2024/10/24 - 2024/11/08
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佐々の賢次郎さん
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ルクソールの東岸と西岸をめぐりました
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 船 自転車 タクシー 徒歩
- 航空会社
- アシアナ航空 カタール航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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1570 頃 ? 1070 BC 頃 第18 代王朝のイアフメス一世が再統一してからの時代が 最も栄えた時代と言われている。
この時代に建てられた、建造物、文化遺産は各地に多く残されている。
建設王のラムセス二世は、90歳を超える長寿で第一王妃は、ネフェルタリ。
66年にわたる治世で、100人以上の子供を授かり巨大な富を背景に、
建築事業を推進した。
首都テーベは、現在のルクソールになるが、ツタンカーメンの墓を発掘したハワード・カーターが、1910年に残した銘板にも、“テーベで“ の記載がある。
10月30日 (水)
06;45予定の到着予定が07;30分になったが、此処で降りるとBashtil Station で一緒に乗り込んだ欧米人数人のうち3人がここで降りた。ホテルまで歩いて行き、バッグを預け予定を確認すると、日本語の判る知人がいると、スマホで話をしてスムーズに終わった。出かけようとすると 「人は信じない方が良い」 などと言ってくれた。折角なのでカルナック神殿迄足を延ばした。途中で場所を聞いてみると、タクシーが良いと言われたので駅前で乗りこむと、2ドルで行ってくれた。 帰りは馬車に初めて乗った、此処ではトクトクはほとんど見かけず馬車が多い。
チケット売り場でMASTERカードを出すと使えないと返されたので、VISAカードで決済した。
日本に電話して、ブロックを解除して貰う様にお願いしていると、突然電話を切られた。
ギザで¥1800 チャージしたのに、2回:2分間でオーバーとは?? ・・・ 1分間で\ 900 は高すぎる。
その後、日本への電話は取りやめた。
神殿は、圧倒される規模で、塔門、大列柱室、オペリスク、立ち並ぶスフィンクス、それらに刻まれた細かなレリーフ、全てに感動し、衝撃を受けた。 -
西岸の “王家の谷” 方向にバルーンが飛んでいました。
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チケット売り場 観光バスが連なって多くの人が来ていました。さすが一番の人気でした。
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カナルック神殿の案内図です
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入場門です
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スフィンクスの出迎えですが、他の所にも数多く並んでいました。 第Ⅰ塔門;幅113m 高さ 43m
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圧巻の眺めなので横向きにしました。フルサイズで見てください。
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ラムセス 二世 王妃像 ;足元はベントアンタ王女
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大列柱室は直径約2mで134本あり、セティ一世が着手し ラムセス二世で完成したそうです
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親子のオペリスク;トトメス一世と 娘ハトシェプスト女王のものです
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塔門の大きさが圧巻です・・・ 壁面に刻まれた細かいレリーフ!!
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壁面に刻まれた細かいレリーフが 素晴らしい!!
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大満足;3500年前に作られた巨大建造物に、圧倒され続けた時間を過ごしました。
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西岸の方向に王家の谷が見えます。連桔するように建設した様です。
観光用マップ ; ルクソール東・西岸 -
10月31日 (木)
今日は、西岸の王家の谷に行くために、ホテルの自転車を借りることした。¥600- で一日中使える。ナイル川の両側は豊富な水に恵まれて、農業が盛んに行われている。上流にダムが出来る前の7月~10月のナイル川は、増水して上流から肥沃で栄養豊富な土壌を運んで来たので、農業に最適な環境の様だった。ルクソール付近では、川を挟んで10km程は耕作地となっていて、東岸と西岸を結ぶ橋は上流と下流にあるが、観光バスはともかく 自転車で周りこむのは大変なので、公営フェリーを使って、渡る事にした。ホテルでフェリー乗り場はルクソール博物館の前だよと教えて貰った。
ホテルの5階で食事を済ませ自転車で出たが、エジプトポンドが少なくなったので、銀行のATMを覗いてみたが難しそうだったので、窓口に行き、100 US$ を両替して貰った。
フェリー乗り場は、ネットで見た丸い桟橋だったので直ぐに分かった。満員に近い客で、自転車を端に寄せて乗りこみ10分程で西岸に着いた。
ハトシェプスト女王葬祭殿、カーターハウスを見た後、王家の谷への道は、緩やかな登りだったが距離がありチョット大変だった。自転車は警察の詰所前に置くように指示された。帰りに寄ると遅かったねと時計を指差された。 -
ハトシェプスト女王葬祭殿が見えて来ました。
最初の女性の国王なので、男装するなどした様です。 -
観光バスは入口まで来ています ・・・ 私は手前の駐車場まで!
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左側(南側)の景色 ; あちこちに洞窟?が見えますが、発掘の跡?
・・・ ルクソール博物館の中に、洞窟からの発掘品が展示されていました。 -
右側(北側)の景色
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ここでもスフィンクスのお出迎えです
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綺麗なヒエログリフですが 下半分は削り取られています;権力闘争?
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3階の柱に、男装したハトシェプスト女王の像が並んでいます
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色鮮やかな レリーフが残っています
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次は ツタンカーメンの墓を発見した ハワード・カーター 氏の住居に行きました。
当時の状態で保存されていました。 -
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当時の機材・帽子・傘など生活用品も展示されています
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十数年は 此処で生活した様です。
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1910 年 テーベで と記されています。 ・・・ 1922 年にツタンカーメンの墓を発掘している
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入口近くに、お土産品を持った子供達がいました。
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次は王家の谷に向かいます
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閉鎖中の所が多く、予定していた墓は見る事はできませんでした。
KV11 ラムセスⅢの墓 -
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壁のレリーフ (石壁を削って描いてあります) が色鮮やかに、古代の神々などが描かれています
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当時の生活の様子が想像できます
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次は、ツタンカーメンの墓に入ります
トゥト アンク アメン とも 呼ぶそうです ; 銘板と 合致 しますね! -
発掘当時の状況を、写真で説明してありました。
KV 62 ;ツタンカーメンの墓は KV 9 (ラムセスⅤ,Ⅵ世)の、墓の 4m下にあった様で,見つけるのに5年、持ち出すのに 10年 掛かったとの 記述がありました。 -
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正面の壁画で、右端が “ツタンカーメン” 本人です。その左(白の帽子と衣服)は 義母の ネフェルティティ ?
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左側の壁の壁画です。 12個の猿の絵は時を表しているそうですが?
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右側の壁の壁画です。
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3300年前のミイラが目の前に!・・・19歳?で亡くなったツタンカーメン 1341-1323 BC
防腐処理技術が確立していたとはいえ、頭部、目・鼻・口、足の指まで現存しているとは驚きです。発掘する時に、胴体部分はバラバラになったそうで、頭と足の部分のみ残っています。 -
発見した時は興奮したでしょうね!
次々と棺を開けるたびに、新しい物に出会う瞬間は!
想像するだけでも興奮します。 -
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この見取図は、カイロの考古学博物館で撮影しました。
壁の壁画も色鮮やかで、一部崩落した所は有ったが保存出来る術を持っていたと、感心させられた。
1922年に発見された時は、“世紀の大発見”と絶賛されたそうです。
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