2015/06/02 - 2015/06/02
59位(同エリア260件中)
kojikojiさん
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デルフト2日目は旧教会の見学と街歩きの後にロッテルダムまで戻りました。今回の予定を作成する中でロッテルダムの観光がどうしても月曜日になってしまいました。キンデルダイクの観光は曜日よりも天候が重要ですが、美術館はそういう訳にはいきません。翌日の火曜日に行くしかありません。ここで良かったのがデルフトとロッテルダムが非常に近いこととデルフト駅とホテルが非常に近かったことです。という事で絶対に外せなかった「ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館」へ行く計画が組めました。ここではまずオランダのミュージアム・カードを購入する事でした。これがあれば残り約1週間のオランダ滞在中の美術館の入場料がかなりの割合で無料になるので3日くらいで元が取れてしまいました。そしてブリューゲルのもう1枚の「バベルの塔」を観ることです。ウイーンの美術史美術館には2回行っているので「バベルの塔」は観ているのですが、ロッテルダムの作品は初めてです。そしてボスの「行商人」も観たかった作品です。予想外だったのが近代絵画でルネ・マグリットの作品が充実していたこととゴッホやモネなどの作品も良いものがたくさんありました。結果的にはデルフトの観光を半日潰しても悔いのない美術館でした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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朝一番でデルフトの旧教会とデルフトの眺望を描いたポイントを見た後は駅に戻りロッテルダムへ移動です。チケット販売機で小銭を使い切るべく遣り繰りしていると。
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妻はそんな苦労も知らずにコロッケ買ってます。帰りの切符を買うのに小銭いるって言ったでしょう!「こら、1.5ユーロ返せ!」
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とんだおとぼけ野郎です。まあ美味しかったから良しとしましょう。
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デルフトとロッテルダム間は片道3.2ユーロです。往復でも同じ料金で約15分の電車旅です。
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ロッテルダム中央駅に戻ってきました。こういうガラス天井もトレイン・シェッドと呼ぶのでしょうか?
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オランダでは自転車を持って電車に乗っている人が本当に多かったです。そして自転車にもいろいろな種類の折り畳みがありました。
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駅前の通りを真っ直ぐに南に向かうと「ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館」に到着です。
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この美術館はジャンルによって入り口が分かれています。こちらが古典絵画の入り口ですが、最終的には地下で繋がっています。
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入口でオランダのミュージアムカードを購入しました。オランダ滞在は1週間だけですが、ほぼ毎日美術館に行くのでそれだけで元が取れてしまいます。1年間で59.9ユーロで購入が可能です。(2015年6月)
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「聖母子と二人の天使」
フラ・アンジェリコ -
フラ・アンジェリコというと2回目のイタリア縦断旅行でフィレンツェに立ち寄った際に、同行した友人と中央市場で待ち合わせていたにも関わらずサンマルコ修道院で見た聖母の姿があまりに美しく1時間くらい待たせてしまったことを思い出します。
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「音楽を奏でる二人の座る天使」
ジェラルド・スタルニーナ
ジョルジオ・バザーリとアントニオ・ベネチアーノに師事したフィレンツェ生まれの画家です。 -
「オルフェウスとエウリディケとアリスタイオス」
ヤコボ・デル・セリャーロ
オルフェウスはトラキア出身で、父はアポロンとも他の男性の子であるとも言われています。オルフェウスはアポロンから竪琴を与えられ、歌と音楽の名手となり、彼が竪琴を奏でるときは人間のみならず動植物も音楽に聞き入ったと言われます。 -
彼はニンフの1人エウリディケを妻として仲睦まじく暮らしていましたが、美しいエウリディケに言い寄る男性は多く、アポロンの息子アリスタイオスもそうでした。 彼はカドモスの娘と結婚していてアクタイオンという子供がいるにも関わらず、オルフェウスが不在の間にエウリディケを追い掛けまわします。
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エウリディケはそれを逃げ回っているうちに草むらの中にいた毒蛇に咬まれて死んでしまいます。 オルフェウスはこれを悲しみ、何が何でも妻を取り戻すと決意して生きているにもかかわらず竪琴を奏でながら冥界に降りていきます。
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ハンス・メムリンク
