2019/09/18 - 2019/10/03
9位(同エリア243件中)
jijidarumaさん
- jijidarumaさんTOP
- 旅行記523冊
- クチコミ587件
- Q&A回答105件
- 753,207アクセス
- フォロワー98人
<2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
期間:2019年9月18日(水)~10月03日 (木)
(14泊+機中1泊=15泊16日間の旅)
9月20日(金) 86km 、晴れ・13℃
Rastedeラシュテーデ(Schloss Rastedeラシュテーデ城:ロッテの館)11:20~13:25=>A29 20km Oldenburg (Oldb) オルデンブルク14:10 :市内観光~16:50 =>3km Hermes Hotel Oldenburgエルメス ホテル オルデンブルク17:00着。
*13:25ラシュテーデを出る。Oldenburg (Oldb) オルデンブルクは20km先、町の中心にあったオルデンブルク城近くのパークハウス・Schlosshoefeシュロスヘーエ駐車場(2時間33分でEuro3.3)に車を停めた(14:10)。
早速、当地のメインであるオルデンブルク州立博物館に向かう。
<メルヘン街道と木組み建築街道の旅>
10月03日 (木) メルヘン街道と木組み建築街道の旅・帰国の御挨拶
9月18日(水)①5年ぶりのブレーメンにクタクタで到着。
9月19日(木)②友人夫妻と行くブレーマーハーフェン観光。
9月19日(木)③ブレーメンの名物店“猫のカフェ”で夕食。
9月20日(金)④オルデンブルク大公家の夏の別荘ラシュテーデ城を訪ねる。
9月20日(金)⑤オルデンブルク大公家の居城は時代が変わって今は博物館
写真はオルデンブルク州立博物館
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
ラシュテーデを出ると、すぐにアウトバーンA29に乗る。Oldenburg (Oldb) オルデンブルクまでは20kmの距離で、町の中心に至ると目的のオルデンブルク州立博物館のすぐそばにパークハウスが目に入った。
尚、北方のLand Schleswig-Holsteinシュレースヴィヒ・ホルシュタイン州に同名の町があるため、通常は Oldenburg の後に郡の略称である「(Oldb)」をつけて区別している。
写真はOldenburg (Oldb) オルデンブルクなど関係都市と河川図 -
<Oldenburg (Oldb) オルデンブルク観光>
14:10~16:50
ニーダーザクセン州のオルデンブルクはおよそ16.8万人の人口を有し、同州においては州都のハノーファー、そしてブラウンシュヴァイク、オスナブリュックに次ぐ第四の規模にあたる。
ヴェーザー川の支流であるHunteフンテ川 (距離189 kmを流れる) とKuestenkanalキュステン運河の合流点に位置し、北海沿岸までは約90kmの距離にある。
写真はオルデンブルク(城)州立博物館の全容 -
近隣の都市としては、約100km南に位置するオスナブリュック、45kmほど東に位置するブレーメンがある。
オランダ国境にも近く、番外編にも書いている、ミュンスターの侯爵司教ガレンが大敗したフローニンゲン包囲戦の町まで約110kmの距離にある。
写真はオルデンブルク城の1840年頃 -
イチオシ
この町はオルデンブルク家(ラシュテーデの項で書いたのでそちらを参照ください)と歴史を共有する。
ヒトラー率いるナチス党が政権を奪取した際に、地域としてヒトラーに反意を翻したのはOst-Friesland東フリースラントが唯一で、オルデンブルクがその中心地であった事は特筆されることである。
見所としてはオルデンブルク州立博物館、オルデンブルク旧市庁舎、市壁火薬塔跡などがある。
