2015/06/05 - 2015/06/05
661位(同エリア2857件中)
kojikojiさん
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アムステルダム2日目は美術館巡りで、「国立美術館」の開館に合わせてトラムに乗ります。少し出遅れたので開館を少し過ぎたくらいの到着でした。ミュージアム・イヤー・カードがあるので入館は簡単です。このカードは1年間有効ですが、アムステルダムに3日いて国立美術館とゴッホ美術館と市立美術館と幾つか見学すれば元を取れてしまいます。今回オランダは1週間程度の滞在でしたが充分に使いこなしたと思います。そうすると欲も出てきて1年以内にもう一度オランダに来ようかなという気にもなってきます。昨日屋根裏部屋の教会でカードを購入していたドイツ人の家族だと近隣なので何度も来れるのが羨ましいです。館内に入ってまずはレンブラントの「夜警」をはじめ集団肖像画の集められた部屋に向かいましたが、国は違っても考えることは同じでこの部屋だけ混んでいました。といっても十数人なのでゆったり見学出来ましたが。その後は順繰りに部屋を巡りますが、30分もすると「夜警」の前はすごい人だかりになっていました。やっぱり先に見学しておいて良かったです。美術館は非常に広く部屋も入り組んでいるので、パンフレットやガイドブックで確認して行かないと迷子になりそうです。また次のエリアへ移るのに一度パブリックスペースに出る場所があり、私が妻の分のカードを持っていたので、離れ離れになった時に妻が再入場できなくて困ったことになりました。今回はいろいろな意味でカードとチケットには悩まされました。収蔵品はあまりに膨大なので旅行記も分けて作成しました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
宿泊したホテルの正面にトラムの駅があるので移動するには非常に便利でした。
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ダムから乗車してライクス・ミュージアム(国立美術館)で下車します。駅前からここまでトラム1本で来られます。まだ朝早いので空いていますが、美術アkんから出る時にはすごい混雑になっていました。
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車が通り抜けられるほどの大きさの建物です。左手を進むとエントランスがありました。このエントランスは自転車が通り抜けられますが、そのことで工事は大幅に遅れたという事は映画「みんなのアムステルダム国立美術館へ」を見れば明快です。自転車対策で5年ほど工事が遅れたそうです。
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中に入ると非常に開放的で明るい空間が広がります。2004年より大規模な改修が行われ、本館が10年にわたって閉鎖されていましたが2013年4月にリニュアルオープンしたそうです。
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入館してすぐにレンブラントの作品のある「夜警の部屋」へ向かいます。
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国は違っても同じことを考える人はいるようで、気のせいか自分も含めて同じような年恰好だったような気がします。
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さすがに夜警の左右には美術館の係員が立っていました。いつか観たいと思っていた作品を目の前にしてしばらく呆然と眺めていました。
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「夜警」
レンブラント・ファン・レイン
正式名称は「フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ラウテンブルフ副隊長の市民隊」という名前です。集団肖像画ですので個人名が付いているのも頷けます。 -
イチオシ
黒い衣装の男性がフランス・バニング・コック隊長で黄色の衣装がウィレム・ファン・ラウテンブルグ副隊長です。そして多くの隊員たちが居並びます。みんな同じような金額を支払ったのに顔の大きさがまちまちなので、後でもめたという話を聞いたことがあります。レンブラントは市民隊の隊長バニング・コックと隊員17名の計18名により制作を受注し、各人が100ギルダーづつ計1,600ギルダーがレンブラントに払われたそうです。
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市民隊(火縄銃手組合による市民自警団)が出動する瞬間を画題としています。隊長の左手が彼の雄弁さを表しているように思えます。
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黄色いドレスの少女は隊のマスコット的な存在でしたが、彼女の帯にぶら下がった鶏の爪は火縄銃手の象徴です。また死んだ鶏は打ち倒された敵の象徴でもあり、黄色は勝利の色でもあります。
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イチオシ