「二頭の馬のいる風景」
ブリュージュのメムリンク美術館へ行ったのが遠い昔のように思えてきます。ほんの1週間前のことですが、あまりに多くの絵画を観すぎたようです。そして西洋でも馬と猿は縁が深いのかと面白く思いました。 -
西遊記の孫悟空も天界から弼馬温(ひっぱおん)の官職を貰っています。これは厩舎の管理人で馬の飼育係という意味です。元々はインドで猿は馬を守るという伝承が中国に伝わったようです。同じように西洋にも伝わったのでしょうか?日本だと日光の東照宮の神厩に三猿の彫刻も同じ由来です。
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「墓の前の三人のマリア」
ヒューベルト・ファン・アイク
彼はヤン・ファン・アイクの兄で、2人で製作したゲントの「神秘の仔羊」の祭壇画は素晴らしいもので、今回の旅行でも印象に残る作品でした。3人のマリアとは聖母マリアとマグダラのマリアと小ヤコブとヨセの母のマリアです。3人はキリストの墓が空になっているのに気づきます。警備の3人の兵士は眠り込んでいます。 -
大天使ガブリエルが現れてキリストが復活したことを3人に伝えます。
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「聖母マリアの栄光」
ヘールトヘン・トット・シント・ヤンス
小さい作品ですが、非常に美しく印象に残る作品でした。創世記で予測されるように原罪の蛇は聖母マリアによって踏み潰されます。 この絵で蛇はドラゴンとして表されています。重要なことはヨハネの黙示録の第12章の最初の詩句を参照していることで、「天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。(略)天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが勝てなかった…。」 -
イチオシ
3つの円が聖母子を囲んで内側からケルビムと熾天使の姿が見えます。また、多数の楽器がともに描かれており、ネーデルラントで楽器を描いたもっとも古い絵画だそうです。幼児キリストは一組の鈴を持ち、光輪の外で同じく鈴を鳴らす天使と協奏しているようです。
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「行商人」(かつては放蕩息子)
ヒエロニムス・ボス
元々は三連祭壇画の扉を閉じた時に現れる部分を2枚張り合わせて、4つの角を切り取って額装したものです。 -
イチオシ
ボイマンス美術館は1931年にこの絵の購入しました。かつてはこの旅人が売春宿を出てくる放蕩息子であると思われました。現在は彼の背中の荷物の形状から行商人と呼ばれています。旅の途中で痛めた足が痛々しいです。後ろの建物の陰で立ち小便していたりいろいろな寓意が込められているのでしょう。
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ヒエロニムス・ボスの三連祭壇画の扉だけが残されたものです。2枚の扉絵の内外が両面観られるように展示されています。悪魔がやって来て人々の生活を脅かす情景が描かれています。
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悪魔が蔓延っても最後にはキリストや大天使によって救われる人々の姿が描かれています。
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終末近い悪魔がはびこる世界感が何とも言えません。
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ボスらしい怪奇な悪魔たちが描かれています。
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「大洪水とノアの方舟」
大洪水の後にアララト山に漂着した方舟から動物たちが降りています。今回はドバイ経由のエミレーツ航空だったのでアララト山の東側のヴァン湖の上空を飛んできました。そしてドバイには現代のバベルの塔もありました。 -
「バベルの塔」
ピーテル・ブリューゲル
この美術館にはこの絵を見に来たと言っても過言ではないでしょう。ブリューゲルのバベルの塔はウィーンの美術史美術館で2回観ていますがロッテルダム版は初めてです。ウィーンの塔よりもさらに工事は進んでいるようです。 -
誇り高いバビロニアは天に届くことになっていた塔を建設しました。
神は彼らの傲慢に飽くようになって、彼らに罰をあたえました。
彼らは共通の言葉を失ってもはや理解し合いませんでした。
巨大な建物の最上部は雲に達しました。
港の船は、蟻のような人々のクルミの殻のようです。
謙虚さは人類にとって大切だと説いています。 -
赤いチームと白いチームが建築の進捗を競い合っているようにも見えます。使われている建築機械は非常に精巧に正確に描かれています。
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イチオシ
巨大な港湾部には人々が蟻のように集っています。蟻に対して船はまるでクルミの殻のようです。
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遠くの風景は穏やかそうですが、煙の出ている四角い建物はレンガ工場のようです。じきに周辺の木々も伐採されてしまうでしょう。映画「ロード・オブ・ザ・リング」の一場面を思い出します。
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「ドワーフをからかう子供たち」
ヤン・モレナール
モレナールは妻で画家のユデイス・レイステルと共にオランダの黄金時代の肖像画と静物画を得意とした画家です。フランス・ハルスの弟子でもありました。 -