写真はオルデンブルクの中心:手前からSchlossplatzシュロス広場、Schlosswache警衛所、Lambertikircheランベルティ教会尖塔(オルデンブルク州立博物館から撮った) -
オルデンブルクの出身者を見たら、その中にこんな対照的な二人がいた。
一人はKarl Theodor Jaspersカール・ヤスパースという20世紀を代表する哲学者であり、
もう一人のUlrike Marie Meinhofウルリケ・マリー・マインホフは「バーダー・マインホフ・グルッペ(後に日本赤軍に共感して「ドイツ赤軍」と改称)」の創設者の一人、女性、41歳で獄死した。
ドイツ赤軍は1968年に結成され、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)における最も活動的な極左の民兵組織で、闘争資金を銀行強盗で調達し、誘拐、脅迫、殺人を繰り返したテロリスト集団である。
特に、1977年の「Deutscher Herbstドイツの秋」と称される一連の事件で世の中を震撼させた。ドイツ経営者連盟会長(日本で言えば経団連会長)の誘拐・殺人、連邦検事総長・ドレスナー銀行の頭取の暗殺などが立て続けて起き、中でも最大のルフトハンザ航空181便ランツフート号・・乗員乗客計91人・・ハイジャック事件が起きた。
駐在中の34歳の誕生日、1977年10月13日だったから今でもよく覚えているが、10月18日未明、名宰相ヘルムート・シュミットの決断で、最終期限の1時間前、GSG-9(ドイツの連邦警察の対テロ特殊部隊)隊員がソマリアのモガディシュ国際空港に駐機していた機内に突入しハイジャック犯を瞬時に制圧した。
先に射殺されていた機長を除き、GSG-9隊員の1人と乗員1人が負傷したほかは乗員乗客は全員無事解放され、ハイジャック犯のうち殺害された3人を除く1人は逮捕された。
その後、1980年代から90年代にドイツ赤軍組織は弱小化し、1998年に解散声明を出した。
当時、フランクフルトの出張から帰った時、デュッセルドルフまじかのアウトバーンの降り口で、警官隊が自動小銃をズラリと構えて車の検問をしているのに出くわした。とばっちりはかなわないなと思いつつ、恐々と車を進めた覚えがある。
写真はオルデンブルク:手前がシュロス広場、中央の白い建物は警衛所(1839年)、後ろにランベルティ教会の尖塔が見える・・・教会一帯は旧市街になる -
オルデンブルク州立博物館に入ろうとすると、何やら大勢の人たちが丸いアドバルーンや旗を持って集まっていた(14:30)。
エコ運動に参加した1,000人だったが、デモにありがちな悲壮感もあまりなく、ピクニックのような感じだった。
写真はオルデンブルクのシュロス広場前にエコ運動に参加した1,000人
*地球環境・エコ運動:「Fridays for Future未来のための金曜日」
朝の7:30ニュースで女性のアナウンサーがブレーマーハーフェン市のKlimahaus Bremerhaven 8° Ostクリーマハウス・ブレーマーハーフェン東経8度」の建物をバックにして、「Fridays for Future未来のための金曜日」のデモについて話していたことは、前章で書いた。
この日、ドイツの主な都市では同様なデモや集会が持たれたようだが、ここオルデンブルクでもシュロス広場前で1,000人(後のニュースは10,000人)ほどの集会が見られた。
近郊ではOsterholz-Scharmbeckオスターホルツ・シャルムベック、Verdenフェルデン、Achimアヒム、Delmenhorstデルメンホルストなどでも。
ニュースで2019年9月20日「Fridays for Future未来のための金曜日」、ブレーメンで最大(第二次大戦後)のデモが行われた。
警察によると、30,000人以上の人々が金曜日にブレーメン市でKlimaschutz気候保護(政策実施)を訴えて、デモを行ったとの事で、同じようにブレーマーハーフェンでも3,000人、ベルリンで270,000人、東京は2,800人!
