第39代天皇は明治時代に追号された。
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- 旅行時期:2020/09(約5年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
大津 クチコミ:111件
大津京を作った第38代天智天皇。その第一皇子だった大友皇子は、そのまま大津京で天皇になり国を治めるのが当たり前だった。しかし天智帝の死後、天智の弟であり往時の叔父である大海人皇子と争わなくてはならなくなった古代最大の内乱である壬申の乱の結果、最後の瀬田川の戦いに於いて負け、自害をして果てた悲劇の皇子の一人でもある。
天智帝の死後壬申の乱で敗死するまで7か月間という短い期間だったことから長きに渡り〝即位していない〟とされていたが、明治3(1870)年に追号され、第39代弘文天皇となり現在に至っている。
大友皇子の陵墓には色々な場所が候補として挙がっており、同じ大津市内でも皇子山古墳や膳所茶臼山古墳の名が挙がっている。また大友皇子を祀る神社としても石山も二つの御霊神社がある等興味深いものも少なくない。
近江で生まれ近江で亡くなった悲劇の皇子の足跡は辿って行くと本当に興味深いと思える場所のひとつであった。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 大津市役所の山手にある。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 訪れた時には誰とも出会わなかった。
- バリアフリー:
- 4.0
- 参道は石畳となっていた。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 御陵としてキレイで大切にされているように見える。
クチコミ投稿日:2020/09/12
いいね!:7票
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