ドナウエッシンゲン:歌人・斎藤茂吉の歌碑があるドナウの泉(本家)と48km先のドナウの源泉(元祖)の争い
- 3.5
- 旅行時期:2016/01(約10年前)
-
-
by jijidarumaさん(男性)
ドナウエッシンゲン クチコミ:1件
【フュルステンベルク侯爵家の城として知られるSchloss Donaueschingenドナウエッシンゲン城とドナウの源流、歌人・斎藤茂吉の歌碑について】
1723年にフュルステンベルク侯に依って建設されたドナウエッシンゲン宮殿の左手にDonauquelleドナウの泉(本家)があって、泉の傍に歌人・斎藤茂吉*(“ドナウ源流行”を著した。)の碑が立っている。
泉の水はきれいなもので、藻が生えているが、いろんな場所から水を噴出しているのが良く分かる。
この泉から流れ出る水はBrigachブリガッハ川に注ぎ、町外れで、フルトヴァンゲンから流れ出てくるBregquelleブレーク川と合流し、此処から正式なDonauドナウ川となる。
地勢的には48km先のブレーク川源泉が正式なドナウ川源泉(元祖)と思うが、どちらの地元とも、自らの正当性を主張して譲らないそうだ。
従って、全長2840kmなのか、2888kmがドナウ川の距離なのかは、地元では決着のつかない大きな問題なのだと云う。
*歌人・斎藤茂吉の碑については山形県上山市のHPに下記のように出ていました。
上山市で生まれ育った歌人・斎藤茂吉は、大正11年から13年までヨーロッパに留学しました。はじめに留学したオーストリアのウィーンで見たドナウ川に、彼がこよなく愛したふるさとの母なる川「最上川」に通じる強い印象を受け、いつかドナウ川の源流を訪ねてみようと心に誓うのでした。
その後、ドイツのミュンヘン大学へ移った茂吉は大正13年4月、休暇を利用してかねて強く望んでいたドナウ川源流の地を求めて川をさか上りました。
そして、源流の地「ドナウエッシンゲン市」にたどり着いた茂吉は、同地に滞在して歌を詠み、後日、「ドナウ源流行」を綴ったのでした。
この斎藤茂吉の紀行を縁として、平成7年(1995年)3月21日、友好都市の盟約を締結しました。さらに、ドナウエッシンゲン市は、ドナウ川源流の地として知られているばかりでなく、世界的な保養地として有名な西ヨーロッパ最大の湖「ボーデン湖」や温泉保養地バーデン・バーデンに近く、数多くの観光客が訪れること。
さらに、世界的に権威のある国際馬術競技会や国際音楽祭が開催されるなど、スポーツや文化活動が盛んで、古くから温泉観光地としてにぎわってきた上山市と共通点が多いことも理由のひとつとなっています。
上山市とドナウエッシンゲン市との友好都市盟約締結5周年を記念して、2000年(平成12年)10月6日、ドナウエッシンゲン市内にある大河ドナウの源泉「ドナウの泉」に斎藤茂吉の歌碑が建立されました。
これは、両市の交流が始まるきっかけとなった斎藤茂吉の業績を顕彰し、両市の末永い友好を誓い、ドナウエッシンゲン市の協力を得て上山日独友好協会と上山市が建立したもので、茂吉の歌碑は日本全国に数多くありますが、海外では初めてのものです。日本人観光客はもちろん、世界中からの観光客が「ドナウの泉」を訪れた際、興味深く歌碑を見ていきます。
...............................
※歌碑に刻まれている歌(茂吉が大正13年4月にドナウ川源流で詠んだもの)
「大き河 ドナウの遠きみなもとを 尋(と)めつつぞ来て 谷のゆふぐれ」
選歌と書体の指定は、ご子息の斎藤茂太氏によるものです。
なお、歌碑には歌のドイツ語訳と茂吉の業績(左下)、
盟約締結5周年を記念して建立する旨(右下)の
ドイツ語が刻まれています
XXX
ついでに言えば、
ドナウ源泉(元祖)のある町Furtwangenフルトヴァンゲンの
小高い丘の上にある教会から、源泉はさらに3km遡る所だ。
- 施設の満足度
-
3.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 景観:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2016/01/17
いいね!:6票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する