開館直後なので夜警以外の作品の前はガラガラです。
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夜警の右隣にあるこの作品が一番大きなものでした。
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この衣装を見て思い出すのはグルジアの民族衣装です。現在でもグルジアのナショナル・バレーで男性が着ていますが、胸の所に同じような筒状のデザインが施されています。それはデザインとしてだけでは無く1包づつ銃の火薬が入っています。
この男性の胸に下がった筒状のものも同じことだと分かります。 -
リボンの騎士ってここから発想されているのではないだろうかと本気で思っています。
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ひとりひとりの衣装を見ていても飽きがこないです。
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この男性の胸から下げられた筒は円錐形になっているので更に火薬の補給がしやすそうです。
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誰かの息子なのかレンブラントの夜警のような自警団のマスコット的な少年なのか…。いぜれにせよこの子の分も誰かがお金を払っているのでしょう。
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「アルバート・ベース隊長と自警団の肖像」
ホーファールト・フリンク
アルバート・ベース隊長とルーカス・キャンベルと民兵組織のメンバーの肖像画です。 -
ベース隊長とキャンベルはステッキを持って下の段に座っています。
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ホーファールト・フリンクはレンブラントの工房で働き、初期の絵画はレンブラントの作品として販売されました。彼は肖像画や歴史画が得意で人々を優雅に描くことで人気があったそうです。
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シルクサテンの光沢が素晴らしいです。みなさん一番良い衣装で描いてもらったのでしょうね。
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「レーニエ・レアル隊長指揮下のXI地区の市民隊」
フランス・ハルス/ピーテル・コッデ -
市民の自警団の肖像のための権利はアムステルダム市外の画家にはめったに与えられませんでした。例外的にハーレムのフランス・ハルスはこの集団肖像を描くよう頼まれました。しかしそれでも問題が発生してアムステルダムの画家ピーテル・コッデに右側を描かせなければなりませんでした。フランス・ハルスの作風は滑らかさと美しさで知られていたのでコッデはハルスの作風を模倣して描いたそうです。
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こちら側がコッデが描いた部分のようです。
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隊員たちの意志の強さを描かれた手が雄弁に語っています。これはカラヴァッジオの得意とした手法でもあります。
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「夜警の部屋」に続く「名誉の間」を望みます。左右に名だたる名画が展示されています。ボールド天上の上部には円形の明り取りの窓が設けられて自然光が差し込むようになっています。
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「アムステルダムの織物商組合の見本調査官たち」
レンブラント・ファン・レイン
晩年に描いた集団肖像画の傑作で、アムステルダム市長によって選出された織物商組合の見本調査官たちの集団肖像画です。晩年になってもレンブラントが高く評価されて名声を失っていなかったことを示す重要な作品です。 -
5人の帽子を被った見本調査官たちと帽子を被らない秘書がひとり描かれています。
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「ユダヤの花嫁(イサクとリベカ)」
旧約聖書に登場するイスラエルの民の祖先アブラハムの息子イサクと、下僕エリエゼルによって連れてこられた妻リベカが愛し合い抱擁する場面です。 -
レンブラントの息子であるティトゥスとその妻マクダレナ・ファン・ローがモデルであるとの説もあるそうです。
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「バタビア人の陰謀」
レンブラント・ファン・レイン -
1659年にアムステルダム市当局は新市庁舎完成を記念して、8面の壁を西暦69年ローマ帝国に抵抗したバタビア人を題材にした絵画で飾るべくレンブラントに製作を依頼します。これはオランダ初期の歴史で独立と国の誇りを示すものとして知られていた題材だからです。ところが完成された最初の油絵を見た当局者はその出来栄えに受け取りを拒否し、残り7枚の製作に至っては契約破棄してしまいました。
