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6月19日に原則越境移動が認められた。不安を持つ者も居たであろうが、外出自粛にアップアップしていた者が多い中限界ムードが漂っていたのも事実であろう。しかし移動範囲が広がる中でコロナ流行第二波と言われる感染者数の増加。そんな中で東京を除いたGo To トラベル。行かなきゃ損とばかりに旅行者が増えた。経済を回すことは必要であろうが、当の本人だけでは罹患して家族にうつすリスクを回避する判断は出来ないのが現実ではないだろうか?勿論このご時世に連休を与えられないおバカな管理職しか居ない会社もあるのは事実である。<br /><br />コロナ感染が自己責任とするならば、旅に出掛ける最低限の理由として〝連休〟を与えてやれば良いのではないか?これだけ客数が減っている中で連勤をさせて〝数字が出ない報告をせよ〟と現場を知らない上層部は言う。ハッキリ言う、ON-OFFの切り分けが出来ていないのに、まともに仕事に取り組めというのか?<br /><br />〝事件は会議室で起こっているんではない。現場で起こっているんだ!〟まさにその言葉通りである。そんな中〝外出予定〟がなかなか組めない中で行き当たりばったりの〝実行あるのみ〟で車を走らせる。今回もそんな思いで走って歩いてみた…とある休みの記録である。<br /><br />令和2(2020)年9月8日火曜日<br />ふと思い立って車を走らせることにした。向かった先は膳所、普段の行動圏ではないが比較的利用する機会が多い秋葉台である。名神側道を走り一号線へと下りる坂を少し下って到着した。茶臼山公園、滋賀県第三の規模を誇る前方後円墳は古墳時代中期のものと推定され、第9代開化天皇の第三皇子である彦坐王、壬申の乱で敗れた大友皇子等皇族のものとは言われているが、宮内庁が立ち入りを禁止していないことからその線は薄く、豪族の主張レベルのものと推測する。そんな楽しい推理もできる歴史公園となっている。<br /><br />次いで国道1号線を京都方面へと向かい逢坂山峠付近にて右に取る。古代三関のひとつとされる逢坂の関跡である。ここは数年前に公園が作られたことを聞いたことがある。すぐ近くには蝉丸神社があるため、駐車場を利用してサッと見てこようと思ったが甘かった。ウナギで有名なかねよの独占地域で車を停める場所も無い。エンジンをかけたままカメラを構えてはまた走り出すを繰り返すことしかできなかった。場所柄特異的な理由があるところではあるが、考えて貰いたいようにも思う。<br /><br />関蝉丸神社下社は参道を京阪電鉄が通過していることでも知られている。勿論ここは国道161号線に面しており車を停めるスペースはない。路肩に停めて全景の写真だけ撮影するが、それでも結構邪魔になっていた。市街地へと入るがここは車を置くしかない。次いでなので大津別院隣の駐車場に車を停め、大津事件の碑まで小走りに向かう。ここを目当てに来たことはなかったと思うが、旧東海道がこんな寂れた感だっけとふと思ってしまった。そして車へと戻り、時間が許す限り大津別院に参拝する。明治天皇聖蹟碑は最近見かけなくなったなと思うものだった。<br /><br />初訪問の大津市歴史博物館を見学し、大津市役所裏の弘文天皇長等山前陵に参拝する。壬申の乱で敗死した大友皇子が明治期に追号され、歴代天皇に列せられている。その向かいには新羅善神堂。どこかで聞いたことがあるのは、河内源氏初代棟梁源頼義の三男源義光がここで元服し、新羅三郎義光と名乗って戦功を上げ続けた伝承の発端の地である。園城寺の北端に位置し、今も三井寺の管理ではあるのだが、人が訪れないためか参道には蜘蛛の巣が張っている有様。国宝の〝新羅明神像〟を抱える場所がこんなのなのか…と思うとちょっと残念である。そんな理由から義光の墓までは足を延ばしていない。<br /><br />車へと戻り皇子山から国道161号線西大津バイパスへと向かう。元々有料であったものが無料化され、旧国道161号線は市道に格下げになった。そんな高規格地方道ではあるが、慣れない者が走っているとすぐにわかる曰くつきの道でもある。まず走り難い。ハンドルミスやスピードの出し過ぎによる事故も多く、特に他府県ナンバーからは嫌われる道路でもある。あくまでもバイパスレベルなんだから飛ばす道ではない。そんな道を暫く走り続け、道の駅妹子の郷に着く。遣隋使として隋に渡った小野妹子の出生地であるとする伝承がある場所であり、そこから名付けられた道の駅でもある。昼間に訪れることはほとんどなかったが、今回は〝壁書き〟が気になっていたことも訪れた理由でもあった。相変わらず〝Welcome to IMOKONOSATO〟の後に2020+シーズンはなかった。