2024/12/29 - 2024/12/30
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morisukeさん
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オッサンネコです。
2020年8月31日、大津のランドマークだった西武百貨店が閉店しました。
膳所で育った我らの中心には、いつも当たり前のように西武百貨店があり、
閉店を知ったときは、どうしても最後の姿を見届けたくなり、
コロナ禍の折、遠路はるばる千葉から駆け付けたのでした。
この出来事、特に旅行記に残すつもりもなく、
ただ個人的なアーカイブとして長らく胸の内にしまっていた記憶でした。
ところが、潮目が変わる一冊の小説が世にリリースされました。
成瀬は天下を取りに行く
まさかの西武百貨店が閉店するまでの流れを物語の中で取り上げ、
滋賀県民の心情をそのまま写し取ったかのような一編。
とにかく大津愛が溢れすぎて涙が出そう…
そして物語の主人公である成瀬あかりが面白すぎる…
そんなわけで今回は、旧・西武百貨店の面影をなぞりながら、
いまは成瀬の住むまち「膳所」を懐かしみつつ、ぷらりと散歩してみました。
その時のささやかな記録です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JRローカル 徒歩
-
どうもどうも、オッサンネコことモリネコです。
念願の比叡越えを果たして、大津市街まで降りてきた後のお話。
久しぶりに地元に帰ってきたので、琵琶湖の湖岸をのんびりお散歩。
目の前に見えるお城みたいな建物は「琵琶湖文化館」。
昭和36年に開館した、一世代前の大津のランドマーク的存在ですが、
残念ながら老朽化のため2008年からずっと閉館状態になってます。
なんでも2027年には新しい文化館が浜大津にリニューアルするらしく、
そうなると、この旧・文化館は取り壊される事になるでしょう。
今の大津の街並みからは完全に浮いているので致し方なしですな。 -
なぎさ公園の一角に立つ石場津の常夜灯。
かつて石場と対岸の矢橋(やばせ)の間には渡し船が通っており、
夕闇の琵琶湖を進む船が安全に航海できるよう湖岸に火を灯し、
この常夜灯は湖と陸とを結ぶ目印の役割を果たしていた──
小学校の社会の課外授業でそんな事を習った覚えがありますな。
私が小学生の頃は琵琶湖文化館の前にあった記憶があるので、
きっと区画整理の流れの中で今の場所に移されたのでしょう。
子どもの頃と同じものを見ているのに、立つ場所が変わるだけで、
街の風景も、記憶の輪郭も、少しずつ姿を変えていく。 -
夕日色に染まっていく湖。
当たり前に見てきた風景。
私が少年の頃、琵琶湖の南湖一帯は水質汚染が深刻だった時代でした。
湖面は濃い緑色を帯び、洗剤由来の泡がコポコポ浮かぶ光景。
夏になるとアオコが大量発生し、湖岸には独特の強い臭気が立ちこめ、
気軽に近づける場所とは言い難い状況だったと記憶しています ( ゚Д゚)
大きな転換点だったのが90年代に行われた湖岸の再整備。
とりわけ、現在の「なぎさ公園」の整備ですな。
環境が改善されたから意識が変わったのか、
意識が変わったから環境が改善されたのか、
いつしか、コンクリート護岸の向こうで距離を置かれていた湖は、
私たちの隣に自然にある風景へと変わっていったように思います。 -
飛び出し坊や。
滋賀県内ならどこにでも出現するファンキー少年。
是非とも全国区の認知度を目指して頑張ってほしいものである (`∀´*) -
イチオシ
Oh!Me(オーミー)
かつて若者文化の象徴だった大津パルコ跡地を再利用した商業移設。
現在のテナントは地域インフラに近しいラインナップに変容してました。
うーむ、致し方なし… (*´~`* )
パルコが大津にできたのは1996年。
西武百貨店と並んで、我らが膳所の”顔”的な存在でした。
ただ、パルコの業態と大津の客層には明らかなミスマッチがありまして…
パルコは本来、消費トレンドの発信地を前提とした都市型商業施設。
しかし当時の大津は既にベッドタウン化が進行した街であり、
パルコが想定した文化消費層が薄かったと言われています。
トドのつまり…
立地が悪い・業態が合わない・時代が変わった、の三重苦に苛まれ、
大津パルコは、2017年わずか20年足らずで閉店を余儀なくされます。
