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好天にも恵まれた、桜満開の姫路城の紹介です。5年半ほどかけた平成の大修理が完了し、国内だけでなく、世界中からの観光客が集まっているようでした。

2015春、近畿・中国・四国の百名城(15/38):4月4日(6):姫路城(6):ちの櫓、りの渡櫓

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2015/04/03 - 2015/04/05

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

好天にも恵まれた、桜満開の姫路城の紹介です。5年半ほどかけた平成の大修理が完了し、国内だけでなく、世界中からの観光客が集まっているようでした。

交通手段
観光バス

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  • 『上山里』で咲いていた、ソメイヨシノとサトザクラ(里桜)の光景です。どちらも見頃を迎えていました。その後方に見えているのは、上山里の隅櫓のようです。名前は特定できませんでした。

    『上山里』で咲いていた、ソメイヨシノとサトザクラ(里桜)の光景です。どちらも見頃を迎えていました。その後方に見えているのは、上山里の隅櫓のようです。名前は特定できませんでした。

  • 枝垂れ桜を前景にした、姫路城の『大天守』の正面光景です。一番手前の石垣は『備前丸』のものですが、『大天守』の石垣も、最上部が微かに見えています。

    枝垂れ桜を前景にした、姫路城の『大天守』の正面光景です。一番手前の石垣は『備前丸』のものですが、『大天守』の石垣も、最上部が微かに見えています。

  • 『上山里』の一角にある、『ちの櫓』の建物光景です。『上山里』に面したこちら側には、窓も出入口もありませんでした。渡櫓が出入口替わりでしょうか。

    『上山里』の一角にある、『ちの櫓』の建物光景です。『上山里』に面したこちら側には、窓も出入口もありませんでした。渡櫓が出入口替わりでしょうか。

  • 『上山里』の一角にある建物光景です。左端が先程紹介した『ちの櫓』、次が『りの一渡櫓』、『りの二渡櫓』と続きます。『りの一渡櫓』は、現在は黒田官兵衛の展示館、『りの二渡櫓』は、歴代鬼瓦の展示場所になっていました。

    『上山里』の一角にある建物光景です。左端が先程紹介した『ちの櫓』、次が『りの一渡櫓』、『りの二渡櫓』と続きます。『りの一渡櫓』は、現在は黒田官兵衛の展示館、『りの二渡櫓』は、歴代鬼瓦の展示場所になっていました。

  • 蓋を開けて展示してあった石棺です。『備前丸』の東側石垣に転用されていたものが、石垣修理の際に取り外され、この場所に展示されたものです。

    蓋を開けて展示してあった石棺です。『備前丸』の東側石垣に転用されていたものが、石垣修理の際に取り外され、この場所に展示されたものです。

  • 『石棺』のタイトルがあった説明プレートです。本来目的以外に使用されている石材では、この石棺のほか、石臼、破壊し、灯篭などが紹介されていました。『転用石』の呼び名があるようです。

    『石棺』のタイトルがあった説明プレートです。本来目的以外に使用されている石材では、この石棺のほか、石臼、破壊し、灯篭などが紹介されていました。『転用石』の呼び名があるようです。

  • 明治、昭和、平成時代に亘って製造された、『大天守の鯱』の展示です。それぞれの大修理の際に焼かれたものです。

    明治、昭和、平成時代に亘って製造された、『大天守の鯱』の展示です。それぞれの大修理の際に焼かれたものです。

  • 『大天守の鯱』のタイトルがあった説明パネルです。明治の鯱は五代目、昭和が六代目、平成の鯱が七代目と、意外と速い頻度で取り換えられています。今回使用された平成の鯱は、昭和の鯱を忠実に再現したものであることが紹介されていました。昭和の鯱は、大天守の二重の屋根で見つかった、最も古いとみられる貞享4年(1687年)の銘があった小型の鯱をモデルに11個が焼かれたようです。

    『大天守の鯱』のタイトルがあった説明パネルです。明治の鯱は五代目、昭和が六代目、平成の鯱が七代目と、意外と速い頻度で取り換えられています。今回使用された平成の鯱は、昭和の鯱を忠実に再現したものであることが紹介されていました。昭和の鯱は、大天守の二重の屋根で見つかった、最も古いとみられる貞享4年(1687年)の銘があった小型の鯱をモデルに11個が焼かれたようです。