しかしそんな中アマビエが出現。ちょっとした変化であったが嬉しく思えた私であった。<br /><br />再び西大津バイパスを走り真野ICで下りる。湖岸へと向かうがこの辺りはナビ任せとなる。本当にあっているのかと思う道を走り続け、やっと旧国道161号線に出たときはホッとした。そのまま湖岸へと向かい、バス通りだと知った程々に広い道を走ると目的地野神神社に到着する。ただいつもならばそれ程車通りはない道のようだが、抜け道になっているようで結構車が通る。おまけに真っ直ぐの道しか走れないレベルのドライバーが多く、離合に支障を来してしまっている。仕方がないのでちょっと駐車場をお借りして車を停めて小走りに走って行く。野神神社といっても知名度は低いが勾当内侍の墓と言えばわかる方はわかるようだ。南北朝の時代後醍醐天皇に仕える女官であった勾当内侍を、武将である新田義貞が見初めたらしい。勾当内侍とは役職を意味し〝長橋の局〟という説があるが定かではない。美人だった内侍であったが、身分の違いに声を交わすこともできない。それを知った後醍醐天皇が、今までの戦功の〝褒美〟として内侍との仲を取り持った。側室ではあったが夫婦仲は良かったと言われている。しかし戦の絶えない時期、義貞は後醍醐天皇の二人の親王を奉じて越前に落ち延び再興を図る旅に出る。内侍も同行するが偶々その年は冬の寒さがきつく、兵の中にも寒さによる凍死者が出たこともあり内侍に堅田で待つように義貞は伝える。迎えの死者を健気に待つ内侍であったが、藤島の戦いにて義貞は戦死する。それを伝えに来た使者を喜んで一度は迎えたが、すぐに現実に襲われる。呆然とした内侍はそのまま琵琶湖の琴が浜で悲しみのあまり身投げをしてしまった。後日見つかった内侍の遺体を哀れんで、村民が墓を作って供養した。その後室町期になり非業の死を遂げた内侍を祭神として野神神社を創始し、泉福寺を菩提寺にしたとされている。その後内侍の霊を弔うべく〝野神祭り〟を10月8日(現在は10月第3日曜)に行うようになり現在に至っている。どのように取るかは別として人を〝殺し殺される〟のが当たり前であった時代、大波に揉まれて消えた一人の女性を供養する話に何時も〝人の温かみ〟は消えないものだと感心した私であった。<br /><br />当りに夜の帳が下りる中車へと戻り先を急ぐ。海門山満月寺、通称浮御堂である。勿論満月寺は閉門しているため、浮御堂だけを見に来ただけである。この浮御堂であるが夜に撮影すると、昼間とは違う印象を受ける場所として最近では知られているらしい。私も試してみるがアナログのストロボ撮影では発光量が上手く調節できない。勿論モバイルのライト撮影では光量不足となってしまう。ならば…とiPhoneのナイトモードで撮ってみる。合成写真のようにも見えなくはないが、それなりに神秘的なもののように見えなくもない。恐るべしiPhone!<br /><br />とまあこれだけの理由で立ち寄ったので、駐車場隣にあったかなり昔に訪れた大津本堅田郵便局をカメラに収め車を走らせる。そして最後の目的地は坂本城。折しも大河ドラマ〝麒麟がくる〟の明智光秀が本拠地とした城である。蘊蓄はテレビで言っているので割愛したいが、坂本城址碑がなぜ坂本城址公園になってしまうのかわからない。確かに光秀石像や各種記念碑等が設けられている場所ではあるが、あくまで本丸跡地の一角であり、他の場所にも〝坂本城址碑〟は存在する。二ノ丸跡である東南寺、城下町大道町を記す道標、天台宗系寺院がひしめく中で改宗し真宗寺院になった寺院や神社など、光秀がいかに寛容にして城下町を作らせたのかを伝えてはいないように思えてならない。むろん明智光秀は主君信長を本能寺の変に於いて自刃に追い込んだ〝謀反人〟と捉えるものが多いことは日本の教育によるものだが、信長の比叡山焼き討ち後に入った坂本の地では、驚くほどの〝良君〟を演じている。演じているというのは私自身もわからないことも多くはぐらかしているのだが、少なくとも〝逆臣〟である〝悪(ワル)〟という印象をこの地で受けることはない。そんな思いを持ったまま歩いてみたのであった。<br /><br />20:30を過ぎさすがに帰らねばならない時間となった。ちょうど坂本城址公園近くにはヤマト運輸の下阪本宅配便センターがあったので、撮影済みフィルムを現像のために発送し、自宅へと戻る。初めて立ち寄った閉店前のラムーでは、意外にアイスは高いな~と思いつつ二箱買って自宅へと戻ってきた。<br /><br />年を取ると筋肉痛が翌々日に来ると良く言われる。しかし私は既に今日来ていた。まだまだ若いのかも~と調子に乗ったのも束の間、翌日から3日間筋肉痛で足の感覚がないまま過ごした。ああ~年は取りたくないものである…ハンセイ。<br /><br />《終わり》<br />

