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ルーマニアの国境に近いイヴァノヴォ洞窟教会見学の後、遅い昼食となりました。その後、ブルガリアの首都ソフィアに向かいました。

2011秋、ブルガリア等・東欧旅行記(8/52):ソフィア、アレクサンドル・ネフスキー教会、聖ソフィア教会

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2011/10/05 - 2011/10/13

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

ルーマニアの国境に近いイヴァノヴォ洞窟教会見学の後、遅い昼食となりました。その後、ブルガリアの首都ソフィアに向かいました。

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  • イヴァノヴォ洞窟教会の見学を終え、昼食の場所までは、かなり時間がかかりました。現地ガイドさんの出身地のレストランと言うことで、スケジュールに少し無理があったようです。

    イヴァノヴォ洞窟教会の見学を終え、昼食の場所までは、かなり時間がかかりました。現地ガイドさんの出身地のレストランと言うことで、スケジュールに少し無理があったようです。

  • 今朝、ホテルを出発したのは7時半前でした。11時に観光バスの乗換えにホテルに立寄りましたので、そこで弁当を拵えて貰っておいた方が遥かによかったとの意見が多くありました。私もその意見に賛成でした。

    今朝、ホテルを出発したのは7時半前でした。11時に観光バスの乗換えにホテルに立寄りましたので、そこで弁当を拵えて貰っておいた方が遥かによかったとの意見が多くありました。私もその意見に賛成でした。

  • カバルマ料理のアップです。カバルマは、専用の小さな土鍋に肉と野菜を入れてオーブンで焼いた料理です。地域や家庭によって入っているものは少しずつ違うようです。黄色い部分はチーズ、その下に卵がありました。半分程残してしまいました。

    カバルマ料理のアップです。カバルマは、専用の小さな土鍋に肉と野菜を入れてオーブンで焼いた料理です。地域や家庭によって入っているものは少しずつ違うようです。黄色い部分はチーズ、その下に卵がありました。半分程残してしまいました。

  • この日の遅い昼食です。レストランの到着した時、時刻は3時近くになっていました。メイン料理は、『カバルマ』と呼ばれる地元料理です。パンフレットでは、煮込み料理と紹介されていましたが、オーブンで焼いて仕上げてありました。残した赤ワインが料理に合いましたが、3時まで待って食べる料理ではありませんでした。

    この日の遅い昼食です。レストランの到着した時、時刻は3時近くになっていました。メイン料理は、『カバルマ』と呼ばれる地元料理です。パンフレットでは、煮込み料理と紹介されていましたが、オーブンで焼いて仕上げてありました。残した赤ワインが料理に合いましたが、3時まで待って食べる料理ではありませんでした。

  • 昼食を終えての小休止です。レストランの前の光景です。天候に恵まれ、爽やかな秋の日となりました。

    昼食を終えての小休止です。レストランの前の光景です。天候に恵まれ、爽やかな秋の日となりました。

  • 昼食のレストランの光景です。途中、ルーマニアとブルガリアの国境越えがありましたが、7時半前にホテルを出発し、ここまで8時間かかりました。赤い文字をキリル語からアルファベットに変換しますと、『Dvete Sarneta』でした。お店の名前でしょうか、左手のビールの宣伝、ツボルグはそのまま読めます。

    昼食のレストランの光景です。途中、ルーマニアとブルガリアの国境越えがありましたが、7時半前にホテルを出発し、ここまで8時間かかりました。赤い文字をキリル語からアルファベットに変換しますと、『Dvete Sarneta』でした。お店の名前でしょうか、左手のビールの宣伝、ツボルグはそのまま読めます。

  • 時計塔の光景です。時計の針は3時25分当たりを指しています。そろそろ、ソフィアに向けて出発の時間となりました。

    時計塔の光景です。時計の針は3時25分当たりを指しています。そろそろ、ソフィアに向けて出発の時間となりました。

  • レストランの入口にあった飾りです。2頭の鹿です。鹿の頭の上に、ブルガリア文字があります。外の看板と同じような文字列でしたから、レストランの名前のようです。

    レストランの入口にあった飾りです。2頭の鹿です。鹿の頭の上に、ブルガリア文字があります。外の看板と同じような文字列でしたから、レストランの名前のようです。

  • ブルガリアの首都、ソフィアの街に到着しました。バスの中から戦勝記念碑風の石碑が見えました。時刻は18時半を回りました。3時間ほどの長距離移動でした。

    ブルガリアの首都、ソフィアの街に到着しました。バスの中から戦勝記念碑風の石碑が見えました。時刻は18時半を回りました。3時間ほどの長距離移動でした。

  • 暫く、アレクサンドル・ネフスキー教会の紹介です。ロシアの英雄、アレクサンドル・ネフスキー(1220〜1263年)を記念した教会です。1924年に国の文化財に指定されています。

