坂本城址に位置する天台宗寺院である。
- 5.0
- 旅行時期:2020/09(約5年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
大津 クチコミ:111件
下阪本にある東南寺。場所柄坂本城内にあったとされる寺院は、奈良時代後期延暦年間に最澄が創立したものとされている。境内が比叡山の東南戸津ヶ浜にあったことから東南寺と呼ばれるようになったものであるが、江戸時代寛永年間に高島郡今津にあった一堂を当地に移した経緯から今津堂とも呼ばれることもある。
伝教大師最澄が文字や仏教というものをを知らない庶民にも広く布教し、両親の追善供養の為に開いた〝戸津説法〟が行われた場所として知られており、令和の時代になっても天台座主から直接使命された僧侶が最澄の志を継ぎ法華経を解り易く民衆に説法を行うことから、天台座主の登竜門としても知られている。
また境内は坂本城二ノ丸跡地とされており、本能寺の変後の明智左馬之助秀満によって火をかけられ、坂本城落城の際の戦死者を祀る供養塔が建立されている。
明智氏の首塚は少し離れた場所にあり、この地は家来筋のものだと言われているが、詳細はわかっていない部分が多いようだ。
坂本城の最後は光秀の妻子を殺害した秀満が切腹し、残る重臣が火薬庫に火をつけたため木っ端微塵に吹き飛んでしまったとされていることから、城郭のあった場所が残っているとは考え難いのが事実であるが、そのあたりは寛永年間の改修時に歴史を遡って供養塔を建立したのではないかと推測する。
現在の坂本城跡でも言われることであるが、本丸跡が城跡公園となっているに過ぎず、城内とされる場所に石碑が建てられていることも知らない観光客も多いと聞く。折角大河ドラマ〝麒麟が来る〟で明智光秀像に関心が集まっていることを踏まえると、往時の坂本城をビジュアルで復元し、今なお残る寺院が坂本城内にあることを知らしめることに繋げれば尚更興味深いものになるのではないかと感じたのは私だけでは無いと思う。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 坂本城跡公園から徒歩5分くらい。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れた際には誰とも出会わなかった。
- バリアフリー:
- 4.0
- 石畳の部分もあるがほとんど砂利敷である。
- 見ごたえ:
- 5.0
- やはり圧倒される。
クチコミ投稿日:2020/09/19
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