《2020.September》あみんちゅぶらり淡海を歩く旅そのXVI大津編~大津市街と堅田~

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2020/09/08 - 2020/09/08

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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

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6月19日に原則越境移動が認められた。不安を持つ者も居たであろうが、外出自粛にアップアップしていた者が多い中限界ムードが漂っていたのも事実であろう。しかし移動範囲が広がる中でコロナ流行第二波と言われる感染者数の増加。そんな中で東京を除いたGo To トラベル。行かなきゃ損とばかりに旅行者が増えた。経済を回すことは必要であろうが、当の本人だけでは罹患して家族にうつすリスクを回避する判断は出来ないのが現実ではないだろうか?勿論このご時世に連休を与えられないおバカな管理職しか居ない会社もあるのは事実である。

コロナ感染が自己責任とするならば、旅に出掛ける最低限の理由として〝連休〟を与えてやれば良いのではないか?これだけ客数が減っている中で連勤をさせて〝数字が出ない報告をせよ〟と現場を知らない上層部は言う。ハッキリ言う、ON-OFFの切り分けが出来ていないのに、まともに仕事に取り組めというのか?

〝事件は会議室で起こっているんではない。現場で起こっているんだ!〟まさにその言葉通りである。そんな中〝外出予定〟がなかなか組めない中で行き当たりばったりの〝実行あるのみ〟で車を走らせる。今回もそんな思いで走って歩いてみた…とある休みの記録である。

令和2(2020)年9月8日火曜日
ふと思い立って車を走らせることにした。向かった先は膳所、普段の行動圏ではないが比較的利用する機会が多い秋葉台である。名神側道を走り一号線へと下りる坂を少し下って到着した。茶臼山公園、滋賀県第三の規模を誇る前方後円墳は古墳時代中期のものと推定され、第9代開化天皇の第三皇子である彦坐王、壬申の乱で敗れた大友皇子等皇族のものとは言われているが、宮内庁が立ち入りを禁止していないことからその線は薄く、豪族の主張レベルのものと推測する。そんな楽しい推理もできる歴史公園となっている。

