2015/04/03 - 2015/04/05
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旅人のくまさんさん
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忠臣蔵でお馴染みの赤穂義士の故郷、赤穂城と大石神社の紹介です。大石神社は、大石良雄ら赤穂浪士47人および中途で自害した萱野重実を主祭神としています。
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『赤穂城』のタイトルがあった説明看板です。お城の縁起が記されていました。浅野内匠頭長矩の祖父・長直が、13年の歳月をかけて寛文元年(1661年)に完成させたお城です。城郭の縄張りは甲州流軍楽によるものとされる、変形輪郭式の海岸平城です。10の隅櫓、12の櫓と12の門があったとされます。天守閣は築かれませんでした。
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イチオシ
明治維新後、城郭は破壊され、屋敷は民有地にはらいさげられましたが、現在では本丸内の大名庭園の復元ををはじめ、大手門、大手隅櫓などが復元され、再建工事が進められています。昭和46年(1971年)には国の史跡に指定され、日本百名城の一つともなりました。
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『西隅櫓台』です。修復されて、積み直されたような跡がありました。打込み接ぎ(うちこみはぎ)の石積みが行われているようです。
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『西隅櫓台』の表示があった木製の標識のアップ光景です。塩谷門のやや南に当たり、かつては二重の櫓があったことなどが記されていました。櫓台の裾付近には、三の丸外堀の水量調整の水門があったことも記されていました。
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『元禄の名残豊かな・赤穂城跡』の文字が刻まれた石碑です。昭和58年(1983年)、赤穂新八景選定記念に建立されたことが記されていました。
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『塩屋門(赤穂城裏門)址』のタイトルがあった立看板です。赤穂城の搦め手門と記されていました。元禄14年(1701年)3月19日、浅野内匠頭長矩公の刃傷、切腹の第一、第二の早使いが入ったのもこの門とされます。
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『明治10年代頃の塩屋門(元が:花丘寺所有)』のタイトルがあった石碑風の説明看板です。原画と呼ばれるものは、当時の写真のようでした。高麗門の規模は、間口約4メートル、建築面積約16.5平方メートルとされます。門を入ると内部は内枡形となり、門正面には4.5メートルの枡形石垣がありました。枡形内には番所と太鼓櫓が置かれていました。
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昭和29年(1954年)に建立された、『良寛歌碑』です。良寛(1758〜1831年)は、江戸時代後期の曹洞宗の僧侶で歌人、漢詩人で書家でした。『やまおろしよ いたくなふきそ しろたえの ころもかたしき たびねせし夜は』の和歌が刻まれているようです。
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『良寛歌碑』の説明文が記された木製の標識です。諸国行脚の途中、赤穂天神に立寄り、野宿された時に詠われた和歌であることが紹介されていました。
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『大野九郎兵衛宅址』のタイトルがあった説明看板です。大野九郎兵衛は650石の家老祝にありました。経済手腕を認められて召し抱えられていたようです。浅野長矩の松の廊下事件の後の対応では、大石内蔵助らと意見が異なっていまようです。赤穂城の開城の前に赤穂から出奔したとされます。
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『間瀬久太夫正明』のタイトルがあった説明看板と石碑の紹介です。二百石の大目付で大石内蔵助の良き相談や苦であったことが紹介されていました。嫡子の孫苦労とともに吉良邸に討ち入った親子組の一人です。石碑には間瀬久太夫宅址の文字が刻まれていました。
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『神尾専右衛門屋敷跡』のタイトルがあった説明パネルです。素性が不明と解説されていました。白受け渡しの際の『赤穂城内さくらい屋敷間数図』に記されていた名前とされます。
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『田中貞四郎屋敷跡』のタイトルがあった説明看板です。150石の手廻役で、玉虫七郎右衛門組の小納戸役とも紹介されていました。浅野長矩の側近の一人で、以外を引き取り、田村邸から高輪泉岳寺まで見送った六名の藩士の一人とされます。討ち入り直前に脱落した人とされます。
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『磯貝十郎左衛門正久』のタイトルがあった説明パネルです。150石の物頭で、浅野長矩の側用人だった人です。江戸で磯貝権左衛門の三男として生まれた時から美男子とて知られ、能や琴に優れ、鼓の名手でもあった人です。討ち入りの時には、裏門組に加わり、手槍を使って活躍したとされます。児小姓頭であった片岡源五右衛門とは、特に親しく、行動も共にしました。
