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桜の時期の近畿、中国と四国の百名城巡りです。今回のツアー旅行で見学した百名城は、次の7か所です。C社のバスツアーには、『桜舞う「日本の100名城」めぐり3日間』のタイトルが付いていました。<br /><br />*大阪府:大阪城<br />*兵庫県:明石城、姫路城、赤穂城<br />*岡山県:岡山城<br />*香川県:丸亀城、高松城

2015春、近畿・中国・四国の百名城(1/38):4月3日(1):大阪城(1):大阪城公園、玉造口

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2015/04/03 - 2015/04/05

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

桜の時期の近畿、中国と四国の百名城巡りです。今回のツアー旅行で見学した百名城は、次の7か所です。C社のバスツアーには、『桜舞う「日本の100名城」めぐり3日間』のタイトルが付いていました。

*大阪府:大阪城
*兵庫県:明石城、姫路城、赤穂城
*岡山県:岡山城
*香川県:丸亀城、高松城

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  • 集合時間は8時30分、名古屋駅西口のエスカ地下街でした。商店街が開く前の早朝の時間帯ですから、集合に適した場所でした。

    集合時間は8時30分、名古屋駅西口のエスカ地下街でした。商店街が開く前の早朝の時間帯ですから、集合に適した場所でした。

  • 同じく、名古屋駅西口のエスカ地下街の光景です。現在時刻は7時45分頃ですが、朝早いツアーは、既に集合を終えて、出発していきました。

    同じく、名古屋駅西口のエスカ地下街の光景です。現在時刻は7時45分頃ですが、朝早いツアーは、既に集合を終えて、出発していきました。

  • 今年から国内旅行と海外両行を折半する5か年計画をスタートさせ、2回目の国内旅行です。エスカ地下街は、今回初めての集合場所でしたから、少し早めに現地集合しました。ツアー各社の名前が記された案内表示です。

    今年から国内旅行と海外両行を折半する5か年計画をスタートさせ、2回目の国内旅行です。エスカ地下街は、今回初めての集合場所でしたから、少し早めに現地集合しました。ツアー各社の名前が記された案内表示です。

  • 定刻の8時30分に参加者全員が集合し、定刻に名古屋駅西口からバスで出発しました。最初に見学するのは『日本の100名城』の一つ大阪城です。大阪中心部の車窓光景です。大きな渋滞にも遭わず、現在時刻は11時半少し前です。約3時間での到着でした。

    定刻の8時30分に参加者全員が集合し、定刻に名古屋駅西口からバスで出発しました。最初に見学するのは『日本の100名城』の一つ大阪城です。大阪中心部の車窓光景です。大きな渋滞にも遭わず、現在時刻は11時半少し前です。約3時間での到着でした。

  • 車窓からの大阪中心部の光景が続きます。渋滞を避けるために少し回り道をして、千里ニュータウン近くを走ったようです。瞬間ですが、大阪万博のシンボル・タワー、『太陽の塔』が見えました。岡本太郎さんの作品です。

    車窓からの大阪中心部の光景が続きます。渋滞を避けるために少し回り道をして、千里ニュータウン近くを走ったようです。瞬間ですが、大阪万博のシンボル・タワー、『太陽の塔』が見えました。岡本太郎さんの作品です。

  • 車窓からの大阪中心部のビル光景です。公官庁ビルのような建物光景です。

    車窓からの大阪中心部のビル光景です。公官庁ビルのような建物光景です。

  • 高速道路上から眺めた、大阪市街の街路光景が続きます。

    高速道路上から眺めた、大阪市街の街路光景が続きます。

  • 運河か、淀川の支流を渡るところです。目的地の大阪城公園の駐車場が近づいてきたようです。

    運河か、淀川の支流を渡るところです。目的地の大阪城公園の駐車場が近づいてきたようです。

  • 大阪城公園のバス駐車場に到着しました。現在時刻は11時40分頃です。ここから大阪城まで歩き、大阪城の入場券を貰ったところで自由見学です。14時に駐車場のバス集合でした。