次いで国道1号線を京都方面へと向かい逢坂山峠付近にて右に取る。古代三関のひとつとされる逢坂の関跡である。ここは数年前に公園が作られたことを聞いたことがある。すぐ近くには蝉丸神社があるため、駐車場を利用してサッと見てこようと思ったが甘かった。ウナギで有名なかねよの独占地域で車を停める場所も無い。エンジンをかけたままカメラを構えてはまた走り出すを繰り返すことしかできなかった。場所柄特異的な理由があるところではあるが、考えて貰いたいようにも思う。

関蝉丸神社下社は参道を京阪電鉄が通過していることでも知られている。勿論ここは国道161号線に面しており車を停めるスペースはない。路肩に停めて全景の写真だけ撮影するが、それでも結構邪魔になっていた。市街地へと入るがここは車を置くしかない。次いでなので大津別院隣の駐車場に車を停め、大津事件の碑まで小走りに向かう。ここを目当てに来たことはなかったと思うが、旧東海道がこんな寂れた感だっけとふと思ってしまった。そして車へと戻り、時間が許す限り大津別院に参拝する。明治天皇聖蹟碑は最近見かけなくなったなと思うものだった。

初訪問の大津市歴史博物館を見学し、大津市役所裏の弘文天皇長等山前陵に参拝する。壬申の乱で敗死した大友皇子が明治期に追号され、歴代天皇に列せられている。その向かいには新羅善神堂。どこかで聞いたことがあるのは、河内源氏初代棟梁源頼義の三男源義光がここで元服し、新羅三郎義光と名乗って戦功を上げ続けた伝承の発端の地である。園城寺の北端に位置し、今も三井寺の管理ではあるのだが、人が訪れないためか参道には蜘蛛の巣が張っている有様。国宝の〝新羅明神像〟を抱える場所がこんなのなのか…と思うとちょっと残念である。そんな理由から義光の墓までは足を延ばしていない。

車へと戻り皇子山から国道161号線西大津バイパスへと向かう。元々有料であったものが無料化され、旧国道161号線は市道に格下げになった。そんな高規格地方道ではあるが、慣れない者が走っているとすぐにわかる曰くつきの道でもある。まず走り難い。ハンドルミスやスピードの出し過ぎによる事故も多く、特に他府県ナンバーからは嫌われる道路でもある。あくまでもバイパスレベルなんだから飛ばす道ではない。そんな道を暫く走り続け、道の駅妹子の郷に着く。遣隋使として隋に渡った小野妹子の出生地であるとする伝承がある場所であり、そこから名付けられた道の駅でもある。昼間に訪れることはほとんどなかったが、今回は〝壁書き〟が気になっていたことも訪れた理由でもあった。相変わらず〝Welcome to IMOKONOSATO〟の後に2020+シーズンはなかった。しかしそんな中アマビエが出現。ちょっとした変化であったが嬉しく思えた私であった。