小人のように描かれるドワーフたちをからかう村の子供たちの姿が描かれています。怒ったドワーフは右手に石を握っています。
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「男の肖像」
フランス・ハルス
少し微笑を浮かべたような表情はハルス独特のものです。人々の生き生きとした表情を捉える描写力は卓越していると思います。彼もオランダ黄金時代を代表する画家です。 -
「氷上の風景」
ジャン・ジョセフ/ファン・ゴーエン
オランダの風景画も今回新たに魅力を感じるようになりました。やっぱりその絵があがかれた場所に行かないと風景画の良さは分からないと思います。昔は印象派の絵も好きではありませんでしたが、南仏のモンペリエからアルルへ向かう車窓の風景を見ていたら「あぁ、こういうことなんだ。」と思ったことがあります。 -
跳ね橋があるという事は通常時には大きな船も通る運河なのでしょう。冬の氷の張った季節には一大娯楽場と変わるのが面白いです。当時からアイスホッケーの原型のような遊びはあったのですね。
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「旅籠の情景」
アドリアン・ブロウワー
何百年経ってもこのような情景はいくらでも見ることが出来るし、この絵が描かれる数千年前から繰り返されている事なのでしょう。 -
「57歳の老女の肖像」
フランス・ハルス
妻より年下と考えると複雑な思いです。 -
「明陶器のある静物画」
ウィレム・カルフ
非常に瑞々しい果物を描く人です。当時のかんきつ類は非常に高価だったと聞きます。特に皮を剥かれた檸檬の表現には驚かされます。 -
何よりこの明青華の甲鉢が見事です。ベトナムのホイアンの沖合では中国から輸出した陶器が船ごと沈んでいて、今でもこのような陶器が引き揚げられます。海上りなので少しカセていますが、1尺くらいの大皿が40ドルくらいで買えたものです。そんな昔のベトナム旅行を思い出しました。
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「赤い帽子の男」
レンブラント・ファン・レイン
元々はレンブラントとされていましたが、1988年にはレンブラント・リサーチ・プロジェクトの調査でレンブラントの後期スタイルを反映したレンブラントの最後の弟子の1人であるエルト・デ・ゲルダーによって描かれたとされています。 -
「アブラハムと天使たち」
アールト・ド・ヘルデル -
レンブラントの弟子の1人で、弟子の中でも最も才能のあったそうです。レンブラントのスタイルを継承したただ1人のオランダ人画家でもあります。
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イチオシ
「机に座るティトス」
レンブラント・ファン・レイン
レンブラントは4人の子供のうち唯一育ったのがティトスだけで、この作品は14歳の頃の肖像画です。しかしこの子も22歳で亡くなってしまいます。少年は遠くを見つめて熟考して見つめます。片手にペンを持ち、もう一方の手にはインク入れとペンケースを持っています。この絵画の顕著な特徴は照明と三角形の画面構成と粗雑に描かれた前景です。 -
「国家の団結」
レンブラント・ファン・レイン
軍事的寓意にとんだ絵画の下絵です。左右のライオンがオランダを表しています。 -
オランダを意味するライオンが鎖でつながれています。
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下絵なので一見簡単なタッチで描かれているようですが技術力の高さを感じます。
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「キッチンの静物画」
フランス・スナイデルス
スナイデルスは花や果物などの静物を描いていたが、後に動物を描くようになります。彼は最初期の専門の動物画家といえるそうです。アントワープのロコックスハウスにも猪狩りの勇猛な絵がありました。スナイデルスのこの分野の卓越性はルーベンスをも感嘆させ、自身の作品の動物や果物の描写を依頼していたそうです。今回の旅で見たボデゴンは素晴らしいものが多かったです。 -
「パラダの塔の為の6枚の油彩スケッチ」
ピーテル・パウル・ルーベンス
スペイン王フィリップ4世の狩猟屋敷の為の絵画を描くための王立委員会の1人がルーベンスでした。その中のルーベンスの下絵が6点飾られていました。 -
「エウュディケの死」
オルフェウスの妻エウリュディケが新婚早々に毒蛇に足を噛まれて死ぬ場面です。
フィリップ4世からの注文はルーベンス自身のデザインの絵画を含む100枚を超えるもので、彼らは1636年に受注して1637年に完成しました。ルーベンスが大規模な工房を持っていたのでそれは可能でした。ここではルーベンス自身で描いたスケッチのうちの6枚が収められています。 -
「ネレイデとトリトン」
半漁人のトリトンと人魚のネレイデは海洋的な題材を持つ神話的なシーンをほとんどに描かれる海の神々です。彼らはポセイドンの宮廷に属し、しばしばヴィナスの誕生の場面に登場します。 -
「アリアドネとバッカス」
クレタの王女アリアドネはミノタウロスの犠牲としてクレタに連れて来られたアテナイの王子テセウスに恋をします。アリアドネはテセウスの怪物退治を助けクレタを脱出します。しかしテセウスはアリアドネを見捨ててナクソス島に置き去りにしてしまいます。 -
「バッカスの勝利」
置き去りにされたアリアドネは嘆きますが、2頭のヒョウが牽く戦車に乗ったバッカスが現れてアリアドネを妻とします。アリアドネの宝冠を取って空に投げるとそれはかんむり座になる伝説があります。 -
「ペルセウスとアンドロメダ」
