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プロヴディフの旧市街見学に続き、ローマ円形劇場跡を見学しました。プロヴディフは古代ローマに征服された時代があり、ローマ劇場、円形競技場、地下遺跡エイレーネーをはじめとする多くの古代遺跡が残されています。

2011秋、ブルガリア等・東欧旅行記(19/52):プロヴディフ、旧市街、ローマ円形劇場跡

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2011/10/05 - 2011/10/13

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

プロヴディフの旧市街見学に続き、ローマ円形劇場跡を見学しました。プロヴディフは古代ローマに征服された時代があり、ローマ劇場、円形競技場、地下遺跡エイレーネーをはじめとする多くの古代遺跡が残されています。

  • 先ほど外観だけを見学したモスクを振り返っての撮影です。前方に見える角を曲がった後は、上り坂の石畳道でした。

    先ほど外観だけを見学したモスクを振り返っての撮影です。前方に見える角を曲がった後は、上り坂の石畳道でした。

  • プロヴディフ旧市街の観光案内地図です。色分けされた番号で、名所・旧跡や学校などの高公共施設などが記されていました。いたずら書きで、かなり汚されていました。

    プロヴディフ旧市街の観光案内地図です。色分けされた番号で、名所・旧跡や学校などの高公共施設などが記されていました。いたずら書きで、かなり汚されていました。

  • 雨に濡れた上り坂の石畳の光景です。次の見学地の古代ローマ時代の円形劇場に向かう途中での撮影です。

    雨に濡れた上り坂の石畳の光景です。次の見学地の古代ローマ時代の円形劇場に向かう途中での撮影です。

  • 石畳の上り坂が続きます。小雨ですが、雨が降り続いていました。車もライトを点けての走行です。

    石畳の上り坂が続きます。小雨ですが、雨が降り続いていました。車もライトを点けての走行です。

  • 建物の下部に見えているのは、自然の岩の光景です。その上に建つ建物は、歴史的建造物のようですが、名前などは分かりません。

    建物の下部に見えているのは、自然の岩の光景です。その上に建つ建物は、歴史的建造物のようですが、名前などは分かりません。

  • すべてブルガリア語だけですから、読み解けないプレートです。キーワードに『1878年』『1865年』『1911年』と、英語のアルファベットに置き換えた、名前らしい『Maritsa』の文字がありました。歴史的建造物の所有者だった一人でしょうか。

    すべてブルガリア語だけですから、読み解けないプレートです。キーワードに『1878年』『1865年』『1911年』と、英語のアルファベットに置き換えた、名前らしい『Maritsa』の文字がありました。歴史的建造物の所有者だった一人でしょうか。

  • 壁一面に描かれたモノトーンに近い色彩の壁画の光景です。シュールリアリズムの作品風に見えますが、モチーフは宗教画のようにも見えます。

    壁一面に描かれたモノトーンに近い色彩の壁画の光景です。シュールリアリズムの作品風に見えますが、モチーフは宗教画のようにも見えます。

  • 石畳の緩い坂道の光景です。右手にかなり高い石塀がありました。緑の樹木が景色を和らげていました。振り返っての撮影です。

    石畳の緩い坂道の光景です。右手にかなり高い石塀がありました。緑の樹木が景色を和らげていました。振り返っての撮影です。

  • 石段を登って次の見学先に向かうところです。強い雨ではありませんが、この時間帯は傘が手放せなくなりました。

    石段を登って次の見学先に向かうところです。強い雨ではありませんが、この時間帯は傘が手放せなくなりました。

  • も呼ばれます。オスマン帝国支配化における民族復興期の1858年、ブルガリア語での奉神礼が復活しました。

    も呼ばれます。オスマン帝国支配化における民族復興期の1858年、ブルガリア語での奉神礼が復活しました。

  • 斜め前から見上げた聖処女マリア教会の尖塔の光景です。天候が悪い中での撮影ですから分かりにくいですが、パステルカラーに近いピンク色の塔です。

    斜め前から見上げた聖処女マリア教会の尖塔の光景です。天候が悪い中での撮影ですから分かりにくいですが、パステルカラーに近いピンク色の塔です。

  • 聖処女マリア教会の境内だった記憶です。石畳が敷き詰められていました。

    聖処女マリア教会の境内だった記憶です。石畳が敷き詰められていました。

  • 中国の塀を連想させる造りの聖処女マリア教会の塀と出入口の光景です。門の上部には十字架の飾りがありました。見学を終え、帰り際での撮影です。

    中国の塀を連想させる造りの聖処女マリア教会の塀と出入口の光景です。門の上部には十字架の飾りがありました。見学を終え、帰り際での撮影です。

  • 『Holy Virgin Orthodox Church』に関する説明看板です。聖母教会、あるいは聖処女マリア教会と訳するのでしょうか、この地域では最も古い1188〜1189年の創建のようです。その後、何度かの変遷があったようです。

    『Holy Virgin Orthodox Church』に関する説明看板です。聖母教会、あるいは聖処女マリア教会と訳するのでしょうか、この地域では最も古い1188〜1189年の創建のようです。その後、何度かの変遷があったようです。