ドイツはエコ運動が盛んで、原発廃止決定にも大きく寄与してきたことが知られている。
(9月20日から27日の期間に、世界の185ヶ国で670万人 の参加があったと云われる) -
【Landesmuseum Oldenburgオルデンブルク州立博物館】
14:35~16:15
D-26122 Oldenburg 、Schlossplatz 1
オルデンブルク城はかつてこの地を治めた代々領主・君主の居城であった。
1667年まではオルデンブルク伯家、1785年からはオルデンブルク公家、1815年からはオルデンブルク大公家の住まいであった。
現在は州立博物館となっており、開館:火~日10時~18時、入館料Euro6x2=12。
但し、州立博物館はLandesmuseum fuer Kunst und Kulturgeschichte州立芸術文化博物館と呼ぶのが正式のようだ。
州立芸術文化博物館はオルデンブルク城に隣接する3つの別々の建物からなる博物館で、オルデンブルク城、AugusteumアウグステウムとPrinzenpalaisプリンセンパレスで構成されているもので、入場券も3館共通であるが、ナンセ広いし、多種多量の展示のようだから、結局、オルデンブルク城内の見物だけに限った。
絵画、美術好きにはもったいない事なのだろうけど。
写真はオルデンブルク州立博物館の前で
参考:
1)Augusteumアウグステウム(Galerie Alte Meisterアルテマイスターギャラリー):
1867年、オルデンブルクの最初の美術館として建設された。オルデンブルク大公所蔵の絵画作品のギャラリーである。
15~18世紀のイタリア、フランス、オランダ、ドイツの画家の作品で、ドイツで言えばTischbeinティシュバイン、Christian Griepenkerlクリスティアン・グリーペンケール(1839~1916年、オルデンブルク出身の画家。ヒトラーがウィーン美術アカデミーを受験した時に入学を認めなかったエピソードで亡くなった後で有名になった)などである。
2)Prinzenpalaisプリンセンパレス(Galerie Neue Meisterノイエマイスターギャラリー):
1821年、オルデンブルク大公ペーター・フリードリヒ・ルートヴィヒの孫の住居として建てられた。
ノイエマイスターギャラリーという如く、19世紀半ばの新古典主義とロマン主義から1945年までのドイツの画家、彫刻家たちの作品が展示されている。
*尚、ここの2階にWorpswedeヴォルプスヴェーデの作品の間があると、案内書にあった。
Sさん宅の居間の壁に亡くなった母上の遺品だが、ヴォルプスヴェーデの芸術家が描いたという作品があった。村の並木道を描いたものだが、画家の名前は不詳だという。一度訪ねたいと思っていたヴォルプスヴェーデはブレーメンから東に15kmくらいのところにあり、19世紀の終わりごろから、芸術家たちが集まり始めたという芸術家村である。
ここはニーダーザクセン州のOsterholzオスターホルツ行政区に属する村だけに、ノイエマイスターギャラリーに作品が展示されるのも当然なのだろう。
・・・・・ -
*アントン・ギュンター 伯は1603年に伯位を継いだが、自らをしてオルデンブルク歴代で最も聡明な君主とみなしていた。
Jeverイェファーはアントン・ギュンターの継承以前に伯領に編入されていたが、1624年にKniphausenクニップハウゼン)とVarelファーレル を領土に加え、1647年にはDelmenhorstデルメンホルストを最終的に統合した。
三十年戦争においては中立的立場を保ち、また神聖ローマ皇帝軍のティリー伯には貴重な軍馬を提供することによって、他のドイツ諸国が蒙った荒廃から自領を免れさせることができた。
また彼はヴェーザー川を航行する船から通行料を徴収する権利を皇帝から得て、豊かな資産を築く財源とした。
1607年に彼はルネサンス式のオルデンブルク城を築いた。しかしアントン・ギュンターは1667年に男子の後継者を得る事なく没し、オルデンブルクは同族であるデンマーク王国(オルデンブルク朝)の支配下に1773年までの約100年間置かれることとなった。
