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新羅善神堂 施設情報・クチコミに戻る

源義光が元服した場所とされている。

  • 5.0
  • 旅行時期:2020/09(約4年前)
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)

大津 クチコミ:114件

大津市役所の裏、弘文天皇長等山前陵向かいに重厚な鳥居が建つ。国宝指定されている新羅善神堂である。平安時代に園城寺を再興した智証大師円珍が、留学先の塔から日本に戻る際、夢枕に我は〝新羅明神〟と名乗る老翁が出てきた。翁が言うには、我が像を寺の守護神として祀るようにと伝えて消えて行った。

帰国後比叡山の山王院に住んだ後、延暦寺第5代座主となった円珍は園城寺(三井寺)を賜り伝法灌頂の道場とした。その後比叡山を山門派が占拠したため、園城寺は寺門派の拠点となるが、その際に彫られたもののひとつが〝新羅明神像〟である。

当時園城寺は広大な敷地を持っており、この新羅善神堂の場所は寺域北端であったとされる。後に武家としての頭角を現し官軍として前九年の役を戦った源頼義が新羅明神に詣でて戦勝を祈ったとの記録が残っており、その新羅明神への信仰から源氏と園城寺の深い関係ができたと言われている。その流れで頼義の三男である源義光はこの園城寺〝新羅善神堂〟で元服し、以降新羅三郎義光と名乗って武功を上げている。

源氏との繋がりが強かった園城寺は、源頼朝をはじめとする源氏の棟梁からの寄進もあり栄えたとされているが、その後源実朝が暗殺されて北条得宗家が政治を司った時には荒廃し、南北朝時代の貞和年間に源頼義に始まる河内源氏の足利尊氏によって再建されたものが、現存する新羅善神堂とされている。安土桃山時代には豊臣秀吉によって園城寺が破却されるも、この新羅善神堂は堂とはあるものの園城寺の守護神である新羅大明神を祀った鎮守社、つまり神社であり祟りを恐れて他の堂宇は全て破却される中で唯一取り払われずに残っている。

明治34(1901)年には室町時代の建造物の特徴を色濃く残している建物として国宝に指定されている。

しかし現在では残念ながら訪れる者もおらず参道を歩くにも蜘蛛の巣が張っている状態であった。歴史を辿るにあたりかなり重要な立ち位置にあると思うのだが、その威厳は伝わってこない。園城寺の管理地として〝立入禁止〟の立て札のみが目立っている姿にかなり残念な思いをした。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
5.0
京阪電車大津市役所前駅より徒歩5分。
人混みの少なさ:
5.0
参拝者には会わなかった。
バリアフリー:
3.0
足場は悪い。
見ごたえ:
5.0
建物の立派さは良くわかる。

クチコミ投稿日:2020/09/20

いいね!:5

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