ただ、閉店予告前のパルコは既に空きテナントだらけになっており、
閉店が発表されても、そんなに驚きはなかったそうです (*´д`) -
かつての大津パルコの象徴が、ゲートにあるこの円環構造。
はっきり言って、商業施設の建物としては全く無駄な部分。
でも、このわけわからん輪っかを潜ってパルコの中に入る時、
圧倒的なわくわく感が確かに得られていたような気がしています。
あの頃のパルコには確かに”夢”があったのでした (*ノ∀`)ノ -
Oh!Meに入ると、成瀬あかり嬢のパネルがお出迎え。
成瀬は天下を取りに行く
かつてここまで滋賀県を題材にした小説があっただろうか。
──否、ない(反語)
流石は地元を舞台にした小説の主人公なだけあって、
此処膳所の界隈では圧倒的市民権を得ている様です(笑) -
Oh!Meの1階、フレンドマートの前にも成瀬のパネル、あります。
2作目「成信」で彼女がバイトしていた店舗がまさに此処であります。
別に聖地巡礼をしたいわけではないのですが…
こういうのを見るとつい写真に撮ってしまう悲しいクセが…。 -
かつて我らの顔だった西武百貨店があった場所。
今では巨大なマンションに生まれ変わりました。
でかいのう… ( ゚Д゚)…
歩き慣れた道なのに、見える景色が此処まで違ってくると、
どこか異国の片隅に放り込まれた様な感覚に陥ってしまう。 -
夕食は成瀬推しの近江牛コロッケを食べにきました (σ゚∀゚)σ
1作目「成天」の作中に出てきたフードコートおいしや。
近江牛コロッケ定食 1,180円也、コロッケは揚げたてでウマし。
いや…( ゚Д゚)… よく考えれば…
揚げたてで美味しくないコロッケに出会ったことはない。
でも美味しく頂きました♪ -
イチオシ
最後に私が大好きな夜景で本日は締めるとしましょう。
成瀬も通った我が中学校の裏手には階段の道がありまして、
そこから見る大津の夜景が個人的には一番だと思っています。
明日に続きます。 -
翌朝、JR膳所駅から西武百貨店のあった場所まで再び歩いてみます。
一応難読地名らしいです、膳所(ぜぜ)。
かつて、西武百貨店やパルコが並んでいた頃、
膳所駅周辺は大津の文化が凝縮されたひとつの特異点でした。
駅前にはバスも入りにくく、JRは新快速も通過してしまう。
それでも、JRと京阪が交わる鉄道結節点であったため、
鉄道を利用する分には問題なく機能していた様に思います。
しかし、90年代後半に生活様式が車社会へと移行し始めると、
膳所の強みは、次第に弱点へと反転していく事になります。
ただ、街の規模として衰退や空洞化が進んだわけではなく、
ベッドタウンとして選ばれる街へと別の形で変化を遂げていきました。
そして現在、文化の中心という役割は終わりましたが、
膳所は今、生活を抱える街として静かに機能している様に思います。 -
さて、そんなしっぽりした膳所駅にもすんげえ変化がありまして。
それがこれ。
改札口を出ると、でっかい成瀬のパネルがドーン
おおう… こ、これはすごい (゚ロ゚;三;゚ロ゚)!!
思えば何の特徴もなかった我が膳所のまち。
成瀬の影響でここまで浮き足立つのも仕方ないのである。
改めて、作者の宮島未奈氏には感謝しかないのである。
世界から膳所へ! いい言葉や 。・゚・(ノД`)・゚・。 -
成瀬三部作の中に頻繁に出てくる「ときめき坂」
残念ながら、この坂でときめく事はない気がする…
この坂道は、駅から旧・西武百貨店を結ぶ、短くて少し急な生活道。
膳所駅のある高台から琵琶湖側の街へ一気に視界が開けていく勾配、
言わば、気持ちが切り替わる境界線みたいな存在とも言えるかな。 -
ときめき坂の途中にあるセブンイレブン。
成瀬・島崎コンビがM-1予選の帰り道にアイスを買った場所がココですな。
私が高校生の頃もよくこのセブンで栄養補給をしていました `∀´)ウシシ -
そしてこの飛び出し坊やである ( ゚д゚)ハッ!
なんと滋賀レイクスのレイクスブルー仕様である。
この坊や、何にでもアレンジできるのでとても万能なのである。 -
ときめき坂をそのまま下っていきます。
成瀬三部作の重要人物、吉嶺マサル氏が構える弁護士事務所も、
どうやらこの坂の途中にあるらしいのだが… (`∀´*) -
ときめき坂を下りてくると、成瀬のでっかいパネルがありました。
ときめき商店街って… ここ商店街だったのか ( ゚Д゚)?