写真はオルデンブルク城主:Graf Anton Guenther von Oldenburgアントン・ギュンター・オルデンブルク伯 -
写真はオルデンブルク城主Graf Anton Guenther von Oldenburgアントン・ギュンター・オルデンブルク伯:オルデンブルク帝国都市権600年記念切手
-
<オルデンブルク州立博物館(豪華な部屋、文化の歴史、美術工芸)>
1923年に開館。館内にはPrunksael豪華な大広間、Schlosssal城内広間、Empfangzimmer謁見の間がかつての輝かしき時代を彷彿させている。
博物館は1~4階に渡り、時代的にアンチークから新しい時代の作品など、オルデンブルク地方の何百年間の遺産が800もの展示に見る事ができる。
写真はオルデンブルク州立博物館:? -
4階は特別展用で、3階から見て回る。文化史と州の歴史がテーマで、雑多である。
州商業・産業・手工業、衣類・繊維や歴史部門は大公時代、1900年頃の帝国時代、第一次大戦、ワーマール共和国、ナチスの台頭、第二次大戦後、1950年代と60年代である。
個々にはかつての薬局、銃器、ひもじければヒトラーを選ぼうというポスター、1950年代の市民の居間、ロココ時代の馬車、1960年代のモードなど。
写真はオルデンブルク州立博物館:かつての薬局 -
写真はオルデンブルク州立博物館:曲芸団(サーカス)のゴブラン織
-
写真はオルデンブルク州立博物館:芸術的な銃器など
-
イチオシ
前述したように、1933年1月にはついにヒトラー率いるナチス党が政権を奪取した。この時、地域としてヒトラーに反意を翻したのはOst-Friesland東フリースラントが唯一で、オルデンブルクがその中心地であった事は特筆されることである。
【Kreuzkampfクロイツカンプ十字架闘争(1936年)】
Oldenburger Muensterlandオルデンブルク・ミュンスターランドでは「Kreuzerlassクロイゼラス十字架命令」と、これに対する「Kreuzkampfクロイツカンプ十字架闘争」(反ナチ闘争)が行われた。
「Kreuzerlassクロイゼラス十字架命令」は1936年11月4日にオルデンブルクの教会と学校に対し、オルデンブルク自由州政府(1932年6月にナチス政権が発足)の財務・教育・教会担当大臣Julius Paulyジュリアス・ポーリーにより発令された。
これは彫像、写真、とりわけ、十字架などの宗教的な標識はすべての州の建物から排除される。したがい、カトリック教会の学校からもそれらは除かれるべきであると。
写真はオルデンブルク州立博物館:ひもじければヒトラーを選ぼうというポスターなど -
「十字架闘争」はこの「十字架命令」に対して、同年オルデンブルク・ミュンスターランドで行われた。いわゆるドイツ第三帝国の国家社会主義ドイツ労働者党(略称:NSDAP=>後世ナチスと俗称された)の方策(命令・規範)に対する公的な抗議を行ったものである。
同様の行動は1941年にバイエルンでも起こった。
ナチス独裁に立ち向かい「ミュンスターの獅子」と呼ばれたミュンスターの司教、Clemens August Graf von Galenクレメンス・アウグスト・フォン・ガーレン伯・枢機卿(2005年に列福(聖人の次の位)された)は1936年、Oldenburger Muensterlandオルデンブルク・ミュンスターランドで行われた十字架闘争に対し、Hirtenbrief司教教書を送り、オルデンブルクのカトリック教徒たちに感謝の意を表明し、「私達の祖国の国境をはるかに越えたすべてのキリスト教徒に対するあなた方の姿勢(行動・主義)が、私達の青少年にとって何よりも良き手本となり、立派な模範(先例、戒め)となるでしょう」と付け加えた。
写真はオルデンブルク州立博物館:戦争はもういい! -
1961年11月25日、「Kreuzerlassクロイゼラス十字架命令」に対する抗議集会を記念して、砂岩で出来た大きな十字架の記念碑がCloppenburgクロッペンブルクのマルクト広場に建てられました。
「十字架闘争」を忘れぬよう、2年ごとに、Wallfahrtsort Bethenベーテン巡礼教会で「告白の日」が行われます。