母カシオペアのために海神ポセイドンの怒りを買い、生贄とされかけていたエチオピアの王女アンドロメダです。ペルセウスは彼女の父ケーペウスにアンドロメダと結婚する許可を得ると、海の怪獣と戦って倒してアンドロメダを救います。ところがアンドロメダには元々ピーネウスという婚約者がおり、仲間を率いて婚礼の宴に現れ、ペルセウスを亡き者にしようとします。ペルセウスはピーネウスらにメドゥーサの首を見せて石にしてしまいます。 -
「ナルシス」
ナルシストの語源のナルシスがムーサの山にある泉の水を飲もうと水面を見ると中に美しい少年がいた。もちろんそれはナルシス本人ですがひと目で恋に落ちてしまいます。そしてそのまま水の中の美少年から離れることができなくなり、やせ細って死んでしまいます。ナルシスが死んだあとそこには水仙の花が咲きます。この伝説からスイセンのことを欧米ではナルシスと呼びます。 -
「聖リビニュスの殉教」
ピーテル・パウル・ルーベンス
この絵がブリュッセルの王立美術館のルーベンスの間の作品の下絵という事がすぐに分かりました。これは7世紀前半にフランダースとゼーランドで説教したアイルランドの宣教師セントリヴィヌスの殉教のエピソードです。非信者を改宗させようとしている間、彼は強盗に襲われて舌を引き裂かれ、犬にそれを投げ与えられます。 -
聖人の口からは血が流れ痛々しいです。左の男の口にはナイフが咥えられています。赤い頭巾の男はヤットコを持ち肉片が挟まれていることから舌を抜いたのだと分かります。そして犬に食べさせようとしています。天上から天使が降りてきて雷(いかずち)で盗賊を懲らしめようとしています。
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「全能の神」
ピーテル・パウル・ルーベンス
鎧姿の聖セバスチャンと裸の聖ジョージは読み取れますが、このスケッチは非常に曖昧に描かされているので、ルーベンスが考えていた他の聖人は不明です。 -
未完成のようですが、完成形を想像させるに十分な迫力を感じさせます。この作品ははテオドール・ガレの彫刻のモデルにもなっています。
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「三本の十字架」
ピーテル・パウル・ルーベンス
アントワープでたくさんのルーベンス絵画の十字架の絵を観てきた後なのでシンプルさが気に入った絵です。大聖堂の巨大で人々に囲まれた絵も素晴らしいですが、ルーベンスのこのような小さい作品も魅力的です。 -
「怒れるアキレス」
ピーテル・パウル・ルーベンス
ルーベンスがした絵を描いたタペストリーです。カメラを構えていたおじいさんがいきなりベンチに横たわりました。どうしてもこのタペストリーの写真を撮りたかったのでしょうね。 -
広角レンズで軽々とっているのが申し訳なく思えます。
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「アキレスの下絵」
ピーテル・パウル・ルーベンス
アキレスと言うとオーストリア皇帝の妻エリザベートを思い出します。ギリシャのコルフ島で行ったアヒリオン・パレスはギリシャ趣味の別荘で、階段室には戦車に乗るアキレスの姿、庭には足に矢を射られた瀕死のアキレスの像がありました。 -
1)「アキレスをステュクス河に浸けるテティス」
アキレスは英雄ペレウスと海の女神テティスの子でゼウスのひ孫にあたります。 母テティスによって冥界の河ステュクスに浸され、母の手の指がつかんでいた踵の部分以外は皮膚がどんな鎧よりも丈夫になり、人間の武器では傷つけられなくなります。 -
2)「ケンタウロスのケイロンに育てられる若いアキレス」
テティスが海に帰った後、父のペレウスはアキレウスを知人のケンタウロスのケイロンに預けます。6歳から狩りを教わり、医術や竪琴も学びます。 -
3)「アガメムノン王に怒るアキレス」
トロイア戦争の時アガメムノン王がアキレウスの妻プリセイスを連れ去ろうとしたことに怒りを覚え戦場から立ち去ります。 その後苦戦したアテネ軍からアキレスに謝罪と参戦を請う使者が来ます。最終的には戦線に復帰して敵の英雄ヘクトールを倒します。 -
4)「ウルカヌスの鍛冶場の中でアキレスの鎧を受け取るテティス」
アキレスが友人のパトロクロスに貸した鎧を失いますが、トロイの木馬戦争に再び参加することを決めた瞬間を描いています。彼の母テティスは火の神ヴァルカヌスに助けを求めました。彼はすぐに新しい鎧を造りテティスに手渡します。 -
5)「敵将ヘクトールを殺すアキレス」
アキレスは火の神ヴァルカヌスから新しい鎧を受け取ると、親友のパトロクロスの復讐をするために戦いに身を投げました。最終的に彼はヘクトールと戦い打ち破ります。 -
6)「パリスの放った矢で致命傷を受けるアキレス」
女神エオスの息子メムノンを殺し、トロイア軍を城市まで押し戻しスカイアイ門から入城したところをアポロンに狙いを定められたパリスの放った矢に弱点の踵を射られて致命傷を受けます。 -
「聖母子」
バルトロメ・エステバン・ペレス・ムリーリョ
17世紀中後期にかけて活躍したセビーリャ派の巨匠です。ベラスケスが再評価されるまでスペイン最大の画家として名を馳せていた人物です。 -
最初にスペインを1か月ほど旅した時にセビリアへ立ち寄りました。当時全く興味のなかったムリーリョやスルバランの絵を観て強烈なショックを受けたことを思い出します。そしてその思いは2度目のアンダルシアの旅に続きます。
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「聖ヒエロニムス」
アンソニー・ヴァン・ダイク
聖ヒエロニムスは神の霊感を受けた学者とライオンを持つ隠者の両方として描かれています。またヴァン・ダイクは赤い布が聖職者の緋色のローブを暗示するために、彼が枢機卿であることを忘れませんでした。 -
年老いたヒエロニムスの身体の皺とぽっちゃりした少年のような天使の対比がリアルに感じられます。お約束のライオンも足元で猫のように眠っています。
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「キッチンの情景」
