2015/06/05 - 2015/06/05
757位(同エリア2929件中)
kojikojiさん
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- 旅行記1553冊
- クチコミ1158件
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- 2,931,124アクセス
- フォロワー158人
オランダの黄金時代の絵画を堪能した後も見学しなければならないエリアは広大です。結果は東洋美術エリアを諦めても4時間の見学時間が必要でした。全部観たら1日まるまるかかったでしょうね。後半もオランダ王家についての展示品やオランダの植民地関係の品々、長崎の出島の模型までありました。そして近代になってのゴッホの作品など幅広く広がっていきます。3時間を過ぎた頃からこの美術館に呑み込まれてしまうのではないかと思えてきました。そしてオランダのエリアが終わった後はイタリア絵画が始まり、芸術の渦に巻き込まれ思考回路が止まってしまいました。今回の旅では美術館を廻り過ぎました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- エミレーツ航空
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フランソワ・スピアリンク工房のタペストリーです。フランスのロワール渓谷の古城巡りでも素晴らしいタペストリーを見ることが出来ましたが、ベルギーもタペストリーで有名です。スピアリンクはアントワープ市長の息子でしたが、デルフトに定住した多くのアントワープのカーペットディーラーや織り手の1人でした。彼は有名なタペストリー工房を設立しています。
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「ケパラスとプロクリス」
アテナイに住む眉目秀麗の若者と知れたケパロスは絶世の美女と誉れ高いプロクリスと結婚して幸せに暮らしていました。新婚の2月目のある日そのケパロスの美しさにひかれた暁の女神エーオスは狩りをしていたケパロスを誘拐してしまいます。 -
しかしケパロスはどんなにエーオスが美しくても引き裂かれた妻プロクリスを愛していました。ケパロスが愛しい妻を想って嘆き続けていたので、とうとうエーオスも癇癪をおこし「そんなにプロクリスがいいなら彼女の元へ帰ればいい。しかしきっと後悔することになるだろう。」と言いケパロスを開放しました。
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愛する妻の元へやっと帰れると喜んだケパロスでしたが、しかしエーオスの言葉が気がかりになります。自分が不在にしている間にプロクリスが誰か別の男と不貞を働いているのではないかという思いが生まれます。エーオスの力を借りて別人の姿になったケパロスは彼女を口説きますが、貞節なプロクリスは行方知れずとなった夫の身を案じておりこれを退けました。
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普通の男でしたら妻の潔白を信じ、自分が夫だと名乗り出たことでしょう。しかしケパロスは満足せず、彼女にたくさんの贈り物をしてプロクリスを誘惑し続けたのです。あまりの熱心さにとうとうプロクリスの心が動きます。するとケパロスは怒りが込み上げ自分の正体を明かします。ラーマヤーナ物語に通じる所はありますが随分自分勝手な物語です。
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「テーブル・オーナメント」
ウェンツェル・ヤムニッツァー
銀器やガラスや陶器などの調度品も膨大な数が展示されています。 -
「アドニスの死」
ヘンドリック ・ ホルツィウス
アドニスはギリシア神話に登場する美と愛の女神アプロディーテに愛された美少年です。アドニスが少年に成長しアプロディーテが迎えにやって来ます。しかし、ペルセポネーはアドニスを渡したくありません。2人の女神は争いになり、ついに天界の裁判所に審判を委ねることになります。 -
イチオシ
その結果1年の3分の1はアドニスはアプロディーテと過ごし、3分の1はペルセポネーと過ごし、残りの3分の1はアドニス自身の自由にさせるということとなります。 しかしアドニスは自分の自由になる期間も、アプロディーテと共に過ごすことを望んだためペルセポネー面白くありません。
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ペルセポネーはアプロディーテの恋人である軍神アレスに、「あなたの恋人は、あなたを差し置いて人間に夢中になっている。」と告げ口をします。これに腹を立てたアレスはアドニスが狩りをしている最中に猪に化けて彼を殺してしまいます。アプロディーテはアドニスの死を大変に悲しみます。やがてアドニスの流した血から、アネモネの花が咲いたといいいます。
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「ヘラクレイトスとデモクリトス」
ヘンドリック ・ ホルツィウス