・・・・・・・・・・・・・・
(2019年8月11日訳・編集)
写真はオルデンブルク州立博物館:女性市民への選挙ポスター(Deutsche Demokratische Parteiドイツ民主党) -
砂岩で出来た大きな十字架の記念碑がCloppenburgクロッペンブルクのマルクト広場に建てられました。
写真はCloppenburgクロッペンブルクのマルクト広場に建てられた十字架Kreuzkampf-Mahnmal -
写真はオルデンブルク州立博物館:1950年代の市民の居間・・・TVや家具類、壁の絵などが第二次大戦後から復興した新しい市民の生活を感じさせる。
-
2階は歴史の間と美術工芸がテーマで、歴史の間としては華麗な城内広間、青のサロン、塔の間、緑のサロン、王座の間、赤のサロン、ロマンチックな絵画の部屋、白の間、大理石の間など、美術工芸では中世、武器の間、本・印刷美術、ルネサンスとバロック、ロココ、古典主義、ユーゲントシュティール (Jugendstil青春様式)、アールデコとバウハウス、そしてデザインの各部屋がある。
個々には*ティシュバインの傑作1821作のDes Mannes Staerke(強い男)、子供の橇など。
写真はオルデンブルク州立博物館:Prunksael華麗な城内大広間 -
写真はオルデンブルク州立博物館:華麗な城内大広間
-
写真はオルデンブルク州立博物館:大広間を飾る絵・・・ベトナムのの移民(難民)だという監視人の小母さんがアジア人と見て親し気に声をかけて、説明してくれた。
-
写真はオルデンブルク州立博物館:大広間を飾る絵
-
*オルデンブルクのHofmaler王宮の画家はゲーテの友人でもあったJohann Heinrich Wilhelm TischbeinTischbeinヨハン・ハインリヒ・ヴィルヘルム・ティシュバイン(1751~1829年、ドイツの画家)である。
1808年以後はオルデンブルク大公Peter I.ペーター1世のもとで働いた。彼はイタリア滞在中にゲーテと親しく交友し、ローマで描いた『カンパーニャのゲーテ(1886年)(フランクフルト・シュテーデル美術館)』が特に有名である。
1821作のDes Mannes Staerke(強い男)(もしくは Die Vernunft理性の感覚)という題で描かれた絵が当博物館ある。またフランクフルトのゲーテの家に1787年作の違うバージョンの絵があるそうだ。
写真はオルデンブルク州立博物館:Johann Heinrich Wilhelm Tischbein ヨハン・ハインリヒ・ヴィルヘルム・ティシュバイン(Tichbein_Selbstbildnis_自画像) -
写真はオルデンブルク州立博物館:ティシュバインの傑作『1821作のDes Mannes Staerke強い男』
-
写真は『Goethe_in_the_Roman_Campagnaカンパーニャのゲーテ(1886年・シュテーデル美術館)』Johann_Heinrich_Wilhelm_Tischbeinヨハン・ハインリヒ・ヴィルヘルム・ティシュバイン作
-
イチオシ
1階は歴史の間と文化史がテーマで、歴史の間としては素晴らしい謁見の間がある。
文化史では古代、オルデンブルクの地方先史、中世の教会、宗教改革、信仰告白、手工業・鋳造、Graf Anton Guenther von Oldenburgアントン・ギュンター・オルデンブルク伯の絵を描いたドイツ人バロック画家Wolfgang Heimbachヴォルフガンク・ハイムバッハ(1615~1678年)、30年戦争と*アントン・ギュンター・オルデンブルク伯、アントン・ギュンター・オルデンブルク伯のGrablege埋葬。
個々には中世の聖母子、キリストの刑死、聖ゲオルゲのドラゴン退治などの木彫り像、マイセン磁器、アールデコ調の花瓶など。
写真はオルデンブルク州立博物館:中世の聖女でしょうか?、 -
写真はオルデンブルク州立博物館:マイセン磁器
-
写真はオルデンブルク州立博物館:マイセン磁器
-
写真はオルデンブルク州立博物館:アールデコ調の花瓶
-
写真はオルデンブルク州立博物館:キリスト一代記?