アムステルダム派 -
イチオシ
ヤコブ・ヨルダーンスの絵のような構図です。手に持っているのは酒でしょうか。美味しそうな魚や鳥が並び、賭けに使うカードとお金が置かれてあります。彼の人生を表しているようです。昔スイスを旅した時に買ったカードに似ているなと思い出しました。
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「処女」
ハブリエル・メツー
当初の宗教的絵画が自分の意に沿わないと思い、市民の家庭生活へ主題を変えています。色彩感と穏やかな画風と素朴で優しい雰囲気を漂わせ、親しみやすい作品を数多く描いています。この当時フェルメールのような絵画が数多くあったのだと知りました。 -
「偽医者」
ヘラルト・ドゥ
ドゥはライデンで生まれて15歳でレンブラントの弟子になっています。 -
傘の下で口上を述べている偽医者は当時流行った頭から石を取り出すのでしょうか。それよりも足元で赤ん坊のお尻を拭いている母親の方に目が行きます。嫌がって足をバタバタしている感じが伝わります。
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「女性の肖像」
ピーテル・パウル・ルーベンス
女性の肖像という題名ですが、ルーベンスの2番目の妻のエレーヌ・フールマンの肖像画でしょう。アントワープのルーベンスの家へ行った事を思い出させます。 -
「グロテスク」
この奇怪な作品はアムステルダムの国立美術館にも置かれてありました。貝の殻を被った鳥の雛みたいな形です。日本でも江戸時代とかに人魚だったり河童だったり鬼の腕なんてものも造っていましたが、鋳造されたものなのでオブジェとして鑑賞できますね。スター・ウォーズなどのSF映画にも出てきそうです。 -
「シー・モンスター」
こちらは荒俣宏の世界ですね。この時代の想像力の深さに感服します。レイ・ハリーハウゼンにも通じるような造形です。シンドバットシリーズやアルゴ探検隊やタイタンの戦いは現在見ても新鮮で良く出来ていると思います。 -
「ヴィーナスとアモール」
聖母子像に通じるようなヴィーナスとアモール親子の姿です。 -
階段ホールの天井にもヤコブ・デ・ウィットの描く「天空の神々」の楕円形の作品があります。ここで一休みします。
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「ゴルゴダ」
ジョバンニ・ドメニコ・ティエポロ
18世紀のイタリアを代表画家でルネサンス最後の巨匠と言われたジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロの息子です。 -
ゴルゴダの丘で磔になったキリストを降ろすべく梯子が用意されています。倒れた聖母マリアや周辺の人々、仰ぎ見るのは使徒ヨハネ、黄色い衣装の髭の男はアリマタヤのヨセフでしょう。落ち着いた色彩の非常に均整のとれた構図の絵です。
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「カナルグランデの入り口に建つサンタ・マリア・サルーテ教会」
フランチェスコ・グアルディ
ヴェネツィア発着のクルーズ船で戻ってくると最初に迎えてくれるのがこの教会です。早朝に到着すると航路を示すブリッコラと呼ばれる木の杭の上に明りが灯り、幻想的な美しさです。これはアカデミア橋辺りからの眺めでしょうか。 -
「風車のある水景」
Wijnard Nuijen
フランスのロマン派の影響を受けていた風景専門のオランダ人の画家で版画家でもありました。 -
夕方になって風車が止まり静けさに包まれた水辺の風景です。舟に似乗っているのは風車守の家族でしょうか。夕飯の食卓に乗る魚を魚籠から取り出しているみたいです。今回の旅で風車の音やスピードを肌で実感しました。そうすると今まで静かに見えた風車のある風景が、実は騒々しいはずだと分かったり非常に勉強になりました。
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「女性の肖像」
ヤン・アダム・クルーズマン
いろいろな意味で印象に残る作品です。クルーズマンはオランダのロマン主義時代の社会画家でした。彼が描いた女性はパリのファッションを取り入れることができる豊かなクラスに属していました。彼女のファッショナブルなヘアスタイルや帽子、ショールやアクセサリーを細かく描きました。これは今はほとんど笑えるような姿ですが当時はそうではありませんでした。 -
展示室の床の一部が壊されて泥棒が顔を覗かせています。有名な俳優なのでしょうか?詳しくは調べませんでしたが。
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「ヒヤシンス」
フィリップ・ロッサウ
ヒヤシンスとクロッカスを見ると小学生の頃を思い出します。
それとギリシャの南端のモネンヴァシアの廃墟になった町が一面クロッカスの花で覆われていたのを思い出します。周囲は海に囲われた「天空の城ラピュタ」の空中庭園のようなこの世と思えない美しさでした。 -
パウル・ガブリエル
「オヴァスチェ近くの風車」
キンデルダイクの風景を見た後と前では風車の絵を観ても印象が違います。見聞きした知識では無くてその場に行って肌で感じることは非常に大切だと思った旅でした。 -
「シェーダム近くの風車の風景」
ヨハンナ・ヘンドリック
一見静かな印象を受ける絵ですが、風車に布が張られているということは恐ろしい勢いで羽が回っているという事です。そしてこの世のものとは思えない木が軋む音がしているはずです。 -
この絵を見ても静けさは感じられません。羽には1/4しか布は張られていませんが、これでも充分な速さで回転します。この絵のおじいさんの距離には恐ろしくて立てません。ドン・キホーテが霧の中で風車とドラゴンを間違えたくだりがありましが、体感した後ではあながちおかしな話ではないと思います。
