2015/04/03 - 2015/04/05
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忠臣蔵でお馴染みの赤穂義士の故郷、赤穂城と大石神社の紹介です。赤穂城に二度縁があった山鹿素行の銅像がありました。真偽はともかく、仮名手本忠臣蔵には討入りの時の山鹿流の陣太鼓が描かれています。
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著名な近代彫刻家の山崎朝雲、平櫛田中らによる四十七義士像が奉安されている『義士木像法案殿』の入口光景です。見学する時間はありませんでした。平櫛田中(ひらぐし・でんちゅう:1872〜1979年)の本名は田中(たなか)、1962年(昭和37年)、文化勲章を受章した著名な彫刻家です。
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桜の花が満開だった大石神社の境内光景です。『開運厄除・大願成就』の文字と山鹿流の陣太鼓を持った討入り姿の絵があった、将棋の駒形のパネルは、記念撮影用にセットされたものでした。
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『義士発祥廼地』の文字が刻まれた横長の石碑です。内閣総理大臣・田中角栄の落款がありました。田中角栄(1918〜1993年)は、郵政大臣(第12代)、大蔵大臣(第67・68・69代)、通商産業大臣(第33代)、内閣総理大臣(第64・65代)などを歴任した、戦後の日本を代表する政治家の一人です。『今太閤』や『コンピューター付ブルトーザー』の呼び名もありました。
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大石内蔵助の銅像のようです。播磨国赤穂藩の筆頭家老で、元禄赤穂事件で名を上げました。これを題材とした人形浄瑠璃・歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』は、寛延元年(1748年)8月、大坂竹本座で初演されました。全十一段の作品は、二代目竹田出雲、三好松洛と並木千柳の合作とされます。
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大石神社の本殿光景です。江戸時代には、江戸幕府にはばかって表立って顕彰することはできませんでしたが、1868年(明治元年)、明治天皇が赤穂浪士の墓のある泉岳寺に勅使を遣わして霊を弔って以降、赤穂と京都に赤穂浪士を祀る神社が創建されました。
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『義士宝物殿』の建物光景です。左向きの矢印で、入り口が表示されていました。大石内蔵助が所持していた備前長船清光・康光の大小刀、肖像掛軸など義士所縁の品々が展示されています。
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紐に?スびつけられたおみくじの白色と、紅枝垂れ桜の赤色が面白いコントラストになっていた境内の一角の光景です。
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イチオシ
正面から眺めた、大石神社の本殿光景です。旧社格は県社でしたが、現在は神社本庁の別表神社となっています。別表神社は、昭和21年(1946年)2月の神社の国家管理の廃止に伴い、公的な社格の制度が廃止されたため、それに代わるものとして昭和23年(1948年)に定められたものです。平成18年(2006年)現在で、全国353社となっています。(ウィキペディア)
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大石神社から眺めた赤穂城の二層の隅櫓の建物光景です。本丸の隅櫓のようです。赤穂城の本丸跡は、これから見学の予定です。
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日本の石柱の間にしめ縄が張られていました。これも鳥居と同じような意味合いの物でしょうか、その先に神門が見えていました。。
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桟道の左右に四十七義士像があった参道の光景です。こちら側からですと、向かって右側が大石主税を隊長とする裏門隊、左側が大石内蔵助を総隊長とする表門タイの義士像です。
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こちらの参道は通りませんでした。左手に眺めただけです。鳥居の手前には、左右に大きな石碑が建っていました。鳥居にはショウは15年、石碑には大正5年の文字が読み取れました。
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往きには纏めて紹介した義士石像ですが、いくつかをピックアップして紹介します。『片岡源吾右衛門像』です。本名は高房です。片岡家を百石で継ぎ、19歳の時には二百石、24歳で三百石となり、義士中では大石内蔵助に次ぐ高禄者でした。 主君切腹の時、ただ一人面会した人と言われています。
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『堀部弥兵衛像』です。本姓は源氏(近江源氏)、本名は金丸(かなまる)です。元禄7年(1694年)、高田馬場の決闘で活躍した浪人・中山安兵衛(堀部武庸)を見込み、娘・ほりと娶わせ婿養子に迎えました。討ち入った義士の中では最長老の77歳でした。
