2015/04/03 - 2015/04/05
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旅人のくまさんさん
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忠臣蔵でお馴染みの赤穂義士の故郷、赤穂城の紹介です。発掘調査や文献調査を基に、復元工事が進捗していた、日本百名城の一つです。
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本丸櫓門の上階にある展示場のパネルや出土品などの展示状況です。展示品は、大石頼母助宅跡から出土した、備前焼の給水管などです。
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同じく、本丸櫓門の上階にある展示場のパネルや出土品などの展示状況です。展示品は、二の丸庭園発掘調査で出土した給水管などです。
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『絵図に描かれた西仕切門』と題された説明パネルです。元図の制作年は不明ですが、明治初年に写されたものです。写された絵図には、『赤穂加里屋城図』のタイトルがありました。
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『西仕切門整備計画』の大があった建築設計図面です。正面図、背面図、平面図と東側面図の4図です。現在は工事が完成した門を見ることができます。
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『西仕切門発掘遺構』と題された図面と写真です。左の写真の上の2枚は控柱の基部の発掘写真、下が土塀端部の角柱の発掘写真です。
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左上が二の丸庭園と、二の丸西仕切・西仕切門の発掘状況写真、その下が祖の平面図です。右の3枚の写真は、上から二の丸西仕切の屈折部(南から)、二の丸西仕切の石垣(南から)と、二の丸西仕切と西仕切門跡(東から)です。
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イチオシ
五分の1の『屋形船模型』です。湊隆司氏の制作者名も記されていました。現在、庭園の特別公開時などに運行されている、浅野号と大石号は、平成18〜19年度に港氏が制作しました。
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左手に、『赤穂義士伝・刃傷から討入りまで』のタイトルがあった人形についての紹介です。指導者を含め、10名による制作です。
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江戸城における松の廊下事件は、元禄14年(7014年)[3月14日巳の下刻(午前11時半過ぎ)に起きました。江戸幕府から接待役を仰せつかっていた赤穂城主の浅野長矩は、指導役の吉良城主の吉良義央に対し、『此間の遺恨、覚えたるか』と言いながら背後からを小刀で斬りつけた事件です。遺恨の内容については、記録に残っていません。
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赤穂藩の江戸屋敷からの早飛脚の光景です。未の刻(午後2時頃)、藩主世子の浅野長広は、書状を国家老・大石良雄にしたためて、早水満尭と萱野重実を第1の急使として赤穂へ派遣しました。
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江戸城における松の廊下事件に対し、朝廷との儀式を台無しにされた将軍・綱吉は、浅野長矩の即日切腹を命じました。江戸幕府の捌きは、喧嘩両成敗ではなく、赤穂城主の浅野長矩に対する切腹、吉良城主の吉良義央に対してはお咎めなしでした。切腹の場所は田村家の庭で、庭に筵を敷き、その上に毛氈を敷いた上で行われました。切腹の時刻は同日六つ半(午後7時40分頃)[とされます。
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大石内蔵助は主君の仇討ちのため、世を欺いて京都のお茶屋さんで遊び呆けました。目隠しをして戯言に興じる内蔵助です。仮名手本忠臣蔵では七段に描かれています。京都の老舗のお茶屋『一力』の女将への、贈り物に対する内蔵助の礼状が今も残されています。内蔵助の内心が分かっていた京都のお茶屋の女将は、それとなく内蔵助の討入りを支援していたとの説もあるようです。
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イチオシ
吉良邸への討入りの場面です。元禄15年(1703年)12月14日午後、同志は両国橋西の米沢町の堀部金丸の借宅に集まり、その後3か所の集合場所に分かれました。それぞれの集合場所から本所吉良屋敷裏門近くの前原宗房の借店を経て、表門隊と裏門隊の二手に別れて吉良邸に討ち入りました。冷え込んだ日のようですが、雪は仮名手本忠臣蔵の演出とされます。
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『透かし門』の門扉の例として紹介あsれていた写真です。国の重要文化財の愛媛県松山市の松山城の仕切り門の写真です。赤穂城でも『透かし門』が使われていたようです。
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軒丸瓦の出土品です。鶴丸の紋は、森家家紋です。外様の2万石(1706〜1871年)として赤穂城主だった森家のようです。
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本丸門の周りの光景です。内側から見た高麗門の光景です。高麗門は、文禄・慶長の役が行われた1592年から1598年の間に造られ始めた城門で、屋根を小ぶりにして守備側の死角を減らす工夫が施されています。
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本丸門の周りの光景です。高い石垣と、その上の土塀で囲まれた枡形の防御施設のようです。土塀には、無数の狭間がありました。
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『国史跡・赤穂城跡本丸門(復元)』と題された説明プレートです。石碑のような作りでした。平成8年(1996年)3月に完成した、一の門、二の門、土塀と生道について大きさや市用材などが記されていました。
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『二の丸霊園表門』の光景です。本丸門と向き合う、庭園の入口門となります。『冠木門』とも呼ばれ、平成20年(2008年)に整備された門です。
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『本丸庭園入園ご案内』のタイトルがあった案内看板です。入園時間は午前9時から16時半までと表示されていました。年末年始以外は無休のようでした。
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二の丸庭園に隣接する大石頼母助の屋敷門です。本名は良重(161〜1683年)です。赤穂浅野家筆頭家老の大石良勝の次男として誕生、兄の大石良欽が大石家1500石の家禄と筆頭家老職を継ぎましたが、良重も藩主浅野長直の信任を得て450石取りの家老となり、長直の娘の鶴姫を妻にしました。兄が死去すると、19歳という若年で相続した良雄の後見人となりました。
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『国名勝・旧明石城庭園・二の丸庭園』のタイトルがあった案内看板です。二の丸庭園は、赤穂城二の丸の北西部に位置する、池泉を擁する大規模な庭園です。
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イチオシ
本丸の見学を終えて、振り返って眺めた本丸門の光景です。手前が二の門の本丸高麗門、その後ろに控えるのが一の門の本丸櫓門です。
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赤穂城の見学を終えて、バスの駐車場に向かう途中の光景です。花見日和の二の丸で咲くソメイヨシノです。
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満開のソメイヨシノの花のアップ光景です。そろそろ満開から散り始めに替わりそうでした。二の丸庭園の南側には、二の丸の花見広場も記されていました。
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角地に当たる屋敷跡の光景です。この屋敷跡にも桜が咲いていました。復元作業に使われるものでしょうか、多くの石材が敷地内に置かれていました。
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角地の屋敷跡には案内看板がありました。『片岡源吾右衛門高房』の紹介文が記された立看板と、その左側にあった石碑です。浅野内匠頭とは同年で、腹心中の腹心でした。始め100石から32歳の時には350石まで増禄されていました。田村邸で切腹寸前の内匠頭に拝顔、今生の別れを告げました。表門隊として吉良邸に討入りました。
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大石神社の場所まで戻ってきました。背後から眺めた赤穂四十七義士の石像姿です。表門隊が大石内蔵助はじめ23名、裏門隊が嫡男の大石主税はじめ24名でした。
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赤穂四十七義士の石像に先に見えた、銅葺屋根の神門の光景です。湊川神社から移築されたこの神門は、義芳門の呼び名を持ちます。
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これで赤穂城と大石神社見学の紹介はおしまいです。最後の写真は最初の入城の時に通った『西隅櫓台』です。今回の旅行での百名城巡りの4箇所目でした。この後岡山まで移動し、この日の内に5箇所目の岡山城を見学する予定です。
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