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イチオシ
「カプチン派修道士に扮するティトゥス」
レンブラント・ファン・レイン
最初の妻サスキアと8年間の結婚生活の中で生まれた子供は4人いましたが、最初の3人は生後2カ月以上生きることができませんでした。最後生まれたティトゥスだけが元気に育つことができ「勉強するティトゥス」「読書をするティトゥス」など、レンブラントは何度か息子をモデルに使っています。 -
「聖パウロに扮した自画像」
レンブラント・ファン・レイン -
イチオシ
レンブラントが破産して家族や弟子と共に豪邸から半分ほどの広さの借家に引越した頃に描かれた作品です。キリスト教弾圧のためにダマスクスへ向かう道中、突然に主イエスの声を聞いて熱心なキリスト教徒へと改宗した聖パウロの姿で自画像を描いています。
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オランダもベルギーもクロークやコインロッカーが充実しているので身軽に鑑賞できるのが良かったです。
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「威嚇する白鳥」
ヤン・アセリン
白鳥が今にも噛み付きそうなダイナミックな構図です。この絵は美術館の前身であるクンストギャラリーが購入し、その際に政治的な寓話がこの絵に付け加えられたようです。白鳥は当時のオランダの政治家ヨハン・デ・ウィットを表し、敵からオランダを守る象徴として描かれました。 -
昔スイスを旅していた時に同行していた友人が体調不良でルツェルンに数日滞在したことがあります。その友人が湖岸にいた白鳥に餌をあげようとしたら急に立ち上がって近づいてきました。背伸びするとほとんど人間の大人と同じ身長になるので怖かった記憶があります。
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「果物と花のある静物」
ヤン・ダヴィス・デ・へーム -
瑞々しいザクロの1粒や小さい昆虫までもが克明に描かれています。
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「穏やかな海のオダンダ船」
ウィーレム・ヴァン・デ・ヴェルデ -
穏やかな海で数隻の軍艦が帆は上げて錨を揚げようとしています。 小さな戦隊はすでに出発しようと準備しています。
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トランペットと敬礼の発砲を後にスループ帆船は出航していきます。1778年にこの絵は販売カタログに掲載されていたそうです。作者のウィーレム・ヴァン・デ・ヴェルデは船専門の画家です。
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1つのコーナーだけ人垣が出来ていると思ったらフェルメールの作品が展示してありました。
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「牛乳を注ぐ女」
ヨハネス・フェルメール -
画面右下の箱状のものは足温器のようです。フェルメールの作品には女性像が多いですが、働く女中をひとりだけで表したものはこれだけです。
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デルフトの眺望と真珠の耳飾の少女とともに、フェルメールのもっとも著名な作品の1つで、壁面の質感や籠に入ったパンや陶器などの質感の描写が素晴らしいです。
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「ラブレター」
ヨハネス・フェルメール
手紙を受け取って当惑顔の若い女性と、訳知り顔の女中が描かれています。どんな物語があるのかは離れた絵の外から眺めている物が考えるという事でしょう。眺めているうちにこの屋敷の隣の部屋にいるような気分になってきます。 -
17世紀の時代では海は愛を表し船は恋人を表したそうです。壁面の絵画からそのようなことが読み取れます。
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「小路」
ヨハネス・フェルメール
フェルメールの2点しか現存しない風景画のうちの1つです。もう1点は有名な「デルフトの眺望」です。この作品はデルフト市内のどこで描かれたかについては諸説ありますが、特定の場所を描いたものではないという説が有力のようです。 -
デルフトの町を歩いていたらこんな風景はいくらでも見つかりそうな気がします。さすがに民族衣装を着た人はいないでしょうが。自分が旅してきた場所の絵を観ると今までとは違って見えるのが不思議です。
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大きなホールですが小さなブースに分かれているので落ち着いて鑑賞できます。
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夜警の部屋はかなりの混雑になっています。早めに見学して脱出したのが正解でした。名誉の間はまだまだ空いています。
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イチオシ