ヘラクレイトスという人は「ロゴス」を説いたことで知られています。この世界は絶え間ない変化を続けながら存在しており、その変化は万物の対立によって成り立っている。対してデモクリトスは「アトム(原子)」という概念で世界の成り立ちを説明しようとしたことで知られています。この世界にはまず「空虚」が存在し、その中を物質の最小単位たる「アトム」が動き回っている。「アトム」そのものは何の性質もなく永遠不滅の存在であると。その対峙する2人の肖像です。 -
「人間の堕落」
コルネリス・ファン・ハールレム
アダムとイブは旧約聖書の「創世記」に記された、神が創造した最初の人類の男女です。天地創造では神は6日間をかけて世界のすべてを創造したと記されています。まずはじめに「光あれ」と言い、光と闇を分け、空と海、草と木、太陽と月、鳥や獣を創造しました。主なる神は土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、そのあばら骨からイブを造ります。 -
神はアダムとイブを楽園に住まわせ、そこをたがやして守るようにいいます。そして園の木から木の実を取って食べてよいが、善悪の知識の木の実だけは食べてはならないと伝えました。リンゴを差し伸べる可愛らしい少年のような姿をしていますが、下半身は蛇であることが分かります。
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アダムとイブは木の実を食べたことにより、善悪がわかるようになり、自分たちが悪を犯してしまったことを知りました。猿と猫が抱き合って事の成り行きを見守っています。
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「ディルク・ヤコプスゾーン・ローゼンクランス隊長とパウ副官の分隊」
コルネリス・ケテル -
正装してポーズを決めていますが、足元には犬がじゃれています。もしかすると彼の愛犬なのかもしれません。
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「アムステルダム海軍本部の大砲」
この大砲は18ポンドの重さの鉄製の砲弾を撃つことが出来ました。正面か砲弾や火薬などの詰め物を装填しました。400キロの大砲の反動を吸収するために、可動式の車両を取り付けました。大砲を操作するには8人の兵士が必要でした。 -
「安置されるオラニエ公ウィレム1世」(テラコッタ)
ヘンドリック・デ・カイザー
これを見た瞬間驚きました。デルフトの新教会に安置された霊廟の大理石の彫刻とそっくりだったからです。それもそのはずテラコッタで造られた模型だったのですから。 -
イチオシ
足元には彼の愛犬が横たわっています。ウィレム1世はデルフトの彼の居館プリンセンホフで、フェリペ2世を信奉するフランス人のカトリック教徒バルタザール・ジェラールによって暗殺されます。昼食を取るために2階の書斎から下りようとしたところを突然現れたバルタザールから3発の銃弾を浴びせられ命を落とします。主人の死を知った愛犬は二度と食べ物を口にしなかったそうです。
デルフトの新教会:http://4travel.jp/travelogue/11025495 -
「ブリュッセルのカール5世の退位に関する寓話」
フランス・フランケン?
カール5世は中央の王座に座りあがめられています。 1556年に長年の痛風と統治と戦争に疲れたカール5世はついに退位を決意します。 -
ブリュッセルでの退位式では「余はドイツへ9回、スペインへ6回、イタリアへ7回、フランドルへ10回、フランスへ4回、イギリス、アフリカへ2回づつ、合計40回におよぶ旅をした。(略)これまで余は、経験不足や、あまりのむこうみずさなどによって、多くの過ちを犯してきた。しかし、けっして誰かを傷つけようという意図はもっていなかった。もし万一そんなことがあったとすれば、ここに許しを請いたい」と言って涙で演説がとぎれたそうです。
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息子フィリップがスペインとオランダを相続し、弟のフェルディナンドに神聖ローマ帝国を与えました。 3つの旗はその王国を表しているのでしょう。
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ネプチューンは海上におけるカール5世の力を象徴しています。
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「オラニエ公ウィレム1世の肖像」
アドリアン・トマシュー -
スペインのフィリップ2世の支配に反抗した貴族のうち、オラニエ公だったウィリアムは反乱のリーダーとなります。フィリップ2世はウィレムに懸賞金を掛けます。デルフトのプリンセンホフ博物館にも同じ様な肖像画が展示されています。
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「デルフトの新教会のウェレム1世の墓の脇に立つ家族」
ディルク・ファン・デーレン -
ほとんど数日前に見てきたデルフトのウィレム1世のお墓そのままです。描かれたのは1621年ですからその後も変わっていないのだと思います。テラコッタの像がこの美術館に置かれていましたが大理石の像も置かれてあります。
「Father of the Fatherland」祖国の父っていい言葉だなと思いました。 -
建国の父ウィレム1世の墓の前で正装して記念の肖像を描いてもらっている両親と2人の息子たち。カメラの無い時代でも考えることは一緒ですね。