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「カーネーションの花瓶」
ヴィンセント・ファン・ゴッホ
この美術館にはゴッホの作品が幾つかありました。アムステルダムのゴッホ美術館は撮影禁止なのでこれは貴重です。この花の静物画は1886年7月から9月にかけてゴッホがパリに滞在していた時期に描かれました。テオへの手紙でゴッホは繰り返しアドルフ・モンティチェッリによる花の静物画について言及しました。 -
今回の旅行では数多くの作品を観ましたが、ゴッホの絵の上手さを改めて感じました。そして印刷物では表現しきれない筆のタッチや絵の具の厚みなどには感動すら覚えました。バルセロナで若い頃のピカソの絵を観たときと同じ感覚でした。
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「シネラリア」
フィンセント・ファン・ゴッホ
「フキザクラ = 蕗櫻」と言う和名があるそうですが、なるほどその通りの姿かたちです。テオはゴッホの描く絵画が暗すぎるので、買い手に応えるように伝えます。これは花や植物のいくつかの絵画の作成につながりましたが、これでは売るのも難しかったのではないでしょうか。 -
鉢を布の上に置いているのでしょうか。微妙に傾いたこのアングルを何故選んだのでしょうか。倒れそうな微妙なバランスを感じてあまり心地よい気持ちにはなりません。
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「少女ルイス・フェリシテの肖像」
ウォルター・フォス -
「14歳の小さな踊り子」
エドガー・ドガ
ベルギーのバレリーナ、マリー・ファン・ゲーテムをモデルにしたときに彼女は14歳でした。オリジナルの彫刻はワックスで造られており、本物の髪と靴で非常に現実的だったので、1881年の印象派展でスキャンダルを引き起こしました。ドガは二度とその彫刻を展示しませんでした。彼の死後に25のブロンズキャストが造られました。 -
この辺りから印象派の絵が続きます。
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「ヴェセウィルの春」
クロード・モネ -
「ヒナゲシ」
クロード・モネ -
「ヴァランジュヴィルの漁師小屋」
クロード・モネ -
「サン・ブリックの港の風景」
ポール・シニャック -
「セザールの塔のある風景」
ポール・セザンヌ -
「水場の牛」
ポール・ゴーギャン -
「アーマン・ルーランの肖像」
フィンセント・ファン・ゴッホ
アルル時代にモデルを雇えなかったゴッホはルーラン家の人々を描いていました。 -
イチオシ
郵便配達員だったジョセフ・ルーランの絵も良いですが、この息子アーマンの作品も素晴らしいです。彼は当時17歳だったそうですが、思春期の青年の物想う表情が良いです。
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「花瓶と赤と白の花」
フィンセント・ファン・ゴッホ
1886年3月にゴッホは弟の美術商テオと一緒に暮らすためにパリに到着しました。この動きは彼の暗いブラバント時代の終わりを告げます。しかし印象派の明るく風通しの良い色に目を向ける前に、彼は強い色のコントラストを探求する花の静物画を描きました。ここでは赤いグラディオラスが緑の葉に対して設定され、白い花は絵画の薄暗い背景から際立っています。 -
簡単に筆を置いているだけのように見えますが、改めてゴッホの絵の上手さを感じました。人物を描いた物も良いですが小さい作品の植物画も良いものです。上野の国立西洋美術館でもそんな事を思ったなと。
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非常に美しい空間にジョルジュ・ミンヌの「ひざまずく若者」が置かれてありました。ゲント美術館に素描が数多く残されていましたし、作品も幾つか展示されてありました。同じ作品を円形に5体配置した「ひざまずく若者たちの泉」も良かったです。エゴン・シーレが初期の頃影響を受けた作家でもあります。
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「ニュー・ジェネレーション」
ヤン・トーロップ
ジャワ島で生まれて14歳でオランダに移住したそうです。デルフトとアムステルダムで教育を受けた作家です。作品を初めて見た時にバリ島の絵画を思い出させたのはあながち間違った想像では無かったのかもしれません。 -
「ロッテルダム港」
ポール・シニャック
前日にキンデルダイクへ行く際に見た風景を思い出させます。ほとんど「印象:日の出」を連想させる構図です。 -
「画家のアトリエ」
ジェームス・アンソール
アンソールも今までほとんど知らなかったのですが、ブリュッセルの世紀末美術館で数点観てから印象に残った作家でした。アンソールはオステンデで土産物店を営んでいた両親の間に生まれています。 -
イチオシ
貝殻や民芸品やカーニバルの仮面などを商っていたことからカーニバルの仮面が重要なモチーフとなったそうです。骸骨も数多く描いているように思えました。この時の旅では行けなかったクレラー・ミュラー美術館に数年後に行きましたが、アンソールの素晴らしい作品がたくさんあり感動しました。
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「花瓶のポピーとサンシキヒルガオとカモミール」
オディロン・ルドン -
イチオシ
ルドンというとキュクロプスを始め奇怪なものを描く画家というイメージがあったのですが、この作品には魅了されました。20歳の頃植物学者アルマン・クラヴォーと知り合う事による影響でしょうか。鮮やかな色彩を用いるようになったのは50歳を過ぎてからのことだそうです。