  • 満開の紅枝垂れ桜の光景です。『サトザクラ(里桜)』の仲間の桜のようです。手前の方の枝垂れ桜は、かなり濃い色をしていましたが、蕾が多いためのようでした。石垣の上から顔を覗かせているのは『大天守』です。

    満開の紅枝垂れ桜の光景です。『サトザクラ(里桜)』の仲間の桜のようです。手前の方の枝垂れ桜は、かなり濃い色をしていましたが、蕾が多いためのようでした。石垣の上から顔を覗かせているのは『大天守』です。

  • 見頃を迎えていた、サトザクラ(里桜)』のアップ光景です。同じ木でも、開花した花より、蕾の方が濃い赤色をしていました。

    見頃を迎えていた、サトザクラ(里桜)』のアップ光景です。同じ木でも、開花した花より、蕾の方が濃い赤色をしていました。

  • 更にアップした、サトザクラ(里桜)』の花の光景です。八重咲の枝垂れ桜系の花でした。ソメイヨシノとは違った華やかさがあります。

    更にアップした、サトザクラ(里桜)』の花の光景です。八重咲の枝垂れ桜系の花でした。ソメイヨシノとは違った華やかさがあります。

  • 前夫中央に見えているのは、『ぬの門』がある二階建の門櫓です。見張りと、攻撃の2つの役割があったのかもしれません。

    前夫中央に見えているのは、『ぬの門』がある二階建の門櫓です。見張りと、攻撃の2つの役割があったのかもしれません。

  • 『ぬの門』の扉の光景です。重要な守りの門らしい、全面に金属覆いを付けた頑丈なつくりです。1階の床になる天井から、下部を通過する敵に対する攻撃ができる構造のようです。

    『ぬの門』の扉の光景です。重要な守りの門らしい、全面に金属覆いを付けた頑丈なつくりです。1階の床になる天井から、下部を通過する敵に対する攻撃ができる構造のようです。

  • 瓦屋根の上から揃って顔を出した、満開のソメイヨシノです。その背後に見える建物は、『西の丸』の櫓のようでした。

    瓦屋根の上から揃って顔を出した、満開のソメイヨシノです。その背後に見える建物は、『西の丸』の櫓のようでした。

  • 『扇の勾配』と呼ばれる備前丸の石垣光景です。残念ながら、裾の方を端折った写真になってしまいました。石垣の上に建物がないことが、石垣の勾配の見事さを際立たせているようです。

    『扇の勾配』と呼ばれる備前丸の石垣光景です。残念ながら、裾の方を端折った写真になってしまいました。石垣の上に建物がないことが、石垣の勾配の見事さを際立たせているようです。

  • 『扇の勾配』と呼ばれる、備前丸の石垣の横から眺めた天守の光景です。『大天守』の五層と四層の建物光景です。

    『扇の勾配』と呼ばれる、備前丸の石垣の横から眺めた天守の光景です。『大天守』の五層と四層の建物光景です。

  • どちらを向いても、満開のソメイヨシノの光景でしたが、『西の丸』に向かう途中の桜も目を楽しませてくれました。背後に見える建物は、確信は持てませんが、『西の丸』の『化粧櫓』当たりでしょうか。

    どちらを向いても、満開のソメイヨシノの光景でしたが、『西の丸』に向かう途中の桜も目を楽しませてくれました。背後に見える建物は、確信は持てませんが、『西の丸』の『化粧櫓』当たりでしょうか。

  • 『ろの門』です。朝一番で『大天守』を見学する時に一度通過した門です。が、今度は『ぬの門』を潜って帰る途中、反対方向からの通貨です。

    『ろの門』です。朝一番で『大天守』を見学する時に一度通過した門です。が、今度は『ぬの門』を潜って帰る途中、反対方向からの通貨です。

  • 『いの門』です。朝一番で『大天守』を見学する時に一度通過した門です。今度は外に向けて潜り終えた後で、振り返っての撮影です。

    『いの門』です。朝一番で『大天守』を見学する時に一度通過した門です。今度は外に向けて潜り終えた後で、振り返っての撮影です。

  • 満開だったソメイヨシノの古木の光景です。その後ろに見えるのは、『三国濠』です。名前の由来は、江戸時代に姫路城を築いた池田輝政が播磨、淡路、備前の三ヵ国から人夫を集めて築いたことによります。現在は防火用水の役割があります。