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「ジブラルタル海峡の戦いで爆発するスペイン艦隊の旗艦」
ヘンドリック・コルネリウス・フルーム
ジブラルタルの海戦は八十年戦争におけるネーデルラント連邦共和国とスペインの戦いです。 -
イチオシ
オランダ海軍の艦隊がジブラルタルに碇泊中のスペイン艦隊を奇襲攻撃し4時間でスペイン艦隊は壊滅状態に陥ります。オランダ海軍の司令官ヘームスケルクは奇襲を行うにあたってジブラルタルの湾をいくつかの船を使って封鎖し、艦隊を2分してスペイン海軍を挟撃します。スペイン海軍は火薬庫の爆発などによって全ての艦が戦闘能力を喪失し、オランダ海軍はヘームスケルクを失ったものの圧倒的な勝利を得ます。
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奇襲を受けて沈みゆく軍艦から逃げる兵士たち。ある者は神に祈りある者は仲間を助けています。下半身も露わに海に落ちる者もいます。
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物凄い火炎をあげて沈みゆく旗艦の船尾にはカトリックの守護聖人らしき彫像と天使をいただく旗がなびいています。この戦いはカトリックとプロテスタントの戦いでもあるので、プロテスタントの勝利も込められているのでしょう。
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そして最大の見どころは爆風で飛ばされた船乗りたちが空に舞っている姿です。実際の戦いでもこんな情景が見られたのでしょうか。ほとんど「パイレーツ・オブ・カリビアン」の世界です。
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「マウリッツ・ファン・ナッサウの肖像」
ミシェル・ヤン・ファン・ミーレフェルト
ウィレム1世の次男でフィリップス・ウィレムの弟でフレデリック・ヘンドリックの兄にあたります。父の死後スペインとの八十年戦争において中心的な役割を果たします。 -
1609年日本に進出したオランダ東インド会社は、マウリッツをオランダ「国王」とする書簡を駿府で前将軍の徳川家康に提出し、朱印状による交易を認められています。
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「ハールレメルメールにおけるオランダ艦隊とスペイン艦隊の戦い」
ヘンドリック・コルネリウス・ブルーム
現在はもっと内陸の町になっていますが、この頃はまだ灌漑が進んでいなかったので海に面しています。そのために町は砲撃を浴びているようです。 -
白地に赤い×印がスペインの無敵艦隊の旗です。そしてオレンジと白と青のトリコロールはオランダ海軍で、赤字に×××もオランダ海軍の旗です。旗印が分からないと意味が分かりにくいですね。アムステルダムの街中を歩いていても×××のマークはよく見かけます。
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多分本物の帆船の船尾飾りだと思います。
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「大型帆船模型」
ウィリアム・レックス
この模型は17世紀のオランダ海軍の軍艦で、実際の軍艦も建造された造船所で製作されました。模型でも全長410センチの大きさがありますが、実際の軍艦はこの12倍の大きさですから50メートル近い大きさだったという事です。この船には74の大砲を備え、ゼーランドの海軍本部の会議室に置かれていたそうです。 -
非常に精巧に制作されています。子供の頃帆船に憧れて大叔母に買ってもらったことがあります。池袋のパルコで50年近く前の事です。その後も自分で帆船模型を造ったこともあります。最後に造ったのはマルタ島で買ったルッツという帆走する漁船の模型でした。
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オランダを象徴するライオンが船首に飾られています。
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物凄い数の大砲が備えられているのが分かります。さすがに74門あるか確認はしませんでした。ここまでの船ではありませんが地中海沿岸を旅している中で帆船のクルーズがあると必ず乗船しています。マルタ島のキャプテン・モルガン社のシャルロット・ルイーズ号や北キプロスのギルネのネプチューン号は実際に帆走したので思い出に残っています。
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カイバース・ライブラリーは現在も実際に使われている図書館です。自然光が入ってとても美しい場所です。
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「世界の美しい図書館13選」に選ばれているほどの図書館です。そのいくつかは行った事がある場所でした。
世界の図書館13選:http://weburbanist.com/2011/08/22/bountiful-books-13-incredibly-intricate-historic-libraries/ -
