2015/04/03 - 2015/04/05
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大阪城紹介の締め括りです。築城したのは豊臣秀吉、歴代城主は、豊臣氏に始まり、奥平氏、徳川氏が務めました。葉以上になったのは明治元年(1868年)のことです。
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玉造口付近の光景です。石段を登った場所から、大阪市街の景色が眺められるようでした。既に天守閣からの眺望を楽しみましたので、ここはパスしました。
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玉造口付近に残された、巨石を使った石組の光景です。玉造口の名前は、大阪城搦手口の一つで、玉造方面に向かって口を開いていることからの命名です。
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大阪城の見学を一通り終えて、小休止の時の撮影です。桜門付近は、記念撮影のスポットとなっていました。
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桜門付近にあった満開のソメイヨシノの光景です。豊臣秀吉時代の門の位置とは違っていますが、桜が名所の門であったことは同じようです。
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内側から眺めた、『桜門』の光景です。外からと比べますと、随分とイメージが異なります。左右に伸びた小屋根は、扉を開けた時に扉が収まる位置のようです。
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桜門付近の塀の光景です。台風被害に遭った兵との情報がありましたが、その補強対策の支柱のようです。
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『重要文化財・桜門』のタイトルがあった説明看板です。本丸の正面に当たるこの門は、大阪城の築城が行われていた寛永3年(1626年)に創建されましたが、明治維新の大火で焼失しました。明治20年(1868年)に再建された門であることが紹介されていました。
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重要文化財の『桜門』の光景です。門の左右の塀は台風で倒壊し、昭和44年(1969年)に再建されたものです。
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横から眺めた、内堀の南側部分となる空堀の光景です。現在の内堀は寛永元年(1624年)、徳川幕府再建の時に掘られた物で巣から、南半分は当初から水のない空堀だったようです。
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同じく、空堀の光景です。空堀部分を水堀とするためには、現在の堀底を更に10メートル以上掘り込まなくてはならない高低差がある地形とされます。しかし、上町台地は強固な洪積層の粘土層が地表近くまで表れている大阪市内唯一の場所であり、掘り下げることはかなりの難事だったと想定されています。また、大砲の出現により、水を湛えたとしても防御力はそれほど向上しないとの指摘もあります。
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イチオシ
空堀の南に面したソメイヨシノの桜並木の光景です。まだ僅かばかりですが、落花が始まっていました。
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豊国神社の鳥居です。京都府京都市東山区の豊国神社(とよとみじんじゃ)の大阪別社として創建され、のちに京都・豊国神社から独立して豊國神社(ほうこくじんじゃ)に改称されました。豊臣秀吉をはじめ、豊臣秀頼、豊臣秀長が祀られています。
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同じく、豊國神社(ほうこくじんじゃ)の鳥居付近の光景です。秀吉とともに祀られている豊臣秀頼(1593〜1615年)は秀吉の三男、秀吉の側室であった茶々(淀殿)の第二子です。大阪夏の陣で家康に敗れ、秀頼は淀殿や秀頼の助命を働いた大野治長らと共に自害しました。
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豊國神社(ほうこくじんじゃ)境内に建つ、豊臣秀吉(1537〜1598年)の立像です。秀吉とともに祀られている豊臣秀長(1540〜1591年)は、秀吉の異父弟(同父弟説もあります)です。秀長は温厚、真面目、寛容な人柄であり、秀吉の名補佐役でありブレーキ役でした。秀長の病死は、その後の豊臣政権の政局混乱の様相が、平氏政権の平清盛が重盛を失った状況と重ね合わせられることがあります。
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豊臣秀吉象のアップ光景です。木下藤吉郎の名前で始まり、秀吉、羽柴秀吉、藤原秀吉と改名し、最後が豊臣秀吉でした。百姓から天下人へと至った生涯は、『戦国一の出世頭』と評されます。
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鳥居は複数あったようです。この鳥居の先に豊國神社(ほうこくじんじゃ:以下豊国神社の表記に統一します、)の本殿の正面光景がありました。扁額は懸かっていない鳥居でした。
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無数のおみくじが結び付けられていた樹木の光景です。樹種は分かりませんが、これからが開花時期の里桜当たりのようでした。
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軽い食事を済ませたお店の光景です。ラーメンにスーパードライの缶ビール1本にしました。雨宿りも兼ねていたのでしょうか、中々繁盛していました。
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豊国神社の付近から眺めた北側方面の光景です。空堀になった内堀の石垣の上から天守閣が顔を覗かせていました。満開のソメイヨシノの焼には、『大坂の陣・400年』の幟がありました。大坂冬の陣が慶長19年(1614年)、夏の陣が慶長20年(1615年)のことでした。
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豊国神社の境内で咲いていた、薄紅色の八重咲の桜の花のアップ光景です。品種名までは分かりませんが、サトザクラ(里桜)の一種のようです。サトザクラの歴史は古く、人々がサクラを庭に植え始めた平安時代からとされます。おみくじが結んであった蕾だけの樹も、サトザクラだったかもしれません。
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玉造口付近の石垣光景です。石垣の上に登ることができるような階段がありましたので、その上からの眺めです。
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往きにも眺めた。南外堀の石垣の上に建つ、『一番櫓』の光景です。玉造口を側面から防御する役目を持った櫓でした。。六番櫓と同じく、徳川幕府による大坂城再建工事の第三段階にあたる寛永5年(1628)に築かれた櫓です。
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『一番櫓』のアップ光景です。二層二階建てで窓は外堀に面した面を中心に15ヶ所、出入り口は南面と北面に各1ヶ所あります。壁に設けられた鉄砲狭間は11ヶ所、石落としは2ヶ所とされます。建物内が公開された記録はないようです。
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イチオシ
場所を変えて、ソメイヨシノの花越しに眺めた、『一番櫓』の光景です。昭和39年(1964年)に行われた解体修理の時の調査によって、万治3年(1668年)、寛文8年(1668年)、天保3年(1832年)の三回に亘って補修が加えられたことが判明しています。
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南外堀と、その外側の石垣光景です。撮影した場所からは、南西方面の光景になります。桜並木の背後には、大阪市街の高層ビル群が見えています。
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南外堀の外側になる場所の光景です。ソメイヨシノの樹の下では、同じバラ科の植物のユキヤナギ(雪柳)が満開でした。
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恐らく今日の雨で、見頃が終わってしまいそうな満開のソメイヨシノの並木道です。満開を過ぎて、散り始めと表現した方が当たっているようでした。
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南外堀の外側の石垣に沿って生えた桜並木の光景です。南外堀の縁には、転落防止のための金属柵が連なっていました。
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満開のソメイヨシノの桜並木の光景です。この辺りでは、まだ落花はありませんでしたから、文字通りの満開です。前方に、屋台のお店が見えてきました。
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イチオシ
再集合場所は、バスの駐車場に14時の約束でした。その駐車場近くまでやってきました。屋台が立ち並んだ、南外堀に面した外側の区域の光景です。
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