2015/04/03 - 2015/04/05
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旅人のくまさんさん
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桜満開の時期の姫路城紹介です。ソメイヨシノ(染井吉野)をはじめ、ヤマザクラ(山桜)、サトザクラ(里桜)が満開でした。
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満開のソメイヨシノの花のアップ光景です。桜が一番きれいなのは、散り始め友言われますが、今日がその時になりそうでした。あっという間の短い期間ですが、花吹雪の風情は殊更です。
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満開のソメイヨシノの花です。木々の周りの緑の下草の上には、落花が始まっていました。やはり、満開に続く散り始めの光景でした。
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周りに遮るものがなく、枝を地面すれすれに伸ばしていたソメイヨシノの木の光景です。花の重たさで撓ったわけではなさそうです。
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桜の間から見えているのは、『千姫化粧櫓』のようです。『千姫化粧櫓』は、江戸幕府の第2代征夷大将軍の徳川秀忠公とお江の方(崇源院)の長女として生まれた、千姫のために造られたものです。
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イチオシ
『西の丸』にはソメイヨシノに交じって、所々に『ヤマザクラ(山桜)』の木がありました。この山桜もソメイヨシノに負けないほどの満開でした。
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『西の丸庭園』の木々の間から眺めた『大天守』の光景です。左下がソメイヨシノ、右上が常緑樹となりました。
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西の丸の『化粧櫓』の石垣の脇から眺めた『大天守』の光景です。千姫は、祖父の家康や父・秀忠から可愛がられ、また、弟の家光とも姉弟仲は良好だったと伝わります。歴代の幕府も、その経歴から処遇に関しては細心の注意を払ったとも伝わります。
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満開のソメイヨシノの間から顔を覗かせた『千姫化粧櫓』の光景です。千姫は一度は豊臣秀頼に嫁ぎましたが、大阪夏の陣で秀頼と死別しました。その後、本多忠刻と再婚して姫路城で約10年間を過ごしました。その本多忠刻公は31歳の時に亡くなり、
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『千姫化粧櫓』から西に向かって伸びる『西の丸長局』の光景です。『百?長屋』の呼び名も持ちます。地形に合わせたらしい屈曲が、見る者の目を楽しませます。当時の千姫は、『播磨姫君』と呼ばれていたようです。曾祖父の織田信秀公と祖母のお市の方の、聡明さと美貌を受け継いだ美しい姫君と後世に伝わります。
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『西の丸長局』をバックに咲き誇るソメイヨシノの光景です。男山には本多家の繁栄を願って中腹に建立された『男山千姫天満宮』があります。千姫は天満天神を信仰し、毎朝この廊下から男山を拝んでいたと伝えられています。
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ソメイヨシノの特徴は、クローンであるため、全ての株が同一に近い特性を持つこととされます。病気や環境の変化に負ける場合には、多くの株が同じような影響を受けやすいとされます。また、同時期に植樹された株ならば、同時期に樹勢の衰えを迎えるとの指摘もあります。
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満開の『ヤマザクラ(山桜)』の花のアップ光景です。ソメイヨシノとは違って、花と一緒に葉も出てきます。その葉の色が風情を醸します。本居宣長の和歌、『敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花』はあまりにも有名です。
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満開のソメイヨシノの桜並木の光景です。ソメイヨシノは、他の桜より『てんぐすびょう(天狗巣病)』に弱いとされます。病原菌の感染により起こる病気で、その上部では小枝が密生したり、後に枯れたりします。このため、公益財団法人日本花の会では、2009年からソメイヨシノに替えて、天狗巣病に強く、花や開花時期がソメイヨシノと類似する『ジンダイアケボノ(神代曙)』への植え替えを推奨しているようです。
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『西の丸長局』が大きく屈曲する場所の建物光景です。その屈曲場所に建つのは、『るの櫓』です。天狗巣病の話の続きです。ソメイヨシノに替わって推奨されている『ジンダイアケボノ(神代曙)』は、都立神代植物公園に原木がある日本原産の交雑種の桜です。
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ソメイヨシノに替わって推奨されている、『ジンダイアケボノ(神代曙)』の話題の続きです。西田尚道氏が発見した品種で、1991年に新品種として登録されました。エドヒガン系の特徴を持ち、ソメイヨシノに良く似た花を咲かせます。ただし、赤色はソメイヨシノより強いようです。