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「カップル」
パブロ・ピカソ -
「白いロブスター電話」
サルヴァドール・ダリ
英国のコレクターのエドワード・ジェームズは、彼はダリの多くの絵画を持っていただけでなく、自身の家で使用するためのオブジェを制作するように彼に頼みました。そのうちの1つはロブスター受話機を持つこの有名な電話でした。 -
ルネ・マグリット
「Not to Be Reproduced(複製禁止)」
この作品はマグリットのパトロンであるエドワード・ジェームスのために制作されました。エドワード・ジェイムズは後ろ姿で描かれていますが、鏡に映ったジェームズも後ろ姿で完全に複製されてしまっています。 -
イチオシ
ところがマントルピースの上に置かれた本はちゃんと映っています。この本は、ポーの「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語」という本です。
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「モデル・ルージュ3世」
ルネ・マグリット
マグリットは一見現実に見える不可能なイメージで視覚者に立ち向かうのが好きでした。この絵画の木製の柵は完全に正常に見えますがブーツはそうではありません。この絵画の意味は謎です。タイトルは通常理解できないシーンを理解するのに役立ちますがこの絵では無駄です。 -
「モデル・ルージュ3世」なんてタイトルは混乱を増すだけです。
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右下に描かれた新聞の切れ端なんて見ると余計に混乱します。
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「図書館の入り口」
ルネ・マグリット
絵画は部屋の中の大砲を描き、壁には雲と女性の胴体、何枚かの板と窓のある建物のファサードなど、さまざまな画像が組み合わさっています。この作品のタイトルは、彼の友人ポール・ヌジェによって提案されました。タイトルはおそらくジョン・ブフナンの本プレスター・ジョンからの引用から借りています。「夜明けの澄んだ空気は私の血の中のワインのようでした。私は自由ではなかったが、私は自由の限界にあった。 -
タイトルはおそらくジョン・ブフナンの本プレスター・ジョンからの引用から借りています。「夜明けの澄んだ空気は私の血の中のワインのようでした。私は自由ではなかったが、私は自由の限界にあった。
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「例示される青春期」
ルネ・マグリット
「ミシンと傘の解剖台の上で偶然の出会いと同じくらい美しい。」この「レ・チャント・ド・マルドール」という詩からの引用はシュルレアリスムのお気に入りでした。マグリットはライオン、ビリヤードテーブル、カントリーレーンなど多くのオブジェの偶然の出会いと同じくらい美しい、ほとんど文字通りの視覚的な翻訳を与えました。 -
サルバトール・ダリの作品を集めた部屋があります。この部屋自体がダリの作品のように見えてきます。
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「オブジェ・スカトロジーク・ア・フォンティオンメント・シンボル」
サルヴァトール・ダリ
このオブジェクトは1930年にジャーナル「ル・スラアレリスム・オ・サービス・ド・ラ・レヴォリューション」に描かれました。その後それは失われましたが、ダリは1973年に再制作を行いました。それは小さな靴と牛乳のグラス、角砂糖とマッチの箱と陰毛で構成される神秘的なオブジェです。 -
「ル・ロイ・ソレイユ」
サルヴァトール・ダリ
金箔の太陽の顔は黒い鳥で表されています。これは香水瓶です。ダリの作品を観るたびに1か月のスペイン旅行でダリ美術館へ行かなかったことが悔やまれます。その思いを打ち消すために妻と2人でリベンジの旅に行くことになります。 -
「引出しのあるビーナス像」
サルバトール・ダリ
潜在意識から画像に形を与えることはシュルレアリストにとって重要な動機でした。彼らはジークムント・フロイトの「トラウムデユトゥン」(夢の解釈)と精神分析に触発されました。ダリは潜在意識を秘密の引き出しと誰もが知るミロのヴィーナスを結び付けたようです。 -
「De levende spiegel The Living Miller」
ルネ・マグリット
「ル・ミロワール・ヴィヴァント」は謎めいた作品です。言葉は雲のような白い4つの形で書かれています。「地平線」という言葉を見ると地平線のイメージを視覚化しないことはほとんど不可能です。私たちの想像する傾向は私たちを強制します。そして言葉を結びつける自然な衝動があります。 -
「カップル」
マックス・エルンスト
1922年にマックス・エルンストはパリに移り住み、シュルレアリスムと接触しました。彼は徐々に描かれた組成物に紙を使用したコラージュの方法を適用しました。この素詩的なカップルでは男女を区別することすら困難です。 -
「吟遊詩人」
ジョルジォ・デ・キリコ
ブリジストン美術館にもこの吟遊詩人のシリーズの1枚が収蔵されています。デ・キリコのこの初期の作品は巨大な建物を持つ空の風景の中で、半分の人間の半分の横たわっている姿の生き物を示しています。デ・キリコはオブジェの背後にある神秘的な意味を描きたいと考えました。彼の不穏な絵画は脅威と疎外感に満ちしています。 -
「ピンクの雲の風景」
イヴ・タンギー
タンギーは1922年に兵役を終えた後に偶然ジョルジョ・デ・キリコの絵画を目にして絵画に目覚めます。それまで全く美術経験はなく、正規の教育を受けずに独学で絵画を学んだそうです。昼とも夜ともつかず、どこともわからない果てのない海底のような空間…。難解です。 -
「頭が雲でいっぱいのカップル」
サルヴァトール・ダリ