成瀬三部作の中では、成瀬が頻繁にパトロールしているのが描かれてます。 -
びわ湖マラソンの広告にも成瀬・島崎のゼゼカラコンビが。
成瀬と島崎で、ランナー/ボランティアに分かれているのが面白い。
ホント、島崎のボブカットは惹かれるものがある (`∀´*) -
ときめき坂の途中にある小学校。
「成天」第6話「ときめき江州音頭」の舞台として描かれました。
作中ではときめき小学校という設定になっていますが、
実際はそんなにときめく事はない、普通の名前の小学校です (*´艸`)ウヒヒ
ちなみに、
私モリネコは成瀬と小・中・高が全く同じ。
住んでいたエリアも同じにおの浜。
要は、成瀬の同郷の先輩という事になるのです (*´艸`)ヒッヒッヒ
なので、作中に出てくる場所はだいたい頭に思い浮かびます。 -
ときめき坂の終点。
西武百貨店の跡地は、立派なマンションが立っています。
マンションの前にある公園は”馬場児童公園”と言いまして、
成瀬三部作の中では、ゼゼカラの漫才の練習をした場所であり、
一緒にアイスを食べながらM-1予選の余韻に浸った場所であり、
作中ではかなり思い入れのある場所として描かれています。
モリネコも小学校の頃はよくここで遊んでました。 -
公園の中央に鎮座する、丘のようなメイン遊具。
今年は、大津高校美術部の皆さんによってペイントが施され、
現在は滋賀レイクスの様な鮮やかなレイクブルーに生まれ変わってます。
かつては内部が完全な吹き抜け構造になっており、
丘の上部からそのまま垂直に中へ降りることができました。
さらに内部は土管とつながっていて、
ちょっとした探検施設のようだった記憶があります。
ただ安全上の配慮と、浮浪者が住み着いてしまったという問題から
現在は完全にコンクリで埋め戻されています。 -
ときめき坂の途中から、西武百貨店があった場所を眺めてみました。
個人的にここから見る西武百貨店が大好きでした。 -
同じ場所から撮影された、1970年代後半の西武百貨店の写真。
(写真は西武大津店44年のあゆみ展から抜粋)
ここから少し西武百貨店が閉店する前のお話になります。 -
イチオシ
こちらは2020年8月29日、閉店3日前の西武百貨店の写真。
千葉から最後の勇姿を見届けにきたのでした。
ちなみに「成天」第3話「階段は走らない」の話で、
西武と一緒に育った人が皆、西武に集まってくる話が描かれています。
はい、見事に同じ行動をしてますね 。・゚・(ノД`)・゚・。 -
西武百貨店の通路。
昔は駐輪所という概念が希薄で、結構ワチャワチャしてました。
子供の頃はこのテナントにダンキンドーナツがありました。
膳所駅の前にはドムドムバーガーがあったり… 良き思い出です。 -
西武大津店44年のあゆみ展から写真を拝借。
1976年、西武百貨店が営業を開始した時の空撮写真。
今は雨後の筍のように高層マンションが湖岸沿いに並んでいますが、
当時はまだ何もなかったことがよく分かります。
さて、そんな西武百貨店、テラスが山側に設けられています。
なぜ湖側にしなかったのか…。
これは西武百貨店が日常の延長線上にあるべきだという思想と、
当時の琵琶湖は積極的に眺める対象として扱われていなかった、
そんな時代背景があったのではないかと思います。
街と暮らしをすぐ背後に感じるためのテラス。
こうした発想の建築は、今後の日本で誕生する事はない気がします。 -
西武百貨店の象徴とも言えたのがこの外部に連なる階段。
当時からデカいだけで誰にも使われていない不思議な階段だったのですが、
なぜこんな構造になってしまったのか?