  • 見学を終え、振り返って眺めた聖処女マリア教会の建物光景です。説明看板にあった写真の古い教会は、見学できませんでした。

    見学を終え、振り返って眺めた聖処女マリア教会の建物光景です。説明看板にあった写真の古い教会は、見学できませんでした。

  • 小高い場所から眺めた、民族復興期の造りらしい建物光景です。豪商の館だったのでしょうか、長い塀で囲われていました。

    小高い場所から眺めた、民族復興期の造りらしい建物光景です。豪商の館だったのでしょうか、長い塀で囲われていました。

  • グレーと白のモノトーンの建物光景です。民族復興期に建設された歴史的建造物の1つのようです。

    グレーと白のモノトーンの建物光景です。民族復興期に建設された歴史的建造物の1つのようです。

  • 古代ローマ時代の円形劇場址近くにあった建物光景です。19世紀半ばからの民族復興の時代の建物のようです。

    古代ローマ時代の円形劇場址近くにあった建物光景です。19世紀半ばからの民族復興の時代の建物のようです。

  • カメラのアングルを変えて撮影した、同じ建物の玄関付近の光景です。

    カメラのアングルを変えて撮影した、同じ建物の玄関付近の光景です。

  • 長い塀の色彩が特異だった建物の光景です。塀の中には、歴史的建造物らしい建物が見えました。

    長い塀の色彩が特異だった建物の光景です。塀の中には、歴史的建造物らしい建物が見えました。

  • しっかりした造りの木製のドアの光景です。外側から施錠されていました。

    しっかりした造りの木製のドアの光景です。外側から施錠されていました。

  • 旧市街での一番の見所、古代ローマ時代の円形劇場址に到着しました。周囲は鉄柵で囲われていました。

    旧市街での一番の見所、古代ローマ時代の円形劇場址に到着しました。周囲は鉄柵で囲われていました。

  • 鉄柵越しに見下ろした円形劇場址の光景です。ローマ帝国支配時代の紀元2世紀に建設されました。

    鉄柵越しに見下ろした円形劇場址の光景です。ローマ帝国支配時代の紀元2世紀に建設されました。

  • 円形劇場があるのは、ジャンバスベレ南斜面と呼ばれる場所です。トンネル関連工事中に偶然発見され、1981年に復元されました。古代ローマ時代の石柱などがよく保存されています。

    円形劇場があるのは、ジャンバスベレ南斜面と呼ばれる場所です。トンネル関連工事中に偶然発見され、1981年に復元されました。古代ローマ時代の石柱などがよく保存されています。

  • 円形劇場の大理石の観覧席の光景です。一部修復作業中でした。元々は28段だったものが、20段分が復元されているようです。出土した碑文から、ネルウァ=アントニヌス朝の第2代皇帝のトラヤヌス帝(治世:98〜117年)時代の114〜117年に建設されたことが分かっています。

    円形劇場の大理石の観覧席の光景です。一部修復作業中でした。元々は28段だったものが、20段分が復元されているようです。出土した碑文から、ネルウァ=アントニヌス朝の第2代皇帝のトラヤヌス帝(治世:98〜117年)時代の114〜117年に建設されたことが分かっています。

  • 円形劇場のほぼ全景です。元々は5〜7千人が収容できる規模とされますが、復元された現在の規模では3千人収容とされます。444〜447年にかけてフン族に襲撃され、壊されたとされます。フン族は、ヴォルガ川東方から現れた遊牧民族とされます。フン族は、1世紀にモンゴル高原から移動した北匈奴と同一民族とする説が有力です。

    円形劇場のほぼ全景です。元々は5〜7千人が収容できる規模とされますが、復元された現在の規模では3千人収容とされます。444〜447年にかけてフン族に襲撃され、壊されたとされます。フン族は、ヴォルガ川東方から現れた遊牧民族とされます。フン族は、1世紀にモンゴル高原から移動した北匈奴と同一民族とする説が有力です。

  • 同じく、円形劇場のほぼ全景です。フン族は民族大移動を誘発し、西ローマ帝国(395〜476または480年)崩壊の要因となったとされます。

    同じく、円形劇場のほぼ全景です。フン族は民族大移動を誘発し、西ローマ帝国(395〜476または480年)崩壊の要因となったとされます。

  • 雨にぬれた板張りの舞台の光景です。もちろん、板張りがそのまま残るはずはありませんし、大理石の舞台のままだったかもしれません。この板張りは、現在の劇や演奏の開催のために設けられたものでしょう。

    雨にぬれた板張りの舞台の光景です。もちろん、板張りがそのまま残るはずはありませんし、大理石の舞台のままだったかもしれません。この板張りは、現在の劇や演奏の開催のために設けられたものでしょう。

  • 円形劇場脇の崖の上に建つ、黄色の建物光景です。崖に見える部分にも窓のようなものが見えます。

    円形劇場脇の崖の上に建つ、黄色の建物光景です。崖に見える部分にも窓のようなものが見えます。

  • 円形劇場から眺めたプロヴディフの街並み光景です。手前の方は赤い屋根の歴史的町並みに見え、遠くの方は近代都市に見えます。

    円形劇場から眺めたプロヴディフの街並み光景です。手前の方は赤い屋根の歴史的町並みに見え、遠くの方は近代都市に見えます。

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