「自画像」
ヤン・ステーン
彼は静物画、肖像画、歴史画、宗教画など様々なジャンルの作品を800ほど制作しましたが、特に有名なのは農民を描いた風俗画です。酔っ払った人々の乱痴気騒ぎや結婚式、ピクニックや意地悪をされて泣く子供の姿などをユーモラスに描いています。また教訓的な寓話やことわざを題材にしたことも多いのは兼業で居酒屋を経営しており、そこで人々を観察していたと思われます。 -
「聖ニコラウスの祝日」
ヤン・ステーン
17世紀オランダ絵画黄金期を代表する風俗画家ヤン・ステーンの最も著名な作品の1つ「聖ニコラウスの祝日」です。本作に描かれるのは子供の守護聖人でありサンタクロースの原型とされるバーリの(又はトルコのミュラ)聖ニコラウスが、子供達へ贈り物を届けた翌日の朝の場面です。クリスマスの場面でストーリー性とその演出を巧みに合わせ人々の日常の喜怒哀楽を表現する才能を感じます。描かれる子供らは人形など聖ニコラウスの贈り物を手に喜びの表情を浮かべていますが、左端の男児だけは望まない贈り物(白樺の枝)を贈られたことに泣き出しています。このようなユーモアを感じさせる教訓的な場面表現はピーテル・ブリューゲルに通ずる伝統的な表現で、ヤン・ステーンはそれにおける同時代の第一人者でした。 -
「オウムに餌をやる女」
ヤン・ステーン
キリスト教的文脈においてオウムは受胎告知における大天使ガブリエルのマリアへの受胎告知と関連付けられ、マリアの処女性や無原罪性、神の御言葉の象徴など複数の意味を持ちます。 -
「猫にダンスを教える子供」
ヤン・ステーン
ホアン・ミロは1928年に初めてオランダを訪問してフェルメールやヤン・ステーンの絵画に大変感銘を受けます。「オランダの部屋 I」という絵は「猫にダンスを教える子供」からインスピレーションを得たそうです。子供たちは猫にショームという管楽器の音楽に合わせて踊ることを教えていますがいう事を聞くわけがありません。嫌がる猫は声を上げて犬が周りで吠えています。 -
「パン屋のアレント・オストワードと彼の妻カタリーナ・ケイザーワード」
ヤン・ステーン
パン屋の夫婦は焼きたての商品を誇りをもって見せています。 脇では彼らの息子が両親を見上げています。 -
屋根の上にはぶどう棚がありますが、葡萄の蔓は夫婦間の強い愛の絆を意味するアトリビュートです。
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「チーズのある静物」
フロリス・ファン・ダイク
高価なダマスク織りのクロスで覆われたテーブルの上に置かれた食器や地図のあり静物画です -
テーブルの端に置かれたピューターのプレートは手に取れそうです。
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この大きさの鉢にフルーツは盛り過ぎですが、とても綺麗な吉祥紋で覆われた青華鉢です。中国からインドシナ半島を越えてインド洋から喜望峰を越えてオランダに届いたものだと思うと感慨深いものがあります。似たような陶器がベトナムのホイアン沖で沈没船からよく見つかります。
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こちらの白交趾のような陶器は模様を見ると西洋で造られたもののようです。フロリス・ファン・ダイクは静物画家の地位を確立した人でもあります。
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「陽気な酒飲み」
フランス・ハルス
17世紀に活躍した画家フランス・ハルスが1618年頃から1630年頃までおこなった様々な人々の豊かな表情を描写した代表的な作例のひとつです。 -
イチオシ
他の風俗的肖像画と同様にモデルは不明ですが、機嫌よく酒を飲む男の単身像はフランス・ハルスの最も特徴的な表現手法で軽くリズム感に溢れる筆跡で描かれています。酔っぱらった眼差しは会話するかのように見え、眺めていると画中に引き込まれそうになります。
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「庭園の夫婦(イサーク・アブラハムス・マッサとベアトリクス・ファン・デル・ラーンの結婚肖像)」
フランス・ハルス -
結婚したばかりの新婦の愛らしさが伝わってきます。我が家も結婚したての時、死亡保険金の受取人名義を両親から妻に変えたときに同じような満面の笑顔を見せてくれたことを思い出しました。「あたしって宝くじに当たったの?」って意味が違うでしょう。
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名誉の間を見学し終わりました。だんだん後ろから人が迫ってくるような感じがしてきます。
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ようやく角までたどり着きました。ここには作品は陳列されていませんが、建物自体のフレスコ画が美しく描かれています。
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ロの字状に手に質が続いているので1フロアの半分弱を見学したことになります。これだけで1時間弱かかっているので全部見学するのに何時間かかるのか…。
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「火鉢の上で手を温める若い女性(冬のアレゴリー)」