-
イチオシ
写真はオルデンブルク州立博物館:中世の聖母子像、
-
写真はオルデンブルク州立博物館:キリストの刑死
-
写真はオルデンブルク州立博物館:キリストの刑死
-
写真はオルデンブルク州立博物館:キリストの弟子たち(使徒)
-
写真はオルデンブルク州立博物館:聖ゲオルゲのドラゴン退治などの木彫り像
-
イチオシ
写真はオルデンブルク州立博物館:中世のドイツの彫刻家Tilman Riemenschneiderティルマン・リーメンシュナイダーの木彫り像と思われる。
-
Kramermarktsumzug Oldenburgオルデンブルクのクレーマーマルクト行列(お祭り)は毎年年9月末頃に開催される。
オルデンブルクのクレーマーマルクト行列(山車がでるお祭り)は1608年にクレーマーマルクトを創立したアントン・ギュンター伯爵の仮装(この絵のような格好)も登場して人気があると云う。
写真はオルデンブルク州立博物館:Wolfgang_Heimbachヴォルフガンク・ハイムバッハ作Graf Anton Guenther von Oldenburgアントン・ギュンター・オルデンブルク伯 -
写真はクレーマーマルクト行列に登場したアントン・ギュンター伯爵の仮装姿
-
写真はオルデンブルク州立博物館:Wolfgang_Heimbachヴォルフガンク・ハイムバッハ作Vornehme_Hochzeitsgesellschaft上流階級の結婚パーテイ(1637年)
-
写真はオルデンブルク州立博物館:Christian Griepenkerl クリスティアン・グリーペンケールの肖像画(Anton Faistauerアントン・フェイスタウナー作)
*Christian Griepenkerlクリスティアン・グリーペンケール(1839~1916年)はオルデンブルク出身の画家。ヒトラーがウィーン美術アカデミーを受験した時に入学を認めなかったエピソードで亡くなった後で有名になったと云う。 -
【子供の写真で苦情を受けた】
以下は番外編に書いた。
博物館内に、9歳の孫娘位の年頃の少女たち10人ほどが先生に連れられて、校外学習に来ていた。皆、楽しそうに民族衣装で着飾っており、可愛らしい。ツイ、2人の子に声をかけて、そのうちの1人がOKしてくれたから、写真を撮らせてもらった。
先生も見ていたのだが、見物を終えて謁見の間から切符売り場に出て、預けた荷物を取り出し、カフェテリアでココアでも飲もうとしていたら、保安の方が来られて、「実は貴方が先ほど撮られた少女の写真について、先生より苦情の申し出があった。(多分、個人情報を勘案した)貴方に申し訳ないが(貴方に邪な気があると思っていないのだが)、写真を削除して欲しい」と言われてしまった。
勿論、拒否する気はなく、保安の方の目の前で直ぐに当該分を削除した。
今後は気を付けねばならないのだろう。
ドイツもちょっとややこしい国になった。
ドイツの旅で過去に何度もこうした写真を撮ってきたが、上記のような話は初めてだった。
例えば、
①2008年4月20日(日)Garmisch-Partenkirchenガルミッシュ・パルテンキルヒェン市内見物の帰途、街中で白いドレスの女の子にであった。白い飾りのついた真っ白のロウソクを片手に持ち、真っ白の靴、金髪の髪にも白い髪留めを付けた可愛い女の子である。Kommunionコミュニオンといって、カトリックの聖餐式であり、9歳に達するとその成長を親族でお祝いする。(プロテスタントでは13~14歳で行う)満面の笑みを浮かべた女の子の写真を撮らせてもらう。
おばあちゃんが嬉しそうだった。(この時は住所を聞かずに後悔したものだ)
②2014年5月19日(月)Hildesheimヒルデスハイムの世界遺産見学の際、聖ミヒャエルス教会傍のカフェでお茶をした。El.Puente Weltcafe ヴェルトカフェと言ったが、1時間の歩き疲れと少しお腹も空いていたので、まだ清掃していたカフェに入れてもらった。
お祖父さん、母親の家族経営の店で、9歳の女の子が掃除を手伝い、その後はお店のテーブルで勉強をしていました。笑顔の女の子の写真と、聖ミヒャエルス教会から下に見えるカフェを撮った写真を、領収書が手元にあったので住所も分かり、クリスマス時期に送信者は”ある日本人”とだけ書いて、写真を送った。
家族の皆さんはちょっと驚いたことだろうが、喜んだ様子が目に浮かんだ。かつての具体例が意外に直ぐ頭に浮かぶ。
そうそう、これには追記しておかねばならない。オルデンブルク博物館では保安係の方が私共二人のココアをおごってくれたのだった。勿論、大いに喜んでご厚意を受けた。
写真はオルデンブルク州立博物館:カフェで保安係の方にココアを御馳走になった。 -
市内観光といっても、オルデンブルク城の州立博物館を見て、今日の観光は終わりだ。レンタカーに乗って走った、疲れた初日になった。
写真はオルデンブルク州立博物館:何故か熊の銅像(1964年、ドイツの彫刻家 Paul Halbhuber パウル・ハルブフーバー作)が!
