2011/05/30 - 2011/06/01
194位(同エリア402件中)
さっくんさん
2018年6月4日から7月6日迄、ルーマニアから始まりブルガリア、マケドニア、アルバニア、メテオラ(ギリシャ)コソボ、モンテネグロ、セルビア、クロアチア、スロベニアと旅して何故かサンマリノに立ち寄ってベネチアで旅を終えました。2011年に訪れたクロアチア・ドブロブニクとボスニアヘルツェゴビナの旅を併せて自分なりのバルカンの旅完全版としたいと思います。
-
サラエボに到着しました。
曇り空
ボスニア紛争時のイメージも重なって
うら寂しい感じを持ちました。 -
旧市街に向かう途中狙撃通りに出ました。
大通りは遮るものが無い為格好の狙撃場所となり、民族浄化の為女、子供構わず動くものは全て標的にされたと言います。
黄色い建物はホリディ・イン・ホテル。紛争時戦場ジャーナリストの塒だったホテルです。 -
旧市街が近づいて来ました。
-
オスマントルコ様式の街並みです。
-
お土産屋さんの通りを抜けて
-
旧市街の中心バシチャルシャ広場に到着しました。
物凄い数の鳩が集まり家族が寛ぐ平和な光景に癒されました。 -
ウギャァ!
なんて事を!
平和が戻ったサラエボで、一番の暴れん坊は子供です。 -
皆さん何に注目してるのでしょう?
-
セルビア正教会前の広場では老人達が巨大チェスを楽しんでいました。
この広場では、紛争時ただパンを買いに集まった22人の人が爆撃により死亡。
それに抗議する為22日間砲撃の続く中チェロを弾き続けた男がいたと言います。
この実話が元となって小説サラエボのチェリストが書かれました。 -
それ!
-
これでどうだ?
参ったか! -
チラリと表通りに出て
-
再び旧市街に戻ると、今度は欧州的佇まい。
-
だけど、ちょっと戻ればトルココーヒー用品がズラリと売られています。
-
要塞跡に向かう途中、墓地がありました。
-
私と同じ年に産まれ、紛争終結の年に亡くなった墓標を発見した時、とても胸が苦しくなりました。
-
要塞跡からサラエボの暮れゆく景色を眺めました。
其処で出逢った地元のヤンチャな男女のグループと仲良くなりましたが、翌日彼等が大騒動を引き起こしてくれます。 -
こんな遅くまで八百屋さんが頑張ってます。
-
夜のバシチャルシャ広場。
-
夜のカソリック大聖堂。
-
夜の旧市街。
-
夜のセルビア正教会。
-
今夜の夕食もプレスカビッザです。
-
二日目は晴天に恵まれました。
-
墓地を抜けて、再び要塞跡に向かいます。
-
サラエボが一望出来ます。
-
サラエボの中心部をアップしました。
-
更に旧市街部分のアップです。
モスク、セルビア正教会、カソリックの聖堂、狭い地域に様々な宗教の礼拝堂が建っています。サラエボはヨーロッパのエルサレムと言われる意味が解りました。 -
ビール工場です。
-
要塞跡から旧市街に戻ります。
-
カソリック大聖堂です。
-
オスマントルコ時代を彷彿させる街並みから
-
唐突にオーストリア統治時代を彷彿させる街並みに変わるのには驚かされます。
-
カソリック大聖堂の裏側を通って
-
青空市場にやって来ました。
-
市民の台所のこんな場所さえ紛争時には攻撃対象とされ多くの市民が亡くなりました。
-
勿論今ではご覧の通り賑わいを取り戻しました。
-
いらっしゃいませ!
-
毎度あり~!
-
シナゴーグです。
オスマントルコは宗教に寛容な政策を取っており、スペインから追放されたユダヤ人を受け入れた為、サラエボに多くのユダヤ人が移住しました。 -
再びイスラミックな通りを歩きます。
-
巨大な水差しのお土産。
持って帰れる人いるのでしょうか? -
トラムで大きく移動して、サラエボの空港です。
-
トンネル博物館にやってきました。
ボスニア紛争時、周囲をセルビア軍に包囲されたサラエボ市民の唯一と言って良い外界への接点であり、抜け道でした。 -
しかし一方、此処を使うお金が払えない人々は、何も遮るものの無い空港を横切りサラエボから脱出を試み、そして蜂の巣にされたと言います。
-
紛争時の状況が地図で説明されていました。
-
周囲には本当に何もありません。
-
途中で見かけた廃墟。
どうしてこうなったのか?