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イチオシ
満開のソメイヨシノの花のアップ光景です。21世紀に入り、戦後に大量に植えられたソメイヨシノの寿命が到来しつつあるとの指摘も出るようになってきました。
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ソメイヨシノの古木の前に。左向きの矢印で、『化粧櫓』と『百間廊下』が記されていました。『化粧櫓』は、入り口から一番遠い場所ですが、長い『百間廊下』を歩かなければ、辿り着かないようです。
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イチオシ
ソメイヨシノの大木の黒い幹に、白っぽい花が良く似合います。下草の緑も程よい引き立て役になっていました。
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同じく、ソメイヨシノの大木の光景です。ソメイヨシノは、特別の手入れをしないと、寿命が百年を超えることは少ないようですから、このソメイヨシノの古木も築城の時からは400年がたちますので、何代かを経ているようです。
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『西の丸』の入口に向かう途中の光景です。『百?廊下』の通称を持つ、『西の丸長局』の中間付近にある尼僧の建物は、『ヲの櫓』のようです。
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前方に見えてきたのが、『西の丸』の入口です。案内看板に記されていたように混んではいましたが、思ったほどの混雑ではありませんでした。
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履物をビニル袋に入れて入場した後、振り返って眺めた玄関光景です。入場した後、直ぐに二階まで階段を登りました。『わの櫓』が入口だったようです。
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格子戸の間から眺めた、『西の丸庭園』の桜の光景です。見事に満開となったソメイヨシノです。額縁風に切り取った風景は風情がありますが、格子で切り取った風景も乙なものです。
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格子で切り取った風景が気に入ったところで、今度は別の場所でも撮影です。空一面の満開のソメイヨシノでした。格子がそのアクセントになりました。ところで、角材を縦方向に並べたものも格子と言いますが、厳密には『連子(レンジ)』が正しいようです。
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『西の丸』の渡廊下から見下ろした城内の光景です。土塀の近くを疏水が流れていました。長い渡り廊下は、『百間廊下』の名前で呼ばれています。
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姫路城の主な歴代城主の紹介です。最初は、『黒田官兵衛、橋場秀吉の時代』のタイトルがあった説明パネルの紹介です。姫路城が資料で確認できるのは正明寺文書の『姫路御構』とされ、永禄年(1561年)のことです。黒田重隆・職隆の城主時代とされます。黒田官兵衛(孝高)は、職隆(もとたか)の子で、城主を引き継ぎました。官兵衛は、中国攻めの羽柴秀吉に対し、姫路城を拠点とするよう進言したとされます。
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『関ヶ原合戦後、江戸幕府の時代』のタイトルの説明パネルの紹介です。慶長5年(1600年)、関が原合戦の東軍で活躍した池田輝政が播磨の国主として入城し、姫路城の大改修を着手しました。その後の江戸時代、本多、松平、榊原、酒井と言った徳川家に近い人物が城主を務めました。西国支配の拠点とされたためです。
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『歴代城主・池田家』のタイトルがあったパネルの紹介です。徳川家康の娘婿の池田輝政は『西国将軍』とも呼ばれました。それは輝政自身が52万石の播磨城主であったことと、その子たちも備前国や淡路国の大名に取り立てられ、池田家で100万石を超える大大名となったためです。徳川家康と西国の外様大名との取次役でもあったため、『西国将軍』の通称が相応しいものとなりました。
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『歴代城主・松平(奥平)家、松平(結城)家』のタイトルがあった説明パネルの紹介です。寛永16年(1639年)、徳川家康の外孫の松平忠明が姫路城主となりました。南蛮船の長崎襲来に備えての、徳川家のエース投入の説明がありました。
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『歴代城主・酒井家』のタイトルの説明パネルです。『明治維新まで120年以上にわたり姫路藩を統治』のサブタイトルがありました。その始まりが、寛延年(1749年)、酒井忠恭の上野前橋から姫路への入城です。酒井忠恭は、大阪城代、筆頭老中も務めた大名です。雅楽頭系酒井家宗家9代でもありました。上野前橋から姫路への移封は、酒井家の財政問題も絡んでいたようです。
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