    暫く、アレクサンドル・ネフスキー教会の紹介です。ロシアの英雄、アレクサンドル・ネフスキー(1220〜1263年)を記念した教会です。1924年に国の文化財に指定されています。

  • ソフィアで最初に見学したのは、ブルガリア正教会の大聖堂、アレクサンドル・ネフスキー教会です。白い建物が夕日で輝く時間になっていました。

    ソフィアで最初に見学したのは、ブルガリア正教会の大聖堂、アレクサンドル・ネフスキー教会です。白い建物が夕日で輝く時間になっていました。

  • 正面からの聖堂の光景です。アレクサンドル・ネフスキーは、ノヴゴロド公国の公を経てウラジーミル大公国の大公(在位:1252年〜1263年)でした。父はウラジーミル大公のヤロスラフ2世です。正教会では聖人に列されています。

    正面からの聖堂の光景です。アレクサンドル・ネフスキーは、ノヴゴロド公国の公を経てウラジーミル大公国の大公(在位:1252年〜1263年)でした。父はウラジーミル大公のヤロスラフ2世です。正教会では聖人に列されています。

  • 聖堂の最上部のアップ光景です。四囲に窓が開かれた、鐘楼になっていました。1877年の露土戦争で戦死したロシア兵を讃えて建設が始まった教会とされます。

    聖堂の最上部のアップ光景です。四囲に窓が開かれた、鐘楼になっていました。1877年の露土戦争で戦死したロシア兵を讃えて建設が始まった教会とされます。

  • 建物の近くから見上げた、屋根の頂部分の光景です。正門に向かって右手方面からの撮影です。幾つものアーチが重なりました。

    建物の近くから見上げた、屋根の頂部分の光景です。正門に向かって右手方面からの撮影です。幾つものアーチが重なりました。

  • 正面近くから見上げた、聖堂の建物の上部付近の光景です。昼間は白い石造の外壁に、緑の屋根が映える建物です。夕刻ですから、壁の白さが茜に変化しました。

    正面近くから見上げた、聖堂の建物の上部付近の光景です。昼間は白い石造の外壁に、緑の屋根が映える建物です。夕刻ですから、壁の白さが茜に変化しました。

  • 鐘楼の下にあった壁画のアップです。聖アレクサンドル・ネフスキーの肖像画でした。『ネフスキー』の名前の由来は、『ネヴァ河での勝利者』とされます。これはアレクサンドルがネヴァ河の戦いで、僅かな兵力でスウェーデン軍に大勝し、敵将を討ち取ったことに因みます。

    鐘楼の下にあった壁画のアップです。聖アレクサンドル・ネフスキーの肖像画でした。『ネフスキー』の名前の由来は、『ネヴァ河での勝利者』とされます。これはアレクサンドルがネヴァ河の戦いで、僅かな兵力でスウェーデン軍に大勝し、敵将を討ち取ったことに因みます。

  • 聖アレクサンドル・ネフスキーの肖像画の下側、正門の直ぐ上の建物部分のアップ光景です。八端十字架や、繊細な装飾が彫刻されていました。

    聖アレクサンドル・ネフスキーの肖像画の下側、正門の直ぐ上の建物部分のアップ光景です。八端十字架や、繊細な装飾が彫刻されていました。

  • 三つのアーチが連なった正面入口の光景です。入場しての見学の時間はありませんでしたが、イタリアの大理石、ブラジルのシマメノウや雪花石膏等の豪華な素材で装飾されているようです。

    三つのアーチが連なった正面入口の光景です。入場しての見学の時間はありませんでしたが、イタリアの大理石、ブラジルのシマメノウや雪花石膏等の豪華な素材で装飾されているようです。