アラート・ファン・エフェルディンヘン
冬のアレゴリーは通常収穫も無く年も終わるので老人や貧しい者で表現されますが、この絵では若い女性として描かれています。 -
「つばの広い帽子を被る女性」
アラート・ファン・エフェルディンヘン
彼女のエキゾチックな日除け帽と挑発的にむき出しの肩は、エロチックなメッセージも含んでいるようです。 -
この絵を見て田村一村の絵を思い出しました。この絵は当時の植民地だったインドネシアの風景でしょうか。
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京都で造られた漆塗りのチェストは源氏物語の蒔絵が描かれています。
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そして東インド会社の手によってオランダへもたらされています。1635年から1645年に製作されたとありました。ちょうど母の実家の京都の家が建てられた頃だと思うと感慨深いものがありました。
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明時代末期の中国の青華磁器です。キャプションによると1613年にセント・ヘレナ島沖でポルトガルの帆船と戦った時に船に乗っていた螺鈿やスパイスや貴石と一緒に積み込まれていたものです。
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中国的な絵柄ですが草花の絵はチューリップのようにも見えます。注文して描かせた図柄でしょうか。
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「プリンス・ウィレム号の帆船模型」
この船は東インド会社によって通算5回バタビア(現在のジャカルタ)まで航海しています。 -
1651年の建造年も残されています。
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VOC(東インド会社)のマークの入ったネプチューンの紋章とオランダを表す2頭のライオンのバタビアの紋章です。
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「女預言者ハンナの預言書を読む年老いた女」
レンブラント・ファン・レイン
ハンナはルカによる福音書の中の女予言者です。この絵には感動しました。 -
イチオシ
この絵の何が凄いと言って老婆の右手の皺の質感は尋常ではありません。そこに切り取った皮が貼ってあるように見えます。
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「石橋のある風景」
レンブラント・ファン・レイン -
レンブラントは風景画を油彩では17点しか遺していません。肖像画では人物に光を当てる事によりその人をクローズアップする効果がありますが、この絵では、中央の2本の樹に光を当て、他の部分は影にして手前の船に乗っている人物は影に飲み込まれています。この絵では人物よりも風景に重きを置いたのでしょう。
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「自画像」
レンブラント・ファン・レイン -
イチオシ
アルテ・ピナコテークにも同じ頃に描かれた肖像画が収蔵されています。歳を取った後の肖像画と見比べるとレンブラントの人生が垣間見られたような気がしました。
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「トビトとアンナ 」
レンブラント・ファン・レイン
画家として独立した頃に描かれた初期作品です。旧約聖書外典の題材で裕福で信仰の厚かったトビトの目に燕の糞が入り盲目になる話です。 -
財産も失ったことで猜疑心が生まれ、仕事から帰宅した妻アンナが手間賃がわりに受け取った山羊の子を盗んだのではないかと疑いをかけます。妻アンナがそれを否定し、盲目になってから独善的で猜疑心に苛まれると咎めます。そしてトビトが祈りを捧げ悔悛する姿を描いています。
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イチオシ
「結婚当時のウィレム2世とメアリー・ヘンリエッタ・ステュアート」
アンソニー・ヴァン・ダイク -
ウィレム2世はオランダ総督オラニエ公です。オラニエ公フレデリック・ヘンドリックとアマーリエ・フォン・ゾルムス=ブラウンフェルスの息子で、イングランド王ウィリアム3世となったウィレム3世の父です。14歳の時にイングランド王チャールズ1世の長女メアリー・ヘンリエッタと結婚し、父フレデリック・ヘンドリックの死後に20歳でオラニエ公位と総督職を継承します。ヴェストファーレン条約の成立により八十年戦争を終結させますが、24歳で天然痘で急死します。この絵はメアリー・ヘンリエッタと結婚した当時の作品です。
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「石弓射手のギルドの晩餐会」
バーソロミュー・ファン・デル・ヘルスト -
1648年6月18日にアムステルダム石弓の射手のギルドで晩餐会は行われます。スペインとの戦いの終結であるヴェストファーレン条約の調印を記念しての晩餐です。