このカップルはダリと彼の妻ガラの肖像画で、フレームの輪郭によって形成されています。この作品の構成する頭の位置はダリのお気に入りの画家の1人であるジャン・フランソワ・ミレーによる有名な絵画のオマージュです。「晩鐘」は農夫とその妻が彼らの畑で夕方の祈りを捧げています。ダリとガラは同じ姿勢をとっています。 -
この旅の時には近いうちに妻を連れてバルセロナを再訪したいと思っていました。90年代当時に見学出来なかったガウディの建物が見学できるようになったので見たいことと、フィゲラスのダリ美術館に行きたいと思っていました。その願いは3年後に叶えることが出来ました。
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「ヴィヌス・テ・・オトリロジーク」
サルヴァトール・ダリ
女神ヴィーナスの古典的な胸像のこの石膏キャストに鼻と耳の位置を交換することにより、ダリは不可能を可能にし、非常に個人的なシュルレアリスムの仕事を完成しました。これは1970年のボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン博物館で開催されたダリ展の年にダリの許可を得て博物館によって造られた1964年のオリジナル彫刻のコピーです。 -
階段を下って併設の美術館へ進んでみます。早くデルフトに戻りたい気持ちもありましたが…。
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シンプルで美しいアール・デコの意匠ですが、これがトイレ脇のデザインですから驚きです。
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イチオシ
セルフのクロークです。これは何かのテレビの番組で見た記憶があるのですが、まさかこの美術館だったとは思いませんでした。デザイナーが誰だったか調べてみましたが…。
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巨大な家具屋さんを歩き回っているような気分です。
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「二つの燭台のある置時計」
エミール・ガレ
ガレの作品でこのような物があったと驚きました。 -
バーナード・リーチの作品が数点飾られていたのには驚きました。そしてその作風は河合寛次郎を連想させるほど似ていました。この扁壷なんて良いですね。
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これもバーナード・リーチの作品ですが、こちらはイギリスを感じさせるデザインです。
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マルセル・ブロイヤーの椅子までありました。学生時代模型を造ったり原寸図面を引いたりお世話になりました。
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一通り見学し終えたのでそろそろデルフトへ戻ることを考えましょう。デルフトからこの美術館だけを見るためにロッテルダムに戻りましたがそれだけの甲斐がありました。
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デルフトに戻ろうと思いながらもお腹が減ったので食事していくことにしました。前日の夕食をとった「香港酒楼」の近くのベトナム料理の店です。
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こんなお洒落なお店です。
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まずはビールで喉を潤しましょう。ウィキィサ・ヴィタァを注文しました。これは白ビールなので少し苦いのでレモンを絞るのがルールのようです。マドラーも専用でレモンが付くようになっています。
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ブン・ボー・フエがあったのでフエ風の米の麺の牛肉入りを注文しました。これで13ユーロですから美味しくない訳がありません。本場でもこんな洗練された麺は食べられないと思います。久しぶりのベトナムの麺は美味しかった!
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これはお好みで上に乗せます。モヤシとパクチーとライムとバジル。妻のトッピング材です。
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妻はシンプルにフォー・ガー。チキンスープの体に優しいスッキリとした味です。
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現地の値段の10倍の値段ですが…。妻の希望なので仕方ありません。
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さあデルフトに戻りましょう。
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駅構内のクラブチームのオフィシャルショップがありました。フェイエノールト・ロッテルダムといえば小野伸二のいたチームですね。
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結果的にはロッテルダムもキンデルダイクも行けて、デルフトもそこそこ観光できたので良かったのですが、ロッテルダムで1泊して旅行期間を1日伸ばしても良かったかなと思いました。
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