理由は知りませんが、博物館で紛争の歴史を見てきたばかりなので、どうしても紛争と繋げて考えてしまいます。 -
トラムに乗って街の中心まで戻りました。
-
アヴァズ・ツイスト・タワーに登ります。
-
新市街側の眺めです。
-
旧市街側を眺めました。
-
鉄道駅方面です。
-
もう一度旧市街方面を眺めます。
-
アリ・パシナ・モスク。
-
駅から向かって旧市街の始まりに
-
戦没者慰霊の聖火が灯されています。
-
バシチャルシャ広場に戻って来ました。
-
此処で一服を入れましょう。
-
トルココーヒーで一服しました。
-
サラエボを囲む山を適当に登りました。
-
サラエボは中心部は勿論ボスニア人が暮らしていますが、山の上はスルプスカ共和国と言ってセルビア人の自治領となっています。
両者は言葉も貨幣のデザインも文字もバスターミナルも別々に、接触する事無く暮らしています。
旅人は自由に行き来出来ても、彼等には旅人の見えない境界線が存在します。
旅人が解るとすれば、標識に書かれた文字がキリル文字に変われば其処はスルプスカと言う事です。 -
もう多分スルプスカと思われる場所で、現地の二人のオジサンに話しかけられました。
話がオシム監督だったり、3・11大地震の話題だったりは普通に話せました。 -
が、話が紛争の話になった時、私は返答に詰まりました。
彼等は銃を撃つジェスチャーを行うのですが、彼等の顔立ちからどちらの民族かは伺い知れません。
セルビア人もボスニア人も共に南スラブ人です。
勿論聞く訳にもいきません。
彼等は受けた被害を訴えているのか?
それとも武勇伝なのか?
日本人お得意の曖昧な表情で曖昧な相槌を打ちながら
人の良さそうな二人なだけに、心苦しい時でもありました。 -
複雑な心境で旧市街に戻ります。
-
オスマントルコ時代の城門です。
-
再び訪れた要塞跡で再びヤンチャな青年男女と出逢い互いの写真を撮り合ったりしていました。
しかし唐突に一人のヤンチャ坊主が私のカメラを持ち逃げしてしまったのです。
私はその場に取り残された男女を確保しました。
「君達が何もしてくれないのなら、私はこれから警察に届けに行くから君達も一緒に来たまえ。」
警察に行くと言うのは単なる脅しだったのですが、彼等は私の想像以上の反応で慌てました。
「私達は下にはいけないんだ!どうか考え直してください。彼が逃げた場所なら多分解りますから案内します。」
これには躊躇しなければならない事がありました。
彼等がグルだとすれば、カメラで釣って私を彼等のアジトに呼び込み更なる要求をされかねません。
しかし私は彼等がそんな悪党には思えませんでした。 -
彼等に連れられ私は遥か山の上まで向かいました。
果たして彼の言った通りヤンチャ坊主は其処にいました。
こうした時は女の子の方が行動力があり、ヤンチャ坊主から私のカメラを取り戻してくれました。
だけどそれで安心する私ではありません。
チェックすれば案の定SDカードが抜かれていました。
「カメラは君にあげても良い。だけどSDカードは返して貰う。何が欲しい。交渉には応じよう。拒否すれば君の友人に危害が加わる可能性がある。」
毅然と話した相手の反応は意外なものでした。
「私達と写したデータを削除して欲しい。」
私は彼等の前で、彼等と共に写っているデータを全て削除。事は解決に至りました。
私を此処に連れてきた青年は、本当に申し訳なさそうで、帰り道を案内すると言うので、断ると更に握手を求めてきました。 -
山から降りながら今起きた事を振り返りました。
旧市街に戻り夕食を食べている途中、あ!っと閃く事がありました。
彼等は私が警察に行くと言った時、警察では無く下には行けないと強く言い張りました。
そして彼等が私を導いたのは山の遥か上の場所。
そうです。彼等はボスニア人では無くスルプスカ人だったのでしょう。
ヤンチャな彼等が、行ってはいけないと大人達が言うボスニアの領土に越境して、お酒を飲んではしゃぐ気持ちは私にも凄く良く解ります。
そして其処で第三者の東洋人である私と出逢い写真を撮りました。
でも其処は未々子供、きっとアリバイを作ってしまった事が怖くなり、出来心でカメラを盗んでしまったのでしょう。
そして友人達に私が警察の話を持ち出した事で、彼等はとんでもない事になったと驚いたのです。
彼等にとって、この盗みは単なる盗みでは無く、越境し盗みを働いた事になってしまうからです。 -