「1672年のフランスの侵入に関する寓話」
ヨハネス・ファン・ウィッカースロット -
1672年にオランダはフランスの攻撃にあいます。 その災害は座った男が見る図面の中で寓話的に表しています。オランダの寓意のライオンの周りの柵は破られています。その上でフランスを表す雄鶏は誇らしげに鳴いています。
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「ペトロネラ・デュノアのドールハウス」
ヤコブ・アペル
この絵はドールハウスがもともと黄色のカーテンで保護されたことを示しています。それが閉鎖された場合はベッドのように見えました。この絵ではカーテンが開いてドアが開いています。オリジナルの人形はすべて失われています。 -
「ペトロネラ・デュノアのドールハウス」
ドールハウスのさまざまな調度品の大部分は1676年に完成されています。これはペトロネラ・デュノアの妹と一緒にアムステルダムに住んでいた裕福な孤児のために作られています。 -
左上には泥炭置き場の屋根裏部屋、リネン家事部屋、子供部屋、分娩室、応接室、地下室、キッチン、ダイニングルームが作られています。
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子供部屋には召使の乳母の姿も見えます。
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キッチンは調理器具や銀製の皿なども精巧に造られています。
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男たちは酒を飲みかわしているだけです。
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「ペトロネラ・オートマンの人形の家」
この人形の家は本物の材料でできています。縮尺は非常に正確に再現されています。 すばらしいキャビネット本体は鼈甲細工錫細工の象嵌で覆われ、フランスの家具職人によって作られました。職人は完成まで数年間アムステルダムで働きました。 持ち主のペトロネラはアムステルダムの商人ヨハネス・ブラントと結婚していました。 -
床の絨毯、壁面のベルベットや銘木を使った造作、天井の絵画まで精巧に本物の材料を使って作られています。そして壁に掛かった絵の枠や家具やカーテンの房飾りまで精巧に再現されています。
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超絶技巧の世界に引き込まれそうになります。
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「フラワーピラミッド」
10段の中国のパゴダのスタイルのデルフト陶器の高いチューリップホルダーです。
チューリップが飾られた姿を見てみたいものです。 -
デルフト陶器の素晴らしい作品が数多く展示されていました。
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いろいろな物が作られていると必ずこのような亜流は生まれるのですね。バイオリンはどんな音色だったのでしょう。
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「アスパラガスのある静物」
アドリアーン・コールテ -
イチオシ
デン・ハーグのマウリッツハイス美術館の「苺のある静物」も素晴らしかったですが、このアスパラガスも素晴らしかったです。旅していたのがちょうど白アスパラガスの季節だったのでベルギーでもオランダでも何度も美味しくいただきました。
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イチオシ
「病気の子供」
ガブリエル・メツー
1663年アムステルダム中で伝染病が荒れ狂いました。市民の10分の1が亡くなったほどです。灰色の背景に対して強烈な明るい色が印象的です。この場面はピエタを思い出させ、未婚の母の膝の上で彼女の息子が息を引き取ろうとしています。 後ろの壁にもキリストの磔の絵が飾られています。 -
「ヘレナ・ファン・デア・シャルケの肖像」
ヘラルト・テル・ボルフ
肖像画が描かれたときヘレナは3歳でした。しかしエレガントなドレスと籐製のバックを下げた姿は大人びて見えます。 -
この絵を観ていたら4歳になる姪に逢いたくなってきました。ントワープのCOSで買ったAラインのコートを早く渡したい気持ちになります。
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「三日月の上に立つ聖母子」
「太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に星の冠を被っていた」黙示録に書かれた姿です。アダムとイブの堕罪の蛇を踏みつけています。 -
「ケースに収められた骸骨」
非常に小さい根付のような作品です。 -
ネズミ取りを生業とする親子の姿です。タスキ掛けしたバックの毛皮もネズミかもしれませんね。
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「戦う二人の戦士」