    満開だったソメイヨシノの古木の光景です。その後ろに見えるのは、『三国濠』です。名前の由来は、江戸時代に姫路城を築いた池田輝政が播磨、淡路、備前の三ヵ国から人夫を集めて築いたことによります。現在は防火用水の役割があります。

  • 右手前方の石垣と土塀は、『西の丸』のものだったようです。その両側でソメイヨシノが満開でした。『いの門』を潜って、『西の丸』の南門跡に向かう途中の光景です。

    右手前方の石垣と土塀は、『西の丸』のものだったようです。その両側でソメイヨシノが満開でした。『いの門』を潜って、『西の丸』の南門跡に向かう途中の光景です。

  • 『西の丸』への入口です。登り坂になっていました。その昔、『西の丸・南門』があった場所です。現在は門はなく、オープンになっていました。

    『西の丸』への入口です。登り坂になっていました。その昔、『西の丸・南門』があった場所です。現在は門はなく、オープンになっていました。

  • 『西の丸・南門跡』のタイトルがあった説明立看板です。かつて存在した『番所付きの高麗門』についての紹介です。残っている礎石の写真もありました。看板にはソメイヨシノの落花が降り注いでいました。

    『西の丸・南門跡』のタイトルがあった説明立看板です。かつて存在した『番所付きの高麗門』についての紹介です。残っている礎石の写真もありました。看板にはソメイヨシノの落花が降り注いでいました。

  • 『武者溜り(むしゃだまり)』のタイトルがあった説明立看板です。土塀で四角く囲われた区域には、かつて建物があったようです。集団で行動する兵士を、一時的に駐屯させる場所と説明されていました。

    『武者溜り(むしゃだまり)』のタイトルがあった説明立看板です。土塀で四角く囲われた区域には、かつて建物があったようです。集団で行動する兵士を、一時的に駐屯させる場所と説明されていました。

  • 『西の丸』の南門跡から眺めた天守方面の光景です。右から『大天守』、地祇に小さく『西小天守』、その左が『乾小天守』です。

    『西の丸』の南門跡から眺めた天守方面の光景です。右から『大天守』、地祇に小さく『西小天守』、その左が『乾小天守』です。

  • 少し場所を変えてアップした、『西の丸』から眺めた天守群の光景です。今度は石垣の上部も写真に納まりました。天守の並びは、先ほどと一緒です。

    少し場所を変えてアップした、『西の丸』から眺めた天守群の光景です。今度は石垣の上部も写真に納まりました。天守の並びは、先ほどと一緒です。

  • 更に場所を変えて眺めた、『西の丸』からの『大天守』の光景です。『大天守』の飾りに入れた、近景の松と丸い庭木、それに満開のソメイヨシノです。

    更に場所を変えて眺めた、『西の丸』からの『大天守』の光景です。『大天守』の飾りに入れた、近景の松と丸い庭木、それに満開のソメイヨシノです。

  • ソメイヨシノと紅枝垂れ桜の満開の競演です。行司役が常緑樹の松の木と言ったところでしょうか。天気予報では雨でしたが、運よく外れて、申し分のない天候となりました。

    ソメイヨシノと紅枝垂れ桜の満開の競演です。行司役が常緑樹の松の木と言ったところでしょうか。天気予報では雨でしたが、運よく外れて、申し分のない天候となりました。

  • 『西の丸』のタイトルがあった案内立看板です。『西の丸』が『中書丸』と呼ばれた千姫の時代からの縁起や、建物の役割などが紹介されていました。

    『西の丸』のタイトルがあった案内立看板です。『西の丸』が『中書丸』と呼ばれた千姫の時代からの縁起や、建物の役割などが紹介されていました。

  • 見事な満開だった、ソメイヨシノの古木です。木の周りには、少しだけ落花の跡がありました。最高の見頃の時です。立看板には、西の丸見学が混んでいることが記されていました。

    見事な満開だった、ソメイヨシノの古木です。木の周りには、少しだけ落花の跡がありました。最高の見頃の時です。立看板には、西の丸見学が混んでいることが記されていました。

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