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白鷺城の呼び名を持つ、世界遺産の城郭の姫路城の紹介です。大天守の平成の大修理が終了したばかりです。

2015春、近畿・中国・四国の百名城(12/38):4月4日(3):姫路城(3):大天守、西小天守

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2015/04/03 - 2015/04/05

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

白鷺城の呼び名を持つ、世界遺産の城郭の姫路城の紹介です。大天守の平成の大修理が終了したばかりです。

交通手段
観光バス

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  • 『ろの門』を潜って、『はの門』に向かう途中の光景です。左が高い石垣、右が頑丈な土塀でセパレートされた通路部分です。正面に見えてきたのは、右が『西小天守』と、その背後に『大天守』、左が『乾小天守』です。

    『ろの門』を潜って、『はの門』に向かう途中の光景です。左が高い石垣、右が頑丈な土塀でセパレートされた通路部分です。正面に見えてきたのは、右が『西小天守』と、その背後に『大天守』、左が『乾小天守』です。

  • 同じく、『ろの門』を潜って、『はの門』に向かう途中の光景です。正面に見えてきた、右の『西小天守』と、その背後の『大天守』、左の『乾小天守』のアップ光景です。

    同じく、『ろの門』を潜って、『はの門』に向かう途中の光景です。正面に見えてきた、右の『西小天守』と、その背後の『大天守』、左の『乾小天守』のアップ光景です。

  • 『ろの門』から『はの門』に向かう途中の上り坂光景です。前方に見えている天守群です。通路の左は高い石垣、あちこちに『石落し』がありました。

    『ろの門』から『はの門』に向かう途中の上り坂光景です。前方に見えている天守群です。通路の左は高い石垣、あちこちに『石落し』がありました。

  • 前方に見えてきた、天守群のアップ光景です。右から『西小天守』、その左後ろが『大天守』、『乾小天守』は、その左側に巣少しだけ見えています。

    前方に見えてきた、天守群のアップ光景です。右から『西小天守』、その左後ろが『大天守』、『乾小天守』は、その左側に巣少しだけ見えています。

  • 『大天守』に向かう観光客の行列です。これでもまだ、入場制限が行われていない段階でした。『ろの門』から『はの門』に向かう途中の上り坂光景です。

    『大天守』に向かう観光客の行列です。これでもまだ、入場制限が行われていない段階でした。『ろの門』から『はの門』に向かう途中の上り坂光景です。

  • この辺りの建物の密度は低かったようです。もともと少なかった場所なのか、消失などした後での復旧工事が行われなかったのかは、判断が付きませんでした。

    この辺りの建物の密度は低かったようです。もともと少なかった場所なのか、消失などした後での復旧工事が行われなかったのかは、判断が付きませんでした。

  • 『はの門』の入口光景だったようです。『大天守』に向かって、少しずつ坂を上ってきました。坂道も重要な防御施設のように思えてきました。

    『はの門』の入口光景だったようです。『大天守』に向かって、少しずつ坂を上ってきました。坂道も重要な防御施設のように思えてきました。

  • 『はの門』を潜った後、振り返って眺めた行列光景です。列が幅広くなり過ぎないよう規制したのでしょうか、片側が通行止になっていました。この辺りもずっと一方通行でした。

    『はの門』を潜った後、振り返って眺めた行列光景です。列が幅広くなり過ぎないよう規制したのでしょうか、片側が通行止になっていました。この辺りもずっと一方通行でした。

  • 名前は分かりませんでしたが、隅櫓の光景です。通路の角を挟んで、両側に落とせるような、『石落し』がありました。

    名前は分かりませんでしたが、隅櫓の光景です。通路の角を挟んで、両側に落とせるような、『石落し』がありました。

  • 綺麗な曲線を持った土塀の光景です。『はの門南方土塀』と呼ばれています。庇が付いた部分には、姫路城の珍しい施設の『土塀の石落し』があります。

    イチオシ

    綺麗な曲線を持った土塀の光景です。『はの門南方土塀』と呼ばれています。庇が付いた部分には、姫路城の珍しい施設の『土塀の石落し』があります。

  • 石垣から張り出した建物部分の光景です。『石落し』の構造になっているようでした。右奥に見えるのは、『乾小天守』です。

    石垣から張り出した建物部分の光景です。『石落し』の構造になっているようでした。右奥に見えるのは、『乾小天守』です。

  • 仲良く並んだ三つの天守の光景です。右端が『西小天守』、中間奥が『大天守』、左端が『乾小天守』です。『西小天守』の大屋根の向きは、『大天守』と同じですが、『乾小天守』は90度異なっています。