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「アムステルダムのダム広場の市長舎」
400年近く前の絵画を見ていて現在と全く変わらないと思える国っていいですね。 -
右手にある新教会の姿も変わりないようです。この間の道を抜けた所に自分が泊まっているホテルがあると思うと気持ちだけはこの絵の中に入り込める気がします。
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「モナコ近くの断崖の道」
クロード・モネ
この辺りから時代が下って印象派の作品の並ぶ部屋に入ります。 -
モネの時代には断崖沿いに作られた道は幅が狭い山の小道でした。現在はニースとモナコの間の大きな通りです。太陽は高く孤独な歩行者の影は短いです。モネの仕事がオランダでまだまったく知られていなかった頃にこの美術館に収蔵されています。
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「下生え」
フィンセント・ファン・ゴッホ -
今までゴッホの絵をじっくり観る機会はあまり無く、上野の国立西洋美術館とパリのロダン美術館しか思い出せないくらいです。改めて絵の具の置き方とかを見ていくと素晴らしいなと思えました。印刷物では分からない凄みがあります。
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「自画像」
フィンセント・ファン・ゴッホ
弟のテオから連絡をもらった後1886年にゴッホはパリへ引っ越しました。 時間を浪費しないで彼はいくつかの自画像を描いています。自画像であればモデルにお金を支払う必要もありません。ファッショナブルに服を着たパリジャンだと自身で述べていたそうです。 -
イチオシ
画集なのでゴッホの自画像は幾つか観ていましたがこの自画像が一番いいなと思っていました。パリにいた1886年の冬に描かれているので精神的にも安定していたのではないでしょうか。眉間から放射線状に筆を置いているようで、正面から眺めていると手前に浮き出てくるように感じられました。
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「カラフェとレモンの乗った皿」
フィンセント・ファン・ゴッホ -
ゴッホは1886年2月にパリへ発ちました。まず最初に印象主義に慣れ親みました。
彼がその特徴的な絵画を取得したことは1年後に描かれたこの静物によって明らかにされます。日本の芸術に対する彼の関心が目覚めていきます。 -
「波打ち際の漁船」
ヘンドリック・ウィレム・メスダグ
メスタグはスヘフェニンゲンの漁師と彼らの使う底の平らな漁船に魅了されます。遠浅の砂浜のためこのような特殊な形状の漁船が出来たのでしょう。 -
ほんの2日前にデン・ハーグのパノラマ・メスダグで彼の作品をたくさん観て、スヘフェニンゲンの海岸で1泊した後にアムステルダムで作品に再会するとは思いませんでした。
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植民地だったインドネシアのジャワ島の市場の模型がありました。
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ジョグジャカルタの町のマリオボロ通りの市場を思い出しました。ジョグジャには1週間くらい滞在しましたが、王宮や博物館の哀愁に満ちたガムランの音色を今でも思い出します。バリのガムランとは全く違った魅力がありました。家に帰ったらロロブロニュの人形を飾ろうと思いました。
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このパネルにも感激しました。ジャワ人の役人を描いたものです。上半身裸の人もいれば、オランダ風の上着を受け入れている人もいます。背中にはクリスという短剣の柄が見えています。
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彼らが絶対に変えない物が腰に巻いたロウケツ染めのバティックです。
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王族から身分の高い人は自分専用の柄を持っています。街中のお土産屋にはスルタンの柄のバティックが売っていたりしますが、地元の人は恐れ多くて絶対に買わないって言っていました。
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その旅の時はジャワとオランダの関係は全く感じませんでした。ただバリ島で行ったスプマプラという所ではオランダ人を模した石像があったりオランダ軍とたたかった事実は知ることが出来ました。バリの人々がオランダ軍に勝てる訳も無く、最後はブブタンという集団自決を行ったそうです。ププタンとは戦闘において敗北する時に美しく着飾り、死の行進をして最期を遂げる殉死の事であり集団自決のことです。「終焉」を意味し滅びの美学でもあるとのことです。19世紀オランダの支配に抵抗し、いくつかの小王国で成り立っていたバリにおいて、パドゥン王国 と クルンクン王国 がププタンによって4千人以上の死者とともに滅亡しました。
当時のオランダは国際的にも非難を浴びることになったそうです。 -
長崎の出島の模型です。日本がオランダの植民地にならなくて良かったと思います。DEJIMAかと思っていたのですがDESHIMAだったのですね。
