶ月は破竹の勢いでした。その間にわざわざアスワンまでやってきたのかもしれません。戦の最中なぜこんなところに彼は来たのか。元々彼がエジプトで一番来たかった場所はフィエラ島のイシス神殿だったそうです。
では、なぜイシス神殿なの?それは彼が歴史に名を刻みたかったからと思われます。
イシス神殿はクレオパトラとカエサルが新婚旅行で訪れた場所として欧州の知識人の間では知られていました。
ナポレオンはカエサルを倣って同じ足跡を残したかったに違いありません。同じ英雄として・・・。この時期ナポレオンはまだ英雄の一歩手前を歩いていたところですが、気持ちとしてはカエサルのような英雄になりたいとの願望があったんでしょうね。 -
第二塔門を潜ると本殿前に列柱室がありました。この列柱室がイシス神殿が閉鎖されて以降キリスト教の教会堂になった場所です。
ここにはキリスト教時代の遺構がいくつか残されていますが、今回の旅行記はここまで。
写真が多かったのでイシス神殿の旅行記は2回に分けてお送りします。前半はここで終わり、次は本殿、至聖所、トラヤヌス帝のキオスクなどローマ帝国時代に建てられた建物を紹介します。
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アスワン(エジプト) の旅行記
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旅行記グループ エジプトナイル川クルーズの旅
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