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1979年に世界遺産に指定された、カザンラクのトラキア人の墳墓紹介の続きです。内部見学は出来ませんが、紀元前4世紀に造られたとされる、オリジナルの墳墓の方の紹介です。トラキア人の墳墓としては、この他にスヴェシュタリのトラキア人の墳墓が1985年に世界遺産に指定されています。こちらは1982年に発見されたものです。トラキア人は、古代の東ヨーロッパ周辺に住んでいた民族です。インド・ヨーロッパ語族に属するトラキア語を話したと考えられています。トラキア人のことがはじめて文献に現われたのは、紀元前8世紀末頃に、ホメーロスが著述した古代ギリシャの長編叙事詩、イリーアスです。旅行から戻った後のTV番組で紹介されていましたが、トラキア人は精巧な金製品を造ったことでも知られます。

2011秋、ブルガリア等・東欧旅行記(24/52):カザンラク、トラキア人墳墓(オリジナル)、峠の茶店

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2011/10/05 - 2011/10/13

32位(同エリア95件中)

旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

1979年に世界遺産に指定された、カザンラクのトラキア人の墳墓紹介の続きです。内部見学は出来ませんが、紀元前4世紀に造られたとされる、オリジナルの墳墓の方の紹介です。トラキア人の墳墓としては、この他にスヴェシュタリのトラキア人の墳墓が1985年に世界遺産に指定されています。こちらは1982年に発見されたものです。トラキア人は、古代の東ヨーロッパ周辺に住んでいた民族です。インド・ヨーロッパ語族に属するトラキア語を話したと考えられています。トラキア人のことがはじめて文献に現われたのは、紀元前8世紀末頃に、ホメーロスが著述した古代ギリシャの長編叙事詩、イリーアスです。旅行から戻った後のTV番組で紹介されていましたが、トラキア人は精巧な金製品を造ったことでも知られます。

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  • トラキア人のレプリカの墳墓を見学した後、オリジナルの墳墓の見学です。ただし、こちらの方は内部見学が出来ません。この建物の中に、レンガ造りの丸天井型地下墳墓(カタコンベ)があります。

    トラキア人のレプリカの墳墓を見学した後、オリジナルの墳墓の見学です。ただし、こちらの方は内部見学が出来ません。この建物の中に、レンガ造りの丸天井型地下墳墓(カタコンベ)があります。

  • オリジナルの墳墓を覆った建物の側面光景です。入口はこの建物の左手になります。墳墓が世界遺産に登録されたのは、1979年です。

    オリジナルの墳墓を覆った建物の側面光景です。入口はこの建物の左手になります。墳墓が世界遺産に登録されたのは、1979年です。

  • ぴったりと閉ざされた、オリジナルのトラキア人の墳墓への入口です。この墓地は、大規模なトラキア人共同墓地の一部とされます。保存状態のよい紀元前のフレスコ画が、世界遺産の決め手となったようです。

    ぴったりと閉ざされた、オリジナルのトラキア人の墳墓への入口です。この墓地は、大規模なトラキア人共同墓地の一部とされます。保存状態のよい紀元前のフレスコ画が、世界遺産の決め手となったようです。

  • 壁に掲示してあった世界遺産指定の標識です。精巧に造られたレプリカの方で写真撮影(有料)が出来ましたが、保存状態と併せ、絵画の質の高さも世界遺産として評価されたようです。

    壁に掲示してあった世界遺産指定の標識です。精巧に造られたレプリカの方で写真撮影(有料)が出来ましたが、保存状態と併せ、絵画の質の高さも世界遺産として評価されたようです。