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「バイオロジカル・エキシビジョン」
テオ・ファン・ホイテッマ
アールヌーヴォーの美しいポスターです。 -
「ファラオの初子の死」
ローレンス・アルマ・テデマ
出エジプト記からこの場面が描かれています。右上のモーゼとアーロンはファラオを訪ねます。そして彼の息子へ哀悼を表しています。 -
ヤハウェがエジプトを撃ったときにすべてのエジプト人の初子とエジプト人の家畜の初子は死にました。しかしイスラエル人の初子とイスラエル人の家畜の初子はヤハウェがその前を過ぎ越したので命を落とすことはありませんでした。ファラオの怒りと悲しみの顔を見ているとキリスト教とイスラム教とユダヤ教が相容れることは絶対に無いと思われます。
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「エジプトの未亡人」
ローレンス・アルマ・テデマ -
フリジア諸島出身の作家アルマ・タデマは英国で大成功します。ナイトの称号まで叙されました。古代のエジプトや古代ギリシアやローマ時代の表現は、最も人気のある19世紀の画家の1人にしました。 この絵の中で女性は彼女の夫の身体を含んでいるミイラの棺のそばに嘆いています。 聖職者と歌い手が故人を嘆く表情が菜とも言えません。
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「ドン・ラモン・サトゥの肖像」
フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ -
ゴヤは友人であったスペインの裁判官の肖像を描いています。この時すでに76歳でした。サトゥはカスティリャで最も高い裁判所の裁判官で、ラフな服装は彼とゴヤの親密さを感じさせます。
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「ワーテルローの戦い」
ヤン・ウィレム・ピエネマン -
ウェリントン公はプロシアの軍隊が彼の援助に来ているというメッセージを受けています。 ウエリントン(英国系オランダ軍隊の指揮官)は、この集団肖像の中心人物です。 左の最前面で担架の上で傷ついているのは後のウィリアム3世王です。ウィレム3世が息子の為にこの絵を購入したのでオランダに残されました。
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「ナポレオン1世皇帝の肖像」
サイモン・ジェラール工房(フランス)
ワーテルローの戦いで敗れた敗戦の将としてナポレオンの絵が飾られているのでしょう。 -
「サン・セバンティアスの殉教」
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「聖ウルスラと女中たち」
ブリュージュのメムリンク美術館の聖遺物の箱を思い出します。ウルスラは婚約者と従者たちと共にローマへと向かい、教皇キュリアクスと謁見して洗礼を受けます。国に戻る途中にフン族に包囲されていたケルンで11000人の処女と共に殉教します。フン族の首長がウルスラを弓で射殺します。 -
「黄金子牛の崇拝」
ルーカス・ファン・ライデン
モーセがシナイ山において神から十戒の石版を授与されるまでには40日の期間を要しました。麓で不安になった民はアロンのもとに相談に出向き、新しい神の制作を懇願する。アロンはそれに応じ民衆から貴金属の提出を命じ鋳造の金の子牛が完成します。これを知った神は早く下山するようモーセに命じます。モーセが下山したところ民衆は宴に興じながら金の子牛を拝んでいます。怒りに満ちたモーセは十戒の石版を破壊し、金の子牛を燃やします。それを粉々に粉砕して水に混ぜイスラエルの民衆に飲ませます。そしてレビ族の者を集め偶像崇拝に加担した民衆3000人の殺害を命じます。 -
「サウルとエンドルの魔女」
ヤコブ・コルネーリス・ファン・オーステアネン -
ペリシテ人との戦いの結果を恐れてイスラエルの王サウルはエンドルの魔女に意見を聞きました。サウルはヤハウェに伺いを立てますが返答がなかったからです。
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サウルの物語より画中に出てくる怪しげな者たちに目が奪われます。
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ここにも怪物の姿がありました。
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「聖母子を囲む聖ヒエロニムスとミュラの聖ニコラス」
ミュラはトルコのアンタルヤの近くの町で聖ニコラスを祀った教会があります。聖ニコラスはサンタクロースの原型でもあります。 -
「幼子キリストの崇拝」
コジモ・ロッセーリ
15世紀のフィレンツェの画家です。 -
ラファエロの聖母子像や聖家族を思い出させます。
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午前10時の開館から2時間以上過ぎても誰もいない部屋がいくつもあります。
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「バベルの塔」