16:50にパークハウスを出て、中央駅に近い(3km) Hermes Hotel Oldenburgエルメス ホテル オルデンブルクには17:00に到着した。
もっともこの時はナビ利用だが、ホテル裏手の道に案内された。そこは一方通行で中に入れない場所で、ビックリしたが、通行中の地元の方が「標識を無視して、ここから入ればホテルの敷地だよ」とアドバイスされ、それに従ったのだ。 -
*9月20日(金)~9月21日(土)Oldenburg (Oldb)オルデンブルク(1泊2日)
<Hermes Hotel Oldenburgエルメス ホテル オルデンブルク>*
D-26122 Oldenburg (Oldb)、 Ankerstr. 19
Tel:+49(0)441 77939-100 、Fax:-99
https://www.hermes-hotel-oldenburg.de/
3星(Garni朝食のみ)・全50室。Booking.Comで予約したCity-Hotelの4階302号室。スモール ダブルルームはEuro113(朝食込み)=13,781円。水のサービスなし。
チェックイン15時、チェックアウト11時。無料駐車場あり。
写真はHermes Hotel Oldenburgエルメス ホテル オルデンブルク:正面玄関 -
鉄道駅へは徒歩わずか4分、オルデンブルクでのロケーションは良い。
ブレーメン空港 38.7 km、市内観光地の城郭庭園 0.5 km、 Hunteフンテ川 0.1 km、オルデンブルク市立博物館 0.7 km、オルデンブルク(城)州立博物館・火薬塔跡 0.9 kmと観光に便利だ。
写真はHermes Hotel Oldenburgエルメス ホテル オルデンブルク:モダンだが狭い寝室 -
品揃え豊富なビュッフェ式朝食、モダンなワークデスクやバスルームが備わる明るい内装の客室、全客室へエレベーターで簡単にアクセスが可能、ロビーと全廊下にて、無料のソフトドリンクを用意しているとホテルの案内にあるが、最も嬉しいのはドイツの固定電話番号への無料通話ができる事だった。
翌日の朝、心配しているだろうブレーメンのS夫妻に電話した。Sさんの白内障の手術も近日中との事だった。
写真はHermes Hotel Oldenburgエルメス ホテル オルデンブルク:この写真も狭い -
当地方の名物料理で最もよく知られた郷土料理は、細かく砕いた穀物と香草を含んだPinkelピンケルというソーセージで、通常は湯がいたケール(アブラナ科の野菜)や炒めたジャガイモと合わせて食べるとあったが、この日は食事に出る気もなく(ここは夕食用のレストランが無い)て、食べる機会はなかった。
本日はレンタカー最初の日、やはり疲れが出て所為で、部屋に戻ってから家内は19時には寝てしまった。
こちらは一応資料の整理をグタグタとしてから、25時に寝た。
・・・・・
Booking.Comへの評価:7.1、良い
1)モダン、機能的、ドイツ国内の電話が無料で知人に電話が出来た事、駐車場は十分にあって、ありがたかった。
2) 思った以上に狭かった。ナビを利用したが、裏手の道に案内された。そこは一方通行で中に入れない場所で、ビックリした。
写真はHermes Hotel Oldenburgエルメス ホテル オルデンブルク:TVと荷物置き場 -
写真はHermes Hotel Oldenburgエルメス ホテル オルデンブルク:浴室
明日はCloppenburgクロッペンブルクのMuseumsdorf野外博物館を見て Bramscheブラームシェ・Bramsche-Kalkrieseブラームシェ・カルクリーゼにある古戦場(ローマ軍団とゲルマン民族の一大決戦・トイトブルクの戦い)を見に行く。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道を行く。
-
前の旅行記
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:④オルデンブルク大公家の夏の別荘ラシュテーデ城を訪ねる。
2019/09/18~
ニーダーザクセン州
-
次の旅行記
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:⑥クロッペンブルク博物館村に見事な大農家がある。
2019/09/18~
ニーダーザクセン州
-
2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道の旅・帰国の御挨拶
2019/09/18~
ニーダーザクセン州
-
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:①5年ぶりのブレーメンにクタクタで到着。
2019/09/18~
ブレーメン州
-
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:②友人夫妻と行くブレーマーハーフェン観光
2019/09/18~
ブレーマーハーフェン
-
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:④オルデンブルク大公家の夏の別荘ラシュテーデ城を訪ねる。
2019/09/18~
ニーダーザクセン州
-
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:⑤オルデンブルク大公家の居城は時代が変わって今は博物館
2019/09/18~
ニーダーザクセン州
-
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:⑥クロッペンブルク博物館村に見事な大農家がある。
2019/09/18~
ニーダーザクセン州
-