    大阪城公園のバス駐車場に到着しました。現在時刻は11時40分頃です。ここから大阪城まで歩き、大阪城の入場券を貰ったところで自由見学です。14時に駐車場のバス集合でした。

  • 大阪城公園のソメイヨシノの光景です。満開でした。

    大阪城公園のソメイヨシノの光景です。満開でした。

  • 満開のソメイヨシノをバックに記念写真を撮る人達です。空模様はいまいちでしたが、大雨覚悟での見学ですから、まずまずと言った方が実感でした。

    満開のソメイヨシノをバックに記念写真を撮る人達です。空模様はいまいちでしたが、大雨覚悟での見学ですから、まずまずと言った方が実感でした。

  • 満開のソメイヨシノの花のアップ光景です。

    満開のソメイヨシノの花のアップ光景です。

  • 大木に育ったソメイヨシノの桜トンネルの光景です。

    大木に育ったソメイヨシノの桜トンネルの光景です。

  • 大阪城のお堀が見えてきました。外堀のようです。大阪城は豊臣秀吉により、1583年(天正11年)に築城されました。金城あるいは錦城の呼び名を持ちます。姫路城、熊本城と並んで、日本の三名城とも呼ばれます。

    大阪城のお堀が見えてきました。外堀のようです。大阪城は豊臣秀吉により、1583年(天正11年)に築城されました。金城あるいは錦城の呼び名を持ちます。姫路城、熊本城と並んで、日本の三名城とも呼ばれます。

  • 大阪城の外堀の光景です。『南外堀』になるようです。

    イチオシ

    大阪城の外堀の光景です。『南外堀』になるようです。

  • 『南外堀』付近で咲いていた、満開のソメイヨシノの光景です。

    『南外堀』付近で咲いていた、満開のソメイヨシノの光景です。

  • 玉造口の手前にあった案内標識です。左手方面の矢印が、玉造口を経由して、本丸や西の丸庭園に向かう案内です。2月中旬から3月上旬が見頃の梅林は、『寒紅』、『冬至』や『白加賀』などの品種の1270本の梅があるようです。

    玉造口の手前にあった案内標識です。左手方面の矢印が、玉造口を経由して、本丸や西の丸庭園に向かう案内です。2月中旬から3月上旬が見頃の梅林は、『寒紅』、『冬至』や『白加賀』などの品種の1270本の梅があるようです。

  • 『南外堀』の内側の石垣の上に建つのは、『一番櫓』です。その周りは二の丸跡になります。玉造門を側面から防御する目的の櫓です。

    イチオシ

    『南外堀』の内側の石垣の上に建つのは、『一番櫓』です。その周りは二の丸跡になります。玉造門を側面から防御する目的の櫓です。

  • 振り返って眺めた『南外堀』の光景です。左手に大阪市街のビル光景が見えました。南外堀の外側を回って、玉造口に向かいました。玉造の地名は、古墳時代に遡るとされます。勾玉や管玉を作った技術者集団の玉造部が、近くに住んでいたと考えられています。

    振り返って眺めた『南外堀』の光景です。左手に大阪市街のビル光景が見えました。南外堀の外側を回って、玉造口に向かいました。玉造の地名は、古墳時代に遡るとされます。勾玉や管玉を作った技術者集団の玉造部が、近くに住んでいたと考えられています。

  • 玉造口も大手口と同じく巨大な石塁による枡形を備えていたとされます。現在は枡形部分をカットする形で、石組みが大きく改変されています。元々は、多聞櫓を備えた石塁による枡形構造で、櫓門の一の門と二の門を備えていたとされます。

    玉造口も大手口と同じく巨大な石塁による枡形を備えていたとされます。現在は枡形部分をカットする形で、石組みが大きく改変されています。元々は、多聞櫓を備えた石塁による枡形構造で、櫓門の一の門と二の門を備えていたとされます。

  • 玉造口の巨大な石塁による枡形の名残です。通路脇に移築されているようでした。枡形の石塁は、大阪城を管轄下に置いた軍部により、大正年間に大部分が撤去されたようです。