ブリューゲルの作品に比べると規模も小さく普通の教会塔くらいの大きさです。 -
当時の土木建築技術の手順がよく分かります。
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「マグダラのマリア」
カルロ・クリヴェリ
この作品を観た時に軽いめまいを感じました。澁澤龍彦の「幻想の肖像」という本の厚紙のカバーの表紙にも使われている絵だからです。ここで出会えるとは思ってもいませんでした。 -
イチオシ
カルロ・クリヴェリは「国際的なゴシックスタイル」の最終的な開花をイタリアにもたらします。 この完全に保存された絵は彼の人生の最後に描かれました。この絵はクリヴェリが生きたマーチスの人口のまばらな農村地帯でマグダラのマリヤ崇拝する教会の祭壇飾りとして用いられました。
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「聖母子とマグダラのマリヤとアンサヌスの祭壇画」
アンドレア・ディ・シオーネ・オルカーニャ -
オルカーニャは14世紀中頃の主要なフィレンツェ人画家でした。この祭壇飾りは教会の祭壇のために著名な市民によって1350年に依頼されました。ゴシック建築を思い出させる額に聖母子と2人の聖人が描かれています。
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「聖痕を受ける聖フランチェスコ」
ジョバンニ・ディ・ミラノ
裕福なアッシジ商人の放蕩息子でありながら信仰に目覚め、旅の途中で出会った3人の乙女の幻から清貧と純潔と貞淑を旨とする聖フランシスコ会を創始した名高き聖人です。晩年50日間の断食後に体験した脱魂時に有翼の天使セラフィムを通じて主イエスと同じ聖痕を受けたとされる逸話の場面です。 -
イタリア絵画が続きます。元々イタリアが好きで数多くの絵画を見て来ましたが、今回の旅ではほとんどフランドル絵画に浸かっていました。旅の最後でイタリア絵画を目にするとホッとした気分になります。
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「カルバリオ」
ゴルゴダの丘でイエスが罪人2人と磔になる場面です。 -
「聖ベロニカのヴェール」
15世紀にヴェネチアかシエナで描かれた作品です。言わずと知れた聖骸布のことです。ヴェロニカはエルサレムの敬虔な女性信者でした。十字架を背負いゴルゴタの丘へと歩くキリストを憐れみ、額の汗を拭くよう自身の身につけていたヴェールを差し出します。キリストは彼女の申し出を受けて汗を拭き、ヴェールを彼女へ返すと奇跡が起こり、ヴェールにはキリストの顔が浮かび上がっていました。 -
「キリスト降誕」
ウォールナットかライムウッドという硬い木を彫刻した作品です。 -
有名なオランダの彫刻家ニコラース・ゲルハルト・ファン・ライデンのスタイルで製作されています。ファン・ライデンはストラスブールで働き、後期ゴシックのドイツの彫刻に重大な影響を与えます 。この作品を造ったのは彼の弟子だと思われます。
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「最後の晩餐」
使徒たちの想いがテーブルの上を行き交っているようです。左手前で宙に視線を送っているのはイスカリオテのユダです。 -
「聖ウルスラの聖遺物箱」
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「洗礼者ヨハネの首」
ヘロデ王の前で踊りを見せたヘロデアの娘サロメが王に懇願した「バプテスマのヨハネ」の頭です。 -
「キリストの降下」
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これらの3つの彫刻はキリストの磔祭壇の一部で、ゴシック彫刻が当初どれくらいカラフルだったかについて知ることが出来ます。
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「聖ルチアの殉教」
ローマ人であったルチアの父が死ぬと彼女と母エウティシアは何の後ろ盾もありませんでした。エウティシアは4年あまりも瀉痢に苦しんだが、ルチアは聖女シチリアのアガタの奇跡を聞きつけてミサに参加します。エウティシアの病が癒されるように2人は聖アガタの墓前で一晩中祈り続けます。母子が眠ってしまうとルチアの枕元に聖アガタが姿を見せ「あなたはシラクサの栄光となるのです。」と言います。そしてエウティシアの病気全快しますは。エウティシアはルチアを異教徒と政略結婚させようとしますが、ルチアは自身の処女を守るために持参金を貧者への施しとしてほしいと拒みます。自分にはより高貴な婚約者(キリスト)がいるといいます。異教徒は思いのままにならないルチアに怒り、彼女を実はキリスト教徒であり、神への犠牲として火炙りにすべきだと密告します。彼女の喉元に剣を突き立てても、ルチアは自らを迫害する者たちに予言していました。最後の拷問としてルチアは両目をえぐり出されます。 -
イチオシ
「悲しみの聖母」
聖母マリアは彼女の息子の死を悼むこの胸像はビエトロ・トリジャーニによって製作されたと思われます。彼はイタリアで生まれブリュージュに住んで、オーストリアの大公妃マーガレットの依頼を受けていました。マーガレット自身が未亡人でしたので同じような心境を感じたのでしょうか。 -