  • 最後にもう1枚、木陰から眺めたアレクサンドル・ネフスキー教会の聖堂です。聖堂のドームは45メートル、鐘楼を含めると高さは50.52メートルとされます。

    最後にもう1枚、木陰から眺めたアレクサンドル・ネフスキー教会の聖堂です。聖堂のドームは45メートル、鐘楼を含めると高さは50.52メートルとされます。

  • アレクサンドル・ネフスキー教会の周辺の光景です。教会の北側方面です。地図を参照しますと、北側には、少し西側になりますが国立オペラ座があります。

    アレクサンドル・ネフスキー教会の周辺の光景です。教会の北側方面です。地図を参照しますと、北側には、少し西側になりますが国立オペラ座があります。

  • アレクサンドル・ネフスキー教会の周辺の光景です。こちらは教会の南側方面です。教会の南側には、国会議事堂が隣接しています。

    アレクサンドル・ネフスキー教会の周辺の光景です。こちらは教会の南側方面です。教会の南側には、国会議事堂が隣接しています。

  • 日本とブルガリアの国交回復40周年に際し、日本からソフィア市に50本の桜が贈られたことを記した記念碑です。1999年の日付と、ソフィア市長と松井特命全権大使のサインも記されています。ソフィア市長の名前は、ステファン・ソフィアンスキー氏です。ソフィアに所縁の方でしょうか。

    日本とブルガリアの国交回復40周年に際し、日本からソフィア市に50本の桜が贈られたことを記した記念碑です。1999年の日付と、ソフィア市長と松井特命全権大使のサインも記されています。ソフィア市長の名前は、ステファン・ソフィアンスキー氏です。ソフィアに所縁の方でしょうか。

  • 聖職者のレリーフ像があった記念碑です。末尾にブルガリア語表記の『Невски』らしい文字が見えます。これを通常のアルファベットに置き換えますと、『Nevski(ネフスキー)』となります。1812年生まれ、1875年逝去の聖職者ですから、聖ネフスキーとは違いました。

    聖職者のレリーフ像があった記念碑です。末尾にブルガリア語表記の『Невски』らしい文字が見えます。これを通常のアルファベットに置き換えますと、『Nevski(ネフスキー)』となります。1812年生まれ、1875年逝去の聖職者ですから、聖ネフスキーとは違いました。

  • 公園の花壇の光景です。紫色の菊の花です。スプレー菊でしょうか。スプレー菊は、摘蕾を行わず房咲き仕立てとした菊のことです。花の大きさは、3センチから6センチの範囲です。

    公園の花壇の光景です。紫色の菊の花です。スプレー菊でしょうか。スプレー菊は、摘蕾を行わず房咲き仕立てとした菊のことです。花の大きさは、3センチから6センチの範囲です。

  • 同じ花壇の花です。こちらは黄色の菊の花です。スプレー菊が誕生したのは、1940年代のアメリカです。第2次世界大戦後にイギリスやオランダに渡りました。日本へ導入されたのは、1970年代の中頃とされます。

    同じ花壇の花です。こちらは黄色の菊の花です。スプレー菊が誕生したのは、1940年代のアメリカです。第2次世界大戦後にイギリスやオランダに渡りました。日本へ導入されたのは、1970年代の中頃とされます。

  • 日本から贈られた50本の桜の木の光景です。大木に育つには時間がかかりそうですが、贈呈から10年以上が経ち、花を楽しめる高さに育ったように見えます。

    日本から贈られた50本の桜の木の光景です。大木に育つには時間がかかりそうですが、贈呈から10年以上が経ち、花を楽しめる高さに育ったように見えます。

  • 日本から贈られた50本の桜の木が植え込まれている公園の光景です。公園の先には、寺院のような建物が見えました。立派な壁画も見えています。

    日本から贈られた50本の桜の木が植え込まれている公園の光景です。公園の先には、寺院のような建物が見えました。立派な壁画も見えています。

  • 聖ソフィア教会の近くにあった大きなライオンのブロンズ像です。子供さん達の遊び場になっていました。

    聖ソフィア教会の近くにあった大きなライオンのブロンズ像です。子供さん達の遊び場になっていました。

  • 聖ソフィア教会の式台の光景です。お参りの時に、蝋燭を灯す場所でしょうか。現在のソフィアの街は、14世紀にこの地の聖ソフィア教会に因んで付けられた名前ようです。桜の公園の道路向かいにありました。

    聖ソフィア教会の式台の光景です。お参りの時に、蝋燭を灯す場所でしょうか。現在のソフィアの街は、14世紀にこの地の聖ソフィア教会に因んで付けられた名前ようです。桜の公園の道路向かいにありました。

  • 正面から眺めた、聖ソフィア教会の建物です。6世紀にユスティニアヌス帝が建てたビザンツ様式とロマネスク様式の初期キリスト教会堂が始まりです。地震被害などを受け、現在の建物は220世紀初頭に再建されたものとされます。

    正面から眺めた、聖ソフィア教会の建物です。6世紀にユスティニアヌス帝が建てたビザンツ様式とロマネスク様式の初期キリスト教会堂が始まりです。地震被害などを受け、現在の建物は220世紀初頭に再建されたものとされます。

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