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市民自警団の隊長は平和の印として握手し、酒の入った銀のリュトンがまわされます。
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アムステルダムの武装した民兵は戦争の終結を喜んでいます。
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「オランジェ=ナッソー家の紋章のチュニック」
オランジェ=ナッソー家のフレデリック・ヘンドリック皇太子の紋章は正面と背中と袖に刺繍されています。 -
このチュニックは1647年5月10日にデルフトでの彼の国葬のために作られました。
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「メアリー・ヘンリエッタ・ステュアート」
バーソロミュー・ファン・デル・ヘルスト
メアリー・ヘンリエッタ・ステュアートは、オラニエ家ウィレム2世(オランダ総督)の妻の肖像です。ヴァン・ダイクの描いた夫婦の肖像画からは変ってしまっています。手に持ったオレンジの果実はオラニエ(オランダ)を意味しています。 -
「ヨハネス・ウーテンボハールトの肖像」
レンブラント・ファン・レイン -
「マリア・トリップの肖像」
レンブラント・ファン・レイン -
この若い女性は裕福なアムステルダム商の娘のマリア・トリップであるとされます。彼女はその姿で富を象徴しています。彼女のドレスはそれがほとんど透明であるほどの上質な白いリネンで飾りつけられます。
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宝石とドロップ型の真珠の付いたブローチ。そしてドレスには刺繍のリボンまで付いています。
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左手に真珠のブレスレットとハンドルの付いた扇子を持っています。1639年当時これらはまだ珍しくて高価なアクセサリーでした。
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「ミュージカルの寓意」
レンブラント・ファン・レイン -
誘惑の場面としてのイメージ以外は歌と音楽制作で神を賛美する場面と言えます。
若い女性の派手な衣類と赤い靴はミスマッチで、老婆は疑い深く売春を斡旋する女のようにも見えます。これらを合せるとこの絵は不道徳に対しての警告という事が読み取れます。 -
また妻と2人だけの絵画鑑賞になってしまいました。大きなホール以外は人気が無いのでしょうか。
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「岩の多い海岸沖の難破」
アダム ・ ウォーカー -
海へ乗出した船乗りはまさに命がけでした。当時の木製の船は小さくてもろく、そして危険性は測り難い深みに住んでいる生きものの恐怖で誇張されていきます。ウォーカーはあらゆる水夫の最悪の悪夢のイメージを作りあげました。
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1艘の船は岩礁に乗り上げ沈没寸前で、1艘の船も大きく傾いてしまっています。船を離れた救命ボートの船乗りも巨大な魚に狙われています。
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「スケートをする人々のいる冬景色」
ヘンドリック・アーフェルカンプ -
17世紀オランダの最初の風景画家の1人であるアーフェルカンプは冬のオランダの風景画を得意としました。アーフェルカンプの絵は色彩豊かで活気があり、風景の中の人々が注意深く巧みに描写されているのが特徴です。
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アーフェルカンプの作品は非常に人気があったため彼は自分の作品を手広く販売していました。それらの多くは収集家のアルバムに貼り付けるために水彩で色づけして完成品としています。イギリスのエリザベス女王はウィンザー宮殿に彼の作品の素晴らしいコレクションを所有しているそうです。
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子供たちの社会科見学はオランダでもベルギーでもよく見掛けました。車椅子を押す女の子がこの後手前のチェストにぶつけてしまいます。
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上に飾られた絵画より下の彫刻に目が行ってしまいます。
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「蜂が顔にとまって泣き叫ぶ子供」
ヘンドリック・デ・カイザー
可愛らしさが全くありません。ほとんど日野日出志の恐怖漫画の世界です。 -
「ミッデルベルグからの出航」
アドリアーン・ピエテス・ファン・デ・ヴェーネ -
軍艦ゼーホンド号はミッデルベルグの港から運河を引かれています。船と共に歩む人々が誰であるかは分かっていません。しかしモーリスのヨットが存在するということは最高行政官に近い誰かであったに違いありません