  • 『トラキア人の墳墓・オリジナル』の文字が記されていた案内標識です。英文字の方で読み解くことができました。

    『トラキア人の墳墓・オリジナル』の文字が記されていた案内標識です。英文字の方で読み解くことができました。

  • 絶好の旅行日和に恵まれたトラキア人の墳墓の見学でした。左手の赤いレンガの遺構は、オスマントルコ支配時代のもののようです。

    絶好の旅行日和に恵まれたトラキア人の墳墓の見学でした。左手の赤いレンガの遺構は、オスマントルコ支配時代のもののようです。

  • レンガ造りのイスラム時代の遺構の上部のアップ光景です。四方がアーチ構造になっていました。

    レンガ造りのイスラム時代の遺構の上部のアップ光景です。四方がアーチ構造になっていました。

  • トラキア人の墳墓とは、直接の関係はないとされるレンガ造りの遺構です。イスラム時代の遺跡とされます。

    トラキア人の墳墓とは、直接の関係はないとされるレンガ造りの遺構です。イスラム時代の遺跡とされます。

  • イスラム時代の遺跡とされるレンガ造りの内部です。中央に丸い穴が開いていました。ドーム構造部分の煉瓦が崩落した跡のようでした。

    イスラム時代の遺跡とされるレンガ造りの内部です。中央に丸い穴が開いていました。ドーム構造部分の煉瓦が崩落した跡のようでした。

  • イスラム時代の遺跡とされるレンガ造りの壁のアップ光景です。大きさの異なるレンガが水平に並べられ、セメントのようなもので固められていました。

    イスラム時代の遺跡とされるレンガ造りの壁のアップ光景です。大きさの異なるレンガが水平に並べられ、セメントのようなもので固められていました。

  • 手前がレンガ造りのイスラム時代の遺構、その右奥がトラキア人のオリジナルの墳墓を覆った新しい石造りの建物です。

    手前がレンガ造りのイスラム時代の遺構、その右奥がトラキア人のオリジナルの墳墓を覆った新しい石造りの建物です。

  • 階段の脇にあった標識です。往きには気づきませんでしたが、トラキア人の墳墓の文字がありました。

    階段の脇にあった標識です。往きには気づきませんでしたが、トラキア人の墳墓の文字がありました。

  • 手前が、四方が吹き抜けになったレンガ造りのイスラム時代の遺構です。その奥のトラキア人のオリジナルの墳墓を覆った建物は、奥に長い構造でした。

    手前が、四方が吹き抜けになったレンガ造りのイスラム時代の遺構です。その奥のトラキア人のオリジナルの墳墓を覆った建物は、奥に長い構造でした。

  • オリジナルのトラキア人の墳墓があった付近の光景です。トラキア人の墳墓は、この場所以外にもブルガリア北東部のスヴェシュタリでも発見されています。

    オリジナルのトラキア人の墳墓があった付近の光景です。トラキア人の墳墓は、この場所以外にもブルガリア北東部のスヴェシュタリでも発見されています。

  • 先程見学してきた、トラキア人の墳墓に通じる階段を振り返っての撮影です。日本に戻ってからのあるTV番組で、トラキア人の墳墓が紹介されていました。これから解明されるであろう謎の部分なども紹介されていました。

    先程見学してきた、トラキア人の墳墓に通じる階段を振り返っての撮影です。日本に戻ってからのあるTV番組で、トラキア人の墳墓が紹介されていました。これから解明されるであろう謎の部分なども紹介されていました。

