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勾当内侍の墓

名所・史跡

勾当内侍の墓 施設情報・クチコミに戻る

新田義貞の妻となった伝承の女性。

  • 5.0
  • 旅行時期:2020/09(約5年前)
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)

大津 クチコミ:111件

鎌倉時代末期、後醍醐天皇の討幕運動に加わった新田義貞。足利高氏・楠木正成らとともに鎌倉幕府14代当執権主北条高時を滅ぼし、建武の新政を開始する。倒幕に賛同し鎌倉陥落の立て役者となった義貞に、後醍醐天皇は自身の女官を娶らすという〝褒美〟を出している。勾当内侍(こうとうのないし)、世尊寺(一条)行房の娘で〝長橋の局〟だとする彼女に義貞は一目惚れするが、立場の違いからどうすることもできないでいた。その話を耳にした後醍醐天皇が褒美と称し仲を取り持ったことで結ばれる。

しかし時代は南北朝の争乱期へと進む中、建武の新政から足利尊氏が離反し、朝廷軍に反旗を翻す。一度は争いに打ち勝ち尊氏を九州まで逃亡させることに成功する。しかし軍を立て直して東進してきた尊氏軍に湊川の戦で敗北を期し、盟友であった楠木正成が自害して果てている。

京都へと入った尊氏は光明天皇即位させ北朝を成立させた。その勢いに押された格好になった後醍醐帝や義貞は比叡山に立て籠り抵抗をし続けるが、意見の違いから後醍醐帝は尊氏と和睦し幽閉されることとなる。一方で義貞一行は恒良・尊良の両親王を奉じて北陸へと逃れ、軍の立て直しを図ろうとする。その一方で合流して北朝方と戦うはずであった陸奥の北畠顕家軍とは何らかの理由で合流できず、その後顕家は石津の戦いで戦死し援軍もなくなる結果となってしまう。

北陸へと向かう際、勾当内侍も義貞に同行していたと言われている。しかし移動に伴う悪条件が重なったこともあり、一旦近江今堅田の地で勾当内侍を滞在させ、頃合いを見計らって呼ぶ旨の約束をして越前へと向かったと言われている。義貞からの連絡を心待ちにしていた勾当内侍であったが、届いたものは越前藤島での義貞戦死の知らせであった。義貞を信じてここ近江国今堅田で待っていた勾当内侍の嘆き悲しみは想像を絶するものであったと言われており、様子を心配していた従者を振り切って琵琶湖の琴が浜に於いて入水し果てたと言われている。

存在すら疑われている勾当内侍ではあるが、その伝承を今に伝えるには十分な厳か感のある野神神社と勾当内侍御廟道の道標は、時代に揉まれた〝悲劇の女性〟を思い描くには十分過ぎる場所であった。今尚勾当内侍を慰める祭りが行われていることに、人の心に残っている安心感を覚えた私であった。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
5.0
堅田駅から1.5km。
人混みの少なさ:
5.0
参拝者にはお会いしていない。
バリアフリー:
5.0
石畳だが段差はある。
見ごたえ:
5.0
厳か感が悲恋を語っているように思う。

クチコミ投稿日:2020/09/11

いいね!:6

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