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こじつけで始まった3月31日の笠原桜公園の花見。それで令和初めての春は終わるはずであった。が、外出規制や三密とダメだめの連呼が日常の当たり前と化した今日、気分転換にはどうすれば良いのかをふと考える。不要不急の外出は控えた方が良いのであろうが、三密に準ずる環境での仕事を余儀なくされている身としては、仕事以外で外出したくなるのは仕方がない。ただつるむことは避け慣れたひとり行動と、密室へは立ち入らない。そんな最低限のことは心がけて良い天気のもと散歩に出ることにした。<br /><br />そんなこんなの第二章は夜桜を楽しんだ笠原桜公園から職場の同僚お勧めの隠れた桜の名所を目指すべく野洲市に向かう。ファミリーマート野洲冨波店でひと息ついて、年度末の道路工事で混雑する滋賀県道2号線を走り生和神社へと到着した。<br /><br />生和神社という神社は初めて聞いた名称であった。旧村社郷社格の神社であれば仕方がない事かも知れない。ただ謂れを読むとかなり歴史ある神社であることを知る。平安時代に藤原氏の荘園であったこの地〝冨波荘〟に領主として赴任した藤原忠重。当時この地では〝人食い大蛇〟が住み着き、住人を苦しめていたそうだ。その大蛇を退治すべく忠重は旧領の大和国春日大社を勧請し、春日神社としてこの地に祀った。それを背景に忠重は大蛇に戦いを挑むが、退治はしたものの大蛇の持つ毒が体に回り亡くなってしまう。その恩恵を後世に伝えるべく祭神として忠重を祀った神社こそが生和神社の創建であるとされている。勿論伝承であり藤原忠重という人物も想像上の人物として記載してあるものもあり、単なる言い伝えだけなのかも知れない。また付近を流れる祇王井川は天井川であるが故に歴史上に於いて度々氾濫を起こしているらしい。そのため古の記録が残っておらず、創建の地から現在地に移設されたものであるということや、本殿や末社春日神社は江戸時代の改修記録が残っていることから国の重要文化財の指定を受けていること位しかわかっていない。しかし狭いながらも趣のある境内からはその歴史を漂わせるものとなっていることは間違いない。伝承等はともかく長年ご近所の氏子達が崇拝し、その気持ちから祇王井川の両脇に桜並木を作り、憩いの場としていることに疑う余地はない。写真を見れば一目瞭然で河川敷を利用した立派な桜並木だとは口が裂けても言えないが、その代わりに手作り感満載の桜並木を見ることができる。<br /><br />ジモティ曰く近所の老人会あたりがこの時期に手入れをして行っているらしい。見た感じもう少し手を加えればもっと良くなるように思えるのだが、そこまでは人の手が足りない様子。お金を注ぎ込んで立派なものを作り出し、多くの観光客を呼び込める場所ならばともかく、駐車場もない場所ゆえ仕方がないのであろう。ましてや若者が手を貸すわけもなければ仕方がない。距離的には僅かな距離の桜並木、両側の通路を行って帰っても時間はかからない。ゴミ置き場の前の広場に路駐していたこともあり、適当な時間を見て立ち去ることにする。<br /><br />所要時間は30分程度、祇王井川沿いの一角に桜が咲いている。あくまで川と道路沿いの桜並木ゆえ、例年でも〝花見の苑〟を開くのは難しそうな場所であった。今回は同僚の話に乗っかって訪れた場所のひとつでしかなかったが、もし来年の様子を聞くことだできるならば時間をかけて訪れようかとも思う場所であった。もっとも駐車場位はという意見もあるのであろうが、生和神社自体が冨波乙集落内にあり、またすぐそばには滋賀県道2号線が走っているためとてもじゃないがそんな余地はないという感じも受けた私だった。<br /><br />     《次編に続く》