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大石神社の参道の入口に来ました。赤穂城に向かう通りの左手にありましたので、お城の見学の前に立寄ることにしました。
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大石神社入り口の石灯篭です。神社の敷地は、家老の大石内蔵助邸、家老の藤井又左衛門邸、義士片岡源五右衛門邸と大石瀬左衛門邸跡一帯とされます。
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『大石神社』の大きな文字が刻まれた石碑です。元禄赤穂事件以降、赤穂浪士を称揚する人々によって旧赤穂城内の大石邸内に小さな祠が設けられ、密かに祀られていましたが、1900年(明治33年)、『大石神社』を創建することが政府から許可されました。1910年(明治43年)4月に起工、1912年(大正元年)に社殿が竣工しました。
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『大石神社』の参道に並ぶ赤穂義士の像です。一番左は寺坂吉右衛門像です。大石主税をはじめとする24名の馬門隊です。木製の義士像は、山崎朝雲、平櫛田中らの近代彫刻家によるものが義士資料館に展示されています。
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一番左は村松三太夫像、次が茅野和助像です。大石主税率いる裏門隊です。茅野和助常成は、美作藩士として森伯耆守長武に仕えたのち、赤穂に来て横目付となりました。微禄の新参者ながら、討ち入りを果たしました。
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一番右が『吉田忠左衛門像』、その左が『堀部安兵衛像』、左端が『潮田又之丞像』です。大石主税率いる裏門隊です。吉田忠左衛門は、実質的な裏門隊の指揮者、堀部安兵衛の本名は武庸(たけつね)、高田馬場の決闘で名を馳せた、四十七士随一の剣客でした。
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裏門隊を率いた『大石主税像』です。まだ若い大石主税(良金)ですから、実質的な指揮者は吉田兼亮でした。通称は吉田忠左衛門です。裏門隊24名のうち、堀部武庸(太刀)、礒貝正久(槍)、倉橋武幸、杉野次房、赤埴重賢、三村包常、菅谷政利、大石信清(槍)、村松高直(槍)、寺坂信行の10士が吉良邸内に突入しました。
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大石内蔵助が率いた表門隊の義士像です。右から順に、『矢頭右衛門七像』、『岡野金右衛門像』と『間十次郎像』です。 十次郎の本名は光興、討入りの時に炭小屋で吉良氏を見つける手柄を挙げました。その褒美に、芝泉岳寺では十次郎が最初に焼香しました。
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同じく、表門隊の義士像です。左から順番に、『矢田五郎右衛門像』、『大高源吾像』と『村松喜兵衛像』です。大高源吾の本姓は安倍氏、本名は忠雄です。子葉の雅号で、俳諧にも事績を残しました。大高家は平安時代から続く名家とされ、浅野家での禄高も200石でした。泉岳寺では子葉を知る僧侶から一句を求められ、『山をさく刀もおれて松の雪』の一句を残しました。
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イチオシ
『大石内蔵助像』です。表門隊の大将の大石良雄です。その下に23士が属しました。そのうち片岡高房(槍)、富森正因(槍)、武林隆重(槍)、奥田重盛(太刀)、矢田助武(槍)、勝田武堯(槍)、吉田兼貞、岡島常樹、小野寺秀富の9士が吉良邸内に突入しました。
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『四十七義士を祀る・大願成就の守・大石神社』のタイトルがあった説明看板です。大石内蔵助をはじめとするご祭神、明治天皇に関わる由緒や、討ち入りの日の12月14日が例大祭であることなどが記されていました。
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イチオシ
欅材入母屋造四脚門の神門、『義芳門』です。楠木正成公に縁の、神戸の湊川神社から移築された門です。明治維新が実現すると、楠木正成公は、皇室に忠義を尽くした第一の功臣として顕彰され、明治政府主導で湊川神社が明治5年(1872年)に建立されました。
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『義芳門』のタイトルがあった説明プレートです。楠正成公を祀る神戸の湊川神社の神門が、昭和17年に移築されたものであることが紹介されていました。『東の楠公』、『西の大石』と呼ばれる二大忠臣の事も紹介されていました。
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浄めの水です。その手前の案内看板には、四十七義士の木像と、大石内蔵助のお庭の案内がありました。
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木造の『恵比寿様』です。楼門である義芳門を潜ると、右手にある恵比寿像です。商売繁盛、社運隆昌の神様です。
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木造の『大黒様』です。義芳門を潜ると、左手にある大黒様像です。福徳円満、夫婦円満のご利益があるとされます。
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