    イチオシ

    仲良く並んだ三つの天守の光景です。右端が『西小天守』、中間奥が『大天守』、左端が『乾小天守』です。『西小天守』の大屋根の向きは、『大天守』と同じですが、『乾小天守』は90度異なっています。

  • カメラアングルを縦にしての撮影です。右が『西小天守』、その左奥が『大天守』です。改修工事が済んだばかりの『大天守』は、白さが際立ちます。

    カメラアングルを縦にしての撮影です。右が『西小天守』、その左奥が『大天守』です。改修工事が済んだばかりの『大天守』は、白さが際立ちます。

  • 隙間に詰めた小石がたくさんありますから、野面隅らしい石垣光景です。左上の方で色が変わっているのは、補修による積み直しの跡でしょうか。あるいは増築のための積み増しでしょうか。姫路城の古い石垣は野面積み、その後は『算木積み』や『打込みはぎ』が多用されたようです。

    隙間に詰めた小石がたくさんありますから、野面隅らしい石垣光景です。左上の方で色が変わっているのは、補修による積み直しの跡でしょうか。あるいは増築のための積み増しでしょうか。姫路城の古い石垣は野面積み、その後は『算木積み』や『打込みはぎ』が多用されたようです。

  • 石垣と、その上に土塀を設けた防御施設の光景です。内側の構造が分かりませんが、銃挟間は1個だけです。石垣は隙間に小石が詰められた野面積みのようです。

    石垣と、その上に土塀を設けた防御施設の光景です。内側の構造が分かりませんが、銃挟間は1個だけです。石垣は隙間に小石が詰められた野面積みのようです。

  • 『にの門』へと続く行列の光景です。案内標識がありますと、手元の白湯を参照しながら大天守までの行程がチェックできます。

    『にの門』へと続く行列の光景です。案内標識がありますと、手元の白湯を参照しながら大天守までの行程がチェックできます。

  • 『にの門』の手前にあった、小さな櫓の光景です。鬼瓦の上でハシボソガラス(嘴細烏)さんが睨みを利かせていました。右側の土塀の上からは、満開のソメイヨシノが顔を出していました。

    『にの門』の手前にあった、小さな櫓の光景です。鬼瓦の上でハシボソガラス(嘴細烏)さんが睨みを利かせていました。右側の土塀の上からは、満開のソメイヨシノが顔を出していました。

  • 『にの門』です。天井がかなり低くなっていて、ここで敵を通り難くしておいて、上から板を外して槍で攻撃することができる構造になっています。また、『にの門』の西面の唐破風の上には、秀吉に姫路城を献上したことで知られ、キリシタン宗に帰依していた黒田官兵衛義孝ゆかりの十字紋を焼きつけた鬼板瓦も見られます。写真に収めることはできませんでした。

    『にの門』です。天井がかなり低くなっていて、ここで敵を通り難くしておいて、上から板を外して槍で攻撃することができる構造になっています。また、『にの門』の西面の唐破風の上には、秀吉に姫路城を献上したことで知られ、キリシタン宗に帰依していた黒田官兵衛義孝ゆかりの十字紋を焼きつけた鬼板瓦も見られます。写真に収めることはできませんでした。

  • 『にの門』の扉光景です。ほぼ全面が、鉄の板で補強してありました。攻め手からの鉄砲対策のようです。

    『にの門』の扉光景です。ほぼ全面が、鉄の板で補強してありました。攻め手からの鉄砲対策のようです。

  • 『にの門』を潜って、『ほの門』に向かう途中の光景です。ソメイヨシノは満開を過ぎ、散り始めていました。

    『にの門』を潜って、『ほの門』に向かう途中の光景です。ソメイヨシノは満開を過ぎ、散り始めていました。

  • 同じく、『にの門』を潜って、『ほの門』に向かう途中の光景です。満開のソメイヨシノの木々を見かけました。

    同じく、『にの門』を潜って、『ほの門』に向かう途中の光景です。満開のソメイヨシノの木々を見かけました。

  • 『にの門』を潜って、『ほの門』に向かう途中の光景が続きます。退屈な行列並びとは違って、城郭や満開のソメイヨシノなどを眺めながらですから、飽くことはありませんでした。