《2020.April》あみんちゅぶらり淡海を歩く旅そのXII守山・野洲・竜王中編~生和神社の桜~

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2020/04/07 - 2020/04/07

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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

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2020/04/07

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こじつけで始まった3月31日の笠原桜公園の花見。それで令和初めての春は終わるはずであった。が、外出規制や三密とダメだめの連呼が日常の当たり前と化した今日、気分転換にはどうすれば良いのかをふと考える。不要不急の外出は控えた方が良いのであろうが、三密に準ずる環境での仕事を余儀なくされている身としては、仕事以外で外出したくなるのは仕方がない。ただつるむことは避け慣れたひとり行動と、密室へは立ち入らない。そんな最低限のことは心がけて良い天気のもと散歩に出ることにした。

そんなこんなの第二章は夜桜を楽しんだ笠原桜公園から職場の同僚お勧めの隠れた桜の名所を目指すべく野洲市に向かう。ファミリーマート野洲冨波店でひと息ついて、年度末の道路工事で混雑する滋賀県道2号線を走り生和神社へと到着した。

生和神社という神社は初めて聞いた名称であった。旧村社郷社格の神社であれば仕方がない事かも知れない。ただ謂れを読むとかなり歴史ある神社であることを知る。平安時代に藤原氏の荘園であったこの地〝冨波荘〟に領主として赴任した藤原忠重。当時この地では〝人食い大蛇〟が住み着き、住人を苦しめていたそうだ。その大蛇を退治すべく忠重は旧領の大和国春日大社を勧請し、春日神社としてこの地に祀った。それを背景に忠重は大蛇に戦いを挑むが、退治はしたものの大蛇の持つ毒が体に回り亡くなってしまう。その恩恵を後世に伝えるべく祭神として忠重を祀った神社こそが生和神社の創建であるとされている。勿論伝承であり藤原忠重という人物も想像上の人物として記載してあるものもあり、単なる言い伝えだけなのかも知れない。また付近を流れる祇王井川は天井川であるが故に歴史上に於いて度々氾濫を起こしているらしい。そのため古の記録が残っておらず、創建の地から現在地に移設されたものであるということや、本殿や末社春日神社は江戸時代の改修記録が残っていることから国の重要文化財の指定を受けていること位しかわかっていない。しかし狭いながらも趣のある境内からはその歴史を漂わせるものとなっていることは間違いない。伝承等はともかく長年ご近所の氏子達が崇拝し、その気持ちから祇王井川の両脇に桜並木を作り、憩いの場としていることに疑う余地はない。写真を見れば一目瞭然で河川敷を利用した立派な桜並木だとは口が裂けても言えないが、その代わりに手作り感満載の桜並木を見ることができる。

ジモティ曰く近所の老人会あたりがこの時期に手入れをして行っているらしい。見た感じもう少し手を加えればもっと良くなるように思えるのだが、そこまでは人の手が足りない様子。お金を注ぎ込んで立派なものを作り出し、多くの観光客を呼び込める場所ならばともかく、駐車場もない場所ゆえ仕方がないのであろう。ましてや若者が手を貸すわけもなければ仕方がない。距離的には僅かな距離の桜並木、両側の通路を行って帰っても時間はかからない。ゴミ置き場の前の広場に路駐していたこともあり、適当な時間を見て立ち去ることにする。

所要時間は30分程度、祇王井川沿いの一角に桜が咲いている。あくまで川と道路沿いの桜並木ゆえ、例年でも〝花見の苑〟を開くのは難しそうな場所であった。今回は同僚の話に乗っかって訪れた場所のひとつでしかなかったが、もし来年の様子を聞くことだできるならば時間をかけて訪れようかとも思う場所であった。もっとも駐車場位はという意見もあるのであろうが、生和神社自体が冨波乙集落内にあり、またすぐそばには滋賀県道2号線が走っているためとてもじゃないがそんな余地はないという感じも受けた私だった。

     《次編に続く》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
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