  • 昼食のレストランです。トラキア人の墳墓に近い、カザンラク市内でした。白と赤のグラスワインを注文しました。2杯で10レヴァ、約600円、お値打ちでした。

    昼食のレストランです。トラキア人の墳墓に近い、カザンラク市内でした。白と赤のグラスワインを注文しました。2杯で10レヴァ、約600円、お値打ちでした。

  • 最初に出されたのが、お決まりコースのスープです。野菜を煮込み、しっかりした味が付いていました。白ワインによく合いました。

    最初に出されたのが、お決まりコースのスープです。野菜を煮込み、しっかりした味が付いていました。白ワインによく合いました。

  • 昼食は、パレス・ホテルのレストランでした。今回のブルガリア、ルーマニア旅行では、ホテル、食事ともに申し分ありませんでした。

    昼食は、パレス・ホテルのレストランでした。今回のブルガリア、ルーマニア旅行では、ホテル、食事ともに申し分ありませんでした。

  • カザンラクからヴェリコ・タルノヴォに移動する途中のバスの中からの撮影です。昼食の後、約1時間半の移動時間となります。

    カザンラクからヴェリコ・タルノヴォに移動する途中のバスの中からの撮影です。昼食の後、約1時間半の移動時間となります。

  • 移動途中のバスの中からの撮影が続きます。山の裾野に、赤い屋根、白い壁の家並みが見えました。

    移動途中のバスの中からの撮影が続きます。山の裾野に、赤い屋根、白い壁の家並みが見えました。

  • 同じく、バスの中からの光景です。赤屋根、白い壁の家並みが続いていましたが、山の中腹に寺院らしい尖塔が見えました。

    同じく、バスの中からの光景です。赤屋根、白い壁の家並みが続いていましたが、山の中腹に寺院らしい尖塔が見えました。

  • 車窓から眺めただけですが、この寺院は、露土戦争で亡くなったロシア人兵士を祀るシプカ僧院のようです。この戦争で、ブルガリアはオスマン朝の支配から脱することができました。この付近で行われた一連の戦いは、『シプカ峠の戦い』と呼ばれています。

    車窓から眺めただけですが、この寺院は、露土戦争で亡くなったロシア人兵士を祀るシプカ僧院のようです。この戦争で、ブルガリアはオスマン朝の支配から脱することができました。この付近で行われた一連の戦いは、『シプカ峠の戦い』と呼ばれています。

  • カザンラクからヴェリコ・タルノヴォに移動する途中で休憩したレストランです。峠の茶のようでしたが、濃い霧に包まれて、周りの景色は分かりませんでした。

    カザンラクからヴェリコ・タルノヴォに移動する途中で休憩したレストランです。峠の茶のようでしたが、濃い霧に包まれて、周りの景色は分かりませんでした。

  • 同じく、霧の中のレストランの建物光景です。看板に記された絵では、ダチョウ料理が名物のようでした。

    同じく、霧の中のレストランの建物光景です。看板に記された絵では、ダチョウ料理が名物のようでした。

  • 庭先の花壇の光景です。花の名前は分かりませんが面白い形の、赤い花が咲いていました。八つ手に似た葉の形をしていました。

    庭先の花壇の光景です。花の名前は分かりませんが面白い形の、赤い花が咲いていました。八つ手に似た葉の形をしていました。

  • かたまって咲いた薄いピンク色の花です。八重咲きのゼラニュウムだったようです。

    かたまって咲いた薄いピンク色の花です。八重咲きのゼラニュウムだったようです。

  • 夏が過ぎて、すっかり草臥れてしまったヒマワリ(向日葵)の花です。キク科ヒマワリ族の1年草です。『日回り』と表記されることもあります。

    夏が過ぎて、すっかり草臥れてしまったヒマワリ(向日葵)の花です。キク科ヒマワリ族の1年草です。『日回り』と表記されることもあります。

  • 店内光景です。立派な角を持った鹿の頭部の剥製です。狩猟で仕留められた鹿でしょうか。

    店内光景です。立派な角を持った鹿の頭部の剥製です。狩猟で仕留められた鹿でしょうか。

  • こちらも動物の全身剥製です。イタチ科当たりの動物でしょうか、中型の大きさでした。

    こちらも動物の全身剥製です。イタチ科当たりの動物でしょうか、中型の大きさでした。

  • 今日形を終えて、ヴェリコ・タルノヴォに向けて再出発です。生憎の天候で、お客さんはいなかった屋外のテーブル席です。

    今日形を終えて、ヴェリコ・タルノヴォに向けて再出発です。生憎の天候で、お客さんはいなかった屋外のテーブル席です。

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