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ヨットからは祝砲を放たれています。
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埋め立ていよって造られた高台の運河はオランダ人の努力の賜物でしょう。司馬遼太郎が「まことに世界は神がつくり給うたが、オランダだけはオランダ人がつくったということが、よくわかる」と街道をゆくで語ったことが理解できる絵です。
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「ヒューゴ・デ・グルートの肖像」
ヤン・ファン・ラヴァステイン -
1991年頃人気のあったピーウィー・ハーマンを思い出しました。
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「魂の漁」
アドリアン・ピーテル・ファン・デ・ヴェーネ -
スペインとオランダ共和国との間に12年間の休戦中の異なる宗教の嫉妬のアレゴリーです。
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左には北のオランダ人のプロテスタント、そして右は南部に住むカトリックの人々で、彼らを隔てている広い川で魂の救済を行っています。プロテスタントの網はカトリックの網より大きいです。そして左側で太陽は輝き、木々は葉をつけています。これは聖歌へ習うものです。「高潔な人の行いは木々に実る果実のように無くなることはない。」
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カトリックの信者は金銀財宝を手放さず、司教たち聖職者も網で引き揚げています。彼らのボートは沈みそうなほど傾いています。
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プロテスタントの人々は衣服さえも気に留めず救いを求めています。プロテスタントは現在のオランダで、カトリックは後に独立するベルギーの事です。
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「カロの勝利の戦車」
ピーテル・パウル・ルーベンス -
一目でルーベンスの作品の下絵と分かります。オランダ人の最高行政官フレデリック・ヘンリーは、1638年にアントワープ市を占領しようとしました。この試みは惨めに失敗します。南オランダを統治していたスペイン人はカッロの村の近くで彼の軍隊を虐殺します。フランドルの画家ルーベンスによるこの大きな油彩スケッチは、勝利の二輪戦車のための下絵でした。
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2枚の絵画の下に置かれたグレ-ハウンド犬は当時の富裕層の間で人気のある家ペットだったそうです。犬の首輪はアントワープの摂政のルース家の紋章で、おそらくこの犬はペテル・ルースという南オランダで最も強力な政治家に変われていたようです。
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「グロテスク・アニマル」
今回同じ作品を2回観ました。1度目はロッテルダムの「ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館」でした。カタツムリの胴体にダチョウの脚に老人の頭のこのブロンズはオイルランプとして使えたそうです。 -
「トリトンの形をした水差し」
ヨハネス・レンカー -
「ノーチラス・カップ」
ヨアヒム・ヒラー
このオウムガイの貝殻はダチョウの体を表すのに上手く用いられました。 古代からこの鳥は美徳の象徴でした。 -
「ヨハン・ヌードルファーの胸像」
グレゴール・ヨハン・ヴァンデル・シャルド
この時代にこのようなリアルな彫刻を制作していたことを初めて知りました。 -
「セルフポートレート」
グレゴール・ヨハン・ヴァンデル・シャルド -
「ラトナとリュキアの農民との遭遇」
ヤン・ブリューゲル(I)
ラトナは現在のトルコ南部にあたる小アジアのリュキアに到着します。くたくたで喉もからからの彼女がその地に足を止めるとそこに池があり、その周りで農民達が水草を採っているのを発見します。澄み切った水面に顔を傾けると農民達がそれをはばみ水を飲ませません。驚いたラトナは農民達をなだめますが受け入れられません。 -
ラトナの哀願にも耳を貸さず農民達は拒み続けます。そしてラトナに水を飲ませまいと農民達は沼に飛び込み、水の底で足踏みをし腕で水をかき混ぜます。
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逆上したラトナ叫びます。「いつまでも池の淵で生きるがよい。」 やがて彼女の願い通り農民たちはカエルに変化していきます。2人の子供はアポロンとディアナです。ヴェルサイユ宮殿の庭園の中心である「ラトナの噴水」も同じ物語を表しています。
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アントワープ
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初夏のオランダ旅行(1)2週間のベルギーの旅を終えてアントワープからロッテルダムへ向かい、オランダの旅を始め...