これは単なる私の推測ですが、多分間違い無いでしょう。
と共に私の心にドシーンと重くのし掛かってくるものを感じました。
彼等が産まれたのは多分紛争が終わった後です。
そんな若い子供達にも紛争が作ってしまった我々には見えない国境線が深く影響を及ぼしているのです。
紛争さえ無ければ、私は彼等とふざけ合って微笑む写真を振り返る事が出来たでしょう。
見えない国境が此処の市民に与えているものの深さを思い知らされた気分でした。
だけど嬉しかった事は、私が信じた通り彼等は悪党では無かった。盗もうとして盗んだのでは無かった事が解った事でした。 -
最終日です。
先ずはサラエボの代表的な場所にお別れを告げに行きましょう。
先ずはバシチャルシャ広場です。 -
続いてカソリック大聖堂。
-
セルビア正教会。
-
イスラーム、カソリック、東方正教会、ユダヤ教、4つの宗教の共存するサラエボはオリンピックの開催地として相応しいとされ、共産圏初のオリンピック開催地となりました。
しかしその7年後、ボスニア紛争勃発。
余りにも急激に人命が失われ且つ埋葬も危険が伴った為、皮肉にもオリンピック会場跡が墓地として使われました。 -
狙撃通りとホリディ・イン。
-
ブルバニャ橋です。
紛争で初めて犠牲者が出た橋です。
橋上も大通りと同様遮るものが無い為格好の狙撃場所でした。
私がこの橋を訪れた際、独りの女性が物憂げに立っていました。彼女も追悼に来たのかな?と思っていると、「悪ぃ悪ぃ!」と遅刻して来た彼を見ると、笑顔を取り戻し、手を繋いで一瞬で橋を渡り去りました。それ程短く小さなこの橋ですが、戦時中は逃亡者にとっては遥かなる道程だったのです。 -
サラエボは多民族の街なので異教徒同士の結婚も多かったのですが、紛争が起きた為別れなければならなくなった夫婦やカップルも沢山いました。
そんな中愛を貫く為、サラエボからの脱出を試みた異教徒同士のカップルがいました。
結局願いは叶わず、二人ともこの橋の上で狙撃されました。
彼氏は即死、彼女は最後の力を振り絞り彼と寄り添う様にして亡くなっていたそうです。
以降二人はサラエボのロミオとジュリエットと呼ばれています。
二人にとって、この小さな橋は明日に架ける橋だったに違いありません。 -
橋の向こうの建物には蜂の巣の様な銃痕が残されていました。
-
オーストリア統治時代を彷彿させるマリア・テレジア・イエローの建物と真っ赤なトラムと晴天の空。赤青黄色でまるで信号機みたいです。
-
ガジ・フスレヴ・ベイ・モスクに行きましょう。
-
此処を曲がって
-
到着しました。
-
モスクの内部です。
-
ラテン橋です。
この橋でオーストリアの皇太子がセルビア人の民族主義者に暗殺される事件が起こり、その報復としてオーストリアがセルビアに侵攻。両者と同盟関係にあった国が其々の陣営に加担した結果、第一次世界大戦に発展しました。 -
最後に再び山に登ってサラエボを見下ろしたいと思いました。
-
サラエボを見渡せる場所に煙草のパッケージを飾りました。
-
いつまでも平和であります様にと願いをこめて。
-
更に山道を登りました。
-
見晴らしの良さそうな場所が見えてきました。
-
もう家々が豆粒の様です。
-
遥か彼方に新市街が望めます。
-
ホリディ・インは何処からでも目立ちます。
-
ポツンと廃墟がありました。
-
漸く民家がある場所に戻って来ました。
-
オスマントルコ時代の要塞跡でしょうか?
-
新市街方面を眺めました。
ホリディ・インも見えます。 -
もう下界まで後僅かです。
エンジ色の尖塔を持つ建物はビール工場です。 -
ビール工場に到着しました。
このビール工場はサラエボでも名門のビール工場でしたが、紛争中に破壊されてしまいました。
しかし壊れた工場から流れた出すビールを作る為の清らかな水が、紛争に苦しむ人々の命を支える水となりました。 -
変なバスに乗ってしまい徒歩で空港に向かいました
。
長い旅歴の中でも徒歩で国際空港に向かう事は稀な事です。
でも考えたい事、振り返りたい事が多過ぎて、全然距離も気になりませんでした。 -
空港のロビーで、紛争中サラエボ市民の命を救った水で出来上がったSarajevska Pivoを頂きました。
サラエボ、考えさせられる場面の連続でした。
いつか再びこの街でオリンピックが開催される日を心待にしています。
サラエボにありがとう!