真っ暗な中にたくさんの帆船模型が並ぶ姿はさながら船の墓場のようでもありました。
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18世紀の彩色陶器の数々が並んでいます。
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楽しげな雰囲気が伝わってきます。
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アールヌーヴォーのアクセサリーもたくさん展示されていました。リスボンのグルベンキアン美術館を彷彿させるような作品の数々です。
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ウィーンのレオポルド美術館でも同じような宝飾品の展示を見たことがあります。ドイツのダルムシュタッドのヘッセン美術館のコレクションが素晴らしかったです。
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ポルトガル語で「Baroque(バロック)」 は「歪んだ」を意味し、そこからバロックパールと呼ばれるようになりました。バロック様式の語源ともいわれます。
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素晴らしい宝飾品の数々に往時のオランダの国力を感じさせます。こういった歪んだ真珠を使った宝飾品はこの当時好まれたようで、ミュンヘンのレジデンツなどでも見たことがあります。
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いくつも面白い作品がありましたが全部紹介できないのが残念です。というかあまりに数が多すぎます。
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デルフト焼きの水差しはオランダ人の格好をした猿の姿が面白いです。
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日本の伊万里焼と言ってもおかしくない様な絵付けです。牛の形は非常にオランダらしいホルスタインですが。
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このタイプのフォレストガラスは素晴らしいです。大量によく見掛けるので相当数造られたのでしょう。現代のものですがチェコで同じようなデザインのものが造られていて安く買えます。
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キャビネットの中はまるで1軒の薬局が納まっているようでした。オリーブの木やべっ甲に象牙、金メッキされた真鍮をふんだんに使った贅沢な造りです。薬効成分を含む多くの小瓶が収納され、 いくつかの引き出しは鉱物や化石、木材サンプルや種子などで満たされています。
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「パリとオイノネのマントルピース」
ジャン・バプティスト・サヴェイ
このマントルピースはライデンのラペンベルグの男爵家の屋敷の為に造られました。大理石や化粧漆喰の天井やブリュッセルのタペストリーまでトータルで設計されました。 -
非常に精巧に造られた猿の置物はまるで考え込んでいる人間のような表情です。左手には蓋の付いた陶器を持っています。
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非常に良く出来たデルフト焼きのパゴタです。6層になった庇に吊られた金の鈴が可愛らしいです。
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「猫の形の終夜灯」
ロウソクを磁器の猫の中に置くと光はその目を通して輝きます。 小さなランプは暗闇が怖かった子供たちを対象としたが、ネズミを追い払うのにも用いられました。18世紀のハーグ中国学者ジーン・セオドア・ロイヤーによって集められたコレクションの一部です。 -
「漆盆」
ヴォルケニア家の紋章はこのトレイの平らな部分に描かれています。将軍家への参内でオランダ人は贈り物を持って将軍に敬意を払い、その返礼に贈られた漆塗の作品です。周囲の蒔絵は非常に日本的で家紋は西洋的なデザインです。非常に美しいまま残されまたこんな作品は初めて見ました。 -
「座っている天使」
エティエネ・マウリス・ファルコーネ
この像はルイ15世の愛人だったポンパドゥール夫人のために製作されたことで有名です。 -
イチオシ
エントランスホールに戻ってきました。結局ここの見学で4時間弱必要でした。最後の方はかなり端折ったうえにアジアパビリオンは諦めてもそれくらいの時間がかかりました。充実し過ぎた展示内容でした。
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気に入った作品だけで半日かかってしまいました。お腹が空いて倒れそうなので「カフェ・アメリカン」へ向かう事にします。食事後はまた戻ってきて私立美術館の見学です。
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