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三の丸で咲いていたソメイヨシノの光景です。絶好の花見日和でしたから、あちらこちらに宴席が出来ていました。東屋風の建物の中も宴席になっていました。
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同じく、三の丸で咲いていたソメイヨシノの光景です。今年の花見の天気は、この日がピークかも知れません。
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こちらも、見事に満開のソメイヨシノの並木です。その木の根元に『二の丸外堀』の標識がありました。
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二の丸と三の丸の間にあるお堀の光景です。お堀の周りのソメイヨシノが満開でした。二の丸門があった場所の近くです。
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『二の丸門跡』のタイトルがあった、写真入りの石碑風の説明プレートです。写真は、取り壊し前の『二の丸門』の光景でした。花岳寺が原画を所有する、明治10年代頃に撮影された写真です。二の丸門虎口の縄張りの一部は、山鹿素行が照応年(1653年)に変更したものとされます。
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同じく、赤穂義士会名で建てられた『二の丸門跡』の説明看板です。先ほどの説明プレートと違う内容は、二の丸門の規模が数字でされていたことと、近くに置かれた『かんかん石』のエピソードでした。小石で叩けば、かんかんと音がする、半畳ほどの二つの石です。
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イチオシ
山鹿素行の石碑と、その上に置かれたブロンズ座像の光景です。山鹿素行(1622〜1685年)は、江戸時代前期の儒学者であり、軍学者です。軍学者としては、山鹿流兵法及び古学派の祖です。石碑には。『贈正四位山鹿素行先生銅像』のタイトルがあった、漢文が記された銅板がありました。朱子学を批判したことから播磨国赤穂藩へお預けの身となり、そこで赤穂藩士の教育を行いました。 赤穂藩国家老の大石良雄も門弟の一人です。
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山鹿素行のブロンズ座像のアップ光景です。陸奥国会津(福島県会津若松市)の生まれです。寛永7年(1630年)、9歳のとき大学頭を務めていた林羅山の門下に入り朱子学を学び、15歳からは小幡景憲、北条氏長の下で軍学を、廣田坦斎らに神道を、それ以外にも歌学など様々な学問を学んだとされます。後代の吉田松陰に影響を与えた人としても高名です。
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『山鹿素行先生銅像』のタイトルがあった説明文です。赤穂とは2度の関わりがあったことが紹介されていました。最初は承応元年(1652年)から万治3年(1660年)の間、千石で召し抱えられ、赤穂城築城に参画し、家中に兵法を指南した時です。二度目は、江戸幕府の忌諱に触れ、寛文6年(1666年)から延宝3年(1675年)まで赤穂に配流になった時です。この時に素行の学問を代表する大著を著わしています。延宝3年(1675年)、許されて江戸へ戻りました。
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『国史跡赤穂城址案内図』のタイトルがあった観光案内看板です。地図上に本丸、二の丸と三の丸が色分けして表示してありました。
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本丸を取り囲むお堀の光景です。本丸門に向かって左手方面の光景です。明治維新後に廃城となりましたが、石垣とお堀は保存状態がよさそうです。
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イチオシ
二の丸から眺めた、本丸門方面の光景です。大手門枡形、本丸門および枡形、本丸厩口門が再建されたのは、平成8年(1996年)のことです。本丸門の手前が高麗門の二の門、その奥の櫓門が一の門です。
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本丸を取り囲むお堀の光景です。本丸門に向かって右手方面の光景です。お堀の周りには、二の丸を取り囲む土塀の光景がありました。時期は確認できませんでしたが、近年の再建土塀のようです。
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『本丸跡』の文字が刻まれた石碑です。明治維新で廃城になった後、赤穂城の遺構として残ったのは石垣とお堀でした。石碑が立っている場所は二の丸、お堀の先が本丸になるようです。
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斜め前から眺めた、再建された本丸門の櫓門(一の門)の光景です。
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正面から眺めた、再建された本丸門の櫓門(一の門)の光景です。手前には高麗門(二の門)があります。
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