そして最後までご覧になってくださり、ありがとうございました。
次回は18年の旅に戻り、プドバからセルビアのノヴィ・パザルに立ち寄りベオグラードを目指す一日を紹介します。
https://4travel.jp/travelogue/11391842
目録へ
https://4travel.jp/travelogue/11414554
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
バルカン半島の旅
-
バルカン半島を旅する19クロアチア・ザグレブ編
2011/05/26~
ザグレブ
-
バルカン半島を旅する14クロアチア・ドブロブニク編
2011/05/27~
ドブロブニク
-
バルカン半島を旅する15ボスニアヘルツェゴビナ・モスタル編
2011/05/29~
モスタル
-
バルカン半島を旅する16ボスニアヘルツェゴビナ・サラエボ編
2011/05/30~
サラエヴォ
-
バルカン半島を旅する1ルーマニア編
2018/06/05~
ルーマニア
-
バルカン半島を旅する2ブルガリア編
2018/06/08~
ブルガリア
-
バルカン半島を旅する3マケドニア・スコピエ編
2018/06/10~
スコピエ
-
バルカン半島を旅する4マケドニア・オフリド編
2018/06/11~
オフリド
-
バルカン半島を旅する5アルバニア・ベラト編
2018/06/13~
その他の都市
-
バルカン半島を旅する6アルバニア・ジロカストラ編
2018/06/14~
その他の都市
-
バルカン半島を旅する7ギリシャ・メテオラ編
2018/06/15~
メテオラ周辺
-
バルカン半島を旅する8アルバニア・ティラナ編
2018/06/17~
ティラナ
-
バルカン半島を旅する9コソボ・プリズレン編
2018/06/18~
コソボ
-
バルカン半島を旅する10コソボ・プリシュティナ編
2018/06/19~
プリシュティナ
-
バルカン半島を旅する11コソボ・ペーヤ編
2018/06/20~
ペーヤ
-
バルカン半島を旅する13モンテネグロ・コトル編
2018/06/21~
コトル
-
バルカン半島を旅する12モンテネグロ・プドヴァ編
2018/06/22~
ブドヴァ
-
バルカン半島を旅する17セルビア・ノヴィ・パザル編
2018/06/23~
その他の都市
-
バルカン半島を旅する18セルビア・ベオグラード編
2018/06/24~
ベオグラード
-
バルカン半島を旅する20クロアチア・プリトヴィツェ編
2018/06/25~
クロアチア
-
バルカン半島を旅する21クロアチア・ロヴィニからスロベニア・ピラン編
2018/06/26~
ロヴィニ
-
バルカン半島を旅する22スロベニア・ピランからシュコツィアン鍾乳洞編
2018/06/27~
ピラン
-
バルカン半島を旅する23スロベニア・ポストイナ鍾乳洞編
2018/06/28~
ポストイナ
-
バルカン半島を旅する24スロベニア・リュブリャーナ及び近郊の街編
2018/06/29~
リュブリャナ
-
バルカン半島を旅する25スロベニア・ブレッド湖編
2018/06/30~
ブレッド湖周辺
-
バルカン半島を旅する26スロベニア・ノヴァ・ゴリツァからイタリア・ヴェネツィア編
2018/07/01~
その他の都市
-
バルカン半島を旅する27ヴェネツィアから日帰りサンマリノ編
2018/07/02~
サンマリノ
-
バルカン半島を旅する28イタリア・ヴェネツィア編その1
2018/07/03~
ベネチア
-
バルカン半島を旅する29イタリア・ヴェネツィア編その2
2018/07/04~
ベネチア
-
バルカン半島を旅する30イタリア・ヴェネツィア編その3
2018/07/05~
ベネチア
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
サラエヴォ(ボスニア・ヘルツェゴビナ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
サラエヴォ(ボスニア・ヘルツェゴビナ) の人気ホテル
ボスニア・ヘルツェゴビナで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ボスニア・ヘルツェゴビナ最安
766円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
旅行記グループ バルカン半島の旅
0
100