    玉造口の巨大な石塁による枡形の名残です。通路脇に移築されているようでした。枡形の石塁は、大阪城を管轄下に置いた軍部により、大正年間に大部分が撤去されたようです。

  • 大阪城の南東の出入口になる、玉造口付近の光景です。現在は、通路の脇の桜並木が綺麗な通りとなっています。

    大阪城の南東の出入口になる、玉造口付近の光景です。現在は、通路の脇の桜並木が綺麗な通りとなっています。

  • 玉造口を通り越して、内堀に差し掛かった場所の光景です。水を湛えた右側に見える内堀と、水を堰き止めて唐彫りになった左側方面の光景です。

    玉造口を通り越して、内堀に差し掛かった場所の光景です。水を湛えた右側に見える内堀と、水を堰き止めて唐彫りになった左側方面の光景です。

  • 水がないお堀の光景です。内堀の『空堀』の部分です。桜門に向かう途中の右手方面の光景です。

    水がないお堀の光景です。内堀の『空堀』の部分です。桜門に向かう途中の右手方面の光景です。

  • 内堀の『空堀』の土手で咲いていた、ソメイヨシノの桜並木の光景です。この桜並木も満開でした。

    内堀の『空堀』の土手で咲いていた、ソメイヨシノの桜並木の光景です。この桜並木も満開でした。

  • 内堀跡の先に見える、『桜門』の光景です。現在の桜門は、枡形や土橋等を含め、全てが徳川時代に再建されたものとされます。因みに、豊臣時代の桜門は、現在の位置よりも少し西側にあったようです。

    内堀跡の先に見える、『桜門』の光景です。現在の桜門は、枡形や土橋等を含め、全てが徳川時代に再建されたものとされます。因みに、豊臣時代の桜門は、現在の位置よりも少し西側にあったようです。

  • 『銀明水井戸の井筒』のタイトルがあった説明看板です。徳川幕府時代の大阪城に造られた、五つの井戸の内の一つとされます。本丸を警備する役人たちの飲み水となったようです。『銀明水』の呼び名は、『金明水』に次ぐ重要な井戸に対するものとされます。『金明水』は本丸内にあったとされます。

    『銀明水井戸の井筒』のタイトルがあった説明看板です。徳川幕府時代の大阪城に造られた、五つの井戸の内の一つとされます。本丸を警備する役人たちの飲み水となったようです。『銀明水』の呼び名は、『金明水』に次ぐ重要な井戸に対するものとされます。『金明水』は本丸内にあったとされます。

  • 『桜門枡形の巨石』のタイトルがあった説明看板です。本丸の正面入り口を守るために造られたのが、石垣で資格に囲った『枡形』と呼ばれる区画です。備前(現在の岡山県)の花崗岩が使われていることが説明されていました。

    『桜門枡形の巨石』のタイトルがあった説明看板です。本丸の正面入り口を守るために造られたのが、石垣で資格に囲った『枡形』と呼ばれる区画です。備前(現在の岡山県)の花崗岩が使われていることが説明されていました。

  • 『蛸石』と呼ばれる城内第1位の巨石は、表面積がおよそ36畳敷(59平方メートル余)、重量が約180トンとされます。上部には、慶応4年(明治元年:1868年)に焼失した多聞櫓があったとされます。

    イチオシ

    『蛸石』と呼ばれる城内第1位の巨石は、表面積がおよそ36畳敷(59平方メートル余)、重量が約180トンとされます。上部には、慶応4年(明治元年:1868年)に焼失した多聞櫓があったとされます。

  • 『桜門枡形の巨石』の光景です。この場所には、城内第3位の巨石、『振袖石』も『蛸石』の左側にあります。こちらは表面積およそ33畳敷の大きさです。

    『桜門枡形の巨石』の光景です。この場所には、城内第3位の巨石、『振袖石』も『蛸石』の左側にあります。こちらは表面積およそ33畳敷の大きさです。

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