    『にの門』を潜って、『ほの門』に向かう途中の光景が続きます。退屈な行列並びとは違って、城郭や満開のソメイヨシノなどを眺めながらですから、飽くことはありませんでした。

  • 『乾小天守』のアップ光景です。普通の規模のお城でしたら、大天守クラスの豪華な装飾と大きさの建物です。

    『乾小天守』のアップ光景です。普通の規模のお城でしたら、大天守クラスの豪華な装飾と大きさの建物です。

  • 『にの門』を潜った後で眺めた、『乾小天守』の光景です。塀の左端近くに見えているのは、秀吉築城時代の名残、『油塀』の側面のようです。砂利と赤土粘土などを、米のとぎ汁などで固めたものと言われています。

    『にの門』を潜った後で眺めた、『乾小天守』の光景です。塀の左端近くに見えているのは、秀吉築城時代の名残、『油塀』の側面のようです。砂利と赤土粘土などを、米のとぎ汁などで固めたものと言われています。

  • 姫路城の中枢、本丸の入口にある『ほの門』です。頭を打ち付ける門の低さは、万一の場合に埋めやすく設計されています。倒して『ほの門』を塞ぐため、そばに油壁が置かれたとも伝えられます。また、鉄砲による攻撃に耐え得るため、門の扉には鉄板が張り巡らされています。観光用に、『頭上注意・アテンション』の表示がありました。

    姫路城の中枢、本丸の入口にある『ほの門』です。頭を打ち付ける門の低さは、万一の場合に埋めやすく設計されています。倒して『ほの門』を塞ぐため、そばに油壁が置かれたとも伝えられます。また、鉄砲による攻撃に耐え得るため、門の扉には鉄板が張り巡らされています。観光用に、『頭上注意・アテンション』の表示がありました。

  • 『ほの門』の出口付近から見上げた、周りの城郭の光景です。『乾小天守』のようです。『乾小天守』は、『大天守』の西北に位置、し3重4階地下1階の構造です。

    『ほの門』の出口付近から見上げた、周りの城郭の光景です。『乾小天守』のようです。『乾小天守』は、『大天守』の西北に位置、し3重4階地下1階の構造です。

  • 『ほの門』を潜って眺めた、周りの城郭の光景です。右手に唐破風が見えていました。『乾小天守』です。三つある小天守の中では、一番大きな規模を持ちます。

    『ほの門』を潜って眺めた、周りの城郭の光景です。右手に唐破風が見えていました。『乾小天守』です。三つある小天守の中では、一番大きな規模を持ちます。

  • 『水の一門』です。『水の一門』から『水の三門』までは下り坂になっています。その理由は、攻め手の敵の目を欺くためのもので、天守閣は一番高いところにあるとする固定観念を利用したようです。『水曲輪』にある『水の一門』自体も見え難くしてあり、敵を『北腰曲輪』に向かわせる視覚上の仕掛けもあります。

    『水の一門』です。『水の一門』から『水の三門』までは下り坂になっています。その理由は、攻め手の敵の目を欺くためのもので、天守閣は一番高いところにあるとする固定観念を利用したようです。『水曲輪』にある『水の一門』自体も見え難くしてあり、敵を『北腰曲輪』に向かわせる視覚上の仕掛けもあります。

  • 『水の一門』の扉の光景です。頑丈な気造りの上に、金具で補強してありました。その金具には鋭い突起が設けいてありました。このタイプの扉はいくつか見にしました。

    『水の一門』の扉の光景です。頑丈な気造りの上に、金具で補強してありました。その金具には鋭い突起が設けいてありました。このタイプの扉はいくつか見にしました。

  • 『水の二門』です。わざと屋根を低くして、攻めてきた敵が通り難い小さな門に造られています。『水曲輪』は、『大天守』直近の『水の六門』まで続きます。

    イチオシ

    『水の二門』です。わざと屋根を低くして、攻めてきた敵が通り難い小さな門に造られています。『水曲輪』は、『大天守』直近の『水の六門』まで続きます。

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