2015/06/01~
ロッテルダム
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初夏のオランダ旅行(2)ロッテルダムから船を乗り継いだキンデルダイクで、巨大な風車の回転にドン・キホーテに共...
2015/06/01~
ロッテルダム
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初夏のオランダ旅行(4)デルフトからロッテルダムへ戻り、ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館でフランドル絵...
2015/06/02~
ロッテルダム
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初夏のオランダ旅行(3)デルフトの市内観光は旧教会とプリンセンホフ博物館と新教会から始め、オランジェ公ウィレ...
2015/06/02~
デルフト
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初夏のオランダ旅行(5)デルフトの夜はプリンセンケルダーでオランダ料理を堪能し、美しい夜景の中を散歩する。
2015/06/02~
デルフト
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初夏のオランダ旅行(6)デン・ハーグのマウリッツハイス美術館の開館と同時に入館しフェルメールの部屋で「真珠の...
2015/06/03~
ハーグ (デン・ハーグ)
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初夏のオランダ旅行(7)デン・ハーグの町歩きを楽しみ、パノラマ・メスダグで初めてメスタグの作品に触れて北海の...
2015/06/03~
ハーグ (デン・ハーグ)
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初夏のオランダ旅行(8)デン・ハーグ最後はエッシャー美術館で妻の希望を叶え、改めてトロンプ・ルイユの世界に引...
2015/06/03~
ハーグ (デン・ハーグ)
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初夏のオランダ旅行(9)デルフトからスヘフェニンゲンへ移り、美しいクアハウスに滞在して海岸の夕陽を眺めながら...
2015/06/03~
ハーグ (デン・ハーグ)
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初夏のオランダ旅行(10)スヘフェニンゲンの早朝散歩で海の彫刻美術館の屋外彫刻の面白さを堪能し、美しい海岸を...
2015/06/04~
ハーグ (デン・ハーグ)
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初夏のオランダ旅行(11)旅の最終地アムステルダムはディ ポート・ファン・クレーフ ホテルに宿泊し、レンブラ...
2015/06/04~
アムステルダム
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初夏のオランダ旅行(12)アムステルダム 屋根裏部屋の教会と街歩き、大人の社会科見学で「飾り窓」の夜を満喫す...
2015/06/04~
アムステルダム
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初夏のオランダ旅行(13)アムステルダムの最大の目的である国立美術館でレンブラントの「夜警」に感動し、オラン...
2015/06/05~
アムステルダム
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初夏のオランダ旅行(14)アムステルダム 国立美術館の後半はオランダの歴史から近代絵画までの流れを知り、ゴッ...
2015/06/05~
アムステルダム
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初夏のオランダ旅行(15)美しいアールヌーヴォーのカフェ・アメリカンでランチを楽しみ、市立美術館でマティスを...
2015/06/05~
アムステルダム
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初夏のオランダ旅行(16)3週間の旅の終わりはアムステルダムの運河をディナークルーズで楽しみ、駅前のトラム乗...
2015/06/05~
アムステルダム
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旅行記グループ 2015 ベルギー・オランダの旅(2)
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