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:⑦ローマ軍団とゲルマンの古戦場”トイトブルクの森”
2019/09/18~
ニーダーザクセン州
-
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:⑧平和条約締結の町オスナブリュックは歴史が一杯。
2019/09/18~
ニーダーザクセン州
-
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:⑨オスナブリュックの石造建築や面白い立像のある泉
2019/09/18~
ニーダーザクセン州
-
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:⑩オスナブリュック警察はナチス国家でどのような役割を果た...
2019/09/18~
ニーダーザクセン州
-
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:⑪美しい木組みの家並みが見られるミンデンとリンテルン旧市...
2019/09/18~
ノルトライン・ヴェストファーレン州
-
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:⑫石造破風や木組みの家並み豊かなレムゴー、この旅初の古城...
2019/09/18~
ノルトライン・ヴェストファーレン州
-
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:⑬実に壮麗なリッペ侯国のデトモルト宮殿を訪ねる。
2019/09/18~
ノルトライン・ヴェストファーレン州
-
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:⑭画家たちが愛した美しい木組みの家並みと泊まりたかったシ...
2019/09/18~
ノルトライン・ヴェストファーレン州
-
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:⑮ブロムベルクには古城や伝説、美しい木組みの家並みがある...
2019/09/18~
ノルトライン・ヴェストファーレン州
-
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:⑯英国王となったハノーファー王家ゆかりの町へ
2019/09/18~
ハノーバー
-
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:⑰ツェレに英国王ジョージ1世の王妃ドロテアが32年間幽閉...
2019/09/18~
ツェレ
-
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:⑱ツェレの旧市庁舎、市教会の侯爵家の霊廟、ボーマン博物館...
2019/09/18~
ツェレ
-
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:⑲ツェレの美しい木組み建築の家並みに満足満足!
2019/09/18~
ツェレ
-
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:⑳女流詩人ロスヴィータ のガンデルスハイム、美しい木組み...
2019/09/18~
ニーダーザクセン州
-
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:21ハン・ミュンデンは木組みのホテル「鉄ヒゲ博士」に泊ま...
2019/09/18~
ハン・ミュンデン
-
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:22ハン・ミュンデンのお気に入りはヴェーザー記念碑
2019/09/18~
ハン・ミュンデン
-
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:23メルヘン街道の代表はいばら姫とラプンツェル(髪長姫)...
2019/09/18~
カッセル
-
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:24ヘッセン方伯妃エリザベートが余生を過ごしたささやかな...
2019/09/18~
カッセル
-
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:25カッセルの壮大な「水の芸術」大噴水ショーを鑑賞してみ...
2019/09/18~
カッセル
-
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:26グリム童話の町、古城ホテルのあるシュパンゲンベルクを...
2019/09/18~
ヘッセン州
-
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:27最後の古城ホテル ゲーデルン城は町の経営、初めての宿...
2019/09/18~
ヘッセン州
-
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:28ゲルンハウゼン・魔女の塔から醜い像があたりをにらんで...
2019/09/18~
ヘッセン州
-
2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅:29ドイツ最後の町はデュッセルドルフの隣町ラーティンゲン...
2019/09/18~
デュッセルドルフ
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2019年ドイツの初秋:メルヘン街道と木組み建築街道を行く。
0
47