そこで登場するのが ル・コルビュジエ という建築家。
まぁ、20世紀建築界のラスボスみたいな存在ですわ。
ル・コルビュジエはこう言いました。
建物の見た目とか装飾とか、もうどうでもいいから、
人がどう動いて、止まって、光を浴びるか、そこ作りてぇなぁ~
普通は階段なんて建物の裏に隠すのが主流だったんですが、
このおじさんは「何言ってんの?階段こそ主役だろ」って、
裏方だった動線を堂々と表に引きずり出しちゃうタイプ。
結果、存在感抜群のファンキーな階段が生まれるわけなのです。
このおもしろい思想が日本に入ってきたのが昭和30~40年代。
日本の建築家ガチ勢がちゃんと理解して使った時代ですね。
で、昭和50年代になると、この思想自体はもう完成形。
最先端というより、建築界の基本文法みたいな扱いになっていました。
ただ、ここでようやく想定外が見えてきます。
単純に、大津は人がワラワラ歩き回る前提の街じゃなかった…
とどのつまり、
人が行き交う未来を想定して作られた階段だけが先に具現化されて、
肝心の都市の規模が追いつかなかった。
その結果、使われないまま巨大な階段構造だけが残り、
いつの間にか要塞とか廃墟だの言われる存在になってしまった──
これぞ西武百貨店の階段の真実です。 -
なので、階段を側面から眺めるとこんな姿になる。
踊り場が幾重にもせり出し、水平と垂直が過剰なまでに強調された構造。
今見てもやっぱり「異様」という言葉がしっくりくる。
人の為に作られたはずなのに、どこか人間のスケールを拒んでいる様で、
ル・コルビュジエ思想のアイロニーを感じてしまう。 -
もうひとつ、今はなき大津パルコの勇姿を(2015年撮影)
大津パルコの思い出も尽きないのですが、
個人的に思い浮かぶのは、滋賀県初のスタバができた場所、かなぁと。
今でこそ、スタバは高級路線を捨ててインフラ化に舵を切っていますが、
昔は非日常感あふれる、特別感のある場所として君臨してました。
そんなスタバがまさか大津に現れる…
すごいぜパルコ。──というのが当時の反応 (*ノ∀`)ノ アヒャヒャ
そんなスタバも、パルコの閉業と一緒に姿を消す事となりました…。 -
最後にまだ朝靄の余韻が残る琵琶湖をぷらりお散歩。
「成信」第5話の最後に成瀬と島崎が元旦にびわ湖の湖岸を散歩する話。
多分二人が見た同じ景色が目の前に広がっているはず。
凛とした空気に広がる湖面と雪を被った比良比叡の山並み。
個人的には、冬の晴れた朝に眺望する琵琶湖が一番美しいと思います。
膳所ぷらり散歩はこの辺にしておき、お次は琵琶湖大橋まで移動します♪ -
駅にまた成瀬のポスター見つけました。
なんと今度は滋賀県警とコラボ…
この「極めようと思う」のコメント、なんでも応用できるぞ ( ゚Д゚) -
飛び出し坊やは、此処ではマロになっています。
ホント、此奴は万能なやつですなぁ ( ゚Д゚) -
続いてやってきたのは、守山市のびわ湖湖畔にあるなぎさ公園。
琵琶湖の周りはサイクリングの聖地と呼ばれていて、
目的地にもなりそうな存在感のあるモニュメントがあるのです。
守山駅からバスで30分、そこから歩いて30分ほど。
BIWAKOモニュメントに到着。
なぜか外国人観光客に大人気の場所で、写真を撮るのも順番待ちでした。
もう少しカッコよく撮りたかった~ (*´д`) -
イチオシ
BIWAKOモニュメント近くにあるサイクリストの聖地碑。
変態にしか見えない… ( ゚Д゚) -
琵琶湖大橋付近まで湖岸堤防上の道をてくてく散歩。
対岸に見える比良山系の山並みが美しすぎる。
蓬莱山、武奈ヶ岳… 高校の時にトレーニングの一環でよく登りました。
厳冬期の比良山系はもはや遭難レベルで毎回死にかけましたが…
これも良き思い出 (*´艸`)ヒッヒッヒ -
琵琶湖大橋の対岸から堅田方面を眺望。
昔、琵琶湖大橋の麓には「びわ湖タワー」というテーマパークがあり、
町内会の催しなどで遊びに行くのが楽しみでした。
当時の目玉だったのが… 日本最大級(自称)の観覧車「イーゴス」
ちなみにイーゴスは公募で名付けられ、逆さから読んだらすごーい…
ネーミングセンスは全然すごくないぞ…。
さて、この観覧車、湖の上を回るという反則的ロケーションであり、
今の安全基準と照らし合わせると、間違いなくアウトな建築物になります。
令和の世において、イーゴスを甦らせようとすると…
安全基準
景観条例
コンプラ
多分…全部アウト。恐るべし昭和の建築基準 ( ゚Д゚)
当時のイーゴスは安全が未完成だった時代に許された合法な体験であり、
あの時代にしか存在し得なかった観覧車であったのだと思います。
ちなみに今はベトナムのダナンで現役続行中とのこと (ノ∀`)ブハッ
旧友に会いに行く気持ちで、いつか再会を果たしたいものである。 -
こちら大津市のマンホール… なのですが、
一部のものにはまだ琵琶湖大橋の袂に観覧車が描かれています。
現在のマンホールには、ご当地キャラの大津光ル君に変わってますが、
果たしてこの犬は何だっけ? -
琵琶湖大橋を堅田側の対岸から。
車での通行は有料ですが、歩いて渡るのは無料となります。
開通は1964年(昭和39年)
今は亡き親父曰く、湖を越えるという発想を現実にした橋であり、
車社会の幕開けを象徴するような革命的インフラだったそうです。 -
最後に滋賀でお買い上げしたお土産を紹介。
水とめたろかTシャツと、飛び出し坊やのキーホルダー。
いつでも滋賀を感じられる、完璧なチョイスである(多分…)
成瀬三部作のフィナーレ、
「成駆」でも出てくるこの「水とめたろか」の名言(?)ですが、
最後に「琵琶湖の水はみんなのもの」という立派なオチがついてます。
否──
それでも私は笑いながら言い続けるでしょう。
ホンマ、水とめるぞ。
理屈と感情は別腹で(笑)これぞ滋賀のアイデンティティなりけり。
それではまた~。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- ma-yuさん 2025/12/27 15:44:39
- 膳所!