再び西大津バイパスを走り真野ICで下りる。湖岸へと向かうがこの辺りはナビ任せとなる。本当にあっているのかと思う道を走り続け、やっと旧国道161号線に出たときはホッとした。そのまま湖岸へと向かい、バス通りだと知った程々に広い道を走ると目的地野神神社に到着する。ただいつもならばそれ程車通りはない道のようだが、抜け道になっているようで結構車が通る。おまけに真っ直ぐの道しか走れないレベルのドライバーが多く、離合に支障を来してしまっている。仕方がないのでちょっと駐車場をお借りして車を停めて小走りに走って行く。野神神社といっても知名度は低いが勾当内侍の墓と言えばわかる方はわかるようだ。南北朝の時代後醍醐天皇に仕える女官であった勾当内侍を、武将である新田義貞が見初めたらしい。勾当内侍とは役職を意味し〝長橋の局〟という説があるが定かではない。美人だった内侍であったが、身分の違いに声を交わすこともできない。それを知った後醍醐天皇が、今までの戦功の〝褒美〟として内侍との仲を取り持った。側室ではあったが夫婦仲は良かったと言われている。しかし戦の絶えない時期、義貞は後醍醐天皇の二人の親王を奉じて越前に落ち延び再興を図る旅に出る。内侍も同行するが偶々その年は冬の寒さがきつく、兵の中にも寒さによる凍死者が出たこともあり内侍に堅田で待つように義貞は伝える。迎えの死者を健気に待つ内侍であったが、藤島の戦いにて義貞は戦死する。それを伝えに来た使者を喜んで一度は迎えたが、すぐに現実に襲われる。呆然とした内侍はそのまま琵琶湖の琴が浜で悲しみのあまり身投げをしてしまった。後日見つかった内侍の遺体を哀れんで、村民が墓を作って供養した。その後室町期になり非業の死を遂げた内侍を祭神として野神神社を創始し、泉福寺を菩提寺にしたとされている。その後内侍の霊を弔うべく〝野神祭り〟を10月8日(現在は10月第3日曜)に行うようになり現在に至っている。どのように取るかは別として人を〝殺し殺される〟のが当たり前であった時代、大波に揉まれて消えた一人の女性を供養する話に何時も〝人の温かみ〟は消えないものだと感心した私であった。

当りに夜の帳が下りる中車へと戻り先を急ぐ。海門山満月寺、通称浮御堂である。勿論満月寺は閉門しているため、浮御堂だけを見に来ただけである。この浮御堂であるが夜に撮影すると、昼間とは違う印象を受ける場所として最近では知られているらしい。私も試してみるがアナログのストロボ撮影では発光量が上手く調節できない。勿論モバイルのライト撮影では光量不足となってしまう。ならば…とiPhoneのナイトモードで撮ってみる。合成写真のようにも見えなくはないが、それなりに神秘的なもののように見えなくもない。恐るべしiPhone!

とまあこれだけの理由で立ち寄ったので、駐車場隣にあったかなり昔に訪れた大津本堅田郵便局をカメラに収め車を走らせる。そして最後の目的地は坂本城。折しも大河ドラマ〝麒麟がくる〟の明智光秀が本拠地とした城である。蘊蓄はテレビで言っているので割愛したいが、坂本城址碑がなぜ坂本城址公園になってしまうのかわからない。確かに光秀石像や各種記念碑等が設けられている場所ではあるが、あくまで本丸跡地の一角であり、他の場所にも〝坂本城址碑〟は存在する。二ノ丸跡である東南寺、城下町大道町を記す道標、天台宗系寺院がひしめく中で改宗し真宗寺院になった寺院や神社など、光秀がいかに寛容にして城下町を作らせたのかを伝えてはいないように思えてならない。むろん明智光秀は主君信長を本能寺の変に於いて自刃に追い込んだ〝謀反人〟と捉えるものが多いことは日本の教育によるものだが、信長の比叡山焼き討ち後に入った坂本の地では、驚くほどの〝良君〟を演じている。演じているというのは私自身もわからないことも多くはぐらかしているのだが、少なくとも〝逆臣〟である〝悪(ワル)〟という印象をこの地で受けることはない。そんな思いを持ったまま歩いてみたのであった。

20:30を過ぎさすがに帰らねばならない時間となった。ちょうど坂本城址公園近くにはヤマト運輸の下阪本宅配便センターがあったので、撮影済みフィルムを現像のために発送し、自宅へと戻る。初めて立ち寄った閉店前のラムーでは、意外にアイスは高いな~と思いつつ二箱買って自宅へと戻ってきた。

年を取ると筋肉痛が翌々日に来ると良く言われる。しかし私は既に今日来ていた。まだまだ若いのかも~と調子に乗ったのも束の間、翌日から3日間筋肉痛で足の感覚がないまま過ごした。ああ~年は取りたくないものである…ハンセイ。

《終わり》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩
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