- morisukeさん
こんにちは!
表紙の西武百貨店が懐かしいです。横には大津パルコ、それに
プリンスホテルがあって当時の西武王国の栄華が感じます。
実は・・・私も大津出身です。
懐かしい写真をたくさんありがとうございます。
京阪電車の膳所駅から友人と西武百貨店へ行ったり、琵琶湖文化館へは小学校の校外学習で行ったことを思い出しました。
成瀬あかりさんが終了間近の西武百貨店に通われていたのですね。
ポスターも多くありますね。
飛び出し坊は滋賀が発祥、それに「水とめたろか」の名言は今でもジョークで
使いますよ(笑
青春時代を思い出しコメントさせていただきました。
ma-yu
- morisukeさん からの返信 2025/12/29 03:22:40
- RE: 膳所!
- ma-yuさん
こんばんは~。書き込みありがとうございます。
関東に来てからあまり滋賀県産の方と出会わないので、同じ大津出身の方からの言葉、思わず嬉しくなりました (`∀´*)
確かにあの頃の大津は間違いなく西武王国の空気でしたね。西武百貨店があって、大津パルコがあって、まちの背後にはプリンスの資本と気配があって…。浮足立っていたのかもしれないのですが、確かにあの頃の膳所一帯は活気があり、ひとつの完成された小世界だったように思います。
成瀬あかりが通っていた西武百貨店も、気付けば私たちの青春と同じく“終わりの風景”になっていて、それを見届けたくなった気持ちはきっと同じだったのかなと感じています。
琵琶湖文化館は私も校外学習で行きました♪ 当時浜大津に京阪が運営するプールがあって、そこに通っていた時に琵琶湖文化館の中池で泳いでいるアヒルによく餌(給食のパンの残り)をあげていました。
「水とめたろか」はやっぱり今でも使いますよね(笑) 京都人と話すときは鉄板のネタなのですが、滋賀県民のDNAみたいなものかもしれません (*´艸`)ヒッヒッヒ
懐かしい記憶を呼び起こして頂き、こちらもありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。
Mori Neko
-
- きなこさん 2025/12/27 10:32:22
- 成瀬の街
- こんにちは~
成瀬の街をリアルに拝見しました
ずっと勝手にイメージしてましたので感激です
成瀬の先輩にあたるんですね
作中に出てくる地名とか店名をリアルに想像しながら読み進めるのは楽しいですね
父が滋賀出身なんですが
私は「鮒鮨」大好きです
あの鮒に付いてるご飯も大好きです
きなこ
- morisukeさん からの返信 2025/12/28 12:37:40
- RE: 成瀬の街
- きなこさん
丁寧に読んでいただき、ありがとうございます~。
成瀬の話では、実際にある場所をリアルに描写しているので、ものすごく分かりやすいんですよ。膳所は湖と山に挟まれたとてもいいロケーションだと思います。取り立てて何かあるわけではないのですが、天気の良い日に琵琶湖の湖岸を散歩するだけでも癒されるかと。
そして鮒鮨… 鮒寿司好きとは…かなり食の上級者ですね。正直に言うと、私はあまり得意ではなくて (*´д`) 滋賀県民でもここは結構分かれるところのようです。あの“ご飯の部分”まで愛せる方には、毎回ちょっとした尊敬を抱いてしまいます(笑)
最近は老舗の鮒寿司屋さんも、災害とか鮒が獲れないとかで経営が難しくなっているらしく、この文化もいろいろ大変な時代に入ってきたのかな、などと考えさせられました。それでもこうして語れる人がいる限り、きっと受け継がれていくんでしょうね (*´~`* )
今後ともよろしくお願いします。
Mori Neko
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